37 二人目
「…二人目、か」
ヘルソン・プラズターは、壁から壁に貼られた禁止線のロープの向こうで、煙草をふかす。ふっと吐くと、白い煙が夜の闇に消えていく。
「ヘルソン。手掛かりや目撃者は?」
「警部。いやー…ここから少し離れた公園で、悪魔を見たっていうアベックがいたくらいで…こっちの事件に関してはまだ何も」
「今回も…ああ、やはり」
少し離れた場所では、一人の白いドレスを着た女性が座っている。
正座で前かがみの姿で、後ろ手を縛られている。…勿論、首はない。そして、やはり緩くウェーブのかかった金色の髪は、ごっそりとられていた。
「また、金髪か…なんだろう、何かのメッセージかね」
「……こうもバッサリと綺麗に首を落とせるなんて、相当大きな武器を使うか、文字通り剛腕じゃなきゃ無理ですよ」
首というのは多くの血管と細胞と太い神経がつながっている。
しかし、切り口を見ても乱れなく鮮やかで、ためらいを感じない。あたり一面にはまるで絵の具を塗ったくったような赤黒いしぶきが飛び散っている。本人も相当な血を浴びているだろうに、なぜ目撃者はおろか、痕跡すら見当たらないのか、不思議でならない。
かっと目を見開いた女性はやはり宣告の広場の方を向いている。ヘルソンはその瞳をそっと閉じさせた。
「ゆっくりは…無理だろうけど、どうか安らかに。俺たちがきっちり捜査するから」
「この女性の身元は?」
「いや、まだ。…前回の女性もそうだけど、手掛かりが少なさすぎて、名前の確定には時間がかかる。できれば家族の元に返してあげれればいいけど」
果たして、その家族はいるのだろうか?
今、この国は見えないところで大きな格差が広がっている。『貴族と平民』、この二つの種類の人間たちがひしめき合って、いつの間にかそのどちらにも属さない種類の人間が増えている。
「そういや、向こうの公園でも何かあったんだっけ?」
ヘルソンがひとりの部下をちらりと見ると、彼は力強く頷いた。
「はい。一応名前と住所も控えております」
「まず、そっちに行ってみようかな。何か手掛かりにつながるものがあるかもしれないし」
くるりと背を向け、事件現場からレンガ街の中ほどにある公園に向かって歩いていく。
(時間にして…まあ歩いて5分?目と鼻の先だな)
付近に立ち並ぶ家々を見上げるが、どれも窓をしっかり閉めている。立ち込める霧は、湿気をもたらすので、窓を開ける家はあまり期待できない。
やがて公園にたどり着くが…そこにはもう誰もいなかった。
「そりゃ、そうか…ん?」
しかし、ヘルソンは見逃さなかった。
地面にめり込んだ弾丸の痕と、複数の靴跡を。
(ほお、弾はもうないが…結構な重さのある弾だな。)
そう言えば、どこかで聞いた。悪魔には銀製の弾丸が効果的だという話。だとすれば、ここでどこぞのファントム・ハンターが悪魔と対峙した、と、いうことになる。そして…更に調べていくと、地面には微かな血の跡が残っていた。
「ふむ…じゃあ、今日の夜依頼を受けて、けがをしたハンターを探せばいいわけだな」
何かこの事件のカギになるものがあればいいのに、と。
ヘルソンは気持ちを新たにした。
・・・
さて、同じころ。
レンガ街とは全く真逆にある表通りのいわゆる高級ホテルのフロントでは。
「…ここは、ハーシュレイ家の経営してるホテルだったのか…」
「すげえ…立派なホテルだなあ」
ここは、一番街のど真ん中にある一等地の超有名ホテル。
内装も王宮並みで、フロントは天井も高く広々としており、数々の有名ブランドの調度品が並んでいる。
アンティークと呼ぶに相応しいクラシックなデザインが並んでいる中央のエリアの長椅子に座りながら、フロントで対応しているニカレアを見る。
(なんて説明しよう…はぁ)
「アリス?」
「…キルケ、そう言えば聞きたいことがある」
「な、なに?」
「なぜおまえ…カンナビスについて知っていた?」
「ああ…あれ いってぇ!!」
ウソを言わぬと承知しない、と思いを込めて、けがをしている側の腕をきつく握った。
「ちょ、勘弁してよ!!いうから!オレ、けが人!!オレ、アリスの命の恩人!!」
「前回のムティチゴの借りを返してもらっただけ!…恩人とは言いすぎだ、ボケ」
「…んだよもうー。言ったじゃん、レジュアンでは結構どこでも手に入るんだ。まあ、あんな風に加工されてない生草がね」
「どこにでも自生している、というのは聞いたことがある」
実際、カンナビスというのは雑草の一種である。生命力が旺盛で、刈っても刈ってもまたすぐ生えてくる。
生草に含まれている微量な物質は、軽度の興奮作用と覚醒作用が含まれており、鉱山で働く鉱夫たちは休憩中に疲労回復の為にお茶に混ぜて飲むとも言われ、そこまで中毒性もない。
ただ、ある一定の温度で熱し、乾燥させて特殊な油を塗って乾すとたちまち強力な薬毒に変化する。…一種の化学反応を起こすのだ。
「入手方法は…ある意味いくらでもルートはある、ということか」
「まあ、ね。ただ…花まで一緒となると、普通の手順じゃなくて、実際育てた人からもらったってことなんだろう、白い花は超高級だから」
「高級…つまり、育てている過程で手に入る、と?」
「ああ、ひと茎にひと花しか咲かせない。…品種改良されていたら別だけど」
「へえ…詳しいな」
「バカにするなよ。オレだって一応薬学と工学が専門なんだ」
「それは失礼」
「あの…話は終わった?」
「!!」
忘れていたわけではない、が。
どこか遠慮がちにニカレアは声をかけてきた。
「あ、ああ…」
「一番上の大きい部屋なら開いてるみたい」
「え?!!高級ルーム??」
「大丈夫よ、あそこはうちの持ち物だから」
「…そ、そこまでしなくても?!ほら、けがだって」
「ううん。もう遅いし…外で何か事件があったみたいだから、下手にうろついたら疑われるわ」
「事件?」
わらわはふと、先ほどであった背の高い黒ずくめの男を思い出した。
「…もしかして、若い女の人が殺された?」
「!…よく知ってるのね。女の人がどうかはわからないけど…殺人事件ですって。コンスタブルが聞き込みに来たみたい」
「…そう…」
(こうも連続して起きるとは…あの男、金色の髪がどうとか言っていたな)
まさか、リヴィエルトと、あの赤くせ毛の非番警察が言っていたのはこのことか?
「その…私も、一人で帰るのは少し怖いから…その」
「え?あ、うん…」
「一緒にいてもいい、ですか?」
そう言ってニカレアは不安そうな顔してこちらをじっと見てくる…。
心なしか涙目で…わ、わらわが同性でよかった、じゃなきゃそれこそコロッと落ちてしまいそうだ。
こういう仕草が似あう女性は羨ましいなあ。
ギュッと手を握ると、ニカレアも握り返した。
「…なんか、けがをしたのオレなのに、疎外感…」
「仕方ないな、ほれ」
「!うん!」
こっちもこっちで…ああ、幻覚か、嬉しそうにしっぽを揺らすわんこの姿を思い出す。
こうして、わらわは、二人の手を引いて、最上階を目指すことになった。
「エレベーター…初めて使った。確か、このホテルが初、だよね」
「そう、私がお願いしたの…!一度乗ってみたくって」
「すごい!自動で動いてる!!」
「景色も見て!!ステキでしょう?」
あ、なんだかもうお互い素に戻ってしまっている。
なんとも複雑な気分で苦笑すると、チーン♪と軽やかな音共に、やがて最上階についた。最上階は5階で、部屋は4つしかないらしい。赤い絨毯が敷かれた上を歩くと、ニカレアが持っていた鍵で一番奥にある部屋の扉を開けた。
「おぉ…なんだか大人な雰囲気だ」
キルケは口を開けてぼーっとしていて、けがのことなどすっかり忘れてそうだ。
「間抜けすぎるから、口閉じろ、キルケ…」
「あ、ゴメンごめん」
「他の部屋は埋まっているみたい。…明日の朝まで誰も来ないから、ゆっくりして大丈夫です」
「その、色々と大丈夫なのか?」
きょうは日曜日。…本来ならもう王宮に戻らねばならない時間だろうに。しかし、わらわの心配をよそに、ニカレアはからりと笑った。
「今日の一件で、一つ心に決めたことがあるの。だから、もうなんでも平気」
「……そう」
扉を閉め、備え付けの薬箱をもらい、キルケのけがを治療する。
恐らく馬の蹄で引っかかれたのだろう。軽くえぐれて、痛そうだ。
「痛くないか?キルケ…」
「あー…なんか俺今、ちょっと幸せかも。アドレナリンが出てるっていうの、こんな感じ?」
「寝言は寝てから言え、馬鹿者」
布で止血して患部を重ねた布で覆い、そこをめがけてべしっと叩いた。
決して小さくはない悲鳴が上がり、やっと大人しくなった。
「包帯の巻き方も上手…手慣れているのね」
「まあ…」
「それに、二人とも仲がいいのね」
「え?あ、うん…」
すると、ニカレアはじっとキルケを見て…なんだろう、二人の間に流れる不穏な空気は。
「けがの功名…っていうのかしら、こういうの」
「いやあ、けがは男の勲章っていうし。俺がアリスを守った証でもあるし」
「……アリスって呼んでるのね…?」
と、ぎろりと目が光るニカレア。それに対してキルケは、ドヤ顔をした。
「付き合いは長いからー。会ったのは子供の頃だし、育んできた時間てものがあるからね」
「なによ…そんなもの、人生のほんの一部じゃない」
「一部でもこの年齢なら半生だぞ?!」
何の話をしてるんだ、こいつらは。
何かキリがなさそうだから、ここで打ち切ろう。
「…あー、驚かないんですね、ニカレアさん」
「!その、ちょっとびっくりしたけど…思った通りっていうか」
あれ、もっと別の反応を心配してたのに…ニカレアの様子がなんだか、おかしい…。
「普段のカッコいいアリセレス様は世を忍ぶ仮の姿…ってことよね?!鞭をふるって銃を振りまわして悪魔を狩る…ハント・サルーンで数少ない女性の一人!!!…素敵です!!!」
「え…あ う うん」
「国王陛下にお慕いされながらも、それを受け入れず世の為平穏の為、夜の街を駆ける姿…とっっても、イイ!!」
いや、間違っていない。間違ってないんだけど。
「…ねえ、アリス。この人、大丈夫?」
「大丈夫っていうか…うーん。なんだろう、ちょっと複雑、かも」
「私もアリスって呼んでいいですか…?!」
「あ、は ハイ。うん」
よもや、婚約者候補の時は上品なご令嬢だと思っていたが、どんどんイメージが変わっていく…。ニカレアはわらわの両手を握ると、彼女のイメージ崩壊はもう止まらなかった。
「嬉しいっッ!!あ、おなかすいてませんか?ルームサービス頼みましょうか?!」
「あー、お、お気になさらず。えっと、ニカレアさ」
「さんはいりません!!…アリスの事は絶対絶対他の人には言わないから、安心して!!私、お金と権力はいくらでもあるから、力になります!!…あ、ロイセント家には負けるけど、マーケット関連はうちの方が強力ですわ!!」
「うん…心強いわ」
「あのね、アリス…私、決めました!」
そして、とどめの一言が、彼女のバラ色の笑みと共にこぼれた。
「私、陛下の婚約者候補、辞退します!!」
「え…ぇええ?!!」
さすがにこれは予想していなかった。
せっかく応援しようと思っていたのになあ…。
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