36 ナイトメア
「あら、ハーシュレイ令嬢、なんだか顔色がとても悪いように見えますわ」
「え?」
「…無理をなさっているのでは?」
ある日の事。最近眠りが浅いことを気にしていたニカレアの元に、メロウ・クライスは突然声をかけてきた。
「クライス令嬢?別に、無理など…」
「いいえ。…なんだか、具合も悪そう。大丈夫ですか?」
(大丈夫も何も…この人はなぜ突然私に?)
「お構いなく」
慣れない環境で、過ごすようになってから半年近くなる。
基本的に王妃の候補者となったからには、住まいも王宮の中に移されており、土、日の外出しか許されていないのだ。
「何かお悩み事があるんでしょう?お力になりますわ!」
「……」
こういった特殊な環境下の気遣いは或る意味とても危険なのは、ニカレアは承知していたつもりだった。しかし、ギスギスした雰囲気を放つ他の候補者達とのやり取りに少し疲れていたのは事実で…つい、口が滑ってしまった。
「最近あまり眠れなくて…」
「なら!お役に立てると思いますわ!」
「え?」
「これをどうぞ」
従事していたメイドから、小さな箱を受け取り、ニカレアに手渡した。
まるで、準備していたかのようにラッピングされた状態に不信を感じたが、とりあえず受け取った。
「ありがとう」
かかっていた青いリボンをゆっくりと解く。
ふたを開けると、甘い香りがぱっと広がり…その香りをかぐと、何となくリラックスができたような気がした。
「これは?」
「私のお母さまが作ったサシェ(香り袋)です。…とても良い香りでしょう?」
「ええ…」
「きっと、特別な夢を見ることができますわ」
「夢…?」
「そう、特別な…ね」
そんな会話を思い出し、ニカレアはゾッとした。
(特別な夢って…そういうこと?)
「…令嬢?大丈夫ですか?」
「あ…はい」
「あのー。すいません、中身を見ても?」
「どうした?」
「この香り…ちょっと気になって」
連れの男性に香り袋を手渡すと…彼はためらいもなく閉じていた袋の紐を取り、中身を広げた。出てきたのは、一見するとポプリのような、乾燥された葉と、ドライフラワーだった。
「ああ…この葉っぱ、カンナビス、だ」
「カンナビス?」
「レジュアンで一度見た。少量でも結構な威力を持つ、幻覚作用と覚醒作用がある…こちらでは禁止にされているんじゃないかな」
「禁止薬物?!…そんな」
(どういうこと?!なら、クライス令嬢は)
「…ああ、残念ながら、あなたにこの袋を渡した人は、純粋な好意がはなさそうです。…それに」
ジェンド・ウィッチはにやりと笑うと、袋を裏返した。
すると…全く気が付かなかったが、悪魔が好むと言われている逆五芒星が青い糸で小さく刺繍されていた。
「何、これ…?!」
「わかりやすく言うと、『悪魔寄せ』の紋章です。」
「悪魔寄せ?!」
それを聞いた時、クライス令嬢に対する怒りよりも、自分自身に対する怒りが勝る。
「ちょっと優しい言葉をかけられて、簡単に隙を見せた自分が許せない…!」
「…その気持ち、よくわかる」
「え?」
「大丈夫、あとは私に任せて」
「…!」
何だろう、自信に満ちた彼女の言葉を聞くと、なんだかさっきまでの怒りがすっと引いた気がする。
彼女はキッと刺繍をにらみつけると、手に持っていたフォークをくるくるとまわした。
「…これは銀製のフォークですね。さすが、有名店は使う食器も最高級ですね」
ウィッチは不敵に笑うと、手に持っていたフォークをくるりと回転させ、その刺繍の糸に突き刺した。すると、次の瞬間、どこかから馬のいななきのような声と共に袋からふわりと何かが飛び出し、ニカレアの髪を揺らした。
「?!今の声…馬??」
「銀製のフォークに反応した…どうやら、あなたに悪夢を見せる奴が正体を現したようですよ」
「銀製のフォーク?」
「彼らにとって銀製の物は、人間にとってのやけどと同じくらい痛みを感じるそうです。…ちょっと失礼」
ガタン、と席を立ちあがると、ウィッチはテーブルの上に金貨をおいた。
「ここで騒ぎを起こすわけにはまいりませんもの。これでお暇しますわ」
「あ、待って!!」
「あー…令嬢さん、ウィッチは多分正体を掴んだみたい。どうする?見届ける?」
「もちろん見届けます!!私の身に起こったことだもの!!」
「なら、一緒に行きましょう!…僭越ながら、お供させて頂きます」
「…ありがとう」
そして、二人はジェンド・ウィッチを追いかけた。
・・・
「んー…広くて邪魔者が入らなくて、人のいない場所」
わらわは夜のレンガ街を走る。…普段は人通りがもっと多いのに、今の時間となると人の気配はまるでしない。しかも、微妙に霧が出始めていて、寒気もする。
「確か、その道を真っすぐ行けば…」
「すみません」
「!!」
突然、背後から声をかけられた。
驚いて足を止めて振り返ると…そこには黒いコートで身を包んだ長身の…男性?が立っていた。
「この辺で…金色の、髪の…白いドレスの、じょ 女性を みま、せんでした、か?」
「…金髪で白いドレスの女性?」
「たぶん、はだし です」
「……」
何処かぎこちないしゃべり方に違和感を覚える。手に持っていた時計を見ると…現在の時刻は24時をとっくに過ぎている。こんな時間に裸足で走る女性がいるものか。いたとしたら、それは。
「あいにく、知らない」
「そう…です か…あの、あなたの、か、髪の色は」
「見ればわかるだろう?黒だ」
「そう…そんなはず いや そうか…」
「急いでいるので、これで」
「……」
くるりと背を向けるのもなんだか嫌だ。わらわはそのまま全速力で走り出し、近くの公園に向かった。
(なんだあいつ?…人間、だよな)
何処か異様な気配を感じたのは気のせいだろうか?
…まあ、とにかく。
「この辺でいいだろう」
持っていたサシェと中身を放り投げると、ばらばらと地面に転がった。
「ほら、出てこい。…お前の姿など、とっくに見破っておるわ」
転がった青い袋がむくむくと膨らみながら上昇していく。
同時に、じゃらん、という鎖の音があたりに聞こえだし…そいつは姿を現した。
『ブヒヒィン!!!』
「悪夢を見せて絶望をもたらす悪魔、メアー!」
黒い闇のような色の図体の、頭は馬、身体が女性の不気味な悪魔。…元は、愛する男に棄てられた女の情から生まれと言われ、特に結婚問題でもめている女性に取りつきやすい。
不安を抱える女性の耳元で絶望を囁いては、恐怖を煽り、悪夢を見せてそのエネルギーを喰う。見ればこいつ…随分肥大化してる。
「…は、そろそろお腹も満杯だろ?とっとと魔界にでも還ったらどうだ」
『ヒヒィン!!なぜ、わかった?!気配、消していた!』
「麻薬のにおいで誤魔化しても無駄だよ。…見えるから、ね」
甘ったるいような独特の香りを放ちながら、身体は透けており、実体を持たないのがこいつの特徴だ。物理的な身体を持たないが、純粋な魔法や銀の弾丸は効果的だ。無論、魔力を帯びた鞭も例外ではない。
「…さて、鞭と獣は相性がいいんだ。知ってるか?」
『うぅう…うぅうう…っ!人間だって、獣を殺して肉を屠るだろう。我々だって、心が弱っている人間の恐怖や不安を食べて何が悪い!!』
「…単純なこと。お前が悪魔だからだろうなあ?」
腰に帯びていた鞭を取り出し、地面を思いきり叩くと、バチン、と痛そうな音が誰もいない公園に響き渡る。
訂正、一組カップルがいたようだが、顔を白くして真っ先に男性が慌てて去り、残された女性は怒り狂いながらはだけていた衣服を直し、男を追いかけた。
(あーあ、破局だな。いやいや~あんな男はやめとけ、娘子よ…)
「ここは人間様の領域。にっっぶそーで、無駄にデカイ図体の馬ヅラ女のいるところじゃないんだ。覚悟しろ…!」
『ムキィーーーー!!バカにしたわね!!!』
「あはは!馬鹿とかいてバカと呼ぶ…ちょうどいい名前じゃないか!!」
『おまえにも悪夢を!』
よし!久しぶりに銃を使える!!こいつ悪魔だからな!!意気揚々と銃を構えた瞬間、思いもよらない声が聞こえた。
「ジェンド・ウィッチ!!」
「?!」
振り返ると、息を切らして走ってきた…ニカレアとキルケ。
(しまった、何で来たニカレア…!)
「ちょっとお嬢さん!!邪魔だからここは…」
『ヒーーーン!!隙あり!!魔女めぇええ!!』
馬面のはしゃいだ声が聞こえ、奴の両目が赤く光った。
「あ…くっ」
ぐら、と目の前が歪む。
「アリス!!」
「え?!」
ああ、くそ、遠くでキルケの阿保な声とニカレアの驚いた声が聞こえる。
言うなって言っただろぉおお!キルケのバカ!
『さあ、お前にとっての悪夢はなんだ?!とっととお見せ!』
「ふざけん…なよ!」
急激な眠気が襲う。
このまま、目を閉じれば奴の思うつぼだ。わかっていても…頭の中にある映像が浮かんでくる。
真上から深々と降り積もる雪を、ずっと見ている。
―――花びらのようだ。
痛い位の静寂がわらわを包み、先ほどまで感じていた凍えるような寒さはもう感じない。ただ、手足の感覚がなくなり、冷たいはずの雪の感触も、僅かな雪のにおいも、徐々に失っていく。
さく、と雪を踏む音が辛うじて聞こえ、視線を動かすと。
あいつがいる。
「ごめん…」
「……」
間抜けな話だ。先ほど、ニカレアが言った言葉が脳裏に浮かぶ。
「ちょっと優しい言葉をかけられて、簡単に隙を見せた自分が許せない」
本当に、その通りだ。…これ以上の絶望があるだろうか?
ああ、いや、あったな。
「アリセレス…わらわは」
「私の復讐を、私の望みを…叶えてくれるっていってたのに」
「!!」
いつの間にか、地面に寝ているわらわを見下ろすように、アリセレスが立っていた。
「これで終わらせるの?名も無き魔女さん」
「…アリス」
「ほら、立って。ニカレアにも事情を説明しなきゃだし、リヴィエルトにも、けじめをつけなきゃ。寝てる場合じゃないでしょう」
すっと差し出された手をみる。
「全くだ…アリス。わらわは一つ決めたことがあるんだ」
「なあに?」
「お前の復讐は代行する。けど…それは、誰も不幸にしない復讐で、だ」
「難しそう」
「…わらわほど長生きすれば…それくらいのハンデで丁度良い」
「うん、わかった…お願いね!」
「勿論!!わらわに不可能はない!!」
伸ばした先にあったのは…銀色の銃。
「消えろ!!ナイトメア!!!」
バン!と轟音が響くと、降りしきっていた雪は消え、綺麗な満月が見えた。
そして、聞こえた断末魔の声。
『ギャァアーーーー!』
火薬のにおいと、硝煙が混ざった香りが立ち込めると、青い袋がポトリと落ちた。
「ふん…まだまだ、だな」
さて、あとはこれをメロウに突き付けて…
「アリセレス、なの?」
「え?!!」
あ…しまった!!
そう言えばさっき…!思わずキルケを睨むが、いつの間にか腕を怪我している。まさか、わらわをかばったのか、こいつ。
「いてて…」
「キルケ!!」
するとさっきの銃声を聞きつけてか、ひとがぞろぞろ集まってきた。
「近くに、ハーシュレイの経営する宿があるわ!…まずはけがを直さないと!」
「あ、ありがとう…」
そう言ってニカレアが立ち上がる。
ああ、もう、やっと10代の女子と友情をはぐくめると思ったのに…。軽い絶望に似た気持ちを感じながら、わらわはキルケとニカレアを連れて、歩き出した。




