34 ニカレア・ハーシュレイ
(アリセレス・ロイセント令嬢…)
ニカレアは、正面に座った令嬢の姿を見る。
「あ、私はコーヒーとガトーショコラのセットで」
「…コーヒー…ですか?」
「ええ。香り高い紅茶も捨てがたいですが…私はコーヒーの苦みの方が好ましいんです。それに、ここのガトーショコラとコーヒーの組み合わせは絶品ですよ?」
「…な、なら私も」
絶対に振り向かない、若き王の焦がれる令嬢。
噂程度でいたものの、いざ実物を見て、会話をすると…王がそこまで入れ込む理由が分かった。
(この方は、自分の意志で好きなものを選んで、決めているんだわ)
日ごろから『王の妻』という肩書にギラギラと闘志を燃やし、眉目秀麗のあのパルティス2世に気に入られるべく奮闘している彼女たちとはまるで違う。
周りを見ても、やはり煌びやかな格好をしている女性たちは皆、そろいもそろって紅茶を嗜み、甘いガトー・フレーズを食べては談笑している。
「…周りが気になります?」
「!あ、ええと、その。ロイセント令嬢は、普段からコーヒーを召し上がるんですか?」
「はい、うちには私専用のコーヒールームもあるんです」
「へえ!それは…あ、来ましたね」
運ばれてきたのは…白い砂糖が雪のように降りかかり、ココア色の黒い生地にはホイップクリームがたっぶりと添えられている。シャンティの上にはミントが乗っており、さわやかな香りがここまで薫っている。
「わあ、コーヒーの香り…」
嗅ぎなれない香りに少し顔をしかめそうになるが、何とか笑顔で誤魔化した。
視線を感じてみると、頬杖を突いたアリセレスは目を細めて笑っている。
「大丈夫ですよ、嗅ぎなれない、香りがきついって言っても」
「え?!」
「珈琲も…飲みなれないなら、こうしてこう、クリームをたっぷりと。それから角砂糖も二つ分入れて…ほら、即席ラテの完成です」
「!魔法みたい…色が薄くなりましたわ」
「どうぞ、呑んでみて」
「……」
実は、人生初のコーヒーである。
噂は聞いていたが、これは男性の飲み物だと聞かされていたので、女性で飲む人もいるのだ、と驚いた。クンクンと薫りをかぎ、ティーカップより飲み口の厚い見慣れたカップをまじまじと見た。
そして、ぐっと一口飲んでみる。…思ったよりも甘くてクリーミーで…想像していた味とは全く違って驚いた。
「……甘い!」
「でしょう?今度はぜひ、カフェ・ラテにも挑戦してみてほしいです。またまろやかな香りと味が楽しめると思います」
「美味しい…少しの苦みがスパイスになって、すごく合います…!」
「良かった、お口にあったみたいで」
アリセレスはそう言ってにっこりとほほ笑むと、そのままゆっくりとコーヒーを楽しんでいる。
一部の者は嫌がらせもいとわない…そんな令嬢達に囲まれているニカレアにとって何とも新鮮だった。
(…私は、いつも周りの目ばかり気にしているのに)
「ロイセント令嬢は…怖く、ないですか?」
「何が?」
「…淑女はストレートの紅茶に、砂糖は入れない。お菓子を食べるのも、女性らしく可愛らしいケーキに、小さなフォークで少しずつ口に運ぶ。全部食べるのは品がないから、半分は残すこと」
「それは?」
「私の祖母の教えです。…おばあさまはとても勤勉な方なんです。令嬢として美しくあれ、淑女として一つの仕草も神経を集中させるように、と」
「それをずっと、守ってらしたの?」
その言葉に、小さく頷く。
祖母の教えはそれ自体が当然だと思っていたし、子供の頃から言われ続けてきたことなので、一度も疑問に思ったことがなかった。
「ストレートの紅茶もおいしいけれど、甘い砂糖を入れても、レモンを入れても…美味しさが増えるばかりなのに」
「…そうですか?」
「ええ。…私でしたら、おいしいお菓子は残さず完食してしまいます。完食したからと言って、美しさが損なわれることなんて、ありませんもの」
ちらりと、アリセレスの皿を見ると…綺麗に完食していた。それに対して…自分の皿にはまだ半分以上残っている。
「私は、その教えを破るのがとても怖いんです」
「…なぜ?」
「なんだか、良くないことが起こるような…誰かに見られてて、良くない感情を持たれたらどうしようって。嫌われたら、社交界でのけ者にされたら…って」
言いながら、ふつふつと疑問がわいてくる。
なぜ、そんなことを気にしていたんだろう。
「一応、陛下の婚約者の候補者としての自覚を持つように、って。祖母に言われて…」
「令嬢は、今も、リヴィエルト陛下と…と、お考えですか?」
「……」
2年前、突如振ってわいた婚約者候補の話。
聞いた時は、あの素敵な殿下と?と思ったりもしたものだが…自分よりも周囲の喜びように、突然さっと熱が冷えていくのを感じた。
婚約者になったわけでもないのに、ただの候補者なのに。なぜこんなにも家族が…祖母は喜んでいるのだろう。
「ニカレア!!…このチャンス、のがしてはだめよ!」
「お、おばあ様?」
「ああ、やっとうちの家門から王族が…!なんて喜ばしいのかしら!!」
「ま、待って。候補者ってきいたけど」
「大丈夫!!色んな人に口添えをしておくからね、お前も嬉しいでしょう?」
ニカレアの話など聞く耳を持つ者は誰もいない。
特に祖母は饒舌で、まるで自分が王妃にでもなったような口ぶりで夢を語る。…それは、見ていてとても不快だった。
「王族になったら、途方もない権力と財産を持てる権利が転がってくるの…素敵でしょう?毎日贅沢なものに囲まれて、いつも上等なドレスを着て…たくさんの侍女を従えて」
「おばあ様…」
「国母にでもなれたら、陛下の愛情を一身に受けるわ、きっと!そして死ぬまで幸せに暮らすの…!」
「おばあ様!!やめて、私は」
「ああ、他の令嬢共に負けないようにしっかりと身を整えないと!!ドレスも新調して、アクセサリも……」
「…母上、今はまだニカも混乱しているし、それくらいに」
「何を言ってるの!!王家の名をもらえるチャンスでしょう?!うちの家門が…王家の仲間入りなのよ!!」
「…ニカ。こちらに来なさい」
「お、お母様」
半ば強引に祖母から引き離され、心底ほっとしたのを覚えている。
「…わかりません」
「そう」
もっと何か言うと思ったのに、とちらりとアリセレスを見る。
「そう言えば、その眼鏡、かわいいですね」
「え?!あ、その。普段はしていないんですけど…き、休日はこの方が、良く見えるので」
「どうして普段はされないの?…それも、おばあさま?」
「!!あ、その」
「そう…厳しい方なんですね」
「……厳しい?」
当初、その言葉を聞いた時、意味が分からなかった。
今までそれが当たり前のことだと思っていたのに。
「私の、祖母は…厳しいのでしょうか」
「…そうですね、厳格な方だとは思うのですが、ハーシュレイ令嬢を見ていると、納得しますわ」
「私を……?」
「ええ。一つの動作も、仕草もとても綺麗。おばあ様のご教育の結果ですね」
「…そんな、風に言ってくださったのは、令嬢が初めてです」
ニカレアは、目の前にある皿の上に載ったガトーショコラをじっと睨んだ。
そして、そのままぶすりとフォークで刺し、思い切り口に運んだ。
「?!ちょっと、令嬢??」
「う、ごほん!ら、らいじょー…げほげほ!!」
「み、みず!水のんで!!」
さっと差し出されたグラスを手に取り、ぐっと流し込む。
もぐもぐと噛んでみると…やはり美味しい。じっくり堪能してから飲み込むと、やっとひと心地ついたように大きく息を吸い込む。
「おいしかった」
「あ、あの?」
「…確かに、完食したからと言って、なんてことありませんでした…」
「ま、まあ…食べ方が綺麗とは言い難いですが…」
「でも、皿の上は綺麗になりました…ロイセント令嬢と同じように」
「そうですね…?」
「…これはこれで、美しいです」
周りを見ても、誰も何も言わない。
怒られるわけでもないし、何も起こらなかった。
(なんだ…そうなんだ)
胸の奥がすっとした感じ。そう思った瞬間、ニカレアは自分でも思いもよらぬ行動に出た。
さっと顔を隠すように例の本を顔を覆うように見せる。
「あのこの本、プレゼントさせてください!!」
「……え?」
(あれ?!こんなこと言うつもりがないのに、か、勝手に口と手が)
「その代わり、アリセレス様が…この本を見つけたら、私に教えてくだされば」
「……」
「お互いに交換すれば…もっと、楽しみも二倍になるかも、って…」
ぺらぺらとこの口が余計なことをしゃべりだす。
楽しみが二倍って何!!交換て!!色々なことが頭をよぎるのだが、今のニカレアはあることに必死だった。
(せっかく仲良くなれそうなのに!!これでお別れなんてイヤ!!)
全身から汗が出る。
今、汗臭くないかしら?などと訳の分からないことを考えたりしながら、彼女の答えを待った。
「いいよ」
「!!!……本当?」
「せっかくこうして知り合えたのだもの。…私の事もアリセレスと呼んで構いません。ね?」
「う、うれしいです!!その、良かったら、丁寧語はやめてください!せっかくお友達になれたんですもの!!」
「…お友達?」
「あ、あ、あのちが、わないけど、その!!」
(友達と呼ぶには早すぎかしら?!で、でもでも!)
「ハーシュレイ令嬢?」
「あ!!に、二に、ニカレア、と呼んでください!」
「…ニカレアさん?」
(さん、もなくていいけど)
「嬉しい…ニカレア」
「へっ?!」
多分、本当の意味で嬉しそうに笑ってくれた。
「10代の女性のお友達、何て…夢かと思っていたけど」
「ゆ、め?」
「あ、こちらの話。その、私は貴族の令嬢の間ではあまり好かれていないから」
「そんなことありません!!!」
「…ん?!」
「ロイセント令嬢は…とても綺麗で、格好いいです!!」
「え?」
(し、しまった!!女性に格好いいなんて!!私ったら…!)
慌てて口元を抑えるが、思った通り、アリセレスは目をぱちくりとさせて驚いているようだった。
「格好いい?」
「そ、その!!!ええと、あの…」
「アハハ!…よくある社交辞令はもう聞き飽きておりますが、格好いいと言われたのは初めてです。…でも、うん。悪くない。ありがとう、ニカレア」
「……こ、こちらこそ!!!」
なぜか、胸がドキドキする。
胸が締め付けられるような、もっと話したい、もっと彼女の事を知りたい、とそう思ってしまう。
(は!いけないイケナイ…この方は女性よ!!しっかりして!!ニカレア!!でも!)
「ま、また、こうして…お話ししても?」
「ええ、楽しみにしているわ、ニカレア」
「はい!!」
…こうして、思わぬ場所で生涯の趣味友を発見した二人ではあるが。
ここから12時間後、二人は更に思わぬ場所で再び出会うこととなったのだ。
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