1 枯れ魔女さん、騙る。老人は話が長いものだ
さて、状況を整理するためにも、一度深呼吸をしよう。
「すう。はあ、すう、はあ…よし」
わらわは『名を持たぬ魔女』。かつては『辺境の魔女』とも呼ばれていたが…とにかく今年で154歳になる、枯れた老婆の魔女である。
なぜ名を持たないのか?…それは割愛しよう。まあ、その方が便利なことがあるのだ。
「この身体は…アリセレス・エル・ロイセント。名門貴族の長女であるが…彼女は数年後、悪意のある者たちにはめられて、処刑台送りになる運命だ」
目を閉じれば、この身体の持っている記憶をたどることができるので…今は7歳、ということになる。ふむ、どうやら、魔女時代の能力はまだ残っているようだ。
人はそれぞれ魂の役割と使命と歴史を持っている。それを覗くのは、わらわ特有のものだ。
魔女とは…魔法を得る代わりに人間としての生を已めて力を得た、特殊な存在だ。
人との関わりを避け、朝日と共に起き、森に薬草を取りに出て、研究する。日が沈むと共に床に就いて短い夢を見、眠る。似たようなものに魔法使いもいるが、これは総じて王国に認可された職業の一つで、わらわ達とは役割も能力も、存在意義すら天と地の差ほどもある。
我々は修行を積んだ後、世界の中心にいる『父なる神』に祝福を賜り、魔女の『誓約』の儀式を行い、晴れて『善なる者の眷属』…すなわち『魔女』になる。勿論、それ相応に犠牲を払う必要はあるが、それを覚悟のうえで臨む。
人を超えた存在になった我らは、ある役割を得る。役割はそれぞれあるが…主たるものは、それが、善悪の天秤に秤にかけるため、『父なる神』の元へ導くことだ。しかし、生を終えた魂たちは、『害ある住人』…呼び方は悪魔、妖怪、化け物、どれでもいいが、それらに狙われてしまうことが多い。
奴らは…どこにでもいて、いついかなる時も我々を見ている。対象が最も好む姿で現れ、甘い言葉で怠惰と復讐を促し、魂を闇に染める。
害ある住人達によって堕ちた魂たちは、その世界を壊滅させる要因として同じ地に再び転生し、すべてを破滅へ導く役目を与えられる。たまにいるだろう?周囲を巻き込むほどの悪意思想や極端な破壊衝動を持つ権力者たち。…ああなってしまうのだ。
最終的には、悪魔に魂を喰われ、二度と転生できずに消滅してしまう。
けれども、奴らの手に堕ちなかった人間の魂は、我われの手によって『父』の元に運ばれ、裁判を経て浄化の輪廻と呼ばれるサイクルに入り、次の未来への転生の修業を行うことができる。
魂をエスコートする…それがわらわ達『善なる者の眷属』である。
その役割はわらわらはそれを誇りであり、存在意義だった。けれど…
「本当に、最期の仕事だったのに…」
所でわらわは…実はもう既に『死んで』いる。
魔女の命は病や老衰や病気で死なないが、弱点は三つほどある。
①自分で心臓を取って潰す、②炎に焼かれる、そして…③。愛する者が心臓を貫く、である。三つめは、同時に自分の魔力を吸い取らせるという愚かな行為である。だから、魔女の『誓約』は破られてはならない。
もう察したであろう?わらわは誓約を破った。魔女のくせに…『恋』をしてしまったのだ。
(…全く、忌々しい)
その相手とは…とある王国の騎士で、何かの罪を犯したらしく、自らの無実を証明するために逃げている最中だった男。
そこで…どうやらどこぞで、辺境に住む魔女の噂について聞きつけたらしい。わらわからすれば、重傷者を放っておけるわけがないし、そのまま死んでしまったらあと味が悪い。
助けるのは当然だろう?
とにかく、彼の傷はある程度回復し、少しずつわらわの家事やら何やらを手伝うようになる。…老人はこういうのにすぐほだされてしまうのだ。
そして…久々の人間との接触で、浮かれてしまったのか。わずかな好奇心が後にアレになってしまった。
それを自覚したときには、本当に自分自身に絶望したものだ。…魔女に恋など、言語道断。
だからこそ、これ以上膨らまないように、悟られぬことのないように彼を国に返す決断をした。
それなのに。
その日はアリセレスが処刑された日と同じくらい凍えるような寒い日の出来事だった。
今思えば、隙を見計らっていたのだろう。心臓を一突きにして、わらわの身体に巡る膨大な量の魔力を吸収して、国に還るタイミングを。それは…突然やってくる。
声をかけられ、振り向いた瞬間…わらわの所有する魔力はどくどくと流れる赤い血と共に放出されていった。
「すまない…許してほしい」
「……なぜ」
「昔読んだ本に載っていた…魔女の心臓を貫くと、その力を吸収することができるって…それで、辺境に魔女がいると聞いて」
そう、ここにやってきた目的はただ一つ。最初から、この辺境の魔女であるわらわを殺すためだったということらしい。…なんとも滑稽な話だ。
まあ、彼の口から出た真実だから、こっぴどく裏切られたアリセレスに比べたらまだ幸せな方だろうか?
そして、彼は去った。…その後どうなったかは知らない。わらわは死んでしまったから。
「いい年して恋とかいう病に侵されたから…あの馬鹿のせいで」
そう、馬鹿なのはわらわだ。
全く、過去の自分を殴り飛ばしたい。
まあ、とにかく…そうして辺境の魔女は命を失ったわけだが、それで終わりじゃなかった。死ぬ間際騙されたことに自己嫌悪して、奴を恨んだ。その心に共鳴してか、薄れゆく意識の中で、この死にかけた魔女のところに一つの魂がやってきた。それが、彼女…アリセレスである。
しかし、その魂は傷だらけで、今にも闇に堕ちそうなほど憎しみにとらわれていた。
「ああ…どうして?!私が何をしたというの?!」
「!お主…落ち着け。」
「…もう嫌。全部嫌、…自分が嫌い!あいつが憎い!みんな憎い!!殺してやりたい!!!」
「落ち着けと言っている!!」
小さくなったアリセレスの魂の慟哭は、周りに漂う害のある住人達を大層喜ばせた。格好の獲物を逃すまいと、彼らは黒い光を放ち、あおっていく。
早く堕ちて楽になれ、と。
闇に染めれば、魂一個喰えるのが確定事項だし、うまくやれば更にその倍、数倍以上の魂を手に入ることができる。
ネガティヴの感情を持つ傷ついた魂は、闇に染めやすく、かつ、復讐のために力を貸そうと甘く誘う材料を最初から持っている。
(マズイ、このままでは…とにかく落ち着かせないと)
ゆらりと闇が揺れ、どくどくと脈打つ。
白い光が黒く変化してしまったら彼女の魂は堕ちる。かくいうわらわも似たような状況だったのだろう。全く、わらわは未熟だな。…おかげで目が覚めたわ。
傷みによってばらばらに引き裂かれた魂を癒していくと、彼女の記憶が流れ込んできた。
その記憶があまりにも憐れで、哀しくて…わらわは涙を流した。
「アリセレス・エル・ロイセント!!!」
「!!」
「しっかりせい!」
「誰…?」
「わらわは名を持たぬ。…ただ、そなたを救いに来た」
「私を…?」
アリセレスの言葉に、力なく頷く。
そう、忘れるな。わらわの使命を。
「今、おぬしは二つの道がある。一つは、このまま黒い闇にとらわれ、わらわたちの周りにいる害ある住人共にその清らかな心ごとくれてやるか。復讐は果たせるが、おぬしは未来永劫連中のはらわたの中で消えることもできず、苦しむことになる。」
周りの連中の空気が張り詰める。
余計なことを言うな、と。
「もう一つは…?」
「本当なら、浄化の輪廻に返してやりたいが…残念ながら、今のわらわの魔力では、それは難しい」
言いながら、自分の手を見ても、既に形がゆらゆらとしていて人の形を保っていられない。
「しかし、お主の魂とわらわの魔力の残りかすを融合させれば、お主の人生の起点に戻せるだろう。…このまま消滅するくらいなら、わらわの力を使って戻り、お主なりの復讐なり、けじめなりをつけるといい」
「私のけじめ…」
「殺すことや、憎むことでなされる復讐ばかりではないだろう?…もっと色々な復讐があるさ」
「…うん」
黒い光に包まれそうだった光の欠片から、闇がすうっと引いていく。それでも僅かに残った闇は、アリセレスの周りをうごめいている。
(時間が…少ない。わらわの力ももう…)
「ねえ、魂を合わせると…どうなるの?」
「わらわがお主に、お主がわらわになるんじゃ」
「…そんなこと、できるの?」
「魂の契約、だな。これはわれわれ魔女に与えられた特権だ」
「……魔女?アナタが?」
「ああ」
「もしかして…!」
「?」
もうわらわの身体は人の形を保っていない。
契約の対価は…まあいい、わらわ自身を贄とすればいい。
「私…やりたいことがあったわ」
「やりたいこと?」
「あのアバズレ妹をぶん殴って、それに誑かされて婚約破棄した色ボケ王子をぶん殴りたい!!」
「なるほど、それは楽しそうじゃ!」
「それで…生きててよかったって、そう思いたい…!」
それが彼女の決断だった。
同時にまとわりついていた住人共が襲い掛かるが、アリセレスの強い光ではじかれた。
「それと…私はあなたになりたい」
「わらわに?」
「名前を持たない魔女さん、あなたのように、強くてかっこいい魔女に!」
「!」
そうしてわらわとアリセレスの魂は一つになった。
彼女は…自らの魂を魔女との契約の対価にして、わらわをここに送り込んだ…と、そういうことになるのか。
「…アリセレスの願いは、『色ボケ王子と妹をぶん殴ること』と、『魔女になること』か。…全く」
それで、自らを差し出すなんて。…そして、今。
わらわは7歳。処刑は20、今から13年もある。
ならば、これからの未来をいくらでも変えることができる。…ま、まあ、フクシューって何だ?と首をかしげてしまうが、いずれ分かるだろう。うん。
「ならば、やるしかないな、馬鹿者。アリセレス、お主の望みの全て、わらわが叶えてやるさ」
すると、鏡の向こうのアリセレスが、かすかに頷き、笑ったような気がした。