23 炎と魔女と、約束と
――17:20
「!これは…」
リヴィエルトが到着したころ、邸は既に煙で覆われており、一階部分の硝子は一部壊れている。
(本当に…やるつもりなのか?大丈夫か?!)
「殿下。これ以上進むのは…」
「わかっている、だが…原因を調べないと」
「いけません!殿下の御身に何かがあってからでは…」
「…もし、本当にあいつがいたら」
「殿下」
「!!」
水を打つような静かな声に、全員一度黙りこくる。
「ならば、私が行きましょう」
そう言って、ニッコリとほほ笑んだのは、医者のセイファスだった。
リヴィエルトを守る屈強な護衛兵たちは皆そろって、お前みたいな頼りない奴が?とでも言いたげな表情だ。
「なぜ」
「これでも、私は魔法も使えるんです。…殿下を危険にさらすわけにはいきませんから」
「……わかった。ならば、みたものをすべて後で教えてくれ」
「かしこまりまして」
颯爽と去っていく後姿を見送りながら、リヴィエルトは燃え盛る炎を見つめた。
「ふむ、炎の周り方が尋常ではない。」
火を避けて進みながら、セイフェスはなぜか口元が緩む。
「…あの方の魔力の残り香を感じる」
魔法を使うものというのは、それぞれに特有の魔力を持っている。高位の上級魔法使いであればあるほど残り香を消すのは上手く、逆に未熟であればあるほど隠すことが下手である。
例えば匂いだったり、色だったり…空気中に残る魔力の痕跡をたどっていけば、術者に到達する。
(炎を消してもいいが…なるほど、意図的に起こされた火事か)
ならば、下手な手を出すのは野暮というものだろう。
ふと、ひとの気配を感じ振り返ると…ちょうど、赤い髪の少年が飛び出してきた。
「!」
「これはこれは…」
「…俺を見たな」
「?!」
「じゃあ、それをリヴィエルトに報告してくれ」
短くそう言うと、少年は颯爽といなくなってしまった。
「…ふむ、なにやら事情がありそうだ」
すると、ちょうど先に歩こうとした廊下を支えていた壁が轟音を立てて崩れ落ち、火を噴いた。
(さすがにこれ以上はこちらが危ない。だが…あの少年は)
一瞬追うべきか悩みはしたが、そこは断念した。
「ま、彼女が絡んでいるのであれば。問題はなさそうだ」
くるりと背を向けて走り出した途端、どこからか大時計の鐘の音が聞こえた。と、同時に、邸全体を包むような強力な魔力の波動を感じた。
「?!この力は…」
―――18:00
「大地の善霊、闇の善霊よ…我が願いを聞き給え…!」
目を閉じて一気に集中をする。
持っている杖に意識を集め、周辺に漂う数々の善霊たちに声をかける。その呼びかけに応じたのか、小さな微粒子は一つの光に収束して、地面に書かれた陣の線を走る。
「入り口は…」
そこは、過去何度も何度も魔法で足を運んだ。
リリーアンに会うときは、いつもその陣が描かれた部屋めがけて訪れたものだ。その度に、彼女はテーブルにお茶とお菓子ををセッティングして、魔女を迎えてくれた。
…そこが完全に焼け落ちてしまい、消えてなくなることに少しだけ寂しさを感じた。
「だめだ、集中しよう…!」
雑念で意識を乱せば、ケンの命に関わる。
瞬間、ふわりと百合の香りが鼻をくすぐった。
『ケンは大丈夫。周りの森は…私たちが守るから』
私達?
ああ、そうか。リリーアンは、姿の見えない友人がたくさんいたことを思い出した。
「よし…ベルメリオ・ケン・アルキオ。お前はもう自由だ…!おのれの道を行け!」
アリセレスは一度ステッキを高く掲げ、思い切り魔方陣の中心に向かって突き刺した。
「風の善霊よ!彼を…運んで!!」
ひゅっと風の音が耳元をなぞる。
そして、ケンが振り返ると…焼け落ちた扉から火柱がまるで生き物のようにこちらに向かって襲ってきた。そして…その場所には誰もいなくなった。
――18:05
「殿下!下がって!!」
「お守りしろ!」
「ベルメリオ…」
尚も前に出ようとするリヴィエルトを、周りの兵士が押さえつける。
「ダメだ…このままじゃ、火の粉が森に…」
「水を!!救援を!!魔法使いはいないか!!」
**
――ざわざわと、遠くにあわただしい気配を感じた。
何度か息を繰り返し吐き、呼吸を整える。が、思うようにいかない。
「はぁ…っはぁ……これほど、消耗するなんて…」
抜ける力を必死に手繰り寄せ、立ち上がり、窓を見る。…空が赤い。
このままではよくない。…火の粉が森を焼いたら、おしまい。
「くそ…火を、周りを巻き込まないように…」
「無茶なことをする人ですね」
「!」
うなだれた目の前に、白い布がはためいた。
まるで空気を感じさせないようにその場に降り立ったのは、白いコート長身の…眼鏡。一瞬天使かと思ったが、眼鏡を見てはっとなる。
「おっ…お …おま セ、せいセイフェス!!」
「うんうん、立派にご成長をされていらっしゃる。将来が楽しみですね」
「なん…で、ここにっ…」
こいつに弱ってる姿を見られるのは御免だ。なんだろう、とにかくいやだ!
「離れた場所にいる相手にめがけて長距離転移魔法を放ちつつ、邸から火が漏れないよう、結界を張るなんて芸当、魔法を習いたてのお嬢様がすることではありませんよ」
「う うるさいっ…私は、守らないと、いけない、から!」
その様子を見て、セイフェスはため息をつく。
「今のあなたに何ができる?…おとなしくしていなさい」
「お前に…邪魔は」
「…やれやれ、善意で言っているのに」
そう言って、にっこり微笑むと、すっと指が伸び…バチンとおでこを指ではじいた。
「…なっ…」
すると、同時に身体の力が抜けて動かなくなる。
「協力してあげましょうか?」
「…っはあ?」
「あなたの今の力は弱い。ですが、私は強い。…あなたがしたいことを代わりに遂行して差し上げる、と言っているのです」
「ずい、ぶんっ…上から目線で、腹の立つ…」
「仕方ないでしょう。元のあなたならともかく、今の私は貴方よりもはるかに強い」
「グぬぬ…っ」
っか―――この自信はどこから来るんだこいつは!!あ―――腹立つぅう!!!
身体は動けないなら、最大限の恨みを込めて睨んでやる!!
「アハハ、いい顔ですね。で?」
「なにが!」
セイフェスは余裕綽々と言った表情でさも楽しそうに笑っている。
「等価交換です。どうでしょう?」
「何を…させるつもりだ」
「そうですね、…私の願いを一つかなえてくれますか?名も無き魔女よ」
「願い、だと?」
「いまではなく、その時が来たら」
「お前に貸しなど造るくらいなら死んだほうがマシ!だが…背に腹は、かえられん。だが、わらわで可能なことを言えよ?そうじゃない場合は、絶っっ対!!拒否する」
「はいはい、その意気です。ほら、誓約状」
パチン、と指を鳴らすと、二人の間に、一枚の紙が落ちてきた。それをぐしゃりと掴んで握りつぶし、セイフェスをにらみつける。
…魔法使い同士の約束は絶対だ。その証明として、魔法の誓約状を交わすまでがセオリーである。
「書いてやるからとっとと火をどーにかしろ!この眼鏡っ!!」
「はい毎度。…では、私の力をお見せしましょう」
「…勝手にしろ」
「惚れなおしても知りませんよ?」」
「誰が!」
セイフェスはそう愉快そうに笑って、中指で眼鏡をクイ、と上げた。
「全ての命に祝福を…!」
窓に向かって手をかざすと、突如空にもうもうと雲が集まりだす。雲はやがてこの場一帯を覆うほど大きくなり…稲光が走る。すると、瞬く間に土砂降りが降り注いだ。
「…天気まで、変えるなんて…」
通常、魔法を使うとき、天気を変えるなんて大それたことを普通はしない。それだけ体の負担も大きいから。けれど、何だこいつは?なぜ、こうも平然としているのだ。
「どうです?…すごいでしょう?」
「……お前がすごいのは認める。だが、なぜわらわに手を貸そうとする?いつも窮地にちょうどよく現れては、力になるのはなぜ?」
「それは、私があなたの…名も無き魔女を特に敬愛しているからでしょう」
「敬愛?…は、あいにく、今はアリセレスというただの人間だ。」
なぜ、こいつはわらわが元は魔女だということを、知っているのか?…本人が持つ魔力の色は、オーラと同じで、たとえ生まれ変わってもそうそう変わるものではない。
だが、個々の魔力の色彩を見極められる賢者ならば、それは可能だろう。それほど、こいつの力は強いということになる。
「ですが、魂は変わらず、美しいまま。だから私は、あなたを愛してやまないのです」
「愛ぃ~~?…なんと、興ざめだな。少女趣味と言われないように気を付けろよ、眼鏡」「ふむ、中身は十分な大人なのに。年を重ねると精神が逆に幼児化するという噂は本当か」
「うるさいわ!」
寝ころんでいた(訳ではないにしても)おかげか、やがて少なからず気力を取り戻したので、立ち上がることができる。
「…さっさと行け。その制服…王宮にもぐりこんでいたのか?リヴィエルトと一緒に来たんだろう?」
「ご明察です。」
「……キルケは元気か?」
「はい、あの子は…無事、私も父としての役割を終えました。…今は修業中です」
「修業?なんの?」
「まあ、本能で生きるいい男になるための修業、だそうですよ」
「……い、いや、元気ならいい」
本能って。まさか、あの時の…うん、キルケは素直だな。次会ったとき、あまり変なことを教えないようにしよう。
「では、またお会いしましょう…私の魔女さん」
「間違っても、お前の魔女ではない。」
「…それでは、約束、忘れないで下さいね」
セイフェスは転移魔法であっという間にその場から姿を消した。
完全に人けのなくなった部屋で、わらわは大きく息を吐く。
「本当に、もっと修行せねば」
その日、天まで燃え上がった炎は、邸とその周辺の森だけを灼け落とし、奇跡的に他に被害はなかった。近隣の森では不思議な火の玉が飛び交い、煙と共に空に舞い上がったという。そして…やがて炎が消えると同時に見えなくなった。




