21 光と影
(なぜ、こんなに緊張するんだろう)
心臓が早鐘を打つ。
…あの子に会うときはいつもこうだ。あまり好かれていないのかもしれない。煩わしいとさえ、思っているのかもしれない。
そう思っていても、会いたい。あの子は、時々ふっと表情が和らぐ時があって、その表情がすごく嬉しくて、とても穏やかな気持ちになる。それが見たくて、またあの子に会いに来る。
「私ではなく、あなたとお近づきになりたい方はたくさんいるでしょう?」
つん、とした表情でそういうけれど。
君みたいに僕を一人の人間としてみてくれる人はそう、いないんだよ?ああ、でももう一人いた。
僕を「王子様」ではなくて、「リヴィエルト」として接している人。
あいつは、キライだ。
でも…いないのは寂しい。ましてや、黒の盾の連中にみつかって命を落とす姿なんて、見たくないな。それなのに、どこかでささやくものがいる。
「あんな奴、いなくなればいい。跡形もなく消えてしまえば」
何度も思っても、そうじゃない、と何かが叫ぶ。
これは、僕がおかしいのか?それとも。
「リヴィエルト様」
「!!」
やってきたのは、アリセレス。
最近はずっとパンツスタイル多かったけれど、今日は夏らしい水色のドレス姿だった。長くて真っすぐな髪をドレスに合わせた水色のリボンで編み込んでいる。
王家の人間に対する礼は、通常と異なり、胸に手を当てて敬意を表する。流れるような所作はやはり洗練されていて、つい見とれてしまいそうにある。
「急に来てしまって、すまない」
「……いいえ、それよりリヴィエルト様?」
じっと探るように見つめたバラ色の瞳に、少したじろぐ。
アリセレスはそっと手を伸ばし、小さく首を傾げた。
「どこか具合でも?…顔色が良くないようですが」
「あ…その、ちょっと。そう見えるなら、ゴメン」
「??謝ることでもないのですが…」
そう。僕は、あそこにいたくなくて、飛び出してきた。
でも…本当は、真っすぐ僕を見る君を見て、迷っている自分の答えを確認するために来ているのかもしれない。だけど、それを言うわけにはいかない。だから、君に会いに来た理由を探さないと。
「今日来たのは…アリセレス、君に謝りたくて」
「私に?」
「先日は、君を危険な目に合わせてしまった。それに、経過はどうあれ、君を監視していたような結果になってしまって…」
「監視…ああ」
すっと表情が冷える。
「今言っても、言い訳に聞こえるかもしれないけれど。監視されていたのは…僕の方だったんだ」
「え?」
「確かに…僕はベルメリオを探していた。…父の命令で。君はあいつと仲がいいのも、知っていた。だから、もしかしたら、という思いはあったけれど」
「……」
「僕を…信じなくてもいい。でも…君に会いたかったのは、本当なんだ」
「それは、なん」
「父の噂は少しか聞いているだろう?」
ついかぶせるように言ってしまった。それを内省しつつも、この気持ちを否定されたくはない。
アリセレスの表情が少し曇る。
「…詳細は、知りませんけど」
彼女はまだ幼いながらも聡い。…父の妄言や、病状についてはそれとなく聞いているのだろう。
「父上は…あいつを消したがっている。昔から、ベルメリオを恐れていたから」
「国王陛下が…ケ、いや、ベルメリオ殿下を恐れていた?」
「……自分をいつか、殺しに来るから、と」
そう、どんな時も、何時だって父はベルメリオを見ていた。
今になって思えば、父上自身が過去の出来事の結果を真正面から受け止めるのが怖かったのかもしれない。
「………殿下は?」
「え?」
「リヴィエルト様、あなたはどうですか?…やはり、彼を」
「……」
すぐに即答はできない。でも。
「それで、ケ…ベルメリオ様は見つかりましたか?」
「…僕はそのまま、見つからなければ、と思ってる」
「え?」
思いもよらない言葉で、自分でも少し驚いた
「僕は…そこまであいつを憎む理由がない」
「本当?」
「いなくなれば…ってそう、思えることもあったけど、でも…それは違うと思うから」
「違う?」
「僕はただ、悔しいだけだ。でも、それを言い訳にして、あいつがいなくなるのを望むのは絶対に間違っていると思う。…そんなの、意味がない」
不思議だ、と思う。
君と話していると、まるで心の中を覗かれているような…自分自身に向かって問うているような。そんな気持ちになる。
あの、バラ色の瞳を見たら、嘘をつくなんて到底できない。
自室に戻り、彼女との会話を反芻する。
「……自分でも驚いた」
ベルメリオのことを自分がそんな風に考えていたなんて。
すると、静寂を破るように部屋をノックする音が聞こえた。
「殿下、王妃様がおよびです。一緒に、晩餐をとのことですが…」
「今日は体調がすぐれない。またの機会で、とお伝えしてほしい」
「ですが……」
「医者もいい。少し、疲れているから…今日はもう誰も寄越さないでくれ」
「わかりました」
どこか気落ちした様子で去っていく使用人の足音を聞きながら、寝台に横になる。
(あんな父を毎日のように見ていたら…気が滅入る)
母は母で、父を心配するふうでもなくいつも通りの様子で、見舞いに行くのも見たことがない。
それを見ているのも正直、あまりいい気分はしない。
あの人が願うのは、自分の権威が揺るがないこと。当初病床の父に代わり、その執務の半分をこなしていた母にとって、父はいないも同然の人物なのだ。
「早く…誰の力も必要としないくらい強い人間になりたい」
そうしたら、今度こそ、あの子に。
「!」
ふと、何かの気配を感じて目を開く。
気配は…窓の方。風のせいか、ゆらゆら揺れるカーテンがまるで生きているみたいに見える。そして…気づく、人影。
「!!」
「声を出すな。…何もしない」
ドクン、と鼓動が跳ねる。
静かで、抑揚のない低い声。これは…
「ベルメリオ…?」
「正解」
「どうやって、ここに」
「昔から住んでるんだ。こっそりここまで来るのは訳ない」
「……」
「一応確認するが、お前は今一人だな?」
何をしに来たんだろう?
誰かを呼ぼうかどうするか考えている間もなく、ベルメリオは僕の前にやってきた。
「……生きてたのか」
「当然。…まあ、正直何度か危ない目に遭ったけど」
「今日はなぜここに?まさか本当に父を」
「耄碌した人間に興味はないね。…関わる意義も理由もない」
「そう、だよな…」
そう。本当に…一人で怯えているのだ、父は。
「今日は、お前に頼んでみたいことがあった」
「頼んで…みたい、こと?」
「俺はもう少ししたら、この国から完全にいなくなる。…だから、俺の死の証人になってほしい」
「死の証人?いなくなるって…」
「ベルメリオは…四日後、自身が育った邸に自ら火を放ち、その場で焼身自殺をする」
「?!」
「…という、設定のエンディングをやろうと思って」
設定?エンディング?…どういうことだ?
思いがけずぽかんとしていると、ベルメリオは苦笑した。
「間抜け面」
「!」
昼間、アリセレスと話したことを思い出す。もしかして、これが。
「ベルメリオがいなくならないで、どこかにいなくなる方法?」
「そういうこと。…一応言っておくが、リヴィエルト。俺は、お前が王になりたいならなればいいと本気で思ってる」
「…僕、が?」
「なりたい奴がなればいいし…失敗しても、誰かしら協力する奴がお前にはいるだろ?そうやって育てられてきたんだから…それでいいんだよ」
「お前は…それでいいのか?」
「別にいい。…むしろ、変に野心があると勘繰られるほうが迷惑なんだ。望んでもいないことを押し付けられるくらいなら、喜んで俺は身を引く」
「ベルメリオ……」
足元が急にグラリと揺れた気がした。
時々、本当にこいつが羨ましいと心底思う時がある。そうやって投げ出せたらどれだけいいだろう。
「僕だって……別にそんなの、ほしいと思ったことはない」
「リヴィエルト……なら俺が大人しく死ぬか、お前が俺に殺されるか。そのどちらかだ」
「なっ……」
「血の呪い……そういうやつもいるけど、それが、この国の奴らが望んでる姿だ」
……反論できない。
ベルメリオは本当のことを言っている。
「また、お前は…そうやって勝手に進んで、その先から僕を見てる!」
「残念ながら、この国が望んでるのは、お前なんだリヴィエルト。…俺じゃない」
「……っ」
「もっと早く、こうすれば良かったな」
僕とベルメリオは向かい合わせになる。
けれど、月の光が逆にあるせいで、ベルメリオは僕の影に隠れてしまった。
「一つの国に、王は二人もいらないんだ」
「ベルメリオ……」
「……」
「僕は、なんだかんだでお前に死んでほしくないから。協力する」
これは、悔しいけど、本当だ。
「ありがとう。リヴィエルト」
「それで、そのあとは?」
「さあ?決めてないけど、一つ約束があるから。それは守るつもりだ」
「約束?」
「……そうだな、でも」
すっと、どこからかやってきた雲が月をすっぽり隠してしまった。
「もし、万が一。お前が王道から外れたり、誤まった道に進もうとしたら…次は、俺がお前を殺しに来る」
ゾッとした。
飾りのない、嘘偽りのない言葉に。
「だから、真っ当な道に国を導けよ」
「…わかってる」
「ならいい。明日、何かしら理由をつけて、夕方頃、百合の邸に来てくれ」
「行くだけでいいのか?」
「そうだな…俺の目撃情報があったから、とかそんな理由でいい。なるべく、周囲の人間に知られるように」
「わかった…」
ざあっと強い風が吹くと、隠れていた月が再び姿を現した。
そして、吹っ切れたように笑うベルメリオの姿が、ひどく印象に残った。
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