122 糸をつむぐ魔女
「本当に…もう大丈夫だから」
「ほんと?本当に本当?!どこか具合の悪いところはない?!」
「あうあう!」
「ばーぶう」
あくる日。
ヒルデとアリセレスが出かけようとしたところ、エスメラルダと子供たちの目に留まり、入り口で通せんぼを食らっていた。
「もう、…ヒルデもこう言ってるし‥‥私も、その、寝たばっかりだったから動かないと」
「そうだけど…アリス、ヒルデ」
「大丈夫!ヴェガもいるしね!」
エスメラルダがすっと腕を離した瞬間を見計らい、アリセレスはヒルデの腕をつかみ、邸を出た。
「か、過保護というかなんというか…」
「心配なのよ、きっと。…それより、ヒルデ、今日は何処に行くの?」
「…ああ、ちょっと気になるところがあって。アリスは?」
「私は…その、自分の足で歩いてみたくて…それに」
「……」
言いながら、ふいっと目をそらす。
それをほほえましく見ながら、ヒルデはため息をつく。
「急に、仲良くなれと言われても難しいよな」
「!…気づいていたの?」
「勿論。…まだ、お母様と呼べてないだろ」
「……うん、少し、邸に居ずらくて…」
まだ、二人の入れ替わりが成立して二日。
今までヒルデが紡いできた時を、急にアリセレスが対応するのは難しい。長く離れていた身体と心と精神が全てバランスよく整え切っていないのだ。
「私はずっと、ヒルデを通してアリセレスを見て来たわ。でも、それはどこか本を読んでいるような…自分の身に起きた事だけど、違ってて…ごめん、言葉にするのが難しい」
「…まあ、お嬢様の気持ちは、多分公爵閣下も、夫人も気づいているんじゃないか?」
「……どうしてヴェガの方が、お父様たちの気持ちがわかるの」
少しむっとしたような口ぶりに、ヴェガが苦笑いをする。
「意外とオレも、あの方たちと付き合いが長いもので」
「…ふん。あっそう」
などと会話していると、ヒルデはなにやら空をにらみつけて眉間にしわを寄せている。
「ヒルデ?」
「……お前たちに、あの糸は見えるか?」
「え?」
ヴェガとアリセレスが同時に空を見上げる。
先に言葉を発したのは、ヴェガだった。
「ヒルデがアリセレスの時からあったけど…最近は白い糸だけでなく、青い糸も増えている。…気味が悪いな」
「ヴェガには見えるのか。アリスは?」
「…ええと。すごおく目を凝らしたら…やっと見えるくらい?」
「やはりか。…それなりの力はあるんだな、あいつ」
「どういうこと?ヒルデの知っている人?」
ヒルデは一度立ち止まると、手から杖を取り出しくるくると回転させた。そうしてさっと横に振りきると、金切り音を上げて糸が複数切れた。
「実体亡きものには、実体亡き刃で払えばいいこと。…あれは、魔女の糸だ」
「魔女の糸?」
「そう」
今のヒルデは、アリセレスの時にぼやけていた魔女の記憶のほとんどを持っている。
他でもない、身体が体験したことを情報として記憶しており、魔女としての罪悪の天秤の力は失ってしまっても補えるほどの力を持っているのだ。…つまり、チート、という奴である。
「かつて、『糸車の魔女』と呼ばれた女がいた…青の糸をつむぐ魔女は、その糸で人の心を操り、魂にスティグマを刻んで支配する。…一度だけ、かかわりを持ったな」
「それって…もしかして」
「アリセレスになったばかりの時、邸の呪いを使い、エスメラルダを葬り去ろうとした事件。アレの犯人だ」
「!!」
「それって…瓦解した世界では」
ヴェガの言葉を受け、ぶるぶると震えるこぶしを握り締め、アリセレスはうめいた。
「お母さまは…私が七歳の時、つまり、瓦解したほうの世界では子供の頃に病気で亡くなっているわ。それから…継母がメロウを連れてロイセント家に入り、私は…」
それ以上は言葉にできず、ぐっと言葉を飲み込む。
「そう、エスメラルダはあちらではもっと早い時期に亡くなり、その後、数年もたたないうちにユリの邸ではすべてを焼き尽くす火事があった」
「…なるほど」
「……あの、百合の花の香。私は好きだったな」
「……?」
ヒルデの胸には、かつての友人、リリーアンの顔が思い浮かぶ。
その息子であるベルメリオとこうして行動を共にしているのは、なんとも不思議な縁だと、感慨深くなってしまう。
「なんでもない。…アリセレス。未来は確実に変化している。私は最初の内、少しだけ手を貸したが…これから先は、お前が好きなように世界を造り上げればいい」
「…うん」
「元々は、お前が持つべきものだから。…胸を張って?」
うつむいていたアリセレスはぐっと顔を上げる。
「うん!…大丈夫。でもヒルデの言う通りなら…もしかして、あちらの世界の継母…つまりは、メロウの母親アルチーナって、魔女、ということ?それって…」
「…セイフェスの話では、魔女に愛の概念がなくとも、道を外せば人間との間に子供を造れるらしい」
「道を外せば…って、まさか」
「害ある者との契約…という奴か」
驚くアリセレスに、確信を突くヴェガ。二人を見比べて、ヒルデは薄く笑った。
「そういうことだ。…アルミーダに関しては、少し、魔女とは違うみたいだが…」
「そうなのか?…まあ、あの女のことだから、普通じゃないのはわかっていたけど」
「まあ、しいて言うなら…害ある者と契約し損ねた亡霊さ」
真っ白い雪の反射に目を細めながら、ヴァネッサは舞台の上に立つ。
かつて処刑で血に濡れたこの場所は、今や歌姫ヴァネッサの特設ステージが設置されており、連日多くの人がやってくる。広場を埋め尽くす人々を見て、一度深呼吸をする。
(今日もたくさんいる…大丈夫、今日と明日頑張れば、お兄ちゃんとお出かけができる)
未来への希望を胸に空を見上げると、エスコート役のジークフリドと目があった。
「気分はどうだい?」
「大丈夫!」
「今日は他の国からの来訪者も多く見える。たくさんの人々に、君の希望の歌を届けてくれるかい?」「わかった!みんなが幸せになるよう、目いっぱい歌うね!」
「そうさ!君の歌は世界一だからね」
風魔法で伝達の役割を担うキュアンが嬉々としてそう言うと、ヴァネッサは照れ笑いを浮かべる。それとは対照的に、ジークフリドはどこか気まずそうにほほ笑む。
(だめだ…こんなところで罪悪感なんて感じては。マザーのいうことは正しいはずだ、だから…)
ちらりとステージ上を見る。
やって来た観客たちは、どこかみんな虚ろな目で、まるで神を崇拝するかのようにヴァネッサを見ており、中には涙を流している者もいる。
その光景に目をそらしていると、メロウと視線がぶつかった。
「異様な光景よね」
「えッ」
「知ってる?巷では、ヴァネッサの歌を聞けばそれにのめり込んで、チケットを購入する為だけに、仕事も自分の財産すら投げ出す人が増えているんだって」
「…そう」
「まるで操り人形みたいよね」
ふふ、と意地悪く笑うメロウに、ジークフリドは目を伏せる。
「君だって、マザーの定義する世界を受け入れればきっと」
「マザーね…ジークは本当、王妃様が好きなのね」
メロウはたっぷりの皮肉を込めたつもりだったのだが、ジークフリドの答えは予想と違った。
「マザーはすごい!急遽、魔鉱石を使ってステージに装飾を一晩ででき…」
「私はもっとすごい魔法を使う魔女を見たことがあるわ」
びくり、とジークの肩が震える。
「魔女?」
「認めたくないけど…王妃様なんて、足元に及ばないくらい」
「…王妃様を、侮辱するつもりか?」
普段は穏やかなジークフリドの雰囲気が一変する。
それを冷ややかな目で見つめる。
「…ほら。耳をふさぎ、目をふさぎ…非を唱える者の口を閉じ、全てを肯定したふりをする」
「…!」
「心酔しすぎると…全てを肯定して、否定すべきところに気づかないなんて、哀れなものね」
「なっ…」
「安心して。私は別にあなた達を非難するつもりもないし、言われた仕事はちゃんとこなすわ」
そう言って、アルミーダから預かった杖を掲げる。
メロウの役割は、ヴァネッサの歌を広めるための風魔法を増幅させて、より遠くの人間に歌を届かせる。そして、風魔法を使ってヴァネッサの歌を広げるスピーカの役割を、キュアンが、それを遠くに飛ばしていくのをフィアネスがこなしている。
(そうよ、仕事、だからね)
次の瞬間、ふわり、と暖かい風が頬を撫でる。
「…?」
どこか不思議な気配を感じる。突然吹いたそよ風は周りの雪を風花のように舞いあげる。
「この風…?」
持っている杖がびりびりと何かに反応する。
「…?」
「どうした?メロウ」
すると、異変を察知したジークフリドが声をかけてきた。
「いいえ…なんでも」
「なら、いいけれど…ああ、もう少しで始まるね。さあ、みんな準備しよう!明日が晩餐会ということもあってか、今日は人が多い。大丈夫?ヴァネッサ」
「うん!」
「よし。じゃあ、君の歌声を遠くまで響かせて…みんなを虜にしよう?」
「わかった!」
白い幕が上がり、ヴァネッサは群衆の前に姿を見せると、同時に熱狂的な歓声が沸き上がる。
「みんな!!!今日も私の歌を聞きに来てくれてありがとう!!!」
わあ、と地響きのような声が大地を揺るがす。
幕裏では、既にスタンバイ済みのキュアンがバイオリンを構え、フィアネスが風魔法の陣を組む。そして、メロウもまた杖を構えた。
その様子を見て、ジークは軽く微笑む。
「全ての人々に祝福を」
音楽が始まり、ヴァネッサが一曲目の歌を歌った瞬間…突如強烈なつむじ風が舞い上がり、辺りは一時騒然となった。
「きゃああ!!」
小さな悲鳴や叫び声が上がると同時に、メロウの持っていた杖ががくがくと動き、光を放つ。
「メロウ?!」
(何…?!この…強力な魔力は…風?!)
感じるのは、風の力。フィアネスの力など遠く及ばない強烈な風の魔法だった。耐え切れず杖を手放すと、派手な音を立てて粉々に砕け散った。
会場で沸き起こる悲鳴が大きくなり、思わずヴァネッサは耳をふさぐ。
「怖い、前が…!」
「ヴァネッサ!」
びゅうびゅうと荒れ狂う風に、立っていられずに地面に座り込む。慌てて駆け寄るジークフリドがヴァネッサを支えるが、しばらく豪風が暴れまわる。
散々あたりを暴れ散らした後…やがて、風は収まり、ぴたりとやんだ。
「…?」
太陽に照らされ、空か青い糸がはらはらと落ちていくのを見えた気がした。
幾人かはうずくまっているようだが、ほとんどは無事のようだった。
「あれ?…何でこんなとこに」
「やべ、仕事行かないと」
ざわざわと人々は立ち上がり、首をかしげている。
「あ…み、みんな、大丈夫?!」
マイクを通して声を出すが、人々は興味が失せたようにくるりと背を向け、会場を後にする。残っている者はいることはいるが、群衆は半分以下にまで減っている。
「どういう、こと…?」
「だ、だいじょう」
「ねえ、どうして…みんな帰っていくの?」
「え?」
去り行く人々の背を見ながら、ヴァネッサは怯えたように叫んだ。
「やだ、ヤダヤダ…!待って!ねえ!」
「っ…?」
その光景を、キュアンやフィアネスも不安そうに見ていた。
「何これ…?」
「一体」
しかしただ一人、メロウだけは違った。
「この魔力、知ってる」
ぶるぶると震える手を見て、それを握りしめた。
「…あの、魔女!」




