10 子供の純粋さは時に武器となり、罪となる
「時間を操るのは、少しおおげさです」
「…お主、何をした?」
「言ったでしょう?依頼を受けた、と」
「誰に」
わらわの問いに、少し考えたようなそぶりを見せる。
「そうですね、…依頼人の秘密は絶対ですので。ああ、でも、何をしたのかは説明いたしましょう」
「…ああ、ぜひ聞きたい」
「この邸の時間をずらしたんです」
「…ずらす?」
「あの亡者…いいえ、この部屋にいた『害のある住人』は放っておけば、生きている人間たちを喰い始める事でしょう。…生きた魂程、極上な馳走はありませんから」
この部屋にいた『害ある住人』。
それは、デリタ夫人を殺したメイド、だった。殺されたコールズはとうの昔にメイドに喰われ、もうあの欠片ほどの残骸しか残っていなかった。
その残骸は母君に悪影響を及ぼし、身体を弱らせていたのだろう。
「この邸の正常な時間は亜空間でずらし、あの暗い部屋の時間を遅らせました。そうしないと」
「…本当に、母君は危ない状態だったんだな」
「その通り。…ああ、これで、貸し一つですね。あ、それとも二つかな」
「阿呆。一つは人命救助、大人の義務だ」
「まあ、いいでしょう。…使用人の皆さんは別の時間軸で邸という箱ごと眠っていただいた、ということです。ああ、健康に害はありません」
「どうしてそう言い切れる?」
「まあそれは…企業秘密ですが、少なくとも、彼らに感謝し、彼らを守っていたモノたちがいるので」
「…ふうん」
こいつの話はよく分からない。
時間と屋敷ごと眠らせる?なんだその非常識な方法は。どれほどの力があれば、そんなことができるのか、想像できない。
ただ一つ、わかることは。
「そなた、何者だ?…キルケの父親というのは本当か?」
こいつがろくでもない奴なら、キルケが悲しむような結果にさせたくない。
でも、そうじゃないなら…わらわは何も言うことはない。
「まあ、あの子は…悪いようにはしません。大切な預かり物ですから」
「預かり物?」
「それと…私はあなたに危害を加えるつもりはありません、名もなき魔女さん」
「…なぜ、そう呼ぶ」
「あなたを知っているからです」
「……その根拠は」
「有名ですから」
なんだそれは。
応えになっていない…が、こいつ、言う気はさらさらなさそうだ。
「お主、名は?…お主も名を持たぬか?賢者殿」
「それが父から与えらえた番人の条件でしょう?」
「……」
っかーーー。こいつ、はぐらかしてばかりでイライラするな?!
「私は医者であり、賢者であり、キルケの父親代わりです。…どうしても呼びたければ、セイフェス…とでも呼んでください」
「ふん、セイフェス…『無形』か」
「正解。さあ、良い子はゆっくりお休みの時間ですよ?」
くそう。
子供の身体は…この時間になると眠くなるのはなぜか。
「夜更かしは…大人になってから、だな」
・・・
「さて、キルケにはどう説明しようか」
泣きそうな顔を思い浮かべる。あの子にとっては、せっかく友人ができたばかりなのに、少し酷なことかもしれないが…。
(そろそろ旅立たなければ)
そう、この国での目的は果たした。…受けた二つの依頼は達成したから。
一つ目の依頼主は、新たな家主と管理者を見つけたことだし、これからしばらくは安泰だろう。もう一つは…俺が手を出す間もなく、勝手に自滅していったな。
時間は十分に与えたし、本懐も遂げたことだろう。
恋人と永遠に一緒に…だなんて、何と愚かで浅ましい願いだろうか?意味が分からない。
まあ、でも収穫はあった。なにせ、あの魔女に出会えたのだから。
「早く、大人になりなさい、アリセレス」
・・・
「なあ!今日はどこに行くんだ?」
「そうね、こっちの森だな!」
北の邸の一件から5日たった。
もう少し回復したら、母君は本邸に移ることになるらしい。あれから毎日公爵は邸に通い、親子…というより、夫婦の時間を楽しんでいる。
こうなったら、子供など邪魔ものとなるわけで…わらわはこうして、近所の森を散策しているわけである。
「なあなあ、この茸、食べれる?」
「それはダメ。…明らかに毒々しい模様じゃないか」
キルケはというと…そのままわらわの良い遊び相手としてこうして毎日散策に付き合ってくれている。散策…といっても、遊んでるわけでは決してない。ちゃんと目的がある。
それは、母の体調を良くなる薬を作製するためだ。
…まあ、順調に回復している母を見る限り、大丈夫そうな気もするが…念には念を、だな。
「しっかし、広いなー、この森。あ、向こうの方に何かあるよ、おじょー様」
「どれ。…あら?あそこは」
子供の身長では、遠くの方にうっすら何かの壁が見えて…『何かある』程度の認識しかない。
よし、ならば。
目の前の大きな木をねめつけ、わらわはパッとジャンプして大木にしがみつき―――
「なあなあ、おじょー様、聞いてもいい?」
「な、なにを」
「何してるんだ?木にしがみついて…虫の真似?」
「んなわけあるか!!…木に、登ろう、と思っ…」
ぐぐぐ、と身体を押し上げようとするも、ずるずる落ちていく。
いかん…このままではドレスを汚してレナに怒られる…。
「なんだ、登りたいのか?なら任せろ!」
「え?」
そう言うと、キルケは手近にある木につかまると、それを足場にひょいひょいと昇っていく。
す、すごい!!いいなあ!!
「向こうに何があるのか教えればいいか?」
「う、うん!ていうか、すごいな、キルケ!!」
「え?へへ、そうかなあ…あ!お邸だ!」
「なーに?」
「おじょー様!!お邸があるよ!!白い壁の」
「白い壁…?」
ここは、ロイセントの領地ではなかったのか?
いや、そうか…森は広大で、他につながっているのか!
「なんとまあ…がばがばな領地観念だなぁ…」
思わずため息をつくと、キルケがまたしても猿のように身軽に大木を降りてきた。
「すごーい!!猿みたい!!」
「…それ、ほめてるの?昔、サーカスにいたから」
「サーカス?」
「そう、おれ、孤児ってやつなんだ」
「!」
やはり、か。…そうなると、ますますセイフェスの目的がわからない。
悪いようにしない、とは言っていたが。正直心配だ。
「お父さんは…」
「あ、うん。セイフェスはおれの親代わりっていうか…拾ってくれた恩人なんだ」
「そう…」
「なんだよ、そんな顔すんなよ!別に気にしてないって!…おれ、実は母さんを探してるんだ」
「お母さん…?」
「そう、名前だけしかわかんないけど…」
「名前?」
「キルケ!」
その名を聞いた瞬間…ある記憶がよみがえる。
キルケ、という名前の女性…それは、かつていた魔女がそう呼ばれていた。
彼女は…どうしたんだったか?まるで思い出せない。
(同一人物とも限らないし…)
「お、同じ名前なの?」
「うん!セイフェスが忘れないように、って。名前の無いおれに母親の名前をくれたんだ」
「…そう、なのか」
それは…果たして、純粋な善意?
「それでさ、その…」
「うん?」
「おじょー様は、この立派な家のお姫様、だよな」
「お姫様…というのはちょっと違うような…」
「でも、おれみたいな奴は、ほんとは絶対お目にかかれないような…そんな奴、なんだろ?」
「どうした?急に」
キルケはそう言って、かぶっていた帽子を取り、ぎゅっと握りしめた。
「実はさ、おれ…明日ここを発つんだ」
「明日?!…急だな」
「うん、父さん…セイフェスが、ここでの任務は終わったからって」
「ふうん…」
そう言えば、そんなことを言っていたな。
結局、あいつが誰に頼まれてここに来たのか、わからずじまいだ。わらわにとってはプラスに働いたということは、間違いないが。
「そうか…会えなくなるのは残念だが、元気でな!」
「…えぇ…そんな、ばっさり」
「だって、また会えるだろう?」
「……会えるの?」
うーん、キルケはどうも、悲観的というかなんというか。
「なんだ、会いたくないのか?」
「そ、そりゃ逢いたいよ!!でも、おじょー様は…おれなんて、その」
「じゃあ、会うためにはどうすればいいと思う?」
「え…」
「約束すればいいじゃないか」
そう、ゆびきりげんまん。だったか?
おどおどするキルケの小指をぎゅっと握ると、ひぇ、なんて間抜けな声が聞こえる。
「キルケは少し、胸を張れ!」
「む、胸?!」
「簡単なことだ。わらわに会いたければ、約束すればいいし、わらわをお嬢様だ、とか理由をつけるなら、同じような奴になればいいじゃないか!」
「そんな簡単に…」
「だーから!人間には、本能というものがある!!!」
ずばん、と言い切ると、キルケは目をぱちくりさせた。
「ほん…のう??」
「そう!心の奥の欲望の元、だな!」
「ヨクボウ…」
「アレがしたい、それが欲しい、これをやりたい!そういう思いの事だ。…さあ、キルケは何がしたい?」
絡ませた小指に力をこめると、キルケは顔を真っ赤にした。
「また…その、アリセレスに 会いたい」
「うんうん。それから?」
「もっと、話したりして…それで、その」
「うん??」
「……たぃ」
最期の方はよく聞こえないが…あ、最高潮に顔が赤い。なんだそのウブな反応は。こっちが照れるわ!
「そのためには…もっと、力をつけて、かっこよくなって…大きくなる!」
「うんうん!」
「そしたら…迎えに行くからな!!」
「…ん?!」
おいおい、ちょっと待て。
「よおし!おれ、お前にふさわしいような奴に…ホンノウとヨクボウのままに頑張る!!!」
「え?!いや…それは節度を持って、だな」
「約束だからな!!」
「う、うん…?」
約束は…するといったが。
今のセリフ、大人が言ったら、問題発言になりかねないような…ま、まあ、まだ子供だから。意味は分かってない、よな?
…この一連の流れは、後のキルケの人格形成と人生に多大な影響を及ぼすのだが、今のわらわに知る由はなかった。
ふと、風に乗って、あの香りを感じた。その風をたどって行くと、小さな谷のように場所にぽっかりと穴が開いたような場所に出た。
「!わあ……」
緩やかな斜面は、一面百合の花で埋め尽くされている。
遠くに見える立派な建物は…先ほどキルケが言っていた、白い壁のお邸、か?
「うわ、すげえ!これ何の花?!」
「…百合、だよ」
「ゆり?へえ~」
紫、白、黄色。それに…
「赤銅色…ケンと同じ色」
あれは、確か鬼百合と言ったか?
一歩づつ、ユリの花を踏まないようにゆっくりと歩いていく。ここは、日光を遮るものがないので、ユリの花はどれも背が高い。
小さな子供は隠れてしまいそうだ。かき分けて進んでいくと、何か固いものにぶつかった。
「いたた…」
「あれ?…お前は、アリセレス」
「へ?」
それは、一瞬幻かと思った。
顔を上げると…そこにいたのは。
「け、けけケン…様?」
鬼百合と同じような赤銅色の髪がゆれ、琥珀色の瞳が驚いたように見開く。
そして、二っと笑った。
「久しぶり」




