120 青い警告
からからから…
「ただいま、戻ったわ」
クライス家の玄関の扉を開くと、うつろな表情のメイド達が出迎えた。
「おかえりなさいませ、おじょうさま」
「……ええ」
からからから…糸車の音がずっと、邸に響いている。
「……糸車、お母様ね」
どこかぎこちなく微笑む侍女たちを横目に、メロウは長い廊下を歩いていく。クライス家自慢のステンドグラスの窓は、明かりのない邸に不気味な調和の光を取り込み、異様な雰囲気を醸し出している。
(ああ…息が詰まりそう)
「帰ったの?メロウ」
「!」
突如背後からかけられた声に驚いてメロウは振り向く。
やって来たのは、母親のアルチーナ。ベルベッドブルーのドレスに、髪を一括りにまとめている。が、手には青い糸が紡がれた糸車を持っており、とても大事そうに薄布でくるまれていた。
「今日も、ずっと糸を巻いていたの?」
「ええ。綺麗でしょう?」
そう言って見せてくれた糸車は、まるで油を塗ったようにギラギラと輝き、淡い光を放っている。それはどこか、生命力を感じさせるような輝きで、物言わぬ姿で何かを訴えているようだった。
「…それ」
「ふふ。新しい任務はどう?…楽しんでる?」
「楽しくは、ない けれど」
「もう少しで、晩餐会当日ね。…その時任命式もあるのでしょう?楽しみにしているわ!」
「…お父様は?」
華やかな笑顔がぴたり、と止まった。
「ああ…」
まるで人形のように固まった笑顔のまま、アルチーナが背後を振り返る。と、同時に、うめき声のような物が邸中に響き渡る。
「あら…また始まったわ。例の発作かしら」
「…ねえ、お医者様はなんて?来てもらっているんでしょう?」
「そうねえ。でも、ただ眠れないだけでしょう?…きっと仕事のストレスが溜まっているんでしょうね」
どこか他人事のような言葉を笑顔ではく母親の姿を見て、メロウは思わず目をそらす。
(直そうともしないくせに…)
「見てくる。…それくらいいいでしょ?」
「……あら?情がわいてしまったかしら」
「情って…」
「うふふ…彼は私達の大事な養い人ですもの。大事にしてあげてね?」
「……ねえ、お母様」
「なあに?」
「その糸、どこに持っていくの?」
「これ?…ふふ、秘密」
「そう」
(ルジェーロ・クライス。…私は、あの人は嫌いじゃない)
この世界に再び舞い戻った時、メロウは6歳の時だった。
失った時間を取り戻せるかもしれない。そう思った矢先、母アルチーナはとんでもないことを言い出した。
「二回目の人生はどう?メロウ」
「え?」
いつもと変わらないほほ笑み。
前世でも変わらないその姿を見て、ほっとするよりも先に、おぞましい何かを見ているような気分になった。
「なんで…」
「私には知らないことはないの。あなたが前の人生でどうやって命を失ったのか、何をしたか。…ぜぇんぶ、知っているのよ?」
「お母さまが…わ、私を」
「それはちがうわね。…けれど、これはいい機会かもしれないわ」
「いい機会…って」
「今度の寄生先は、もう決めているの。前の人ほど権力はないけれど、十分でしょう」
そう言って、本当にその次の日には、ルジェーロ・クライスとの結婚を取り付けてきたのだ。
ルジェーロは、普通の男性だった。
清潔感があって、若くて前途が光で溢れている。そんな存在だった。
初めて会った時も、戸惑いながらも抱き上げてくれた手は大きく暖かく感じたものだ。
そんな養父が、体調を崩し始めたのは、ここ数年の話。その陰にはアルチーナが暗躍していることをメロウは知っていた。
「お父様…お加減は、いかがですか?」
「!…メロウ、久しぶり、だな」
「はい、…その、少しお痩せになられましたか?」
「…眠れないんだ。眠ったら、また悪夢を見る」
「……」
暗い寝室で、灯りは一つだけ。
うっすらと光に映し出されるルジェーロの姿は、頬はげっそりと削げ落ち、目は落ちくぼんで大きく飛び出ているようにさえ見える。
伸び放題のひげに、かつては眩しかった表情は暗く、今は陰鬱で目だけがせわしなくぎょろぎょろ動いている。
なぜそうなったのか?…それは、極度の不眠症だった。
初めは仲睦まじく演じていたアルチーナとルジェーロだったが、それは徐々に変化していく。
ある時から、ルジェーロはアルチーナに不信感を抱くようになったのだ。関係を斬られるのを恐れたのか、それからアルチーナはある行動に出る。それが、悪夢を見せ、理性を奪っていくことだったのだ。
(そもそも魔女は人を愛さない。アルチーナはいつも純愛を演じる子持ちの情夫を演じて、寄生先を見つけては、そこに私を連れていく…)
そうして、メロウは生かされてきた。
「それよりも、その制服…正規の騎士団か?」
「!あ…はい、お父様」
「そうか。似合うじゃないか」
「……はい」
そう言って頭を撫でられる。
「ああ、すまないな…お前ももう大人だというのに」
「……そんな、こと、ありません」
(どこまで、この人は愚かなの?…私をまだ、娘だと、そう思っているの?)
メロウは、言葉巧みに人を操る才能に長けていた。
その場面、その場所に置いて、相手に親し気に近づき、甘言を言い、彼らの人生を壊していくことが快感にすら思っていた時もあった。前の生では母に言われるがまま、その力をいかんなく発揮し、遂には姉から婚約者を奪うまでに至ったのだ。
だが、それは最悪な結末で生涯を終えた。一度死を経験し、別の視点でアルチーナの行動を見、戦慄する。
(私はアルチーナが…あの、魔女が恐ろしい)
今、このクライス家の邸は、アルチーナの所有物になり果てている。
使用人は皆、どこか壊れ、まるで糸が絡まった操り人形のように心を失った。毎日毎日どこからか仕入れてくる青い糸はひとたびまかれると、邸全体を青い糸が張り巡らされどこかへ伸びていく。
だからこそ、メロウはこの家から逃れる方法を模索しているのだ。
「今世まで…操り人形にされるのは、絶対にごめんだわ」
からからから…糸を巻きながら、アルチーナは頭上に浮かび上がった青い糸を見る。
「あらあら…どこかで誰かが、おいたをしているみたいね」
ピン、と伸びた糸は、とある繁華街にあるレストランに伸びていった。
「で?」
「うん…ぐすん」
結局、ニカレアは再びレストランに赴き、今度はキルケの話を聞いてやることになってしまった。
「ごめん、おれ、情緒不安定…」
「とっととその情緒、直してらっしゃいなさいな!」
「だって、アリスにも会えないし、ドリーはいなくなっちまうし、セイフェスはいなくなるし…」
「…アリス?そうか、あなたはまだ、知らないのね…」
「え?」
「アリスは今、動けない状態よ」
「何で…!」
明らかに動揺するキルケをきっとにらみ、ニカレアは告げる。
「眠ったまま、目が覚めない…そんな状態だと聞いているわ」
「そんな…」
力なくうなだれるキルケを見て、ニカレアは目をそらしてしまう。
(‥‥アリスの容体は外部には一切公表していない…だから、キルケが知る術がないのは本当だけど)
気の毒に思ったのもつかの間。…キルケは意外と元気だった。
「そうか…だから、セイフェスとドリーは…」
「ちょっと」
「ん?」
「…随分お元気そうじゃない」
「ああ、多分アリスは、セイフェスとかが何とかしてくれると思うから、大丈夫」
「……だから、それで、そのセイフェスさんて何者なの?」
「俺の養父。…すげえ魔法使いなんだ」
これは、その養父とやらに対する信頼なのか?
予想を裏切るキルケの様子に、さっさと済ませよう。そう感じたニカレアは再びため息をついた。
「…それで、さっきは何を悩んでらしたの」
「ああ。…あのさ、終末廃人症候群、て知ってるか?」
「!」
その名前を聞いたわけではないが、ニカレアはそれと似た症状を持った人間を複数人知っている。
キルケは声を潜めると、続けた。
「…わが社の社員にも、そういう者達はいるけれど」
「それ、多分原因は俺の妹にあるっぽいんだ…」
「…どういうこと?」
「依存の魔法を増幅しているって、メロウが」
意外な人物から、不快な名前を聞いたニカレアは思わず不快な表情を見せる。
「メロウって、メロウ・クライスですの?」
「あれ?知ってるの?!」
「…勿論ですわ。あの女のおかげで私は一時期死にそうな目に遭ったんですもの!…まあ、それがあったからぁ、アリスという完璧な推しに出会えたわけですけれど」
「うわあ。世間、て…意外に狭いよなあ」
そんな言葉を言うキルケを睨みつけて、ニカレアは席を立ちあがる。
「ちょっとあなた!あの女と仲良しとか、冗談じゃありません…わたくしの敵ですわ!近づかないでくださる?!」
「おいおい、落ち着いてよ、ニカレア。…別に、仲いいわけじゃないって。どちらかというと…メロウもメロウで、思うところがあってあの団体に所属しているっぽいし」
「…団体って、変な言い方をするんですのね?」
「騎士というより…なんか、妙なカルト教団ぽいんだよな…オレとメロウ以外の連中て、異様な程仲良くてさ…運命共同体みたいな、そんな感じで、正直ついていけない。それに…」
「それに?」
「ヴァネッサは…多分、何も知らないで、純粋にみんなが喜んでいる、と心から思って歌っている…そう思うんだ」
(あら?思ったよりも、冷静に状況を見ているのね)
このキルケという青年は、意外に周りをよく見ている。心の内側に芯のようなものがピシッと立っていて、それがぶれない。
…そこは、ニカレアは実は評価しているのだ。
「…そんな妙な組織に入らずとも、身分位わたくしがいくらでも手を貸して差し上げましたのに」
「知ってるよ…ただ、オレは自分の力で何かしたかったんだ。アリスは事情があってハンターの仕事も休んでいたし…それも気になってたし。オレの周りの人間て、俺以外はみんな普通じゃない『何か』を持っているんだよな」
「それは?」
「ドリーは天才だし、養父は言わずもがな。アリスはずば抜けてるし、ヴェガだって…ニカレアだって、頭もいいし、生粋の商売人だもんな」
「‥‥まあ、誉め言葉として受け取っておきますわ」
まんざらでもない表情のニカレアを見て、キルケは苦笑する。
「そこで…妹がいましたってんならさ。会いに行くじゃん。辛い目に遭ってないか、ちゃんと生きてるかって確認したいもん」
「ヴァネッサさんは、どうでしたの?」
「…元気だった。オレに逢って泣いてくれた。会いたかったって」
「……」
(なんか…妙ですわ)
「それは、偶然、なの?」
「え?」
「全て偶然と言えばそうかもしれませんけれど…なんだか、妙なところで妙な点が結び合うというのは、とても気味が悪いですわ」




