119 答え
「ええ?!明日にはもういっちゃうの?!」
「あー…晩餐会も近いし、それが終わったらこの国を発つつもりではありますけれど」
「ならそれまでここにいればいいじゃない?!」
「ええと‥‥」
同じ頃、ロイセント家では…和やかな夕食会が開かれていた。
公爵夫妻の『御礼』と称された食事会だが、料理の数があまりにも多く、本音を言うと病み上がりのアリセレスとヒルデにとっては、一種の苦行だったのは言うまでもない。
(今までの人生で初めてだ…ここまで胃に押し込めたのは…)
とはいえ、にこにこと笑顔で料理を進めるエスメラルダを邪険にできず、見えない圧に敵うはずもなく。
黙々と二人は食事を続けた。
「本当、不思議。…なんだか、あなたとは、ずっと前から知り合いだったような…そんな気分になるわ、ヒルデさん」
「…そうですか?」
「その子だって」
隣では、アンジェがぴったりとくっついて離れない。
「そこまでなつくなんて、なんだか不思議ね」
「はは、似ているのかな、アリセレスと」
まさか、気が付いているわけではないだろうな?
そんな思いで見つめると、アンジェラは前歯の抜けた歯を見せて、ニカっと笑った。そして小さく手招きする。
「お姉ちゃんたち、二つになったんでしょ?」
「?!」
「え」
ヒルデはぎょっとしてアンジェラを見、続けて逆隣にいたアリセレスも見た。
「ええと…」
「だいじょうぶ、ないしょ、ね!」
思わず顔を見合わせた。
「すごいわ!アンジェ」
「…将来大物になるなあ」
感心して呟くと、じっとこちらを見ていたエスメラルダと目があった。
「…ありがとう」
「え?」
「なんだか、どうしても、あなたにお礼を言わなくちゃいけない気がして」
「……」
「きっと、あなたがいたから、今の私たちはここにいるのね」
その言葉を聞いた瞬間、思わず涙が出そうになる。
(私がやって来たことは…間違っていなかったんだな)
全ては、エスメラルダを助けることから始まった。
そして、リカルド、ノーザン・クロスの邸の皆。そして、リヴィエルトに出会い、ベルメリオに出会い、キルケに出会い…そして、白い魔法使いと『再会』した。
ヒルデに戻ってからというもの、どこかずれていたパズルのピースが一つ一つはまっていくような…不思議な運命と縁とが真っすぐ、太い糸のようにつながり、行く先を照らしている。
「それが…世界、か」
「え?」
「いいえ。…私も、貴女に逢えてよかった。公爵夫人」
万感の思い、とはこういうことを言うんだろうな。
「アンジェは?」
「うん、アンジェも、アリセレスも…みんなと出逢えて、嬉しい」
「うん!」
すると、見ればエスメラルダはなぜかボロボロと涙を流している。
「え?!あ、あの…」
「なんでも、ないわ…もう!いつでも我が家に遊びに来るのよ!ね?!」
がしっと抱きつくエスメラルダに便乗して、隣にいたアリセレスもアンジェも同様にくっついてきた。
「こ、こら二人とも」
「そーよそーよ!…二度と会わない、とか絶対に言わないでよ?!ヒルデ!!」
「あ…はは」
どこかくすぐったいような、でも離れがたいような。
胸の奥に光がともされた不思議な感覚。
(これも愛、という奴か)
そんな娘たちの様子を見て、リカルドもまた、なぜかもらい泣きをしていた。
「…君も、一緒に行くんだろ、ヴェガ君」
「え?」
思いがけない言葉に、ヴェガは少し面食らう。
「わかっているよ。…君と彼女は『つながっている』、そんな風に感じる」
「…公爵閣下」
「いいんだ。…アリセレスのことは、我々に任せなさい」
「あの、申し訳ありません、俺…」
かつて、公爵から持ち出された『取引』がヴェガの脳裏に浮かぶ。
(約束、したのに…俺は)
しかし、リカルドはゆっくりと首を左右に振る。
「不思議だと思わないかい?」
「え?」
「ヒルデさんとは、恐らく初めて会ったとというのに、どこか懐かしいような…とても親しみを感じてしまったんだ。妻の様子を見ても分かる通り、今では家族全員彼女にくびったけ、だ」
「……そう、ですね」
「君もだろう?」
「…はい」
それから、持っていたグラスの酒をグイっと飲み干す。少し目が赤いようだ。
「…アリセレスが返ってきたというのに、ずっと二人が一緒にいればいいのに、などと考えてしまう。彼女がいなくなるのが寂しいよ」
「公爵閣下」
「…君も、我が一族の一員だからな。どうせなら、ヒルデさんを口説き落として、ロイセント家に帰ってくるように!それまで、君は永久停職だからな?!」
「ま、またそんな冗談を…」
「冗談ではない!!いいか、女性を口説くにはだな…」
…そうして、ロイセント家の夜は更けていった。
**
全員が寝静まったのを確認して、ヒルデはやっと一人になることができた。
「…はあ、やれやれ。起きて早々の初日がこれじゃあ…身が持たんな」
今は、エスメラルダが用意した部屋着のドレスに着替えている。借り受けたストールを纏い、バルコニーに出る。ピン、と張りつめた冷たい空気が、頭をすっきりさせるようだ。
冴え冴えと空に昇る月を睨み、白い息を吐く。
(色々…あったな)
今のヒルデにとって、自分は生かされているという概念の方が強い。
多くの事象が重なり、一度は死んだはずがこうして再びこの地にやってきて、両足でしっかりと歩き出している。まさに、天から賜った二度目の人生、と呼ぶにふさわしいだろう。
ふと、何かの気配を感じ振り返ると…ふわり、と黒い外套がはためいた。
「…こんな時間に散歩とは、少々不用心が過ぎませんか、陛下」
「………」
やって来たのは、リヴィエルト。
彼は何も言わず、既に泣きそうな顔をしている。
「なぜここに?」
「アリセレスが目を覚ました、と聞いた」
「なら、彼女に逢いに行けばいい」
「…いいや、私が探していたのは、今の彼女じゃない」
「では、誰を?」
「……わからない、いや。本当はわかっている。あなただって、そうじゃないのか?」
すっと伸ばされた手をかわし、ヒルデは一歩下がる。
そのまま膝をつくと、リヴィエルトはヒルデの顔を見上げる。
「私を誰か知っているのか?」
「あなたこそ」
「あなたは、この国の国王陛下、リヴィエルトだろう?知らない人はいない」
「…そういうことじゃない!」
二人の間に、風が吹く。
「…あの日も、私はこうしてあなたを見上げていた」
「……」
「降りしきる雪の中、私が見た白い世界に、あなただけが色を持っていた」
「……エル」
「それが…僕の全てだった」
(漂白された白い世界に、ただ一人、死に場所を求めてさまよっていた)
忘れていた記憶のひとかけは、二人が初めて出会った場所の情景を想起させる。
「あなたを見た時から、想えば想うほど、胸が苦しい。…どうすればいい」
縋るように伸ばした腕が、ヒルデのドレスの裾を掴む。
「…すまない」
「!…ヒルデ」
「エル、お前が私を愛し、その心を全て捧げてやり直してくれたから。今、私はこうしてここにいる。とても、感謝しているよ」
ヒルデの中に、どうしても、取り戻せない記憶の欠片が一つあった。
それが、自身が亡びるきっかけとなったエルと過ごした日々のことだった。もしそれが、自分が望んだことだとしたら。
(私は、エルを”愛して”いたのだろうか?それとも…)
「どうしたら、お前に報いることができるんだろう。…今のお前の想いに、答えることができないのに」
「……」
そのままぐっと抱きつくと、頬に涙が伝う。
「きっと、お前の想いを縛り付けたのは、この私なんだ。私が迷ったばかりに…お前を苦しめた」
「そんな…ことは、ない!僕は、あなたを…」
「違う!エル、お前が私に求めた愛を、私は利用したんだ。…自分がソレがどういったものなのか、知るために」
それがたとえ、命を削る結果になろうとも。
長く生きた魔女は、自らと引き換えに、知り得なかった最後の『答え』を追求した。
「…エル、お前が一番愛を渇望していたのに、それを…」
「…ヒルデ…」
欠けた歯車同士が偶然にもかみ合った瞬間、その関係性が完ぺきで、まるで夢のような形を生成した。肝心の、中心がないまま。
「…その、答えが聞けて良かった」
「エル」
「貴方を愛していたのは、紛れもない事実だ。でも、そのおかげで…きっと僕は生きていられた」
リヴィエルトはそっと身体を離すと、ヒルデの手を取り、口づける。
「今の僕なら、あなたをとらえて閉じ込めることもできるし…あなたの心を無理やり支配することもできるかもしれない。けれど…しないよ」
「……」
「あなたは、自由だ。…何にもとらわれず、自由でいてほしい」
「リヴィエルト…」
「それが、あなたに贈る、僕の愛だ」
「…私は、前に進んでもいいのか?」
「ああ。」
ふ、とリヴィエルトが離れると、ヒルデは立ち上がる。
少し距離を置いてほほ笑みあうと、互いに背を向けた。
「…あなたの想いは僕の過去に残っているから」
「ありがとう…」
さよなら、という言葉を残して去ってゆくリヴィエルトの気配を感じ、再びヒルデは地面に座り込む。
(…これで、良かったんだろうか。私の答えは…あいつにとって、最善ではないかもしれない。でも)
どこか乾いた声が聞こえる。
「あいつに、わらわに関して、希望を持たせてはいけない。過行く者に、過去の希望など無意味。それが、魔女として弟子に贈る、最期の教えだ」
そう言ったのは、誰だろう。
(偉大なる名も無き魔女よ。…名を再び得た私は、違う先に進んでもいいかい?)
その問いに、答えるものはもういない。
粘着で病みかけの元カレとは、どうやって決着をつけるのが正解なんでしょう…




