117 響く歌声
「歌姫ヴァネッサのステージだよ!」
ヴァネッサのステージの開園時間がかかれたチラシが空を舞う。
その一枚をニカレアは手に取り、ぐしゃりと潰す。
「…この方、なんだかとっっても!不快ですわ…」
「お嬢様…それもいつものカン、ですか?」
「ええ。そうよ」
隣に付き従う侍女のテレサは呆れたようにため息をつく。
「なんというか…お嬢様のそのご慧眼は、どこから来るものなんでしょう…」
「神様からの贈り物、ということにしているわ。わたくしはね、株でも商品でも、買おうと思ったときには思い切り投資して、不要と思えば思い切って切り捨てるのよ」
「…それができる人はこの世にどれほどいるのか…」
「みんなできたら、わたくしの商売は上がったりですわね。…あら?」
ふと、人ごみの向こうに、やたらと立派な衣服の集団がいる。…どうやら、ローラン諸侯連合の使節団が到着したようだった。
「いよいよ始まるのね」
「わあ、すごい…アレが民族衣装というものですか?!」
彼ら着ているのは、伝統的な衣服で「長袍」というらしい。
華やかな幾何学模様が主流で、彼らが愛するのは深紅の「赤」。特に身分が高ければ高いほど、その赤は洗練され、美しくなる。その中でも、ひときわ華やかな赤の外套を纏う、葦毛の馬に乗った人物を見た。
「察するに…あの真ん中の方が新国主、ということになるのかしら」
何度かローラン諸侯連合に貿易に赴いてはいるもの、新国主が一体どういう人間で、どういった経緯の持ち主なのか…その噂はとっ散らかっていた。
どれも信ぴょう性がありそうで、全く信用がなさそうな物ばかり。ただ、皆「有能で、人を集めるのが得意な人物」という評価を口にする。
そんな中、その長い隊列から少し離れたところに、少年と呼ぶにちょうどよさそうな年頃の少年が歩いていた。肌の色から、この国の人間ではない。
よく見ると、この地になじんでいないのだろう。きょろきょろと辺りを見渡しては首をかしげている。
「…ねえ、そこの君」
「!」
「もしかして、迷子?」
近くで見ると、意外に背が高い。ちょうど視線が合うくらいの高さだが、浅黒い肌の少年は、にっこりと人好きする笑顔で応えた。
まるで黒曜のように美しい黒髪を緩くひと房にまとめ、きらりと紫色の瞳が美しく、つい見とれてしまいそうだった。
「いいえ、色々見て回っていたのですが、字が読めなくて…言葉はわかるんですけれど」
そう言って、彼が見せてくれたのは、第4機関が最近開発したという「言語変換ブレスレット」だった。
「あら、本当…と、いうことはあなたはローランの使節団の随伴なの?」
「ええ。僕はルキオと言います。お姉さんは?」
「私はニカレア・ハーシュレイと申します」
ぺこり、と軽くひざを曲げて挨拶すると、ルキオはすっと手を差し出した。
「ええと、この国では、友好の証に手を握るん…ですよね」
「……ええ、そうですわ」
令嬢というだけで、レスカーラでは異性の方から握手を求めることはほぼない。どこか新鮮なやり取りに、ニカレアも笑顔になる。
「!そう言えば、ハーシュレイさんて」
「ん?」
「いいえ…」
「そう言えば、ルキオさんはどこに行こうとされていたの?」
ニカレアが問うと、ルキオはふっと目を細める。
「この国の…人々の暮らしを見ていました」
「人々の暮らし?」
「ええ。場所が違っても、そこには人が仕事をして、生活をしていて…でも、それは僕たちが全く知らないもので、とても新鮮に感じます」
「まあ…それは、なんだかステキな考えですわね…ふむ、ねえ、ルキオさん、この後お暇?」
「え?あ、はい」
少年は面食らったように眼をぱちくりした。
「なら、私にこの街を案内させていただけないかしら?!」
「え?ええ?!で、でも…お忙しいんじゃ」
「いいのよ!どうせ晩餐会は明後日だし…今日一日は丁度あいているわ」
ギュッと両手を握ると、ニカレアは歯を見せて笑った。
「この街はね、とても美しくて明るくて…綺麗なところはたくさんありますのよ?他国の方にも是非その魅力を知ってほしいですわ!」
「…!」
「ね?いかがかしら?」
「その、はい!お願いします!」
「ではでは、早速行きましょう!まずは迷う前に腹ごしらえ…今ならレストラン・ナインも並ばずに行けるでしょう!あそこのパスタは絶品ですの!」
「パ、ぱすた…とは」
「ええと、専用の小麦粉をこう、練って‥‥細長いものにしてゆでるのだけど。とりあえず話すよりも見る方がわかりやすいから。早速参りましょう!」
「は、はい」
こうなると、ニカレアは止まらない。
侍女のテレサは覚悟を決めて、主の後をついていくことにしたのだった。
**
同じ頃。
かつては処刑場として利用されていた広場は、数か月前に起きた謎の崩落事故から短期間のうちに魔法技術を駆使した新しい土台が形成され、新たな広場が完成した。
処刑場だった頃の薄気味悪さはすっかり消え失せ、今ではこうして彗星の如く登場した歌姫の専用ステージが特設された会場となっているのだ。
その様子をキルケはなんとも複雑な気分でそれを見守っていた。
(…王妃様の模様に、白騎士の模様…)
王妃アルミーダを冠するのは、紫色の薔薇の模様。そして、同じく白い騎士団に相応しい純白に銀の糸で百合が刺繍された旗を見て、ため息をつく。
「随分、その…俗っぽいんだな」
ぽつりと呟く声に、隣にいたメロウは興味深くキルケを見る。
「へえ…あなた、本当にまともな人間の感性の持ち主なのね」
「なんだよ、その感想。…だって、騎士団ていうくらいだから、もっとこう、高潔なやつを想像していたのに」
現時点でキルケがやることと言えば、歌姫ヴァネッサの付き人まがいなこと。
騎士らしいことは一つもなく、アイドルのマネージャーのような仕事である。事前に聞いていた、亡者をハンティングするような事案は皆無だし、いまだ無名故か、宣伝や広告に勤しんでいる印象だった。
そして、その中心にいるのが。
「みんな!今日も来てくれてありがとう!!!」
純白の歌姫専用のドレスを着たヴァネッサが民衆に向けて手を振る。それを見て、うつろな目をした民衆たちが狂喜乱舞し、中には涙を流しながら手を振る者もいた。
その光景が、今のキルケにはとても異様に映った。しかも、それを先導しているのが、自分の妹だという事実がさらに気分をへこませる原因になっている。
(なんか…変だ。なんで、誰もおかしいと思わないんだ?)
以前、ハントサルーンに通っていた時、とある噂を聞いた。
それが、誰がつけたか「終末廃人症候群」と呼ばれる症状の者達の姿である。ヴァネッサの歌声に魅了され、すっかり腑抜けて仕事も手につかないくらい沼に陥る状態の人間のことを指しているのだ。
その症状は、突如起きる。昨日は平然としていても、ひとたび音楽を聴き魅了されてしまうと一流のの商社に勤めていようが、とびぬけて上流階級の貴族でも例外なく陥り、仕事もままならない状態になるという。
まるで、魂が抜けた状態のように。
その噂を聞いた時は半信半疑だったものの、こうして裏側を知ってしまうと、知らなくてもいい事実が続々と登場し、更にキルケの心を弱らせる。
(ヴァネッサが歌い、裏では、風魔法で音を遠くに運び、多くの民衆の耳に入るように魔法をかけている。そして…)
ちらりと横を見ると、メロウはその視線を受け取り、くすりと笑った。
「なあに?…何か言いたそうね」
「いや…メロウも、何かの魔法を使っているんだよな」
メロウは、持っていた杖を下げ、いかにも不服そうな表情を見せる。
「…好きでやっているわけじゃないわ」
「何の魔法?」
キルケの問いに対し、メロウは眉間にしわを寄せて呟く。
「威力増幅する魔法」
「……威力ってなんの」
「見てわからない?…ヴァネッサの歌」
「え?」
「あれはいわゆる…依存の魔法よ」
その事実を聞いた瞬間、心の奥にあった思いが膨れ上がる。…王妃アルミーダに不信を抱かずにはいられない。
「聞けば聞くほど、夢中にさせていく。人生辞めたくなるくらいのめり込むのよね」
「いやなら、やめればいいじゃん!…こんな」
「非人道的なこと?」
「…っそれは」
すると、会場の方からわっと歓声が上がる。
…ステージが終了の時間になった。
「今日は私の歌を聞いてくれてありがとう!!ヴァネッサ、頑張るね!!みんなに愛を届けるために!!」
「…あの子は、楽しそうだけど?」
「………っ」
「お兄ちゃん!」
「!ヴァネッサ…」
顔を真っ赤に紅潮させたヴァネッサは、すぐさまキルケに抱き着いた。
「ねえねえ!今日も頑張ったでしょ?みんな、たくさん聞いてくれたよ、私の歌!」
「ヴァネッサ…あの」
(なんて、言えばいいんだ?)
ヴァネッサの歌を聞いたら、みんなどこか変になるんだ。
そんなこと、言えるわけがない。
「…?お兄ちゃん、どうしたの?怖い顔」
「あ…いや、ゴメン」
「……ヴァネッサ、着替えないと。今日は王妃様と食事会があるんでしょ?勿論キルケ君も行くよね?」
「…オレはいいよ」
「ふうん、そう、残念」
フィアネスはいかにも不満、といった表情で見つめる。その隣にいた兄のキュアンもまた、眉をひそめた。
「いいよ、あんな奴、放っておこう。ほら、行こうヴァネッサ」
「うん!」
去っていく三人を見つめながら、キルケは頭を抱える。
(みんな…これをおかしいって思わないんだよな。それが、当然、みたいな顔して)
「…メロウはどうするんだ?」
「私は、彼らとつるむ気は毛頭ないの」
おかしいと言えば、このメロウ・クライスもだった。
「何で、メロウは黙って従ってるんだ?…君だって、ここで起きてることは普通じゃないってことくらい、わかるよな」
「‥‥知りたいだけ」
「え?」
「人はどこまで落ちるのか。…抗える人間がどれほどいるのか」
「それは…」
「…何処まで、人間は愚かなのか。」
「……」
そう、メロウが最期につぶやいた言葉はなんとも言えない重みのようなものを感じた。
(達観してるっていうか…なんて言えばいいんだ)
さっさと歩き出すメロウを見て、キルケもまた背を向ける。
「オレも、帰ろう」
どうせ、誰もいないけど。そう口の中で呟く。
そして振り向いた先には、意外な人物がそこに立っていた。
「ちょっと!キルケ・クロム!!ここで何をしてらっしゃるのかしら!!」
「‥‥え?」
やって来たのは、腕を組み、仁王立ちでこちらを見ている、ニカレアの姿だった。




