116 名前
「随分と久しぶりだな…」
まるで自分の身体じゃないような、妙な感覚。腕をつねってみたり、首を回してみたり…色々な動きを試してみるけれど…うん、大丈夫そうだ。
「どこか、身体に異常はない?大丈夫?」
「ああ、大丈夫だよ、アリセレス」
今までこの姿が自分だったとは信じられないくらい、眩い容姿の少女を見て苦笑した。
「それにしても…一応人の家だから長居するわけには…」
言いながら、立ち上がろうとすると同時にドアが開き、子供たちとエスメラルダがやって来た。
「あ…!ダメよ、まだ眠っていて」
「あ、ええと、でも…」
「いいのよ!あなたは娘の命の恩人…ゆっくりしていって」
どう答えようかと考えていると、アリセレスがぶんぶんと首を振った。
「まだ無理しちゃ、だめ」
「あ…う、うん」
「お腹すいたでしょう?今、軽い食事を持ってくるわね」
「ふ、婦人が自ら動かなくても」
さすがに、公爵夫人にそんなことはさせられない。そう思ったのだが、エスメラルダは静かに首を振る。
「私がそうしたいから、いいのよ。…また、後で来るわね」
「ばいばい!」
笑顔で手を振るアンジェラに手を振り返し、二人の姿を見送った。
実際、少し体が本調子ではないのは自覚しているので、おとなしく厚意に甘えることにした。再び寝転がると、ふと、自分の中の魔力が随分と回復しているのに気が付いた。
「…?」
アリセレスの身体の時は、身体中から魔力が抜けていくような、そんな感覚があったのに、今はそれはもう落ち着いている。
そもそも、自分は今どういう状況なんだろう?
(一度死んでいたわけだから…もしかして)
「あの…大至急確認したいことがあるんだけど」
「え…うわ?!」
ケンが変な声を出した。…まあ無理もない。
私は彼らに背を向いて身に着けていた薄布を脱いだのだ。
「アリセレス。私の背中に…何か模様はある?」
「も、模様?…ええと、どんな?」
「赤い、翼のような…」
「ううん…ないわ。うっすら傷はあるけど」
「…それは、魔女時代のけがの名残だな。…ということは」
魔女ではなくなっている?
「……」
「も、もういいか?!服を着てくれ!!」
「あ、はいはい…」
なんだ、ケンの奴は意外に純朴なのか??
ともあれ、ならばこの魔力の正体は、ヒルデ自身その者の力、ということになるのか。
「赤い模様って…魔女が眠っていた棺の蓋に書かれていたもののことか?」
少しだけまだ顔が赤いケンの姿に苦笑して、答える。
「…棺か。この身体はどうやらあいつが保護魔法をかけていたみたいだな。全く、馬鹿なやつ」
「……リヴィエルト、か。なあ、あの…」
「!!」
執着しても良いことなどないだろうに。すると、何かを察したかのように突然アリセレスは席を立ちあがった。
「ッあの、着替えとか…色々持ってくる!湯あみとかもしたいでしょう?じゅ、準備してくる!」
「え あ」
「ヴェガ!!あとはよろしく!」
そして…ばたばたとアリセレスは去った。意味ありげにケンの方を向いたような気がしたが、気のせいだろうか?
「…何か気に障ることでも言ったかな」
「いや、ったく。…余計な気つかいはいらないってのに…」
「?まあいい。…寝すぎも良くない」
一度立ち上がろうとして…ぐらり、と足元がふらつく。
瞬間…倒れそうになった体を、ケンがつかんだ。
「!」
「本当にこれで…戻ったん、だよな…?」
「……ああ、もうだいじょ」
そして、次の瞬間には、思い切り抱きしめられていた。
「ちょ」
「…よかった、本当に」
「お、おい」
「もう、逢えないと思った」
「……」
じたばたともがくが、思いのほか力が強く振り切れない。
しょうがなく、そのまま背中に腕を回した。
「全く…しょうがない奴だな。まさか、泣いてるのか」
「うるさい」
何とか引きはがし、改めて対面する。
「この身体では、はじめまして、か?」
「…本当に、魔女だったんだな」
「まあね。…ずっと、黙ってて悪かった」
いつもなら、首をあげて見上げるほど大きく感じたケンの身体も、この身体ではそこまで仰ぎ見なくとも目線があった。
(ああ、視界が少し違う…そうか、アリセレスの時と、背の高さが違うのか?)
そのまま腕を伸ばし、ぐりぐりと頭を撫でる。
「ちょ…おい!」
「髪の色、私はこちらの方が好きだよ」
「…!そ、そうか?」
「うん。さて‥‥それにしても。私は一体どれくらい眠っていた?」
「まる四日、というところか」
「なるほどな」
そのまま腕からするりと抜けるが、ケンは再び手を握った。
「これから、どうするんだ?」
「…私には、やるべきことがある」
「それは?」
「これから起きることが歪んでしまわないようにしないと。アリセレスが命を落とさないように」
「…例の、瓦解した未来の話か?」
「そう。」
ぐっと手を握り、自身の内側にある魔力を感じてみて…妙な違和感がある。
(やはりアリセレスの時に感じた力の喪失感が丸ごと解消されている…だが、名も無き魔女の時ほどの力はない。計り知れない力を持っていた頃の約半分といったところか?)
それでも十分すぎるほど。もっとも、今は先ほど行った誓約のせいでやや休息が必要ではあるが。
などと思考にふけっていると、ずっと握られていた手にさらに力がこもった。
「!」
「…何考えているかわからなくもないが、俺をおいていくなよ」
「ケン…でも」
「一つ言えることは…今のアリスは、身分も家もない。ただの浮浪者だからな」
「っ!!!」
…忘れていたわけではなかった。しかし、そう、今この名も無き魔女の姿になってしまっては、ロイセントの力を使えるはずもなく…ただの力の強い魔法使いということになる。つまり…所持金はゼロ。
それを改めて認識した。
「…ま、まあ…一応、ジェンド名義の隠し資金とかはあるから…」
「そこは抜かりないんだな。…なんにしても、俺は魔女と一緒にいる」
真剣に真っすぐ目を見て言われると、思わず緊張してしまう。
「わかったよ…」
「うん。…そう言えば名前は?」
「え?」
「アリセレスじゃないし…魔女と呼ぶのもな。ジェンドと呼べばいいのか?」
「ああ…そうだな…」
ふと、考える。
今、もしかして自分は「魔女」ではないのかもしれない。
正確に言うと、魔女になる前の…一人の人間として、生きているのではないだろうか?確かに魔力は体にあるもの、今は亡者の声は聞こえなくなってしまった。
『善悪の天秤』の力が、失っている。それが、いいことなのか、悪いことなのか、わからないけれど。
それが天の、父の采配なのか、それとも。
「いや、ヒルデ、だ」
「ヒルデ?…それが、魔女の名前?」
「そうだな…人間の時、魔女でない時私はヒルデ・ウィッカという名前を持っていた」
「何で名前を棄てたんだ?」
「まあ、色々と…便利だからだったんだけど。力を失うと、どうでもよくなるなぁ」
「じゃあ、ヒルデ。オレも、ケン…より、ヴェガの方が好きだな」
「そうなのか?」
「ああ。それじゃ、よろしく、ヒルデ」
「わかった、…ヴェガ。改めてよろしくな」
――その頃、王宮のある一室にて
アルミーダはいつもの取り繕う笑みを浮かべ、応接室に入る。
「…こんばんは、メドソン伯爵」
「ご、ご機嫌麗しゅう。王妃様」
現れたメドソン公爵はげっそりとやせ細っており、声に覇気がない。いつもは元気よく弾む出っ腹も、今日はしおらしくしぼんでいるように見える。
「まあ、顔色が優れないようですわ…」
「…王妃様、この度は、私の娘が大きな罪を犯してしまいました」
「ああ…」
(やはり、そのことね)
「ですが、あの子は!そんなことをするような子ではない…よほど追い詰められていたのでしょう…!陛下があまりにもおざなりに私の娘を扱うから!!!」
血走った目に、荒い息。
「そう、思いつめないで…」
「王妃様!!!私の全てを捧げますから!!どうか…どうか、リヴィエルト陛下に罰を!!そうじゃなきゃ、娘があまりにも可哀想すぎて、不憫で…!!!」
「公爵…」
(ああ、汚らわしい)
ドレスの裾に縋りつくように泣き崩れる公爵をアルミーダは冷たく見下ろすが、公爵は更にまくし立てる。
「サリアは、悪くない…何も!!ただただ、幼少から陛下を想い焦がれていただけなのに…それだけなのに!!!」
(…親の愛情というのは、本当、盲目的で愚鈍で、なんて憐れなこと。愛情に狂い、害ある者の力を借りて人の命を奪おうとした娘だというのに)
「いいでしょう」
「!!」
「公爵、あなたの願いをかなえましょう。…サリアの罪を軽くして、リヴィエルトに罰をあたえる。その対価に、あなたは何を差し出すの?」
「こ、鉱山の」
「鉱山?」
「我が公爵家が持つ、魔鉱石の採掘権利を…王家に、いいえ、アルミーダ様、あなたにお譲りします!!」
「わかりました…あなたの願い、かなえて差し上げましょう」
(ああ…なんて、人間は愚かで可愛らしいのかしら?)
「私が望む完璧な調和ある世界は、きっとあなたを、いいえ、全ての人々の心を自由の束縛から、解き放ち、導いてくれるでしょう」
(だからこそ、管理し、支配し導かなくては)
そう、満足げに笑みを浮かべる。
その笑みが決して歪んで見えぬよう。




