115 ヒルデ・ウィッカ
私の名前は、ヒルデ・ウィッカ、という。
貧しい北方の農村に生まれた。その村は、見渡す限りの麦畑と夕焼けが美しく、子供の頃は、その村で一番高い木の上に登って沈んでいく夕陽をいつまでも見つめていたものだ。
「うちの一族はね、昔は高名な魔術師の一族だったの。王様の補佐もしていたんだから」
寝物語によく聞かされたこの話は、正直好きではなかった。
(どうせ、昔のことじゃない。…どんなに偉大なご先祖でも、今の私たちの生活に何の影響もない)
「じゃあどうして、こんな村にいるの?…おなかすいた」
幼少の頃から、どちらかというと、私は【聡い】子供だった。
と、言うのも、私には生まれた時から【魔力】が強く、目に見えないものを見、声なき者の声を聴いてた。それらは時に甘い言葉で騙そうとしたり、攻撃したりするけれど、時には本では書いていないような知識を教えてくれるのもいた。私は彼らのことを嫌うことはできなかったし、結局生きている人間の方が強いのだと知っていたからこそ、彼らとともにいることを好んでいた。
…何となく、そのことは他の人には知られないようにしていたし、実際、私の両親も死ぬまでその事実を知ることはなかったんだろう。
私には、一人の姉がいた。
私と同じ金色の髪で、青くて大きなアーモンド形の瞳は、身内贔屓ではなく魅惑的に映った。やや真新しい物や、派手派手しいものを好む傾向があるもの、村一番の美人として慕われていた。
隣の家のいじめっ子も、村長さんの息子も、みんな姉を大好きだった。…だからこそ、大きな期待を心の何処かで両親は願っていたのだろう。
「誰か、金持ちの貴族の目に留まり、我々の生活は少しか楽になるんじゃないのか」
愛情がなかったわけではない。疎ましく思っていたわけでもない、ただただ、貧しかったのだ。
麦畑と言っても、生計をそれだけで立てるのは厳しく、私の髪はある程度の長さになったら売られていたし、天候に左右されるうえに、うちの家が持つ畑の場所は、あまり日当たりが良くない。
言うまでもなく、日当たりの良いところは麦の出来が雲泥の差だったのだ。
それでも姉はいつもキラキラしていたし、私と違って髪を売られるくことがなかった。存在自体がお金になる可能性を秘めているんだから。
「私の夢はね、いつかこの村を出る事。…素敵な王子様と出逢って、運命的な恋に落ちるのよ」
屈託なくそう言ってほほ笑む姉を、私は羨ましく思い…同時に、少しだけ呪った。
「かなうと、いいね」
だって、それは私がこの村にずっと居続けなければならないという未来が決まっているということだから。
そんなある日のこと…両親の願いが通じたのか。はたまた姉の願いを神様が聞き入れたのか。領地視察に訪れていた、ある高名な貴族がこの村にやって来た。
そうなれば、その好機を姉が逃すわけもない。姉は目論見通り貴族の目に留まり、見事その心を射止めたのだった。
それが…始まりだった。姉が旅立った後、いつもの夕日をぼうっと見つめていた時、声なき友人たちが危機を知らせてくれた。
『あぶない。はやくにげて』
『もえちゃう、壊れちゃう』
「…?一体何を」
そして…血のように赤い夕焼けの向こうに、武装した集団を見つけたのだった。
(知らせなきゃ…みんなに)
これはよくない、そう直感で思った私は、その旨を村人全員に触れ回った。しかし…
「何言ってんだい?…嘘はおやめ」
「嘘じゃない!」
姉が貴族の元に嫁いだせいで、村の中で私の家族の評判は最悪だった。…いわゆる『裏切者』の認定をされてしまったのだ。
両親だけでも助けようと、そのことを伝えるが伝わらなかった。
「ヒルデ!ダメよそんな嘘ついたら」
「何で…信じてくれてないの!」
私の声は届かず…やがて、村に武装した連中がやって来た。
「…こんな村になんで?そうか!お前とお前の姉が手引きしたんだろう?!」
「違う!!!」
「こいつを突き出せ!!」
「いや!!!」
何処でどうしてそうなったのかわからぬまま、私は咄嗟に逃げ出した。
武装した奴らは、収穫間近の麦畑を土足で荒らし、一つ一つ民家を訪れては若い年頃の娘をどこかに連れて行った。
それに抵抗した一部の村民は激昂して火を放ち…あっという間に、村は火の海に沈んでいったのだ。
……なんて、馬鹿な話なんだろう。
乾燥し、大量の麦が穂を揺らしていた広大な畑に、火のついたたいまつが投げ込まれた時、どうなることなのかはわからなかったのか?それとも自棄を起こしたのか。
結果的に私は命拾いをした。でも、同時に…両親をはじめ、村にいた人たちを見殺しにして、見捨てて逃げ出してしまったんだ。
何年後かになって知ったことだったが…例の貴族は既婚者のくせに、世間知らずな若くて綺麗な村娘を見つけては口説いて愛人として囲い、飽きたら売り飛ばす…そういう下種なやつだったそうだ。
私の村が襲われたのも、要するに本妻が怒って愛人たちの出自を調べ上げ、その村々を徹底して潰していった、というのが理由らしい。
そうして私は、そのまま森の奥へ奥へと行き長い旅に出た、多分14歳位の頃だったと思う。
ひとりになるのは苦ではない。…見えない住人がたくさんそばにいたから。そして…2年後、私はある出会いを果たした。
「あら、可愛いお嬢さん。なぜこんなところでうろうろしている?」
「道に迷ってしまったんです」
とある場所を旅している最中、道に迷った私の前に現れたのは、全身を真っ白いローブで身を包んだ紅い瞳の老婆だった。
その老婆は、過去、旅の楽師が教えてくれた魔女の風貌そのものだった。
「…あなたは、もしかして 魔女?」
「魔女は怖い?」
「ううん。…かっこいい」
「あはは、そんなこと言われたのは初めてだ。…おなかすかないか?」
その答えが気に入ったのか、老婆はころころと笑って、私を家に招き入れてくれた。その時の食事はよく覚えている。
よく似こんでトロトロになった野菜と、崩れかけのジャガイモのスープ。一緒に出してくれた鳥の串焼きは絶品で、少し硬い黒パンもとても美味しかった。
満腹になった私は、その老婆から、ある提案を受ける。
「お嬢さんは、とても力が強いな」
「…そうなんですか?」
「ええ。修業をすれば、とっても素晴らしい魔法使いになれる。どう、私の弟子にならない?」
「教えて、くれるの?」
「ええ勿論。私の得た知識と経験、全てあなたに教えてあげようか」
「!!!本当?」
「ただし、一つ約束をしたいの」
「約束?」
「そう、それはね‥‥」
そうして、私は彼女の弟子となった。
老婆の魔女の名前は名乗らなかった。だから、私も自分の名前を名乗らなかった。
たくさん覚えて、たくさん学んで…そして、気が付いたら5年の月日が過ぎていた。でも、それは私にとってある意味とても憂鬱なことだった。
「魔女は、長く長く生きる」
「そりゃあ、そういう契約を結ぶんでしょう?役割もあるし、忙しくて何よりじゃない」
私がそう言うと、魔女はもう憂げな表情をした。
「……でも、それを自らで終わらせることはできない、ある意味、永遠の宿業なのさ」
「だって、求めてそうなったんでしょう」
「お前は若い。うらやましく思うこともある」
「…魔女?」
「約束を、果たしてくれるか?」
その言葉は同時に、一つの決別を意味する。
「それって、つまり」
「そう。私の胸をこう…グサッと」
「……嫌だよ」
「どうして?」
「だって、そんなの…」
「お前に魔法を教えると決めた時、約束しただろう。私の全部をやるから、私の全てを終わらせてほしい、と」
魔女同士の約束は、厄介だ。
魂に刻むものであり、盟約であり、絶対に果たさなければならない義務。
「私に、人を殺せというの」
その問いに、魔女は静かにほほ笑んだ。
「違う。…解放、だよ」
「……」
「輪廻と宿業からの解放。私は、やっと自由になれる」
「バカな話だよ…!ならどうして、魔女になるの」
「力が欲しかった。…全てを変える力を」
力に何の意味がある?
…でも、魔女のいうことは、理解もできてしまう自分が嫌だ。権力、力、能力、容姿…それらをすべて合わせて『力』とするなら、求めるのは当然と言える。
生きるのにも、進にも力が必要で…それさえあれば、私もあの日、焼け落ちた村のために何かできたのかもしれない。逃げた事を後悔することはないが、どうしても考えてしまう。
「だって、この老婆でも…力があれば、違う未来があったのだから」
「‥‥わかった」
「今度は、お前がそれを使う番だ。…可愛いお嬢さん」
そして…私は更に力を得ることとなる。
その後、また一人いなって…また、旅をした。
そこには、力がなくて苦しんでいる人たちが大勢いた。魔女からもらった力で解決できることはなるべく手を尽くした。それから更に3年ほど旅して…私はあの場所にたどり着いた。
世界の涯・ヘイディーズ。
大きな大樹の元、私は契約をする。そして…更に力を得て、私は魔女になったのだ。
(代償が必要なら、私は私が知らない心を差し出せばいい)
両親の愛情‥‥はあったかもしれない。
でもそれは満たされるものではなくて、別の何かに向けられていた。誰かを心から信頼し、愛したこともない。結局それが暴走して、村一つ滅ぼすくらい激しい物ならば。
私には、必要ないと思った。
そして―――
「…魔女?」
何度か目を瞬く。
上に見えるのは…多分、見慣れている。ここは、ロイセント本邸の応接間「青の部屋」の天井だ。その証拠に、壁紙も、天井の空の絵も青一色だ。
そして、そこにはこれまた見慣れた女性の顔。
「アリセレス…」
「魔女…!」
そうか、彼女がここにいるということは。
がばっと抱き着いたアリセレスは、そのまま涙を流した。
「ありがとう…目が覚めてくれて。本当によかった!!」
「無事、成功したか?」
「…うん」
子供みたいになく彼女をなだめていると、後方で、同じくらい泣きそうな表情のケンがいた。
「お前も来るか?」
「…バカやろう。もう、目が覚めないかと…」
そう言って、ケンにはあいている左肩に頭を乗せた。
「右にアリス、左にケン、と…両手に花、とはまさにこのことか」
「人の気も知らないで!」
「そうよ!ヒルデのバカぁ!!」
ああ、また泣き出した。
仕方ないのでされるがままにしていると、ふと、向こうにある鏡に映った自分の顔を見た。
「…随分と、久しいな」
もう忘れたと思っていたその姿。
…名も無き魔女、改め、ヒルデ・ウィッカの姿だった。
あと少しでラストです。走り切ります!




