112 堕ちた魔女
馬車の中で揺られながら、アルミーダは考えた。
「…アリセレスの中に、あの魔女の気配を感じなかった…」
名を持たない魔女。
彼女は、誰にも属さず、どこにもなびかない、孤高の魔女の一人だった。
(彼女も…私の理想を知れば、きっと賛同してくれるはず。それなのに、彼女の魂はどこに行ったの…?)
「到着しました」
「ありが…」
馬車を降りた途端、全身の毛が逆立つような強烈なプレッシャーが襲う。
(何?この魔力…凄まじい力、しかも、なんて攻撃的な)
雪に覆われた王宮は、月の光を反射して煌々と輝き、いつものように美しく荘厳だった。
しかし、今はまるで別次元にある場所のような錯覚さえ感じてしまう。
「あ、あの、どうかされましたか?」
いつまでたっても馬車から降りてこないアルミーダを心配して、ジークフリドが心配そうに声をかける。差し出された手を取りり、気取られぬようにいつもの慈愛の笑みを浮かべる。
「……なんでもないわ」
「それならいいのですが…」
「ここまででいいわ」
「あ、部屋までお送り…」
「…戻りなさい」
「あ…はい」
「‥‥あなたもお休みなさい、ジーク。私の可愛い子」
アルミーダの笑みを見て、ジークは頬を赤く染めうっとりと頬に触れた手に縋る。
「はい…マザー」
「ふふ、いいこ」
去っていく後姿を見送り、アルミーダは意を決して王宮に足を踏み入れる。
「…あ、王妃様。メドソン公爵がお待ちです」
「……今行きます」
だだ広い長廊下を歩いていく。すると、向こうからリヴィエルトがやって来た。
「母上」
「!!!」
ざわ、とアルミーダの意識が逆立つ。
「…顔色が優れませんが、どこか具合でも?」
「な、何でもないわ」
「そうですか…では」
「‥‥ええ」
すれ違いざま、アルミーダはちらりとリヴィエルトを見た。…それは、向こうも同様で二人の視線はぶつかる。
「!」
「そう言えば…ロイセント家に見舞いに行かれたようですね」
表面上の姿は何も変わらない。
にもかかわらず、アルミーダには、目の前にいるリヴィエルトが全くの別人のように思えた。
「羨ましい。私も彼女に会いたかった」
「……今度の晩餐会、ニカレア・ハーシュレイが代役を務めるそうね」
「ええ。アリセレスたっての希望です。…本当は彼女が目覚めていればよいのですが」
「そう…でも、それは難しいかもしれないわ」
「……そう思うのは、なぜですか?」
「今も、眠ったままだったから」
「随分と、彼女を気にかけるのですね?他の令嬢は簡単に切り捨てた、というのに」
「!……どういう意味かしら」
「どういう意味…?そんなものはご自身が一番理解されていることでしょう」
アルミーダに対して辛辣さを含んだ響きも、冷たい言葉も変わらない。なのに、今のリヴィエルトから感じる気配は全く異質で、氷のような鋭い視線は全身の気を煩わせた。
「私はね、あの子が好きよ。…今でも、あなたの妃となるに相応しいとさえ思うわ」
「……そうなるよう、努力します」
軽く一礼して去っていくリヴィエルトを見ながら、アルミーダは言い表せない焦りを感じる。
(どういうこと…本当にあれは、クオンなの…?いいえ、そんなはずない。それより)
アルミーダはいつもの取り繕う笑みを浮かべ、応接室に入った。
**
「堕ちた、魔女…」
去ってゆくアルミーダの後姿を見ながら、リヴィエルトは薄く目を細める。
(ラベンダーの香りで誤魔化されているが…あの甘ったるい匂いの中に紛れている腐敗臭は、強烈だ)
マリーミア・ゴルトマンの事件の時に感じた匂い、そして、サリア・メドソンの部屋から感じたあの甘ったるい残り香。それと同様の匂いが、アルミーダから感じた。
同様の香りを、かつて自分は身にまとっていたことがある。
(独特の甘いに匂い…それは害ある者と契約した者、または、何かを代償に己の魂を悪魔に売ったものにしか現れない徴のようなものだ。あの女は後者だろう。だとすれば…)
今、リヴィエルトの中にはまるで明晰夢のような明確な記憶がある。
そこで自分が何をしたのか、何を起こしたのか。…そして、最期にはどうなったのか?初めは、その全てを理解するのはとても困難だった。
ただ、一人の女性を手にかけ、その力を奪い…何もかも投げ打ち成すべきを成し遂げた、という事実だけは確信している。
「アルミーダ・ダイアン・パルティス…彼女は、母上ではない。害ある魔女の一人か。…そして」
(かつての自分に不死の呪いをかけた者と、もしかしたら同様なのかもしれない)
今更復讐など望んでいないし、どうかしようとも思わない。
だが、一つ、リヴィエルトは確かめたいことがあった。
「彼女は…彼女も」
ゆっくりと瞳を閉じ、彼の人を想う。
今の自分に不可能なことは何もなかった。
「逢いに行こうか」
**
(これは、想定外だった)
穏やかな風が吹き、時間が止まったようなこの暖かな空間。
魔女はドロレスの小さな手をぎゅっと握りしめた。乱れる呼吸、何とか平静を保とうとも、突き刺すような頭痛で気が遠くなりそうだった。
そんな魔女をよそに、セイフェスの解説は続いている。
「リヴィエルトのせい…とは?」
「…これは仮説ですが。時間を逆行し、この漂白の世界でのイレギュラーにそれを起こした本人がなってしまった場合。恐らくは、漂白前と同じ状況が魂に訪れることになるでしょう」
「同じ状況って…?」
「魔女や悪魔から奪い取った膨大な魔力に魔法の知識…まあ、【不死】の呪いはある意味成就したと言えるでしょう。肉体が喪失すれば、それを回復させる必要もなくなるわけですから」
その言葉に、ケンはゾッとした。
「つまり、魔女の魔力は」
「…彼は知らないうちに、元の魔力保有に戻すために、同じ世界にいる魔女から吸い取っていくことになるでしょう」
「少なくなった水を、元の共有先から勝手にくみあげていくようなもの?そんなの、どうすれば…魔女?」
見れば、隣にいるドロレスの顔色は真っ青だった。
「すまん…何とか話に集中しようとするもの、どうしようもなく痛む頭痛が思考の邪魔をする」
「あまり無理を」
(だめだ、これ以上は、ドロレスが持たない)
『すまん、時間だ…』
「!魔女…」
プツン、と何かが切れたような後、魔女は次の瞬間…ベッドに横たわるアリセレスの身体を見下ろしていた。
(戻って…来たのか?)
時刻は夜の2時を回ったところ。
見慣れた寝室は静寂に包まれており、まるでここだけ空間が切り離れているようにさえ思えてしまう。
「それにしても…」
実は何度か、空の状態の身体に戻ってみようと試みたこともあるが、何か見えない力に阻まれて入り込むことすらできなかった。
(今、私の身体には本物のアリセレスが入っていて…こちらの身体は空のまま。原因は、アリセレスが申し出た契約の破棄が発端だという)
意識を失う直前の話を思い出し、自分の記憶と照らし合わせ、ゆっくりと整理してみる。
契約は、終わりを迎えた魔女…つまり自分の死と同時に結ばれたものだった。魔女の死の直接の原因はリヴィエルトにあり、かつての魔女は彼自身が呪いにまみれた状態で出会い、そして…結果的には、命を奪うこととなってしまったという。原因は、推して知るべしだろう。
それは、アリセレスも同様に、似たような状況で終焉した人生が共鳴し合い、奇跡的な魂の出会いを果たしたのかもしれない。
「この辺りの記憶は曖昧で、まるで他人事のようなんだよな。…何してるんだ、名も無き魔女よ…おのれセイフェス」
ともあれ、最終的には余命いくばくもない状態の魔女を救うため、リヴィエルトとセイフェス両名が共謀して禁呪を発動させたと、そういうことらしい。
(時間を逆行する魔法と、起きた事実を漂白する魔法…)
そんなもの、古い文献でしか見たことがない。それを自身の命を削って実行するなんて、どれほどの魔力を行使したことか。しかも成功したこの世界がそうだというなら、前代未聞…我らが魔法を使う者の祖である『父』はどう思ったのだろう。
『漂白』の影響はどこまであるのか?父の倫理さえ超えた奇跡が起きて、魔女がここにいるとするならば…それは『父』が魔女自身に与えた試練、もしくは罰…そうとらえることもできる。
(考えれば考える程…意味の分からない話になってくる)
ブロック・ヘッドの手記は預言ではなく、実際に起きた事をなぞっていたのなら…魔女が覚えている歴史での崩壊の原因は【戦争】ということになる。
彼のようないわゆる【イレギュラー】たちは、なんらかの干渉を受けて突然あちらの世界の記憶を呼び戻した存在達だという。その人間が多ければ多いほど、世界の法則が崩れ、無意識に元の世界の歴史に流れてしまううねりが生れてしまう。
それほど、人間の無意識の力というのは強大で、「なんとなく」が「そうしなければならない」という流れを引き寄せてしまうのだろう。
「私は…どうすることもできないのか」
などと余計なことをぐるぐる考えていると、ふと、何かの気配を感じた。
「…?」
ぐるりとあたりを見渡すと…閉じていたはずの窓が開いた。
(不用心な…いや、違う)
そこから現れた黒いフードの長身の男性だった。そして…その気配はどこか懐かしいような、妙な感覚を呼び起こす。
「?!!」
危うく声を出しそうになるが、何とかこらえ…魔女は物陰に隠れた。ゆっくりと近づく足音を聞きながら、ふと我に返る。
(そう言えば、今は自分に身体がない。ということは、物質的に逃げる必要はないわけで…)
なのに、この妙な焦りのようなものは何なのか?そして、その気配が近づくにつれ、全身の力が抜けていくような気がした。
「…っなんだ、これは」
ぐわんぐわんと頭に鐘が鳴っているかのよう。
「…?誰かいるのか」
「!!」
静かな声が部屋に響く。
互いに姿は見えない筈なのに、魔女はその正体に気が付いた。
(リヴィエルト…なんで、ここに)
「気のせいか…エル、逢いに来たよ」
セイフェスの話を思い出し、魔女は恐怖を覚えた。かつて一度経験した、あの絶望感。
(このままでは…魔女が消える…)
それは、終焉。
つまり、魔女の死を意味する。




