9 これが、枯れ魔女さんの復讐論
バチン!と何かがちぎれるような音がして、デリタ夫人は床に倒れ込んだ。
『うう…っ』
(青い糸の持ち主だけでも探ればいいのだが)
残念ながら、わらわには今、その力の余裕はない。
「…デリタ公爵、今のお主なら、自力で上に行けるだろう」
理性も知性も戻ったダーチェス・オブ・ロイセントに、どんな悪魔のささやきも通用しないだろう。
『ええ。…ありがとう、小さな後継者』
「!後継者?」
『だって、あなたのその髪と瞳は私の血統の証でしょう?』
「…そうだったな」
そう言えば、とふと思い出す。
「…なぜ、お主は公爵に?」
『……それが、良く思い出せない」
「思い出せない…?」
『私は、ずっとあの部屋の時間の牢獄にとじ込まれたまま、動けずにいた。でも、誰かが私の名前を呼んだ気がして…』
やはり、地縛霊のような状態だったということか。
「役割を与えられたから、解き放たれた…か?」
「誰かが名前の呪縛を使ったのでしょうね、さ、子供に刃物は危険です」
医者は、そう言ってわらわからメスを取り上げた。…こういう時は子ども扱いか、こやつ。
「でも、何のために?…目的は、この家か、それとも…我ら親子か」
『そのあとは、ずっと彼の…リカルドの耳元で不安をあおり、精神的に追い詰めていた…みたい。きっと、彼の現状と私の心情の波長が合ってしまったのね』
「波長…」
『夫婦の不仲』、『家門の重圧』…そんな特有のものは、限られた者にしか持ち合わせないもの。つまりは、糸の使い手はもともと、この家門の名前を汚すことが目的だったのか?
…まあ、敵は多そうだしなあ。
『甥っ子には、申し訳ないことをしたようだ…』
「甥っ子?」
『ええ。彼の父親は私の弟だった人物。…よく似ている』
そう言えば、先代の話はあまり聞いたことはない。
だが…今のロイセントの名声を考えれば、どれほど立て直すことに尽力したのかがよくわかる。
「…そうだ、デリタ夫人、ちょっとした復讐…というか、嫌がらせをしないか?」
『復讐…嫌がらせ?』
「誰かが己に害をなしたとき、そいつは相応の害を受けるべきだと、わらわは思う」
『…やられたら、やり返す、ということね』
「無論、それを覚悟のうえでちょっかいを出してくるわけだから…因果応報、というわけだ」
『ふふ…そういう考え、とても好ましいわ。それで?私を殺したあの女…どこにいるか知っているのでしょう?』
―――エスメラルダは夢を見ていた。
「我が家門の断絶と借金返済はお前にかかってるんだ!…わかっているな?」
「…はい、お父様」
そう言われて嫁いだ16の頃。
運よく縁談が舞い込んだのは、あの名門ロイセント家だった。
後継教育をしっかりと受け、新しく爵位を継いだリカルド・ヴィエル・ロイセントは、眉目秀麗なうえ、社交界の評判も上々だ。
なのになぜ、地方貴族な上、社交界でもそれほど名のある婦人でもなかったエスメラルダが選ばれたのか?…それは、きちんと理由がある。
「なぜあなたが私の妻に選ばれたかわかるか?」
「え?」
「あなたの血統は、古びたとはいえ、歴史だけなら我がロイセント家に劣らない。それだけだ」
「……」
「さっさと子を成してさえくれれば、あとはあなたの好きなようにするといい」
(自分も好きなようにするから…とでも言いたげね。優秀な血統を、なんて、まるで家畜のよう)
そう宣言されたのは、初夜の次の日のこと。結婚して早々に、エスメラルダの夢は粉々に打ち砕かれてしまったのである。そうして、愛のない二人にできた子供が…アリセレス、だ。
ふと、目を開けて…エスメラルダは視線を動かした。しかし相変わらずそこは…見渡す限りの闇。壁も、窓も、床も、全部漆黒のインクで塗りつぶされたよう。
「まあ、奥様。まだ寝ていないと」
甲高い耳障りの悪い声がすぐそばで聞こえる。
「……」
この部屋は闇が深すぎて、傍仕えのメイドの顔すら見えない。何とか起き上がろうとするが、やんわり押し返された。
「いけません、起き上がっては…どうか、楽な姿勢でいてください」
(動けない…体が弱っているせい?)
「いいえ、…さっき、あの子がきたでしょう」
「あの子?」
「少し言い過ぎたから…」
「誰の事ですか?」
「え?誰って…わたしの」
「まあ、良くお休みになられていたから、夢でも見たのでしょう?…ほら、少しでも深く眠らないと、身体が持ちませんわ」
「夢…?そう…だったかしら」
「そうです、さあ。…ね?楽になりましょう」
もう、何年あっていないだろう?
獅子のような見事な黄金の髪の毛…とても綺麗で美しくて、同時に少しの後ろめたさと、激しい嫌悪感が襲う。
あれは、私がこのロイセント家に来た証であり、楔のようなもの。
見たくない。見たら、自分が惨めになるから。
でも、たった一人の小さな女の子。誰が守ってあげるの?
…選べない だから、眠る。深く深く。
そしたら、もう二度と会わなくて済むから。…ああ、でも。
―――あの子に…もう一度会いたい
「お母さま!」
「!!」
はっ、と。意識が覚醒する。
そして、黒い部屋をまるで切り裂くように溢れる白い光。
「…!眩しい…」
「いつまでここにいるんですか?!ここじゃあ、治るものも、治りません!!」
光は徐々に広がり、ずっと締まりきりだったカーテンが一気に開かれた。
「…さあッ!!」
「暖かい…」
最初は眩しさのあまり目を伏せていたが、徐々に目が慣れ、久しぶりの日光を思いきり浴びる。
ふと、耳元で何か断末魔のような叫び声が聞こえたような気がして振り返ろうした。しかし、小さな柔らかいものがエスメラルダに抱き着いてきた。
「お母さま…!」
「アリセレス…」
あれほど感じていた、昏い想いが嘘のようだ。
太陽の光を浴びてキラキラと輝く黄金の髪はとても綺麗で、美しい。
(思っていたよりも…大きいのね)
「ごめんなさい…アリセレス、私の可愛い娘。ずっと放っていおいてしまって」
すると、抱き着く小さな手に更に力がこもり、アリセレスはぶんぶんと頭を振る。
「いいの!…これから、埋めていけばいいんだから」
「そうね…」
久しぶりの親子の再会を見て、キルケもなんだか嬉しくなった。
「うまくいったようだな、おじょー様」
「キルケ」
「…母ちゃん、元気かな」
「大丈夫、きっと元気ですよ」
医者はそう言いながら、キルケの頭を撫でる。すると、いつの間にかそんな二人の様子を眩しそうに見つめる公爵が現れた。
「公爵閣下」
「…私は、やり直せるだろうか」
「さあ…そんな先のこと、やってみないとわからないのでは?」
「…そうだな」
そう言って、恐る恐る公爵が近づくと、その手をアリセレスが引っ張った。
「…すまない、アリセレス」
「悪いと思うなら、お母様に優しくしてあげて」
「わかってる…すまん、エスメラルダ」
「…公爵様」
どこかぎこちない二人の様子をほほえましく見ていると、ふと、足元でかさかさと蠢く『何か』を見つけた。
(フン、逃げても無駄だ)
せせら笑うアリセレスの横を、白いドレスの女性が横切る。
『アレが…私を殺した、あの女?』
(ああ。さあ、後は好きなようにするといい)
『…こんなちっぽけなものに脅かされていたのだな…』
「気にするな、デリタ。…お主は男を見る目がポンコツだっただけだ」
『返す言葉もないわ…』
――…逃げなければ、光が当たらない場所に!
黒い塊は小さな黒い欠片のようなものを持ち、家具の隙間から、人の影に…光を受けないように暗い方へと逃げ惑う。少しでも光が当たると、とても痛い。
やっとの思いでベッドの下の隙間に入り込もうとすると、どこからか現れた銀色のハイヒールが道をふさぎ…そのまま踏みつぶされた。
「ひぎゃぁああ!」
そのままヒールのかかとでぐりぐりと踏みつぶすと、上から見下ろす黄金の髪の女性が冷ややかに笑った。
「ヒィ…!あなたはっ…デリタ…」
『私の後継者がね、とっても素敵な提案をしてくれたの…私を殺したお前の末路を見届けてから、上に上がれば?って』
「わ…私?の?!」
『それであの男は…ああ、その大事そうに抱きかかえている欠片がそうなのね?』
塊は大事そうにその欠片を抱え込もうとするが、デリタがそれをひょい、と摘み上げた。
「そ、それは!やめて!」
『…なんてちっぽけな魂の欠片なのかしら。私は本当に、男を見る目がなかったのね』
自嘲気味に少しだけ嗤うと、その欠片をそっと撫でる。
『憐れな男。…私なんかに目をかけられたばかりに。でも』
ふと、上を見上げれば、淡い光の波が降り注いでくるのがわかる。
『ああ、あそこに行けばいいのね』
「ま、待って!!ねえ、全部謝るから!赦して!!だから私も連れて…」
影が必死に手を伸ばそうとするが、それをヒールで蹴り飛ばした。
『それは無理ね。だってあなたには…別のお迎えが来ているでしょう?』
「え?…ひっ」
クスリと笑って影を見下ろす。
…塊の周りには、無数の亡者達が絡みつき、地の底へ引きずるこもうとしている。
『あらあらたくさん…いったいどれだけの亡者を喰ったのかしら?よかったわね、一人じゃなくて』
悪霊は共食いする。そして力を得る。
…その力が失ったときは、また別の者に喰われる。そういう摂理、だ。
「いや、いやああ――――――!!」
喰われたら…それで、終わり。
害ある住人にも、悪魔にも、化け物にもなり切れない中途半端な悪霊は、喰って喰われてを繰り替えし、やっと形を成す。
だが、今世の執着を棄て、魂を縛るものを蹴散らした者たちは、天の祝福を受け、浄化のサイクルに循環されていくのだ。
『今まで気が付かなかった。肉体がないというのは…こんなにも軽やかで自由なのね』
そう、何も縛るものがなければ、意識も視界もクリアになり、全ての次元も時空も…未来さえ見通すことができる。
デリタが下を見下ろすと、アリセレスが小さく手を振っていた。
『…後継者よ。お前にはこれから多くの試練と選択肢が付きまとうだろうが…お前達なら、きっと大丈夫だな』
**
「ふう…やれやれじゃ」
夜遅く。もう子供は寝る時分。川の字の寝台からこっそり抜け出したわらわは、思い切り伸びをする。
朝いちで突如起こった公爵夫婦の和解は、いまだぎくしゃくしてはいるものの、順調な滑り出しだ。とはいえ、どうやら二人きりで会話をするのは慣れていないらしく、どちらもわらわをはさんでのやり取りだった。
…もういい大人だろうに、まるで付き合いたてのカップルだな。
ただ、これは、アリセレスにとっては大きな分岐点だ。何せ、夫婦仲が良ければ公爵も他の女にうつつを抜かすこともない…つまりは、メロウがこの邸に来る可能性がなくなるということだ。
そしてもう一つ、不思議なことが起きた。
いないと思っていたこの邸の使用人たちは、いつの間にか現れて、普通に仕事をしていた。夢で見たあのロメイ・ジェルダンという執事は…なんと健在だった。
過去に見た時はバリっとした若くてハンサムなイメージだったが、今はハンサムなミドル・ジェントルに進化していた。彼らは口をそろえて言う。普通に働いていた、と。
そこで、思い出したことがある。
「…昔々、聞いた噂がある。時を操る賢者の話。それは、お前の事か?」
くるりと振り返ると、そこには…医者が立っていた。




