110 思惑
「まだ、目が覚めないのね、アリス…」
ロイセント公爵家にて。
いつもは明るい邸内も、今はとても静かだった。変わらず眠り続ける娘を見守りながら、エスメラルダはため息をつく。
「一体どうして…」
「おかーたま…」
アリセレスの従者ヴェガは、ただ一行「主の病の原因を探る」とだけ書いた一枚の置手紙を遺して、ここ数日姿を見せていない。
そのわずかな希望を思いをはせながらも、目の前で滾々と眠るアリセレスを見ているのはとても辛かった。その後姿を、アンジェラと双子は心細そうに見つめていた。
「奥様…その、お客様がいらしてます」
「…今は、そんな気分では」
「それがその…王妃アルミーダ様が」
「‥‥え?」
「アリセレスお嬢様の様態についてお聞きしたいと」
(なぜ王妃様が?…あまり、いい予感がしないわ)
エスメラルダにとって、アルミーダ王妃は遠い存在の一人だった。と、言うのも、出産や子育てもろもろなどで、エスメラルダはほとんど社交界に顔を出しておらず、まるで接点がない。リカルドと結婚する以前、頻繁に訪れてた夜会でも、アルミーダの姿はほとんどなかった。
「突然のご訪問、失礼いたしますわ」
未だ成人したばかりの女性のような容姿のアルミーダは、見慣れない赤い髪の少年の騎士と、肩ほどまである黒い髪の女性騎士と、二人連れて来た。
(あの子…確かメロウ・クライス…だったかしら?アリスは、あまり良く思ってはいなかったみたいね)
一度付き合いで参加したクライス家の茶会では、結局アルミーダは二人目の妊娠が発覚したのち、そのまま疎遠となってしまっている。最も、夫であるリカルドは親しいようではあるが。
「今日はどういったご用件で?」
「クオンから聞きました。アリセレスが原因不明の病に伏していると…」
「まあ、わざわざ…」
張り付いた仮面のような笑みから、その真意はうかがえない。
ただ、善意とは言い難く、何か妙な違和感を感じてしまう。
「本当に眠っているだけで…脈も正常だし、呼吸もある。…昏睡状態とでも言うべきでしょうか」
「そう…お顔を見せてくれる?」
「勿論構いませんが…」
すっと立ち上がると、アルミーダはアリセレスの身体の元に足を運ぶ。そっと手をかざそうとした瞬間、小さな手がアリセレスの顔をかばう。
「…?」
「らめ!」
「あ、アンジェラ?」
見れば、まだ4歳になったばかりのアンジェラがいつの間にやらアリセレスの身体によじ登り、その顔…正確に言うと額のあたり、をしっかりとガードしている。
「こ、こら、アンジェ」
「おねーたまに触んないで!あっちいって!!」
「まあ…ふふ。元気なこと」
慌ててエスメラルダがアンジェラを引きはがそうとするが、頑として動かない。
「らーめ!」
「あーうー!!」
「どうしたの?!あ、あなた達まで」
すると、生まれたばかりの双子のセレーネとエリオンまでもがそれに便乗し、アリセレスの身体全体を小さな体を一生懸命に伸ばして覆いかぶさっている。
「ちょ、ちょっと、無礼ですよ、子供たち!王妃様は…」
「いいのよ、ジーク」
すると、メロウが一歩前に出て、しゃがんで子供たちに視線を合わせる。
「ねえ、どうしたの?お姉ちゃんのお顔を見せてくれればいいんだけど…っ?!」
しかし、次の瞬間、双子の妹セレーネは、メロウをきっとにらみつけると、あろうことかペチン、と小さな手で張り手をした。
「あう!」
「…え」
「セレーネ?!」
「ちょ、ちょっとなに」
怒涛の勢いで、ぺちぺちとセレーネはメロウの顔をたたいていく。たまらず下がったメロウは、唖然とした。
「随分と、立派な護衛ですこと!」
「も、申し訳ありません」
「…その子たち、アリセレスの兄妹、ですか?」
「ああ、はい。…この子たち三人の他に、もう一人男の子がいます。今は夫と一緒におりますが」
「……楽しそうで、何よりですわね」
「…?はい」
どこか寂しそうな、複雑と言った表情でメロウはくるりと背を向ける。内心首を傾げつつも、エスメラルダは言葉を慎重に選んだ。
「あの…王妃様。もしかして、この症状に何か思い当たるところがおありですか?」
「…どうしてそう思ったのかしら」
「アルミーダ様は、ご成婚される前、街で有名な魔法医療士だったとお伺いしております。ですから、もしかして過去、似たような症状があったのかもしれない、と…そう思いました」
「……そうね」
一瞬何かを考えるような仕草をするが、アルミーダは先ほどと同じ張り付いた笑顔で応えた。
「私が知る知識ではあるけれど、一つ、思い当たる節があるわ」
「!それは一体…」
「ですが、その前に。少しお話をしません?」
「…お話し、ですか?」
アルミーダは、ジークに指示すると、近くにある椅子を引き寄せた。
(話…王妃様が私に?)
何となく不穏な気配を感じ、エスメラルダは気を引きしめる。
「もうお聞きになっているでしょうけれど、陛下の婚約者候補として名前の挙がっていた令嬢達が皆、残念な結果になってしまいました」
「!」
傍にいたメロウは少しだけ眉を顰める。
「…ええ、お聞き及んでおります、それで?」
「私は、アリセレスの症状を治療する方法を存じております」
「!!‥‥まあ、ですが、それは」
ふと、アルミーダの過去の肩書【魔法医療士】だということを思い出す。
(病気ではない、そういういうこと?)
「その方法を使えば、私の娘は目を覚ますのでしょうか」
「ええ。限りなく高い確率で。…けれど」
「けれど?」
「目を覚ましたら、アリセレス・ロイセントを王宮に迎えたいと思っております」
「!!…それは、つまり」
「ええ。このレスカール王国の王たるリヴィエルト・クオンの妃として…正式に、という意味ですわ」
この言葉には、メロウは思わず振り返った。
(リヴィエルトの妻に…どういうこと?!)
「…メロウ?」
「!ジーク…なんでも、ないわ」
エスメラルダは思いもよらない提案にじっと、アルミーダを見つめる。
「……政治的駆け引きの為の婚姻、ということでよろしいでしょうか」
「貴族の令嬢たるもの、それは義務でしょう?」
「王妃様。ご存じのように、我がロイセント公爵家は、リヴィエルト様と幼少の頃から友好的な関係を築かせていただいております」
「ええ、私もこれからもそうでありたいと思っているわ」
「我が家門も夫も、陛下に忠誠を誓っております。勿論王妃様をはじめとする、全ての王家の盾となり力となるのが、我がロイセント公爵家の誇りと、そう思っておりますわ」
ピリッと、空気が張り詰める。
「何か問題があるのかしら」
「問題など…ただ、急ではないにしても、今このタイミングで王妃様よりそのお話をお伺いしたことが、少々疑念を感じてしまいます」
「ふふ、思ったよりもはっきりというのね?ルード・エスメラルダ」
「僭越ながら我が公爵家は微力ながらも、王国にある他家に与える影響力は少なくありません。その長女たるアリセレスに関する決定を、私個人の見解で決めることは憚ります。そして、これは王妃様も同様ではないでしょうか?それに、陛下のご意向もお伺いしなければなりません。
何より、国政が著しく変化している昨今…私達の娘を気にかけてくださるのは光栄ですが、晩餐会も控えた今の時期に、返事はご不要とお見受けします」
エスメラルダの丁寧ながらも鋭い剣のような拒絶の言葉に、アルミーダはそれ以上何も言えなかった。
「…そう、余計なお世話だったかしら」
「いいえ。娘のことをこんなにも気にかけて頂けるなんて、身に余る光景です。ですが、どうぞその恩恵はこの国の未来を憂う全ての方々へお与えいただきますよう」
「ふふ…わかったわ、ありがとうエスメラルダ。あなたとは、またお話ししたいわ…こう見えてもね、私はアリセレスのこと、特に気に入ってるのよ」
カーテシ―で一礼をしたのち、馬車が過ぎ去る音を聞いたのち、エスメラルダはそのまま椅子にもたれかかった。
「ふぅ‥‥、疲れてしまったわ」
「あーう!」
「かーしゃまステキ!」
「…あなた達。どうしてあんな態度に…もう」
三人の子供たちをぎゅっと抱きしめながら、先ほどの出来事を反芻する。
(…何が目的かしら、王妃様はいきなりあんな風に)
エスメラルダとて、王宮の二分化された勢力図について、知らないわけではない。
同時に、アリスの選択次第でもしかしたら大きくその勢力図のバランスが崩れるということも。
「単純に考えれば、陛下を支持するロイセントがこれ以上力を持つことを快く思わないのは王妃様の方ではないのかしら…それをわざわざ助長しようとするなんて。それとも…」
何かもっと複雑な理由があるのかもしれない。例えば国王陛下さえも凌駕する、国を動かすほどの切り札のような物を持っているなら。
「もしかして、魔鉱石の鉱山…」
鉱山の発掘権利と範囲は王国によって定められているが、全体の3割が王国とその他の勢力が握っているとすれば、残りの7割近く権利を占めているのは、先日投獄された令嬢の出自メドソン家である。
メドソン家は王妃勢力の筆頭。彼らが犯した失態の代償としてその権利を譲渡したとなると。
アルミーダ王妃の元に莫大な利益をもたらすだろう。
(アリスの病の原因を知っている…王妃様は、私達に交渉をしに来たのね。こちらにつくか、そうじゃないかの選択を選べ、と)
「でも、アリスを人質にとるようなやり方…納得いかないわ」
**
「…ロイセント家」
馬車の中でメロウは、広大な敷地と、その中心にそびえるのロイセント公爵邸を見た。
かつて、自分はここにいたことがあった。だが、今見るこの邸は全く別物で、自分の知らない家族がそこに住んでいる。
「とっても、幸せそうだったわね」
何気なくつぶやいた言葉に、ジークが反応した。
「子供たち、可愛いかったですね。…なんだかダンタリアン孤児院の子供たちを思い出す」
「ダンタリアン孤児院?…そう言えば、言っていたわね、みんな同じところに住んでいたって…」
ふと、口に出した言葉に妙な違和感を感じる。
「ダンタリアン…?」
「?ああ、そうだよ。王妃様が運営していらした、素晴らしい孤児院さ」
(…前の時間では、この白騎士団という存在自体なかった。そのなかったものが、全員同じ孤児院にいたなんて。…これは偶然?)
「ジーク。私は、今日は一度、クライス家に戻ろうと思います」
「?それは構わないと思うけど…」
「ありがとう。…ちょっと、調べたいことがあるの」




