106 不可視の罪
「…そう、サリアが」
「はい」
ここは、王妃所有のヘカーティア宮・リラの間。
部屋の中にある壁紙から調度品、絨毯、カーテンに至るまで、全て薄紫色で統一されている。この部屋の主であるアルミーダ王妃は、読んでいた本を閉じた。
「例の、魔女と賢者、ですか?」
「ええ。とても興味深い内容となっているわ。それより…何があったのか、貴方が見てきたことを全て教えてくれる?ジーク」
「はい…マザー」
白騎士の純白の正装に身を包んだジークフリドは、そのまま瞳を閉じると、アルミーダの前に跪く。
そして、彼の頭に手を伸し、そっと触れた。
「…っ」
ぎゅっと瞳を閉じると、頭の中を光が駆け巡る。
(マザーの力が…私の中を駆け巡る)
それは、思考ごと完全に奪われ、アルミーダの力だけを感じることができる、恍惚な瞬間だった。
「……ありがとう」
「あ、は…はい」
短くそれだけ言うと、ジークフリドに立ち上がるよう促す。
「申し訳ございません。…その、お役に立てなくて」
「陛下も困ったものね。たった一人を決める一途さは素晴らしいけれど、同時にとてつもなく危険だということを。それで、メドソン令嬢は?」
「リヴィエルト陛下の直属、コンスタブルに連行されていきました」
「……と、なれば。明日ごろにはメドソン公爵が泣きついてくるかもしれないわね。もっとも」
(…マリーミアの件もある。リヴィエルトが何処まで証拠をつかんでいるかわからないけれど)
「私の理想に影響はないわ。…それよりも、大至急ロイセント公爵宛てに手紙を届けてもらえるかしら」
「ロイセント公爵は…その、リヴィエルト様とは」
「あなたのおかげで面白い報告が聞けたわ。…あの子が眠りから覚めない病気にかかっているというじゃない。お力になれるかも」
「昏睡状態の理由をご存じで?」
「……未熟な魔法使いが起こした、一種のイレギュラー、と言えばいいかしら」
**
「お待たせしました」
サリアが連行されてから二日。晩餐会まで四日となった日のこと。オレンジ頭のヘルソンは、分厚い資料の山をリヴィエルトの元に持ってきた。
「‥‥仕事が早いな」
「一度気になったら徹底的に調べないと気が済まないんです」
そういうヘルソン・ブラスターの目の下には濃いくまがはっきりと浮かび上がっている。
「寝てないのか?」
「はあ、まあ性分なもので」
と、あくびをかみ殺した後、一度咳払いをする。
「メドソン令嬢曰く、マリーミアのパイプにわざと幻覚作用のある薬品を混ぜ込んだそうです」
「では、一緒に入っていたラベンダーは?」
「入っていたラベンダーの花も幻覚作用は一切なく、これを吸ったからと言って幻覚を見るような症状を引き起こすことはないでしょう。ま、一種のフェイク…というか、攪乱目的だったようですね」
「攪乱…事故死に見せるためのアリバイ、ということか」
リヴィエルトの言葉に、ヘルソンは濃い眉間の皺を寄せる。
「…悪魔の仕業ってことになるんでしょうが、それを立証するのは難しいでしょうね」
「……ああ、厄介なことだ」
(これでは、マリーミアに関してサリアに問える罪はわずかだな)
「…ですが、興味深いことが一つありました」
「うん?」
「このラベンダーは、特殊な種類でして…その、王妃様の宮殿でしかとることのできない配合のもののようです」
「…アルミーダ王妃の」
「王妃様は親しい友人や、婚約者候補の皆さんによく贈り物としてプレゼントしているとのことで…サリアも持っているし、マリーミアも持っていた可能性がありますので」
「……ある意味、誰が犯人になってもおかしくなかった、ということか?」
「まあ、それを狙っていたのかもしれません」
(そして…同時に、母上が関与しているかもしれないという可能性にもなる)
「陛下が、【ヒドゥン・セル】に命じたメドソン公爵家に関係する者達の購入記録の提出でも、パイプの中に混入された薬草と同種の購入記録がありました。裏が取れたということですね」
「では、あの蜘蛛の死骸は?」
「はあ…なんとも。現存する蜘蛛ではないので、新種と言えばそれまでかと」
「……せめて、サリアの言う悪魔とやらがどこかにまだ生きていればいいが」
悪魔が起こした、など誰も認めるはずもない。蜘蛛がアリスの眠りの病気を促したという証拠もなく、あるのはサリアの証言だけ。
やりようによっては証拠不十分でサリア自身が罪がいくらでも軽くなる可能性がある。
「…サリアは、どう動くつもりだろう」
「どうでしょう、とても協力的だと、上司は言っていましたが」
「……」
だが、リヴィエルトは忘れてはいない。
彼女の暴走の原因が自分にもあることを。
「…全く、馬鹿な話ですわ」
「………」
サリアは、うつむいたままぽつりと呟く。
それを聞いたベテラン警部レギオ・マルク・セイトンは、何となくいたたまれないような気持ちでその女性を見ていた。
「では、全面的に認めるのですか?…マリーミア・ゴルトマン令嬢と、アリセレス・ロイセント令嬢に【呪い】をかけたと」
「…正確には、それを唆す不届きな輩に魂を売った、というのが正しい方ではないかしら」
「……呪い、ねえ」
先日まで、彼女は未来の王妃と称され、王宮でも最も華やかとされるアウローラ宮で何不自由ない生活を送っていたはずの女性。見る限りそのたたずまいは洗練されており、隠し切れない高尚さのような桃のがにじみ出ている。
夢見る年頃の若き巡査共であれば、簡単に見とれて調書どころではないだろう。しかし、あいにく妻も子もいる身分でかつ、最近ではやる気ある白髪がびんびんとあちらこちらに出張ってきて、全体的にロマンスグレーとでも言うべきか…なヘアがひそかに自慢な年齢に差し掛かっているレギオには、目の前の令嬢に対し「不憫だなあ」と思うにとどめることができる。
「私は、若く気高き王の隣に立つ資格のある数少ない令嬢として…日々努力し、作法を学び美しく見せるために髪の毛一本からつま先まで抜かりなく手入れをし、決められた期限内で新王の心を射止めようと尽力してきました。この想いに嘘偽りがございませんし、あの方の足かせになるくらいなら、全ての罪を認め、知りうる限りの情報を提供することを誓いますわ」
「…わかりました」
(やれやれ、罪なお方だ、国王陛下殿。まあ…問題は山積みではあるが)
【呪い】という行為は、【魔法】と並び、この世界に置いてはまだ不確かであいまいで、各個たる【罪状】にはなりえない。オカルティズムが定着しつつあるもの、それを科学的な根拠と数字を提示して証拠としても、認められた事例はいまだ皆無である。
「しかし、令嬢。あなたがその【呪い】というものを口にすることによって、世間は貴方が犯した罪を【例外犯罪】として認定する可能性も出てきます。それでも、貴方は今回の一連に【呪い】は絡んでいると断言しますか?」
「はい。…それを認めるのは、国であり、法律であり、世界でしょう?私の中の真実はそれしかないもの」
そう言って、サリアは笑みを浮かべた。
「…警部はご存じでしょう?この世には害ある隣人というものが存在して、人の心を弄び、罪を唆しているとか。…眼に見えない者の仕業としか思えない原因不明の事件や事故、犯罪など、多くは彼らによって教唆された人々起こした罪の数々なのだそうな」
「まあ、否定はできんな」
「目に見えないものを信じない人々は、その犯人を「頭がおかしい人間」や、「狂人」などというありきたりな名目で押さえつけ、社会から静かに消し去っていく。「忘却」という名前で」
「…その通りです」
「ならば私は、この世界で一番最初の【呪い】で罪を犯したと立証される人間になりたい」
「不可視の罪を、証明すると?…変わったお方だ」
「そうすれば、世界はきっと変わるでしょう?法によって、眼に見えない存在を人々は信じざるを得ない。悪魔の存在は全ての人が認知することになる…それをこの私が、きっかけになるなんて」
「……」
「私を狂人だとお思いになるかしら?…ならば警部は、ご自身がまともで正常な人間だと、断言できますか?」
サリアの言葉に、レギオは目を丸くした。
「そのつもりではあるが…」
「どうしてそう思えるのでしょう?」
「‥‥普通に仕事をし、家族と飯を食い、部下にたまにうまい酒を驕る。時折腹の立つ事件や胸糞悪い事件に関わり、嫌気がさすこともある…でも、たまにいいこともあって、明日も頑張るか、と床に就く。そして、また始まる。私の日常が、そうだからです」
レギオの回答に、一瞬サリアは寂し気に目を伏せた。しかし、再び口元に笑みを浮かべる。
「あなたご自身がそう認知し、奥様や部下の方、周りの環境があなたを【普通でまとも】だと、証明しているでしょう」
「なるほど」
「ですから、私は自分が【正常でまともである】と言い続けます。私がそう言い続ける限り、どこかに信じてくれる人間もいるでしょう。…そして、その時が、私が【呪い】で罪を犯した、と世間に認知され、初めての事例となるのです」
ここで、ふと考える。
この令嬢は、それを社会に認めさせることで、何を成し遂げようとしているのかと。
「…そうして、認知され、裁かれるのは【呪い】で、貴方は【被害者】となるのでしょうかね?」
「そうなったら幸いですが、私自身は自分に罪が皆無とは言い切れません」
「どうして?」
「…私は何度も、アリセレスが消えればいい、ゴルトマンが消えればいい…あの方の周りの女性全てが消えればいいと、心から願っていました。あの方の心が私に向けばいい、そのためにはどんな手もいとわない、と」
(ここまで、思い切れるもんかねえ…頭が下がるぜ)
もしかしたら、それは彼女がまだ若く、刹那的な想いを過剰に抱いているだけかもしれない。ただ、その純粋さは、棺桶に片足を突っ込んだレギオにとっては理解し難く…とても眩しく思える。
「そんなモンは、人生長けりゃ誰だって一度や二度や三度抱くもんでしょう。…私的な意見では、私はそれを罪とは言いたかないですね」
「いいえ…私は彼女たちに、間接的な【死】を願っておりました。―――心から。そして、害ある者の力を借りました」
「……重い覚悟ですね」
「私は‥‥誰よりも、その感情に自身が負けたことが一番口惜しいのです」
「……それで、【呪い】ですか」
「そうよ」
私は、復讐したい、自分に。
小さな呟きは、レギオにが聞こえない。ただ、心を動かすには十分な覚悟だった。
「いいでしょう。私も、あなたの言う目に見えないものを裁く…一番最初の事例となれるよう、協力しますよ」
「…ありがとうございます」
「ま、とりあえず…あなたが用いる情報をすべて、お聞かせ願いますか?」
それは、長い旅の始まりのようで、…未開の世界の扉が開かれた瞬間だった。




