104 悪意の代償
鏡を見つめる。
長い髪はきっちりとまとめ、真っ赤な口紅を塗り、軽く微笑む。
「少し、おしろいは白い方がいいかしら」
「は、はい…」
ガタガタと震えるメイドには、顔面に紫色の痣がうっすらと見える。
「あ…っ!」
かた、と手から滑り落ちた香水は乾いた音を立てて鏡台の上に転がり、むせかえるような甘ったるい香りが部屋に広がる。
「……あら」
「すみません!すみません!今…っ」
慌てながら落ちた香水の瓶を拾おうとするメイドに、思い切り平手打ちをした後、サリアは大きく息を吐く
「……もういいわ。みんな下がりなさい」
「で、でも」
「は や く!」
ぎろりとにらみつけたサリアから逃げるように、全員慌てて退出していく。
誰もいなくなった部屋を見渡すと、サリアは傍らに置いてあった封筒を手に取った。
「ああ…早く21時にならないかしら」
その知らせが届いたのは、つい昨日のこと。
パルティスの印章が押された手紙に書かれていたのは、一行だけのメッセージだった。
【今夜21時、これからについての話をしたい】
(そうよ…アリセレスが倒れたら、もうあなたのパートナーを務めるのは私しかいないでしょう)
ほう、とため息をついて顔を赤らめていると、突然背後から低い声が響いた。
「随分と楽しそうですね」
「!!!」
ひゅう、と風が吹き窓が開かれる。
「…誰?」
現れたのは、全身を黒いローブで覆った人間だった。
「サリア・メドソン令嬢ですね。このような形の訪問となり、申し訳ございません」
「…何者?」
じり、と後ずさりする。
じっくりと対峙する相手を観察するが、月が出ているせいもあり、逆光でよく見えない。しかも、顔の半分はローブで覆われており、それが人間なのか、はたまた全く異質の者なのか判別できなかった。
「例の品…お届けに上がりました」
「例の…って、まさか」
恭しく差し出した手には、青い布にくるまれた指の長さ程の小さな瓶だった。ほんの少量のピンク色の液体をみて、思わず生唾を飲み込んでしまう。
「これは、名のある薬師が作った北方に伝わる即効性の媚薬…あなたのこれからに必要なものでしょう」
「これから…?」
「この国の燦然たる輝きを放つ太陽は貴方の腕の中に」
ゆっくりと手渡された布を受け取うろとするが、サリアはそのまま差し出された腕をつかむ。
「顔を見せなさい。…信用するに値するか、確認したいの」
「……」
一瞬、緊張した空気が張り詰める。
しかし、それは扉をたたくノック音でかき消された。
「サリア?」
「あっ…リヴィエルト様」
そのままぱっと手を離すと、黒ローブの人物はふわりの窓のテラスに座り込む。そして、そのままくるりと回転して下に落ちていった。
「!…っま」
「貴女に逢いに来た」
「…い、いま開けますわ」
一度振り返るが、その姿はもう跡形もない。
(…確認できなかった、でも)
更に扉を開くよう催促する声に、逆らえない。
「サリア?」
「あ…へ、陛下」
現れたのは、いつもの正装ではないリヴィエルトの姿だった。
薄いブラウス一枚で、うっすらと身体のたくましい線が見え、思わず見とれそうになる。
「夜分遅くすまない」
「いいえ…陛下なら、いつでも…その、歓迎なさいます」
「ありがとう。入っても?」
「も、勿論です…」
「…この香り」
「えっ あ…先ほど、香水の瓶を落としてしまって」
「香水…なるほど。これか」
「?」
「いいや」
「い 今お茶を入れますわ」
(お、落ち着いて)
既に用意してあった茶葉のポットにお湯を注いでいく。パッと広がる茶葉は踊るように水の中ではじけているのを見詰めるふりをして、ポットに映ったリヴィエルトの横顔を見つめた。
「り、リヴィエルト様。今日はその、夜分にどういったご用意で」
「…ああ」
(手が…震える。でも)
視線がこちらに向いていないのを確認すると、羽織っていたローブから先ほどの小瓶を取り出す。栓を抜き、そっと白いティーカップに注ぎ込んだ。
(もう少し…)
「誰か来ていたのか?」
「?!…え?」
「窓が開いている」
くるりと振り返った瞬間、サリアは持っていた小瓶を床に落としそうになってしまう。それを何とか句中で受け取り、自分の着ているドレスに忍ばせた。
「い、今」
サリアが慌てて駆け寄ろうとするより前にリヴィエルトが立ち上がり、窓を閉めた。
その姿をこっそり盗み見すると、白い雪に跳ね返った月の光が横顔を映し出し、その美貌に息をのむ。
(ああ…リヴィエルト様)
「も、申し訳ございません!今、お茶を入れましたので」
「気にしなくていい」
高鳴る胸を押さえつつ、銀色のトレイにティーセットを用意した。
運ぶ途中手が震えて小刻みに揺れてしまった。その手に重ねるようにリヴィエルトの手が伸び、サリアからトレイを奪う。
「震えている。寒いのか?」
「あ…も、申し訳ありません」
向かい合う形でテーブルに座り込む。明かりに照らされた自身の顔が赤くなっているのを自覚しているサリアは、そっと手で隠した。
「今日ここに来たのは、急ではあるが、貴方に私のパートナーになってもらいたくて…それを伝えに来た」
「!は はい!喜んで・・・!あ、でも その。あ、アリセレス様は‥‥その、お気の毒ですわ」
「気の毒?」
「え?」
「私は貴方を誘いに来たが、彼女の話は一切していないのだが」
ドクン、と鼓動が跳ねる。
(そうだわ…アリセレスの様子は公には知られていない…)
「…私をお選びくださったのでしたら、彼女に何かあったと考えるのが自然です」
「それはそうだな」
かちゃりとティーカップに手を添える。
先ほどの言う通りならば、即効性の媚薬だという。
(もう少し…早く、飲んで)
「…あなたにだけ、言おう」
「っ!」
しかし、寸でのところでティーカップは再びソーサーの上に置かれた。
「どうやら、彼女はこのままでは危ない状況らしい」
「危ない…状況?」
「…原因不明の昏睡状態だと。医者もお手上げだと…そう告げられているそうだ」
「原因、不明‥‥それは、大変です。なんてことでしょう、彼女程この晩餐会に相応しい人物はいないというのに」
わっと手を顔で覆い、口元を覆うようにサリアはうつむく。
(どうしよう…嗤ってしまってはダメ…でも)
ふつふつと、リヴィエルトの隣に立つ自分の姿が現実化している。
(私が…この方の)
「ゴルトマン令嬢も」
「!」
「あの強い女性が自殺を図るなど…全て私の落ち度のせいだ」
「リヴィエルト様…」
「私は、呪われた運命の元に生まれたのだろうか」
「そんな、そんなことございませんわ!」
頭を抱えてうなだれる彼の元へ行き、そっと手を添える。
「陛下のせいではありません。強き運命の方には、大きな試練が起きるといいますもの…!」
「そう言ってくれるのは、貴方だけだ…サリア」
「ああ、リヴィエルト様…!私は、あなたの味方でございます…」
「味方?」
「はい!…ですから、一度お茶を飲んで…リラックスなさって」
「ああ…ありがとう」
背中をさすりながら、カップを渡すと、ゆっくりとそれを飲み干す。
(…飲んだ)
「あ…」
すると、突然リヴィエルトはサリアの腕をつかみ、力強く抱き寄せた。
一瞬の沈黙の後、その腕に抱かれながらうっとりとサリアが目を閉じようとすると、信じられなくらい冷たい声が頭上から降り注ぐ。
「…紅茶に何を入れた?」
「…え?」
眼前に美しい顔が近づく。
しかし、青い瞳は氷のように冷え切っており、思わずサリアは硬直した。
「この瓶の中身は?」
いつの間にか、手には例の小瓶があった。
「…!それは」
はっとなる。先ほど、小瓶をしまうより先にリヴィエルトが席を立ったので、慌てて始末しそびれてしまったのだ。
「え、エッセンスですわ!リラックスの効果がある薬草のオイルだと…」
言葉を繕おうとして、口をつぐむ。
(どうして、なぜ…彼はこんなにも冷静なの…?)
「少し甘く、どこかツンとするこの香りは、東方の媚薬の一種か」
「!!」
「昔からこういったものには耐性があるようにしてきた。…誰からもらった?」
「だ、誰からって」
「それとも、貴方自身で用意したのだろうか?…これを私に使うために」
「ち、違いますわ!!こ、これは…だ、誰かがわたくしを嵌めたんですわ!!何も悪くな…」
ふと、先ほど窓から消えた黒いローブの人物を思い出す。
「そうよ!窓から不審な人物がやってきて、私にこれを…」
「窓から?」
「はい!そうよ!黒いローブで身を隠して…私を脅しましたの!!」
「その人物というのは」
リヴィエルトは縋ろうとしたサリアの手を払い、立ち上がり、両の手をたたいた。と同時に、扉が勢いよく開かれ、そこから武装した兵士たちがなだれ込む。
その後方から、先ほどの黒いローブの人物が姿を現した。
「それは、こんな風貌の者かしら」
「!!!」
やって来たのは、目深なローブを被った全身黒づくめの衣裳のニカレア・ハーシュレイだった。
「な…んで、ハーシュレイ…!」
「残念ですわ、サリア・メドソン‥‥まさか、媚薬を特注で作ってまで陛下に取り入ろうとするなんて。よほどご自身に魅力がないのを認知してらっしゃるようで、なんだか可哀想」
せせら笑うニカレアをキッとにらみつけ、つかつかと歩み寄る。
数人の兵士がそれに反応したが、ニカレアはにっこり笑ってそれを制した。
「あんたに何が…!!」
ひゅっと伸ばされた平手打ちを左手で受け止めると、そのまま右手でサリアの頬に思い切り平手打ちをかました。
パァン!と派手な音が部屋中に響き、リヴィエルトは何となく目をそらした。
「随分と必死でいらっしゃいますこと」
「く…!」
グイ、と更に腕を引っ張ると、ニカレアは悪魔のように笑った。
「うふふ。ご存じでした?…東方の貿易品のいっッさいの取引は我がハーシュレイ商会が独占しておりますの!誰が何処で何のために何を購入するかなんて、ちょぉっと調べれば一目瞭然ですのよ?」
「何を…!」
「サリア・メドソン令嬢は、社交界でご友人を作ることと、ご自身を着飾ること以外…存外愚鈍でいらっしゃるみたい。」
吐き捨てるように言うと、掴んでいたサリアの腕を離した。
「う…」
「それで?…あなたはどこまで、ゴルトマン令嬢と、アリスの件に関わっているのかしら?」
そう言ってニカレアはサリアの傍にしゃがみ込み、顔をのぞいた。




