102 ある世界の結末⑥ ある雪の日に
エルは手に持っていたナイフをじっと見つめる。
(全部をやり直すために…決めた事だ)
囂々と流れる風のように、【あの日】から彼の運命は激変した。
「今…何を」
「これで…彼女の終わりの時間は少し先になりました」
「少しだけ?」
「私は時を操る賢者。少しの間…彼女の時間を止めた」
時間を言うものは物質ではない。形がなく、常に動いているものの一つ…魔女曰く、魔法でできないことはないが、時間と時空など、目に見えない非物質的なものを使える魔法使いは、ほんの一握りだという。
(こいつ…やはり、本当に)
「その間に、不本意だが貴様に一つ提案をする」
「提案…?」
「彼女を救いたくないか?」
思いがけない言葉に、エルはまじまじとセイフェスを見た。
「…どういうことだ」
「救いたくないのか?」
「それは、僕の力でどうにかできるなら!」
「ああ。不死の呪いを持つ…お前でなければできない」
「この、呪いが?」
「…私は、彼女の魂を消滅させたくない」
その言葉を口に出した瞬間、セイフェスの表情はひどく切ないものに見えた。そして、二人の間には確かに、友情のような目に見えない絆があるような、そんな気がした。
「……どうすればいい?」
「彼女が【愛】を認識した対象が貴様だというなら…刻印に心臓が切り裂かれる前に、お前がナイフで貫くといい」
「ナイフで…僕が、彼女を殺せとっ?そんなこと、できるわけ…」
「いいから聞け」
「…!」
「魔女の【死】にはルールがある。一つ、心臓を自らの手で貫くこと、二つ、炎の中に身を投じる事…そして、三つ愛する者の手で心臓を貫かれること、だ」
ふと、以前彼女が言っていた言葉を思い出す。
「魔女たちは、選択次第で、自分の最期を決められるんだ」
「…どういう選択?」
「特定の者に殺されるか、自らそれを選択するか…心臓を一突き、それで終わる」
「ヒルデ…君は、それを選ばなかったんだ」
「…そう。未練がましいんだ、実は。でも、だからこうしてお前と会えたのかもな」
(それは、こういう意味だったのか)
「その後は…どうなる?」
「彼女の膨大な魔力が、愛するもの…つまり、不死の呪いを受けた貴様に流れる。…それで、契約した連中の魔力を喰えばいい。…私のように」
「契約した、連中」
その言葉の意味を、エルは知っている。
「貴様は消しただろう。害ある者の力を借りて、【彼】…運命に弄ばれた、近しい友人を」
「知って、いたのか……」
「私の仕事はき奴らの監視役ですから」
「ああ…その通り」
(…ベルメリオ)
彼は友であり、身内であり、半身であり…まるでコインの裏と表の関係のようだった。
(…その罰も、報いも…僕は)
だが、と白き賢者は言葉を紡いでいく。
「本来ならばお前の命は凄惨な死をもって王国と共に亡び、き奴らに魂ごと喰われ、永遠の闇をさ迷うこととなっていただろう。だが、お前はとある魔女にある術をかけられた」
「…この、お前の言う不死の呪い、だろう」
今でも思い出すたびにぞっとする。
耳元で狂ったように笑い、消えていった母の姿を。
「あんたはその正体を知っているようだが」
「その術式の基礎を造ったのは…紛れもないこの私だから」
「?!」
「最も、あまりに非人道的で、魔法というよりは呪術に近い。等価となるものも大きいし、まさか人間ごときにそれを使えるものがいるなど、思ってもみなかった」
「………等価?」
「純然たる生命のエネルギー…つまりは、生きた人間の魂そのものだ」
目の前にうすら笑いを浮かべる魔法使いを見て、エルは怒りよりも恐怖が勝る。
「ヒトの命を…なんだと思っ…」
「それをお前が言うのか?嫉妬と劣等感に狂い、自分の身内を害ある者と契約してまで奪うその心!自分を愛した者を簡単に裏切り、切り捨て…挙句の果てには、崇高な心を持つ彼女までも死に至らしめる!」
「…ッ黙れ、」
「お前は…寂しい、哀しい、孤独だ、と一人で喚き、自分の欲望を押し付け、結果多くの人間を不幸にした!…お前こそ、対象を破滅へと導く害ある住人共の遣いと呼ぶに相応しい!!!」
「―――っ」
エルは、何も言えなかった。
何を言っても、彼の言葉を肯定させてしまうし、否定する理由もない。
それだけのことをしたと、だからこそ、自身が今いる業の重さは自覚しているのだ。
(わかっている…ヒルデを、名も無き魔女をこの手に抱いたのだって…僕自身の傲慢だ)
しかし、白い魔法使いはこういった。不死の自分が膨大な魔力を持つことに意味があると。
「…僕に流れる呪いと、彼女の魔力があれば、何ができるって?」
「……」
「あんたは言った…契約した連中を喰え、と。そうすれば、どうなる?」
「ふ どうやら私が思うよりも、お前は自身の罪を認知しているようだ」
「それで?」
セイフェスは一度目を伏せ、ため息をつく。
「よく似ている…嫌になるくらい」
「?」
「――私も…過去、とある罪を犯しました」
「…え?」
「お前と同じ…その力をもって、契約した連中を呼び出し、完膚なきまでに打ちのめし、その力を喰った」
「…喰う?」
「わかるだろう?害ある連中…悪魔と呼ぶ奴らを、私はその手で葬り強制的に契約を破棄させ…それを返しただけ。いわば、服従させたというべきでしょう」
「……その、強大な力の理由が分かった」
「そういうことです。私は運よく時に関連する力を持つ者を服従させました…私ができる魔法は、時間を物質的に構築して一つの時空に閉じ込め、既に起きた事をなぞるように元に戻すこと。だが、それでは意味がない。必要なのは、切り離した時間を更に逆行させる…つまり、まっさらな状態で捲き戻すもう一つの魔法が必要だ」
淡々と語るセイフェスの言葉をどこか絵空事のように聞こえしまう。
「…それは、時間を戻すっ…て、そういうことを言ってるのか?!」
「そう、時空と時間をゆがめる魔法を同時に二つ行うということ…それには、私と同等の知識と魔力を持つ人間にしかできない。だが、今のお前には」
「可能にできる、と?」
「勿論、それ相応の準備が必要となる」
(…僕が、全てを巻き戻せる?何もなかった世界に)
「あんたは、どうしてそこまで」
「お前に教える理由はない。とにかく、お前と彼女が出会う未来を無くすために新たな時間軸を作れば…運命は覆せるかもしれない」
「時間軸を造る…」
「不本意だが、お前にその術を教えよう。そしたら…全ての運命を戻して―――今あるこの世界線の未来をぶち壊せばいい」
**
「……名も無き魔女よ」
パチン、と指を鳴らすと、ずっと眠っていた魔女がゆっくりと瞳を開けた。
「良い夢を見れましたか?」
何度かしぱしぱと瞬くと、魔女は苦笑いを浮かべた。
「面白い夢だったな…でも、内容は忘れた」
「……」
「…随分と、久しいな、白き審判…わらわに何の魔法をかけた?」
「眠りの術を少々」
「無意味なことを…」
「…一つ、あなたに聞きたい」
「何?」
「彼を…【愛】しているのですか?」
ぴたりと、魔女の動きは止まる。
その言葉に、どう答えればいいのか、自分も分かりかねているからだ。
「彼を…この狂った運命から、解き放ちたいとは思う…でも、正直分からない、ただ、彼を遺していくのは気がかりだ」
「……」
「ああ、でも…そうだ。どうせなら、お前にお願いしようか。…旧き友よ」
「何をです?」
「彼を…善き方へ導いてほしい」
「……あなたという人は」
「あいつの魔法の才はすごいぞ?…優秀な弟子だった」
「なら、契約をしましょうか」
契約、ときいて魔女は一瞬言葉を失う。
「わらわはもう消滅するぞ?…契約も何も」
「我々の間の約束は契約ですから」
「…等価交換、か。わらわがお前にやるモノなど、もうない」
「あるでしょう?…その」
そう言って、セイフェスは魔女の頭を小突く。
「あなたの彼に関する記憶、全て、です」
「……なんだ、それは」
「必ず、彼に良き未来をお約束します」
「…そうか。ならいい」
「‥‥いいのですか?」
「あいつに、わらわに関して、希望を持たせてはいけない。善き魔法使いは、大局を見るもんだろう」
「…彼はきっと、執着しますよ。みっともないほど」
「それが無意味だと、いつか気づく」
「…私に、なぜそれを、と聞かないのですね」
「昔のお前に似ているよ、エルは」
魔女は自ら起き上がり、魔法で一枚の羊皮紙を造った。ナイフで小さく指を切り、そこからしたたり落ちた赤い雫を印とした。
「確かに」
「ああ。…あとは頼んだ」
そう言って穏やかにほほ笑むと、そのまま再び眠りにつく。
「あなたが目覚めた時…彼の思いも、記憶も全て消えているでしょう」
セイフェスにとっても、これは一つの賭けだった。
(もしも、あの男自身があちら側に堕ちてしまったら…全ては水の泡になる)
「でも、それでも…あなたが消えてしまう痛みに比べたら」
そうして、魔女は再び眠りにつく。
エルは、愛する者を自ら壊すことに対し、想像を絶するほどの苦しみと恐怖と後悔で押しつぶされそうだった。だからこそ、セイフェスから教わった魔術に没頭し、時を忘れ、書を貪り…当初の予定通り、契約した悪魔を逆召喚して、服従させた。
40年の時を経て再びヒルデが目を覚ました時、どういうわけか自分に関する記憶をまるで失っていた。ただ、離れがたいエルは再び彼女と出逢う。
以前と同じように笑い、時を過ごした。それでも彼女の命の時間は暗い影を落とし、エルの決意を促す。
そして、花のような雪が降る日の朝…彼女はこの世界での物語を、不本意な形によって一つの結末を迎えたのだった。
いつも読んでいただきありがとうございます。




