101 悲しい未来を変える方法
「なーんか、ブッソウな世の中だな」
新聞を見ながらキルケはため息をつくが、その独り言に応えるものは誰もおらず、彼は再びため息をついた。以前ならドリーが何かしら反応を示してくれたものの、ここ最近はそれもない。その理由は‥‥‥
「これがこう?」
「そうです。うん、のみ込みが早いですね、ドリー」
つい先日から養父・セイフェスによる義妹・ドロレスの魔法授業が始まったからである。
どうやらドリーはセイフェスにとって優秀な弟子らしく、毎日毎日キルケには全く分からない話を二人でいつまでも真剣に交わしており、しばしば疎外感じみたものを感じてしまう。
「……すっかりなついちゃってさ」
別に不快なわけではない。
むしろ、ドロレスにとっては良いことなのだろう。だが…なんとも寂しいような羨ましいような複雑な思いを抱いてしまうのは、仕方のないことだと思う。
「ちょっと、買い物行ってくる…」
「ああ、ふむ。今日はシチューが食べたい」
「はいはい…」
「いってらっしゃーい」
「……」
俺は家政婦じゃないんだぞ、と声を大にして言いたかったが、諦めた。
「ちぇ…寒いのは俺の心だけじゃないってか…ん?」
外に出ると、アパルトマンの入り口の前では一人の少女が座り込んでいた。目深にフードを被っているので表情はわからないが、その積雪の量から察するに相当長い時間そこにいたのだろう。しかし、そのフードから見える銀色の髪は見覚えがある。
「あれ?ええと、ノーヴェルさんとこの妹?」
「!」
「フィアネス…だっけ。どうしたの?」
「鍵…」
「ん?」
「落としちゃって…お兄様が帰ってくるの、待ってるの」
不意、とそっぽを向いて話す様子は気の強い猫みたいだ。
そんなことを考えてしまうが、尋常じゃないくらいの積雪が彼女のコートにかかっていたので、なんだか心配になってしまった。
「いや…管理人さんに言えば開けてくれるでしょ」
「!…そうなの?」
「うん。あ、ほらそこに通信電話がある」
「黒い電話…これ?」
「そうそう」
フィアネスは恐る恐るそれを手に取り、耳に当てた。
「…!あ。あの、えっと」
もじもじする彼女から受話器をもらうと、キルケは手短に管理人に説明した。
「今来てくれるって。あまり外にいると風邪引くよ?じゃあ」
「あ…えっと、ありが とう…」
「ん」
ひらひらとキルケが手を振ると、フィアネスはそれをぼーっと見ていた。
「あの子…私達の仲間に、ならないかしら。だって…同じだもの」
**
「…ねえ、おじさん」
「なんだい?」
セイフェスは、はじめは自分がそう呼ばれることにさりげなく抵抗していたが、今ではすっかり慣れてしまった。
「未来って変えられるの?」
「…どういう未来?」
「今のままじゃ、お兄ちゃん…」
それ以上は告げることができず、哀しそうに眉を下げる。
「ドロレス…魔法を使う者にとって、今予測できる未来というのは全く無意味なことだ」
「無意味…?」
「そう、魔法使いは普通の人間よりもより多くの選択肢を持っている」
「そうなの?」
「能力が高ければ高いほど…いくらでも世界の運命を変えることができる」
「それって…魔法を使うから?」
「決して万能ではないけれど、今のドリーのように一つ一つ学んでいくことで、新たな知恵を得ることができる。それは、全く別の新しい可能性を生み出すしているということなんだ」
「新しい…可能性」
「そう。だから、君はもっともっと勉強しなさい。それが新しい未来を切り開く鍵になる」
「うん…」
その時…玄関のノック音が鳴り響く。
「お客さん」
「…この気配は、私が開けよう。ドロレス。…私に用があるみたいだ」
「?」
「やあ。生きていたんだ」
バタン、と開いたドアの前に立っていたのは…くすんだ紅い色の髪に金色の瞳、そして黒い外套を纏った青年だった。
その青年と目が合うと、彼もまた、少し驚いた表情をした。
「ヴェガお兄ちゃん!」
「ヴェガ…?」
「眼鏡の長髪…あんたは」
強い警戒の姿勢を見せるヴェガを興味深く見ながら、セイフェスは軽く笑った。
「なるほど…これも、彼女の選択、というわけか」
「?」
「外見が少し変わったようだけど、私は君と昔、一度会ったことがある。覚えているかな?」
その問いに、しばしヴェガは思案するもの、大きく頷いた。
「あの日…炎の中にいた」
「…へえ、認めるのかい」
「あんたは、恐ろしい位外見が変わってない…ならば、『賢者』とか『魔法使い』とかそういう奴じゃないのか?」
「ご明察」
「なら…俺の主を助けてほしい」
「君の主?」
「…アリセレス・ロイセント」
「お姉ちゃん?!」
セイフェスの背中から、ドロレスが血相を変えて顔を出した。
「……なにか、あったの…?」
「わからない。力が消耗して…その流れが止まらないらしい。このままじゃ」
「…なるほど、話は分かりました。では、行くとしましょうか」
「え?行くって…うわ?!」
突然セイフェスは虚空から杖を出すと、そのままドロレスとヴェガの腕をつかみ、杖をふるった。そして…そのまま三人の姿は、光の中に消えていった。
「あれ…?」
買い物を終えたキルケが部屋に戻ると、そこには誰もいなかった。
「どこ行ったんだ?…あの二人」
そうして、キルケが待っている間、二人が部屋に帰ってくることはなかった。
―――次の日
「なぜ…?」
「どうして目を覚まさないんですか…?!」
悲痛な声が部屋に響く。
エスメラルダとリカルド二人の声に驚いて、アンジェラと双子は泣き出す。一番上のセレムだけは、小さいながらも、今の事態に気が付いて必死に涙をこらえていた。
「わかりません…心臓は動いているので、本当に昏睡状態と言って間違いないでしょう。ですが…」
「理由がわからない、…と?」
「申し訳ありません…」
「このままだと、どうなって…しまうの?」
「…眠ったままでは、食べることも飲むこともできません。今の医術では」
それ以上の言葉を聞くことができず、誰もが沈黙する。
「いや…まだ、2日だろう?!まだ、可能性もある…それまでに、何か方法を見つけないと…」
『アリセレス・エル・ロイセントは眠り続けている』
その情報は、内密にリヴィエルトの元に届いた。
「眠ったまま…目覚めない…だと?」
「はい、そうのようです」
いてもたってもいられず、席を立とうとするリヴィエルトを、キリルは抑えた。
「落ち着いてください!!お気持ちはわかりますが!!晩餐会も数日後に控えた今、下手に動いては、これを機会と思う者も少なくないんです!だからこうして、ロイセント公爵も内密に…!」
「わかっている、だが…!」
そして、その話は…厳重すぎる警備の元、ほぼ軟禁状態だったサリア・メドソンの耳にも届く結果となる。
「警備を厳重って…これじゃ、まるで軟禁じゃない」
リヴィエルトの言う通り、いつもの倍以上の警護が増えた。…それこそ、身動きが取れない程。
(まさか…リヴィエルト様は何かに気づいているというの…?!)
あれから数日たっても、サリアの元に蜘蛛からの連絡はない。だが、…いつの間にか、寝室のテーブルの上に手紙が置いてあることに気が付く。
(…?こんなところに手紙…)
宛名もなく、差出人もない。
封筒を開いてみると、サリアは満面の笑みを浮かべた。
「ふふっ…」
「お、お嬢様?どうかなさ‥‥」
「あは アハハ…!まさか、まさか本当に?!」
狂ったように笑う様子を見て、その場にいた侍女たちは全員目をそらした。
「ああ、だめね、笑っては…ふふ、でも、そう…!!」
(本当に…本当に消えてくれたわ、アリセレス…!!)
「晩餐会も近いというのに…ふふ、大変よねぇえ?くすくす…」
そう。
ローラン王国使節団はもうすでに国境の近くまで来ていて、間もなくこの主都に到着することとなっている。ここで周囲の反対を押し切って選んだ晩餐会のパートナーが欠席など、国王陛下にとっても、この国にとっても評判を落とすだけとなるだろう。
「私にも…チャンスが転がってくるなんて…笑わずにいられないわ!!」
そして…同じ頃、その情報は、ニカレアの元にも届いた。
「……本当にその通りになった」
「ニカレアさま、その」
「うん、大丈夫。…アリスのことよね」
思った以上に冷静な様子に侍女たちは首をかしげる。
ニカレアは自身の机から一通の手紙を出した。…そこには、ロイセント家の紋章がシーリングされている。その手紙が届いたのは、つい昨晩のことで、恐らくアリス本人からだろう。
眠りにつく前、気が付いたら枕元にその手紙が置いてあったのだ。ニカレアとしては、ちょっとしたサプライズのようでどこか誇らしく、とても嬉しく感じた。
(アリスは…素晴らしい魔法使いだもの…)
だが、手紙の内容を見てニカレアは言葉を失った。
『親愛なるニカレアへ
最近身体の調子が悪くてなかなか会えなくてごめん。
いつも手紙をありがとう、楽しく読ませてもらっている。それで、この体調不良の原因だけど、恐らくしばらく治らないかもしれないから、もし本当に治らなくて、私に何かあった時。ニカにお願いしたいことがある。それは…』
「……ねえ、お願いがあるの」
「はい、何でしょう?」
「今すぐ、リヴィエルト様の元にこの手紙を届けてくれる?私のと、これと」
「わかりました…え、でもこれは」
「彼女から頼まれたことよ。…それなら、あの方も無碍にできないでしょう。あと、それと…」
「はい」
「あのクローゼットの鍵、あなた持ってるでしょう?」
「…ええと」
「捨てないから安心して」
「はあ…」
困り顔で侍女が渡した鍵を受け取ると、ニカレアはおもむろに立ち上がり、厳重に鍵をかけたクローゼットの扉を開け放つ。
すると、キラキラの美しいドレスが待ってましたと言わんばかりにらんらんときらめきを放つ。それを見たニカレアは頬に手を当ててため息をつく。
「ふう…本当はこんなビラビラした高級なドレスを二度と着るつもりもなかったのに」
「あ、あのお嬢様…」
売ればどれほどの金額になるのか。
…などと、つい考えてしまう。ニカレア自身というよりも、周りの雑音が煩すぎる故捨てるに捨てられず、というか。勝手にニカレアが棄ててしまわないように、祖母が侍女たちに言って厳重に鍵をかけさせたらしい。
「今から新調して、間に合うかしら…でも」
アリセレスが、ニカレアに当てた手紙の最後にはこう書かれていた。
『私の代わりに、晩餐会に出席してほしい。これは、ニカにしか頼めないことだから』
(任せてアリス…ついでに、アリスをこんな目に合わせた奴を絶対引きずり出してやるんだから…!!)




