8 眼鏡の男はなんっか、信用ならん
根が真面目な人間というのは、とにかくストレスをためやすいと思う。
アレがだめ、とか。これはダメ、とか。色々な制限を自ら課して、それをこなしていくうちにだんだん追い詰められていく。
そして、気が付いた時には、抑えられた鬱屈した思いを吐く場所も失ってゆき、最終的には爆発してしまう。…最も、爆発できるならまだましだろう。本当に恐ろしいのは、自分自身を見失い、殻に閉じこもることで逃避してしまうことだと、わらわは思う。
「誰が…誰が何のために!!寝る間も惜しんで執務をこなしていると思う?!!ええ?!!」
「公爵…様」
唖然として、公爵を見る。
いや、まあ…過剰ストレスが爆発したのは、良いことだ。うん。
しかし…この様子、まるで別人だ。
髪を振り乱し、顔を真っ赤にして喚き散らす、なんて、らしくない。
じっと目を凝らしてみると、公爵の後ろにいるゆらゆら動く影が見える。その姿は、うすぼんやりしていてしっかりと確認ができない。
(だめだ、集中しないと…!)
「お前も!!使えない夫人も!!!無駄に立派なこの家門も!!!俺がいないと何もできないのがわからないのか!!!!」
(しゅうちゅう…して)
「子供のくせに何が…」
「ああ―――もお…煩いわ!このすっとこどっこい!!!」
くらえ!!必殺・微魔力パンチ!!!
そう、握ったこぶしに渾身の魔力を込めて!!こう、ぐっと!!
「放ぁあつ!!」
「うぶっ?!」
どかん!!よっしゃ、クリーーンヒットォ!!
…どさっ。
公爵は、そのままふらりと倒れ、近くの椅子に腰かける格好で気絶した。
「目には目を、平手打ちにはゲンコツを、だな」と、わらわが言うと。
「す、すげえアリセレス!!!」キルケが拍手し
「な、な、なぐ…った?」付き添いの使用人たちと医者はドン引いた。
「…お嬢様…一生ついていきます!!」そして…レナは、どうしてそうなる?
まさに三人三様…いや、四者四様というのか?な反応。
ここにいるメンバーがこ奴らで本当によかった。…ついでに付き添いでいたらしい公爵の使用人達も追っ払ってしまうとするか。
くるりと振り向くと、彼らは一瞬恐怖におびえたような表情を見せた…。
「…こほん。ねえ、あなた達?お父様、少し寝不足気味みたい。どこかの部屋に、寝床を用意してくれる?」
「は、はい!ただいま!!」
これで使用人たちはよし、あとは…。
「お医者様、キルケの頬、見てくださる?それと…レナも付き添ってあげて」
「で、でもお嬢様…お嬢様こそ、綺麗なお顔が…!」
「私は大丈夫…」
なのだが。
なぜ、キルケが泣きそうな顔をしてるんだ?
「キルケ、痛いの?」
「な、なんで…おじょー様が俺をかばうんだよ!」
「そりゃあ、子供を守るのは、大人の義務だもの」
「自分だって子供なクセに…」
「まあ、でも、かっこよかったよ、ありがとう」
「……うん」
「キルケ」
「わかってるよ、父さん…」
去り際、ちらりと一度医者がこちらを見た。
「!」
「…何かあったら、呼んでくださいね?」
「……何か、ねえ」
その言葉は果たして、純粋な善意か、それとも。
(あの医者も…後できっちり問い詰めなければ)
さて…。わらわは椅子で気絶している公爵の背後をキっ、とにらみつける。
(集中!)
すると、うすぼんやりだった輪郭が徐々にはっきりしてきて…、その姿がくっきりと見えるようになった。
腹部に深々と刺さったナイフに…、鮮血で赤く染まったネグリジェ。だらん、と腕を垂らして青白い表情でこちらを凝視している。
(やはり、か)
経験上…基本的に、彼らのように突然生を終えた存在は、命を失った時の状態でさ迷うことが多い。予想として、突然襲う自分の死を認識できないまま魂が身体を離れるせいか、直前の記憶と意識にとらわれたまま、理性を失ってしまうのだろう。
今の彼女のように。…腹に突き刺さったままのナイフが痛々しい。
『わた しは しんだ の?』
「…そのナイフだけでも、取り除ければいいのだが」
触れるだろうか?手を伸ばした瞬間、目に入ったものを見て、思わず一歩下がる。
じっと見つめなければわからない。デリタ夫人に絡まる…青い糸。
「青い…糸?これは」
腹部に突き刺さったナイフを起点に、まるで蜘蛛の巣のように青い糸が彼女の身体を縛り付けていたのだ。その中の一部…腕に絡みついた一本の線がピクリ、と動くと、デリタ夫人の腕をまるで操り人形のように動かし、わらわに向かってきた。
「…?!がはっ」
『……こんないえ つぶれてしまえば イイ。おまえも あいつも ぜんぶぜんぶ…!』
なんでこう一日に二回も命の危機を迎えなければならないのだ…?!
わらわは…こう見えてまだ7歳!いたいけな少女に何をする!!
間違いなく絶体絶命なはずなのに、か細い身体とは正反対のたくましい脳内思考とのギャップがひどく、この身体がまだまだ子供だということを思い知らされる。
「う…ぐぅ」
いやいや、でもこのままではホントに死ぬ!!くそ…ここで声を出して、あの医者モドキを呼ぶ…のは絶対に嫌じゃ!!!
でも仕方ないかも、でも!!そんなことを考えていると、遠のきそうな意識の向こうで誰かが叫んだ。
「?!」
「やめろ!!!ダーチェス・オブ・ロイセント!!!」
『!!!』
首を絞めていた腕からふっと力が抜けた。
その瞬間、何か大きな力がわらわの身体をかっさらう。
「…げほげほ!!…な」
「だから言ったでしょう、何かあったら呼ぶように、と」
え、この声は…まさか。
「医者…!」
「…生きてますね」
その場にそぐわない穏やかな口調で医者が言う。
「離せ!」
「おっと、その身体じゃ無理はできないでしょうに」
「…どういう意味だ?」
「さあ?」
さあ?…って。こいつ、本当に何者だ?
ああもう!それよりも。
(ダーチェス…って)
ダーチェス、とは…レスカーラでは、女公爵の称号の一つ。
ただ、この時代にはいまだデリタ以外に前例はなく、この呼称は彼女にのみ使える称号だった。
『…そう、呼んでもらうのは幾年ぶりかしら』
なるほど、どんなに憔悴した状態の霊だろうと、言葉一つ、名前一つだけでいくらでも状況は変わっていく。ようは、彼らが自身の状態を自覚し、認識すればいい。
そうすれば、理性も知性も戻るというわけか。
「『番人』の力の基本のキ、ですよ。」
「……」
そう言って、医者はくいっと眼鏡を中指で上げた。
「デリタ・ルスティカ・ロイセント。この邸が見せてくれた記憶の中のあなたは…とても自信に満ち溢れていて、美しかった」
『……』
「家門の為に、最高の技術と設計でお主はこの邸を造ったのだろう?…他の連中に負けないように」
『…どうして、それを』
「この邸に付けられた名前…ノーザン・クロスは、北極星を意味する。どの季節でも、空に必ず浮かび、道を照らす星座の名。おぬし自身もそうあるように、これから先、女性有爵者が増えた時の先駆けになるように」
名前…というのは、魂をこの世に縛り付ける鎖であり、未練や執着そのもの。魂に刻まれた名前は浄化のサイクルに呑まれる前に、捨てることになる。
わらわのような魔女が名を棄てるのも同じように、人間としての鎖を解き放ち、同時にその名前を悪用されないようにするためである。
『ありがとう…』
そうつぶやくと、婦人は自分の首を見せた。それは…首全体に巻き付く黒い鎖の模様の刺青。
「…?!それは…」
『私の想いを知っている人が一人でもいるなら、それで』
涙を流しながらばっと手を広げた夫人の両手には…青い紐が見え、そして襲い掛かってきた。
「おっと」
再び医者はわらわを担いでデリタ夫人から逃げ回る。放り出される心配もなさそうなので、そのまま医者の身体に抱き着いた。
『逃げなさい!!…もう私の意志では制御できない!』
「なるほど、悪意の鎖」
「あの青い糸の事か…?!」
「これも基本の『キ』でしょう?あれは魔力の糸…操り人形を操る『人間の隣人』がいるはず」
…時に、魂の名前を支配し、悪用することのできる存在もいる。
名前の使い方は様々。魂を縛り付けて自分の所有物にしたり、使い魔にしたり、そして…思うように操ってみたり、など。
それを知ってるなんて…こいつホントに何者だ?
『…早く、私を…!!』
「わらわは…このご婦人も、一連の使用人がいなくなったのも、医者。お主が犯人、と思っていたが」
「そうすることで、私に何の得が?」
キルケの父親と言い張る医者を見た。眼鏡の奥から覗く、アイスブルーの瞳が鋭く光り…何でこいつはにこにこと笑っている?
「損得の話ではない。…目的があるだろう」
「私はある人に依頼されただけです」
「依頼…?」
「それより、ほら。まず先に夫人に絡みついた糸をどうにかしないと」
「……ふん、なら、お前…刃ものは持っているか?」
「刃物?…まあ、これくらいでしょうか」
そう言って懐から出したのは、医療用の…メスだった。
何でメスを持ち歩くんだ。
「それを貸してほしい」
「…それは、依頼ですか?」
「こーんな小さな女の子を危険にさらすなんて、ひどい大人がいたものだ」
「…見た目だけでしょう?」
「ほら。見た目だけでも認めたな?…なら、手伝うべきだろう」
「まあ、いいでしょう。とりあえず…出逢いの記念ということで、【名もなき魔女】さん」
「…!おま」
言い終わるより前に、ふわりとわらわの身体はこの似非医者の肩に担がれた。
「さあ、どうするおつもりで?」
「…あの腹に突き刺さったナイフのところに連れていけ!」
「いいでしょう」
ダン!と地面を足でけると、体制を低くして、そのまま夫人の懐に向かって突っこむ。
『!!!』
「実体のないものには、実体なき刃を使えばいい!」
似非医者の肩に乗っかった状態で、一瞬怯んだすきを狙って腹部のナイフを掴む。そして、周りに絡まった糸をメスで切り払うと、そのままナイフを引っこ抜いた。
似非医者の肩を足場にデリタ夫人に巻き付いている青い糸を切り進んでいく。
「どこかに太い線があるはず!それを探しなさい!」
「太い線…これか?!」
そして…その太い糸をスパッと切った。




