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新世界の記憶  作者: 田舎乃 爺
第一章 風
2/17

01 風の強い日①

――新暦195年 7月 12日(火)

  辺境の町『ディアン』

  16:30



 油の臭いが漂う小さな工場。高い外気温と駆動する機会の熱が加わって相当な温度となっているそこにおいて、作業服を着た青年が滲み出た汗をぬぐいながら作業をしていた。

 この町に3台しかないうちの1台である魔鉱石加工機械。その背後にある人が一人やっと入れるほどの狭さのメンテナンス口から青年は内部に入り込み、複雑な内部構造とにらめっこしていた。

 時たま被ったヘルメットに備え付けられたライトで胸ポケットから取り出す内部構造図面を照らし、慎重に部品を取り外してゆく。再取り付けのために部品を足元の決まった位置に置いていく様は、手練れの技師にも見えた。

 他の2台が全力稼働して盛大な駆動音と振動を生じさせている中で大部分のチェックは完了し、最後の箇所である動力源に手を付ける。工具を駆使しててきぱきと作業を進めて行けば『WARNING≪取扱注意≫!』という注意喚起が描かれている固定板がある最深部に到達した。

 固定板の四隅のネジを躊躇うことなく取り外し、青年は内部を確認する。その先のくぼみにはめ込まれていた手のひらサイズの水晶のような物を慎重に取り外し、手のひらの上で転がした。

 本来あるはずでの水晶内部の輝き。それがないことを確認すると、機械近くで従業員に指示を出していた大柄の中年男性に向かって青年は叫んだ。



「やっぱりだおやっさん! 『重・魔核アペンド・コア』がダメになってる!」


「おお、そうか。『ウィン』の予想通りだったな」


「替えがないコード類やラバーケーブルじゃなくて良かった。確か予備あったよね?」


「ああ。こいつを使ってくれ」


「ありがと。これをはめ込んでっと……、よし。それじゃパパッと済ませちゃうよ」



 工場の経営者である『ハリー・グラス』から受け取った重・魔核アペンド・コアをくぼみにはめ込み、取り外したパネルや部品を手早く元に戻してゆく。数分後にはメンテナンス口が閉じられ、機械は本来の状態へと戻るのだった。

 手足や顔に付いてしまった油汚れを首に巻いたタオルで拭いながら、稼働前の最終チェックを進める。問題なしと判断できたところで機械の電源を入れれば、他の2台と同様の騒音を轟かせ始めた。

 こうなればもうお互いの声がまともに聞こえなくなってしまった。最後に礼を言うために一旦出入り口から外に出れば、内部の熱気と騒音から解放されて一気に汗が噴き出してきた。

 止まりそうにない汗をタオルでふき取りながら、『ウィン』はいつも通りの夕刻に向かいつつある町の様子をしみじみと眺めていた。

 


「お疲れさんウィン。すまねえな、毎度毎度こんな面倒なこと頼んじまって」


「いいんだよおやっさん。俺にできることがあれば何でもするって言ったじゃん。世話になってる分の恩返しだと思ってよ」


「そう言ってもらえると助かる。ウィンももうすっかりこの町の一員だな」


「こんな記憶障害持ちを受け入れてくれて、ありがたい限りだよ」


「もし定住決めたら雇ってやるよ。それなりの好待遇でな」


「お、言ったなおやっさん。その時はよろしく! じゃ、そろそろ行くよ!」


「おう!」



 お互いに満面の笑みで別れを告げ、ウィンはこの1ヵ月住ませてもらっている工場の近くにある借り家へと歩き出す。そのとき、また風が強くなったように感じた。

 予報外れの強風。1ヵ月前のあの日も、こんな風の強い日だったのを覚えている。正確に言えばそこからのことしか覚えていない。いわゆる≪記憶喪失≫だ。

 覚えていることといえば重機や機械いじりと生活するうえでの知識ぐらいだけ。何故か自分の名前が思い出せずにいた。

 第一発見者であるリリィが風の強い日にちなんでつけた『ウィン』という名前を今は使っている。こんな身元不明なウィンをこの町は温かく受け入れてくれた。現在は借り家に住み、町の手伝いをして穏やかな生活を過ごしている。



「ただいまーって、誰もいないけどなー」



 鍵を開けて若干の疲れの影響で何の意味もないことをつぶやきながら、借り家の中に入っていく。汗と油のにおいが染みついた作業着と下着を洗濯機へと脱ぎ捨て、そのままの足取りでシャワールームへと向かった。

 長くも短くも感じる1日においての至福の時間を済ませ、パンツ1枚だけの姿で小さな居間の座椅子に腰かけた。髪の毛をバスタオルで拭き直しながらおもむろにつけたテレビには砂嵐しか映らない。どうやらまだ電波は回復していないようだった。


 

「まだ駄目か……。いつ復旧されるのやら」



 ウィンがこの町にやってきた1ヵ月前から続くテレビやラジオ、携帯電話などといったあらゆる電波が繋がらなくなってしまった奇妙な電波障害。それだけでなく空路は謎の墜落事故が連発した結果封鎖され、陸路でしか情報が伝わらないために物資の搬入等も予定よりもだいぶ遅くなっていた。

 それらに加え国内での『転移術』による移動は可能なものの、海から一定距離超えた先には移動できないという不思議な魔術障害も発生していた。カダリアを全土を混乱させている異常事態となっているが、いまだ解決には至っていない。

 首都において対策本部が設立されたようだが、良い報告が伝わってこないのが国民を不安にさせているのが現状である。しかしながら自分たちには出来ることはない。ただこうして日々を過ごし、復旧を待つだけ。首都でも原因がわかっていないことを小さなこの町がどうこうできるものではない。そうウィンは割り切っていた。

 テレビの視聴を諦めたウィンはふと視線を壁にかけられた時計に移す。気づけば”恒例”の時間が迫りつつあった。



「もうこんな時間か。よいしょっと」



 やってくるはずの出迎えに備え、いそいそと動き始めるウィン。適当な部屋着に着替え終わったところで、玄関の扉がノックされた。



「ウィンー? ごはんできたよー」


「分かった、今行くー」



 扉の向こうから聞こえてきたのはリリィの声。ウィンは毎晩、診療所を営む『ステイシー』家にお邪魔して夕食をいただいているのだ。

 リリィ自身の料理の腕も高いのだが、リリィの母である『ミア』もかなりの腕前。毎日うまい飯が食えて本当にうれしい限り。

 しみじみと有り難さを噛みしめながら火の元を確認し、意気揚々と外へと出れば耳に埃が入らないように大き目の帽子をかぶっているリリィの姿があった。



「お待たせ」


「うん。じゃあ行こうー」



 迎えてくれたリリィと一緒にウィンは診療所目指して歩き出す。少しずつ暗くなり始めている町の方々からは様々ないい匂いが漂ってきていた。和やかな田舎町の日常である。

 借り家からそこまで離れていないため、あっという間に到着。いつも通り診療所の入り口であり玄関でもあるそこからお邪魔し、2階へ行くための階段に進んでいく。

 そしてここから男の子としてのチャンスがウィンに到来する。そう、今日のリリィが着ているのはスカート。若干天然の気があるリリィは先にあがることに疑問は持たない。であれば迷う必要があるだろうか。

 帽子を脱いで先に上り始めたリリィの後に続き、ゆっくりと歩を進めるウィン。やがて、待望のその時はやってきた。



(さあ、今日は何色を――)


『ウィンのスケベ』


(なん……、だと!?)



 スカートの中身は短パン。そして下から覗いた時に見えるようにお尻の部分に紙が貼りつけられていた。そこに書かれていたのが、先ほどの一言だ。

 男の子としての行動は先読みされていた。すでに何度も及んでいた犯行(?)はどうやらばれていたようである。階段を上り終えたところでリリィはどや顔で振り返り、ウィンは苦笑いしながら視線を逸らすことしかできなかった。



「っふっふっふ。1ヵ月も一緒にいるんだから、ウィンの行動パターンはお見通しだよ」


「ぐっ……。悔しがればいいのか謝ればいいのか分からねぇ……!」


「ちなみにだけど、私以外の子にもこういうことしてる?」


「いや、リリィだけだよ」


「何でこんなことするの?」


「そりゃ惚れてるからな」


「惚れっ!? え、ちょ、このタイミングで……!?」


「何だかんだで言う機会がなかったからなー。この際ここで――」


「か、からかわないで! ご飯! ご飯食べなきゃ! ほら、早く!」


「あ、お~い。待てよリリィ~」



 優勢の立場から一転してウィンのからかいで大きく心を揺さぶられたリリィは、真っ赤になりながら廊下を勢いよく進んでいく。その頭の狐耳を勢いよくばたつかせて慌てふためく様子はとても微笑ましかった。

 平日は隣町にある医療術学校まで診療所のスーパーカブを町の許可を得て借り、送り迎え兼ボディガードをしたり、診療所のお手伝いをしていた。休日はお買い物の付き添いなどなど、なんだかんだでこの1ヶ月の間ウィンはリリィと一緒にいることが多かった。

 そんなこんなでお互いに気が合ったことで、これだけのやり取りができる間柄になった。真面目な時も、ふざけあう時も、一緒にいるだけでも心地よく思える。記憶を失ったウィンだったが、そんなことがどうでもよく思える程、リリィとともに過ごしたいという願いが心を満たし始めていた。

 思い人の横に追い付いたウィンだったが、頬を染めたリリィはそっぽを向いたまま口を開いてくれそうにない。どうしたものかと思っていればすぐ先のリビングの扉が開き、温かい出迎えの言葉がかけられた。



「いらっしゃい、ウィン」


「お邪魔してますミアさん。『クリム』さんはもう中に?」


「ええ。もうテーブルに座って待ってるわ」



 出迎えてくれたのはリリィの母、『ミア・ステイシー』。この町で一番ともいわれている美貌を持つ女性だ。リリィと同じ腰まである綺麗な茶髪、男性ならば無言で息を呑むほど整った体系。それのおかげかこの診療所にわざと怪我や風をひいてくる人がいるほどだ。

 優しく微笑んだミアとともに入ったリビングでは、テーブルの上には料理と食器が並べられて夕飯の準備が完璧に整っていた。そしてテーブルを囲む椅子の1つにはリリィの父、『クリム・ステイシー』がまだかまだかとその時を待ち続けていた。

 四十路を半分過ぎ、短く切りそろえられた黒髪が早くも薄くなり始めたのを最近気にしているクリム。ウィンが1ヵ月前ここに運び込まれたときには、とてもお世話になった人だ。

 全員がそれぞれの席に着き、待ちわびた食事の時間がやってきた。4人は手を合わせ、それぞれに向き合う。



「「「「いただきます」」」」



 感謝を込めた言葉の後、ステイシー家の夕食が始まった。相も変わらず美味い料理を口に運びつつ、今日起きたことなど他愛のない話を交えながら食事を続ける中でおもむろにクリムがテレビのリモコンを手に取ったのを見て、ウィンが指摘した。



「あ、クリムさん。ダメです、今日も映りませんでしたよ」


「今日もだめか。もう一ヵ月になるか」


「ですね。早く復旧すればいいんですけど」


「唯一の情報源の新聞には毎度『事態に進展なし』の文字が書かれているからな。もう嫌になるよ」



 そういってクリムは大きくため息をつきながらリモコンを置いた。残念そうにしている理由は、いつもであればこの時間にお気に入りのニュース番組が放送される時間だったからだ。

 落胆するクリムだが、妻の励ましの笑顔を見て元気を取り戻す。仲睦まじい夫婦の姿を見てると、いつか自分もこうした温かい家庭をもちたいとウィンはしみじみと考えるようになっていた。

 楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、皿の上は綺麗さっぱりになくなっていた。名残惜しく思いながらも4人は最後に手を合わせる。



「「「「ごちそうさまでした」」」」



 手早く後片付けを手伝った後、テーブルにはウィンとクリムが残り、リリィとミアが台所で一緒に皿洗いをしていた。いつもと変わらないステイシー家の日常に、ウィンは心を落ち着かせる。

 静かで和やかな空気がリビングを満たす。そんな中でクリムは用意されていた食後の茶を一口飲み、短く咳払いをすると真剣なまなざしでウィンを見つめてきた。その雰囲気を受け、ウィンも姿勢を正す。



「いよいよ明日、防衛兵団シールダーズに頼んでもらった調査員がやってきてくれるね、ウィン君」


「そうですね。これで身元が判明すればいいんですが……」



 本来であればすぐにでも身元が確認できたのだが、現在の電波障害とその解決のために人員は優先的に割かれており、調査員が派遣されるのに約一ヵ月の時間を有することになってしまった。

 駐在している団員のもとにはこの町の住民に関する情報はあったが、アメリア全体の情報はなかったので、呼ぶこととなったのだ。



「そうだな。ちなみにウィン君。例の件に関しては……、前向きに考えているかね?」


「あの件……、ですね」



 2人を緊迫した空気が包み込んだ。その様子を不思議に思ったリリィがこちらをのぞき込む。ミアはすでに知っているようで微笑みながら皿洗いを続けている。

 しばらく続く沈黙。台所で流れる水の音だけが響く。そして一呼吸置いた後、クリムはゆっくりと口を開いた。



「もし、身元が分かった後もこの町に留まってくれるのならば……、娘を頼む!」


「はい! 俺なんかでよければ!」


「お父さん!? ウィン!? ちょ、な、何言ってんの!?」



 今の今まで全く聞かされていなかった提案。そしてそれを快諾したウィンを見て流し台のある台所から顔を真っ赤にしてリリィが飛び出してきた。

 事態を把握しきれずに慌てふためくリリィの手にはまだ食器用洗剤の泡がついている。頭から湯気が上がりそうな様子のまま、2人に対してリリィは問いただす。



「お父さん! いつからそういうこと考えてたの!?」


「ちょうど半月前くらいだな。ウィン君がこの町になじみ始めて、我が家ともいい感じになってきたころだ」


「なんでウィンなの!?」


「いやーだって若者は基本的に町を出て行って、残ってるのは今年で三十路超えたオムドゥールさんの長男だけだし、なによりウィン君といるときにお前は私たちにも見せたことのないような笑顔になってたからな」


「そ、それはそうかもだけど、こんなことに発展するなんて……。嬉しい、けど。まだ早いっていうか、なんというか……」


「隣町の方でも仲睦まじいカップルで有名らしいわ、リリィとウィンのこと。いいわよね~、青春っぽくて」


「……!」



 皿洗いが終わり、途中から割って入ってきたミア。持ってきた濡れタオルで口をパクパクさせているリリィの手を優しく拭った。

 母の指摘で恥ずかしさが頂点に達したのか、リリィはその後下を向いて黙り込んでしまった。顔だけだった赤い部分は、全身へと規模を拡大している。

 その様子をにやにやしながら見守る両親2人と、少し心配そうに見守るウィン。なんとも言えないが悪くはない雰囲気がステイシー家のリビングで形成されていた。

 大丈夫かとウィンが声をかけようとしたその時、リリィが勢いよくウィンの腕を掴んだ。



「そ、ソトノクウキガスイタイナー!」


「お、おい大丈夫かリリィ? 物凄く片言になってんぞ!?」



 遅くならないようにと半笑い状態のミア言葉が背後から投げかけられ、小さな手に連れられたウィンは無理矢理外へと連れ出されていった。






     ◆◆◆






 すでに完全に日が落ち、点々と存在している街灯が照らしあげる田舎町の夜道。その中を言葉を交えることなく結構な勢いで2人は進んでいた。

 しばらくしてたどり着いたのはそれほど広くない公園。日中は子供たちの声でにぎわうそこへとウィンはリリィに引きずられていった。

 脱げかけている靴にウィンが危機感の覚え始めたところで、リリィはようやく止まってくれた。その足に靴をしっかりはめ込んだところで、リリィは振り返ることなくぼそぼそとつぶやく。



「……ウィンは知ってたの? お父さんの言ったこと」



 まだ照れているのか、恥ずかしいのか。リリィの耳は真っ赤になっている。そんな後ろ姿に向け、ウィンは応える。



「知ってた。でも話を持ち出されたのは一週間前だった」


「そう……なんだ。……ああもう、まだ落ち着かない自分にイライラしてきたよ」



 そういうとリリィは手を放し、この公園に二つしかない遊具のうちの一つであるブランコに飛び乗った。幼児から小学生向けの遊具であるはずなのだが、その低身長からかしっくりとして見えてしまう。

 乗ったブランコをこぐことなく、リリィは雲一つない満点の星空を見上げた。それに合わせ、ウィンも上空へと視線を移す。



「もう1ヵ月経つんだね。ウィンがこの町に来てから」


「ああ。そうだな」



 まるで遠い過去を懐かしむようにつぶやいたリリィに、ウィンは返す。思い返せばこの町に関してのことはほとんどリリィに教えてもらったことを思い出した。

 この町で過ごすことは、ウィンにとってとても充実した生活だった。前の自分がどういった存在なのかどうか気にもならないほどに。

 


「……実はね、今まで隠してたんだけど、ウィンって最初に会ったとき軍服着てたんだよ。それも防衛兵団シールダーズの」


「え、本当か? こんな俺が団員だったのか?」


「本当だよ。診療所に連れ込んだ時に脱がせて、綺麗にした服はお父さんの部屋のクローゼットに閉まってある」



 ディアンでの日々を思い返して感慨にふけっていたウィンはそれを聞いて素直に驚いた。こんな能天気な自分がそんなまともな、ましてや規律が厳しいであろう団員になれるとは到底考えることができなかったからだ。



「こんなにボロボロになって辺境にあるこの町に来たから、何か複雑な事情が絡んでるって考えたお父さんが調査員が来るまで隠しておこうって言ったの。ごめんね隠してて」


「いや、いいよ。その分何も深く考えずに楽しくこの町でいられた。逆にこっちから感謝するぐらいだ」


「……ウィン。さっきのその……、本当にいいの?」



 リリィの問いかけの後、強めの風が公園に吹き抜けた。2人の耳には、その風の音だけが入り込んでくる。

 落ち着いたリリィの表情からは、嬉しいのだが心の底から喜ぶことができないといった感情が読み取れた。そんなリリィに対し、ウィンは繕うことのない純粋な笑みを浮かべた。



「うん。俺はこの町とリリィが好きだよ。もし記憶を取り戻したとしてもここに残りたい。『今』の俺はそう考えてる。だから、これからもよろしく、リリィ」


「……ありがとう。ウィン」



 その返答を聞き、喜びの微笑みがウィンに向けられた。それを見たウィンも、自然と嬉しくなってきてしまう。

 その後、お互いの間で心地のいい沈黙が続いた。日中強かった風も、夜になれば徐々に勢いが弱くなっている。心地よいものとなったそれは、優しくウィンとリリィを包み込むように公園を吹き抜ける。

 たとえ『前』の自分のことを知ったとしても、『今』の気持ちが変わることはない。今ここにいるのは、この町の居候の『ウィン』なのだ。



「……となると結婚式か。あー、でも金の面がなー。年齢的にはリリィは15だから何とか大丈夫だけど――」


「ちょ、早くない!? あの、その、まだ心の準備が……」



 沈黙を破って提案を始めたウィン。その話を聞き、再び顔を真っ赤に染めてリリィはブランコから飛び降りた。

 止めてと言わんばかりに詰め寄ってくるリリィ。その変わりようが可愛く、逆にもう少し困らせてみたくなる。



「スピーチに関してはクリムさんよりもミアさんか。上司に関してはよく手伝いに行くおやっさんがいいかなー。後はリリィの――」


「も、もう帰ろう! お父さんとお母さんが心配するし!」



 そういって足早に公園の出口へと向かって行ってしまった。後ろから見た大きな耳が嬉しそうにパタパタと動いているのがとても微笑ましい。

 これからもこの町で生きていく。決して大きくはなく、利便性もそれほど高いわけではないが、温かい雰囲気をもった良い町。何より、好きな人と一緒にいられること以上に嬉しいことなんてない。

 自らの未来に思いを馳せながらウィンがリリィの後ろ姿を追い掛けようとしたその時、収まり始めていた風が勢いよくウィンの背中を押した。



「……?」



 ――何かが聞こえてきた。町の中の生活音ではない。何か奇妙な音が。


 ふと後ろを振り向くと、既に作業用の明かりが消えて真っ暗になっていた鉱山とその採掘場がある。

 この町ではあの鉱山で採れた『魔鉱石』をカダリア全土に売り出すことで利益を出している。『魔鉱石』は『魔導鋼マギカスチール』や『魔核コア』に加工され、建築資材や護身用携帯障壁など現在では身の回りの必需品になくてはならないものとなっていた。

 何故人気のない今の時間帯にあんな音が聞こえたのか。疑問に思いその場で立ち尽くすウィンは採掘場を凝視する。



「ウィンー? どうしたのー?」


「あ、すまん。今行くー」



 こちらのことが気になったリリィの呼びかけに答え、ウィンは採掘場からの音は気のせいだと割り切って歩き出した。

 きっと空耳か何かだったのだろう。そう自らに言い聞かせながら、ステイシー家への帰路につくのだった。






     ◆◆◆






「――セーフですね。1人勘のよさそうなのいたけど大丈夫っぽいっす」



 採掘場に設置されている発電機の上で、少年が右手の甲に浮かび上がった『共有方陣』に話しかる。

 一瞬こちらに気づいたかと思って冷や冷やしたが、大丈夫そうだ。少年が冷や汗をその首にかけたタオルで拭っていると、共有方陣から返答ではなく感想が返ってきた。



『ふう。やはり……、こうした作業は……、スリルがあって……、心地いいですね……』



 坑道最深部にて作業しながらの途切れ途切れの中年男性の声が聞こえてくる。緊張というよりかは、逆に今の状況を楽しんでいるのが声だけでもわかった。

 本来ではこんな辺鄙なところ来る予定はなかったのだが、調査員が来るということが判明し、”ちょっとした”工作を行えば”ちょっとした”嫌がらせができることが分かったからだ。

 それから約5分後、少年の横に禿で白衣を着て汗びっしょりになっている眼鏡をかけた奇妙な中年の男性が転移してきた。汗と加齢集混じり合った凄まじい臭気があたりに漂い、思わず少年は眉をしかめる。



「久しぶりにいい汗を流しました。予定通り起動は午前2時30分。町の皆さまが眠りについている真夜中に子持ちのあれを転移させ、物を起動しますよ~」


「わかりましたお疲れ様です臭うんで帰ったら早くシャワー浴びた方がいいっすよ」


「いえいえ、貴重な時間を無駄に浪費することはできません。帰ったらもうひと踏ん張りです!」


「あー、そうっすか。わかりやした。なら出来れば帰るまで可能な限り近づかないでほしいっす」



 鼻をつまんで文句を垂れ流しながらも少年は中年とともに消え、鉱山は再び静けさに包まれた。

 しかし誰も知る由もなかった。この中年男性”ちょっとした”ことから始まり、ウィンがとんでもない規模の騒動に巻き込まれていくことを。

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