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新世界の記憶  作者: 田舎乃 爺
第一幕 ≪風の唄≫ プロローグ
1/17

00 出会いと始まり

――新暦195年 6月 10日(金)

  カダリア・首都『フォルニア』・『首都・防衛兵団シールダーズ』第一寄宿舎

  02:30



 誰もが寝静まっている穏やかな夜。非常灯の明かりだけが頼りの廊下は月明かりがある外よりもさらに暗く、ひっそりとしていた。

 少々薄すぎると評判の各部屋からは、団員たちのいびきが響く。防犯や非常時を考えての設計であると上層部から説明はされているが、納得しているものは少ないのが現実だった。

 そんな事情がある寄宿舎内部の廊下にて、聞こえるはずのない1人分の足音がゆっくりと進んでいた。

 この階層にいる者たちの大半が、大規模な遠方調査から帰ってきたばかり。疲れ切って爆睡している団員たちの耳にその足音が届くことはない。

 情報通りともいえる状況を足音の主である男は、内心で笑いながら目的の部屋へと歩みを進める。

 数分もたたぬうちに男は部屋へとたどり着いた。周囲を改めて見渡し、聞き耳を立て、自身のことが察知されていないかを入念に確認する。

 問題がないことを確認し終え、事を起こそうかと動き始めようとしたその時だった。



「こんな時間に誰……?」



 ――少し離れた部屋の扉が開いた。


 出てきたのは白を基調とした動きやすそうな寝巻姿の少女。

 はっきりと可愛いと言い切れる整った顔に、無駄のない筋肉で構築された細身の体形。腰の辺りまで伸びたブロンドの長髪と赤色の瞳が美しい。

 まだ完全に覚醒していない意識をはっきりさせるために目を擦る少女。そんな彼女を見て男は驚き、一瞬固まってしまう。だが、しっかりと頭から足の先までを観察したところで安堵のため息をついた。



「うまく忍び込んだと思ったんだが……、流石ってことか……」


「……?」



 笑いかけてくる男に少女は見覚えがない。しかしながら、何処かでその顔を見た気がする。そう思えてならない少女は頭に早く働けと強く言い聞かせた。

 真夜中だとは言え、ここの警備は厳重。ましてや部外者が簡単に立ち入ることは絶対にできない。にもかかわらず、目の前にいるのは防衛兵団に所属しているとは考えられない男がいる。

 疲労と眠気を振り払いながら、多くの疑問が少女の脳内で渦巻く。ようやく多くの感覚が鋭くなり始めたところで、男は笑顔を向けてきた。



「起こしちゃって悪いな。『用』はすぐに済む」



 その『用』という単語を聞き、6割程覚醒した少女の脳内に警鐘が響く。なだれ込んできた危機感に従って少女が男を問いただそうとした次の瞬間、赤い稲光が男の全身を覆いつくした。

 眩い光に目がくらんでしまったがすぐさま待ちなおし、逃がすまいという強い思いを込められた目が男に向けられる。少女の視線の先には、全身が真っ黒な毛で覆い尽くされた獣のように変化した男の姿があった。

 禍々しい魔力を垂れ流し、異様としか表現できないその姿。そこからようやく思い出すことのできた『指名手配犯』の名を叫ぼうとしたが、僅差で先に動いた男の右手から赤い光弾が放たれ、彼が目標とする部屋を扉ごと吹き飛ばした。

 凄まじい衝撃の余波で後方に吹き飛ばされる少女。舞い上がった塵によって視界が遮られる中、何とか体勢を立て直した少女は破壊された部屋にいた大切な存在の名を叫んだ。



「『レイン』!!」








     ◆◆◆






――2日後

  カダリア・辺境の町『ディアン』・近辺の山

  18:50



「んー、どこかなー」



 新聞の天気予報通りの強い風が吹く山の森にて、山菜がたっぷりと詰め込まれたリュックを背負った少女が周囲を見渡していた。

 腰まで伸びた茶髪。くりっとした碧色の瞳。幼げな面差しと低身長が重なることで小学生ほどに見えるが、現在年齢15歳。周りから可愛いともてはやされても、少女的には快いものではなかった。

 時たま吹く風がリュックの重みからはみ出た長い髪をなびかせる。夕暮れに近づいてきたためか、少しずつ体に当たる風が冷たくなってきたように感じられた。

 そうだとしても、まだ諦めきれない。あるはずである物を思い浮かべた少女はさらに奥の方へと進み始めようとしたとき、後方から声が響いた。



「お~い『リリィ』! もう暗くなってきたから帰るぞ!」


「分かってるってば。もうちょっと。話の通りならここら辺にあるはずなんだよ、『マツタケ』が――」


 

 少女、『リリィ』が追い求めるのは大好きな『ニホン地域』において好まれて食べられているという珍味、『マツタケ』。過去にテレビで見たそれを食すことは、大好きなものに触れることにもなるという強い思いがリリィを突き動かしていた。

 情報源となったのはこの山の見回り兼山菜取りに行っていた近所のおじいさん。手持ちが満杯で取ってこれなかったそうだが、間違いなくマツタケだったと証言している。おじいさんが嘘をつくことはまずないと知るリリィは休日を使って祖父の『コーディ』の山菜取りについて行くことにしたのだった。

 別にキノコが好物ということではなく、先ほどの通りニホンが好きだから来ているリリィ。どう料理するかは、返ってから母と一緒に考えることにしていた。

 頭の中がマツタケ一色のリリィは気づかぬうちにコーディからどんどん離れてしまう。必死に探すその熱意に呆れてため息をつきながら、コーディは呼びかけ続けた。



「もういいだろー? 早く帰るぞー」


「もうちょっと。もうちょっとだけー」


 

 コーディの呼びかけを受けても諦めがつかないリリィは、その歩みを止めることはなかった。帰ってゆっくりしたいコーディの呼びかけは森に空しく響き、その行為を嘲笑うかのように風で揺れた木の葉がざわめいていた。

 行く先を注視しながらも進み続けることを止めないリリィ。夕暮れも後半戦に入り、本格的に暗くなり始めた森において期待を膨らませていたリリィの目の前についにそれが姿を現す。

 森の中で他とは明らかに違う品種の木。それが何本か並んでいる近くの地面において、今回のお目当てと言える物が顔を出していた。



「あった! やっと見つけ――」


「リリィ!」



 歓喜の声は途中でコーディの叫び声にかき消される。伸ばそうとした手を止め、若干不満げな表情を浮かべるリリィは振り返ることなく言い放った。



「何よおじいちゃん。やっと見つけ――」


「逃げろぉ!!」



 日常では聞くことのない鬼気迫る叫び声を聞いたリリィは急いで振り向く。


 

「――え?」



 そこには自分よりもはるかに大きい熊。いや、熊の『魔物』がいた。

 映像や各種資料でしかみたことのない動物。ましてや『魔物化』した存在など見たことのなかったリリィは恐怖のあまりその場から動けなくなってしまった。

 口元に乾いて黒く変色した血がこびりついた熊は、低いうなり声をあげながらじりじりと距離を詰めてくる。どうすればいいのかと混乱するリリィは何も出来ずに立ち尽くすことしかできない。

 こんなことになるのであれば護身用の『術式』をしっかり習得しておくべきだったと後悔するが、それは今更のこと。生き残る術を必死に考え続けるリリィの耳に、コーディの叫びが届いた。



「化け物! こっちだ! こっちに来い!」



 注意を引こうとした行動に反応し、熊は上半身を後方へと向ける。それを好機と判断したリリィは反対方向へと全速力で逃げ出した。

 とにかく逃げなければと考えるリリィの咄嗟の行動だったが、それは逆効果となってしまった。自らに一番近い獲物が逃げ出したことに気づき、熊はリリィを追い掛けてきたのだ。

 背負っていたリュックを捨て、木々の間をすり抜けていくリリィ。その背後から熊は障害となる木々をなぎ倒しながら獲物であるリリィを執拗に狙い、突き進み続ける。

 体の至る所に擦り傷ができるが、そんなことを気にせずリリィは走る。ここで止まってしまえば、こんな軽い傷では済まされない。



「――っ! しまっ!?」



 逃げることに必死で森の中にあった小さな崖に気づくことができなかったリリィは、薄暗い底へと落下してしまう。奇跡的に落ち葉が積もった所へと足から着地できたものの、骨折寸前の捻りによる痛みに襲われてその場に倒れこんでしまった。



「痛っ……!」



 立ち上がろうとしても激痛が酷くてまともに動くことができない。本来であればすぐにでも『治癒術』を行使するべく頭が回るはずだが、痛みと追いかけられているという恐怖が重なってまともな判断が出来なくなっていた。

 苦悶の声を上げていると、崖から飛んだ熊がリリィのいるところの少し先に着地して小さな地響きを発生させる。そのまま獲物の臭いがする後方へと振り向き、ゆっくりと歩み寄ってきた。

 赤黒く発光する目。悪臭漂う口元から垂れ落ちる変色した多量の唾液。荒い息をしている熊からは近づくにつれ、漂う血と獣の悪臭がより鮮明になっていく。その体一つ分まで迫ってきたところで、リリィは自らの死を覚悟した。

 こんな熊、この山にはいなかった。どうして今になって現れたのか。走馬灯と疑問が脳裏をよぎる中、荒い呼吸のままの熊の右前腕が振り上げられた。

 せめて一瞬で楽にしてほしい。そう懇願しつつ、リリィはゆっくりと瞳を閉じた。



「――?」



 しばらくしても痛みがやってくることもなければ、雲の上へと旅立つ感覚もない。何故かと不思議に思っていれば、近くで木の枝が折れる小さな音が聞こえてきた。

 状況を把握するためにリリィはもう二度と開くことは出来ないと考えていた目を開く。すると目の前には何かに怯え、後方へと引き下がる熊の姿があった。

 一体何がそうさせているのかと周囲を見渡そうとした次の瞬間、森の中に銃声が響き渡った。『魔核』を動力源とした『魔導銃』の発砲音とは違う。前世界において主流となっていた火薬を利用した古式の乾いた銃声だった。

 右前腕に銃弾が直撃した熊は苦痛の声を上げ、地面に赤黒い血を垂らしながらリリィからさらに後退していく。痛々しい姿を目に収めつつ、リリィは銃声がした自らの後方上部へと振り向いた。



「……え?」



 先ほど落下してきた小さな崖の上に、誰かが立っている。暗くてよく分からず目を凝らすリリィだったが、その誰かは小さな崖を飛び降りて彼女のそばに着地した。

 誰かの正体は、ボロボロの服を着た青年だった。濃紺の瞳を持ち、短めの黒髪はぼさぼさになっている。満身創痍な様子の彼は、右手に見たこともない拳銃を握っていた。

 彼が撃って助けてくれたのだろう。しかしながらたった一発の銃撃であんな大きな熊を止めることは無理なのではないか。そんなリリィの当たり前の予想は、すぐに裏切られることとなる。



「――ォォォオオオ!? ゴァアアアア!?」



 熊が断末魔の声を上げると同時に、異様に苦しみ始めたのだ。良く見れば茶の毛が生えそろっている右前腕が真っ黒に変色し、さらにその黒色が全身を侵食するかのように瞬く間に全身へと広がっていった。

 もだえ苦しむ熊はその黒色の侵食が頭の部分へと到達したところでその場に崩れ去り、完全に動かなくなるのだった。

 僅かな時間のうちに静まり返った森。その中で助かったと安堵したリリィがため息をつくと、そのすぐ横に限界を迎えた青年が仰向けに崩れ落ちてしまった。



「……大丈夫か?」



 気を失いかけている青年はリリィに掠れた声で問いかけてきた。いきなりのことに驚きつつも、それに返答する。



「だ、大丈夫」


「そうか……、よかっ――」



 全てしゃべり終わる前に青年の腹の虫が鳴り響く。全体に響き渡っているとも思える大きなそれの後、森は静けさを取り戻していった。

 何とも言えない空気が漂っているが、それほど悪い気はしない。木の葉が風に揺られて生み出すざわめきが緊張をほぐしていき、リリィは素直に感謝の意を青年に伝えた。



「……ありがとう」


「おう。んじゃ……、後で腹いっぱい何かたべさせてくれ」



 向けられた柔らかな笑みを見て、青年は恥ずかしそうにしながら答える。その後青年は頬を少し赤く染めたままゆっくりと眠りについてしまった。安らかな寝顔と寝息を聞いていれば、足が痛む中でも安心することができた。

 完全に陽が落ちて周囲は真っ暗になってしまったが、それによって逆に精神が落ち着いてきたリリィは痛む足首へと手を伸ばす。小さな手の先から溢れ出した光は腫れている部分の内部だけでなく、外部をも瞬く間に癒していった。焦っていなければ医術学校で学んだ治療術を行使することができるのだ。焦っていなければ。

 痛みが消えたところで立ち上がって問題がないかを確認していると、コーディと複数の声が近づいてきているのをリリィは感じ取ることができた。風の影響で雑音も多かったが、リリィの耳なら聞き取ることが出来る。人の耳ではない、≪狐の耳≫を持ったリリィならば。

 できる限りの精一杯の声を絞り出し、リリィは自らの居場所をコーディに知らせる。こちらに気づいてくれるまで水分を欲し始めていた喉で、何度も、何度も。

 やがて必死な叫びに気づいた人たちは名前を呼びながらこちらに向けて真っ直ぐに向かってきてくれた。ようやく助けが来てくれることに喜びながらも、今になってやってきた疲れに耐えかねてリリィはその場に座り込んでしまう。

 コーディたちを待つ間、リリィは静かに眠る青年を見守り続ける。会ったこともないはずなのに不思議と懐かしく思えるその寝顔はとても心地よさそうなものだった。






     ◆◆◆








「――ああ、こっちで確認した。とりあえずは無事みたいだ」



 夜も更けたディアンにある住宅の陰に隠れ、診療所を観察していた銀髪の青年は最小限の声量で右手の甲にある淡い白の発光をしている魔法陣に話しかける。たまに人が通り過ぎるが、見るからに怪しい彼に気づくものは誰一人としていない。

 


「命令無視するほどの大金貰ったってところか? もっと警戒しとくべきだったか……」



 青年はそういって悔しそうに頭を掻く。その様子から想定外の事態が発生したことが窺えた。



「……了解。やれる限り調整するよ。『あいつ』にばれないようにそっちも予定通り事を進めてくれ。そんじゃ」



 別れの言葉を告げると右手の甲の魔法陣は跡形もなく消え去った。その視線はいつもより賑やかな診療所の方へと向けられる。

 診療所の一人娘を救った青年を見るために町中から多くの人が見物で集まっていた。特に変化のないこの田舎町において、些細な変化であっても注目の的となるのだ。

 1階の窓からはやってくる人々に丁寧に対応している黒髪の青年の姿がある。その表情は爽やかな笑顔であり、疲れを感じさせない清々しいものだった。

 その様子を確認した銀髪の青年は何故か嬉しそうに笑い、町から去るために動き出す。少し強めだが心地よい夜風を肌で感じつつ、懐から小さな四角柱の黒い物体を取り出したところで青年は満点の星空を見上げて小さくつぶやいた。



「さあ、気張っていこうか」

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