いつかするのなら、彼から
後日、アデルファはヘレグからもらったレシピで、スープを作ってもらって、朝食に採った。
「おっ……おいしい!」
さすがは森の野草に精通しているエルフのレシピ。きのことハーブ、スパイス類しか入っていないのに、得も言われぬ滋味が出ていておいしかった。
これなら続けられそうだと思って二日目、早くも物足りなさを感じ始め、ふと思う。
――ここにベーコンを足したら、ものすごくおいしいんじゃ……
このスープ単品でももちろんおいしいが、ベーコンが足されることにより、相乗効果でよりおいしくなるような気がする。
そして三日目、アデルファはベーコン入りのきのこスープを食べて、確信した。
――これを宮廷でも出せば、絶対に人気爆発するはず……!
アデルファはみずからを実験台にして試作を重ね、ついにできた至高の逸品を父母にも試食してもらい、太鼓判を押してもらった。
ヘレグにもレシピを渡し、とても感謝されたことは言うまでもない。
宮廷では試験的にエルフ料理に肉を足していくことで話が決まり、ヘレグが抱えていた当面の仕事は解決を見た。
結果――アデルファの体重は以前よりも増えた。
***
うららかな日差しがさす、王城付近の大庭園。
アデルファは運動着に着替えて、必死にジョギングをしていた。
木陰の下で読書をしていたヘレグが、何周めかの周回を終えて汗だくのアデルファを見て、心配そうに声をかけてくれる。
「アデル、大丈夫?」
「ぜっ、全然! まだまだ!」
アデルファには痩せなければならないという使命がある。
最近、ドレスがきつくて入らなくなってきたのだ。
こんなにぷよぷよのだらしない身体では、恋をしてほしいだなんてとても言えない。
「……別に、全然太ってるようには見えないけどなぁ」
「ヘレグ様、やさしさはときに人をダメにしますわ」
アデルファは休憩がてら、ヘレグが読んでいる本を覗き込んだ。エルフ語と思しき不思議な文字で内容が書かれており、アデルファにはまったく読めない。
「何をお読みになってらっしゃるんですの?」
「薬学の本だよ。ほら、エルフはハーブやきのこに詳しいでしょ?」
「こないだのスープもそうですものね。また何か美味しいものをお作りになるご予定が?」
「うん、そんなところ」
「うわあ、楽しみですわぁ!」
アデルファは浮き浮き気分でまたジョギングの周回に戻った。体重は当初の予定よりもっと落としていかなければならない。だって、せっかくヘレグがまた新しく料理を教えてくれても、体重制限で食べられなかったら悔しすぎる。
***
アデルファの体重はほどなくして元に戻り、ヘレグと一緒に新しい宮廷料理の試食を楽しんだ。
「あー、おいしかったぁ!」
晩餐会のあと、談話室でヘレグと一緒になって早々そう漏らすと、彼は少し格式ばった仕草で、アデルファの手をうやうやしく取った。
正装のヘレグは何度見てもかっこいいので、アデルファはそれだけでドキリと心臓が跳ね上がった。
何事かといぶかしむアデルファの手に、ヘレグがくちづける。
ぽーっと見惚れるアデルファに、ヘレグは敬礼の姿勢を崩さず、いたずらっぽく笑う。
「今日うまく行ったのはアデルのおかげだよ。新しいレシピのアイデアをくれてありがとうね」
「そっ、そんな、わたくしはただ、おいしいスープをもっとおいしくしたかっただけで……食い意地が張っていて恥ずかしいですわ……」
「何を言うの。アデルのおかげで私の仕事も終わって、本当に助かったんだよ。ねえ、お礼に、今日はダンスに付き合おうか」
ダンスが大好きなアデルファは飛び上がりそうなくらい喜んだ。
移動した先の大広間でしっとりと大人っぽいヴァイオリンのソロが流れ、やがてスローテンポの舞曲が始まる。
抱き合う形で向かい合い、シャンデリアの光を弾く色素の薄いヘレグのまつげを見上げたとたん、アデルファは急に緊張してきた。
――あ、あれ? なんだか……
滑るような足さばきが、いつもなら簡単にこなせるのに、なぜか床につまづきかける。
――身が入らない……っ!
ヘレグと踊った経験なら何度もある。それなのに集中できない理由は、この間、シャツ一枚のヘレグに押し倒されたときの記憶が脳裏にちらつくからだった。
――最近のヘレグ様は積極的すぎて、そばにいるだけで緊張しちゃう……!
確かにアデルファは恋人らしいことをしてほしいとせがみはしたが、なにしろすべてが初めてのこと。触れられたら触れられたで激しく動揺してしまうのである。
ステップを踏み間違えまくるアデルファに、ヘレグがなんだか薄く笑いながら言う。
「どうしたの? アデル。君の得意なダンスだったよね?」
「う、ううっ、意地悪……」
「え? そんなつもりはなかったんだけどな。何が意地悪なの? 教えて、アデル」
そんなことを甘い睦言のようにささやくのだからアデルファにはたまらない。
「ヘレグ様が素敵すぎるから、そばにいるだけでドキドキして、うまく踊れなくなっちゃうんです……」
アデルファは緊張と興奮と、情けない告白をさせられる羞恥でほとんどパニックになっていて、うっかり涙が出そうになっていた。
「アデルこそ、可愛すぎる」
驚いて見上げたヘレグの頬が、ほんのりと赤く見えたのは、ダンスが激しかったせいなのだろうか? アデルファには判断がつかなかった。
舞曲が終わると同時に、ヘレグに引っ張られるようにして庭園に出る。
早足のヘレグについていくのがやっとだったアデルファは、急停止したヘレグに抱きしめられて、天にも昇るような気持ちになった。
――エルフって、感情が薄いのよね……?
でも、今日のヘレグに限っては、とてもそうは見えない。このじっと見つめる視線は、激情にかられた人間のものではないだろうか?
「アデル……」
愛おしげに名前を呼ばれ、奪うようにして唇を塞がれたとき、アデルファはもう、死んでもいいと思った。
***
アデルファは刺繍や読書を完全に諦めて、父親が可愛がっている猟犬と一緒にひなたでぼーっとしていた。
晩餐会でキスされて以来、寝ても覚めてもヘレグのことばかり考えている。
集中力のいる作業はそのせいですべて身が入らず、手につかないのである。
――ヘレグ様……かっこよかった……
アデルファはいつもヘレグのことを美人だ美人だと思っていたが、あんなにかっこいい顔もできたとは。
あのときの顔を思い出すだけで、アデルファは心身がとろけるような思いだった。
犬の腹をもしゃもしゃ撫でて、アデルファは行き場のないエネルギーを発散する。
エルフには情熱がないなどと、いったい誰が言ったのか。あの晩、アデルファを見つめる瞳は、確かに熱を帯びていた。
ヘレグはあまり笑わないだけで、楽しければ笑顔を見せる。
恋心だって、まったく感じないわけではないのだと、信じてもいいのではないだろうか?
昨日の出来事が、恋でなければなんだというのだ。
ヘレグがアデルファを好きになってくれたのかもしれないと思うと、もうアデルファは夢見心地だった。
――ヘレグ様にしてほしいこと、また叶えていただいてしまったわ……
キスをするのなら、いつかヘレグからしてほしいというのがアデルファの密かな夢だった。ヘレグはアデルファが夢見ていたよりずっと素敵な体験をくれる。
幸せすぎて怖いくらいだ。
アデルファが思い出を反芻していたとき、急な来客がアデルファの住む邸宅の庭に姿を現した。
シンプルな灰色の外套と、『エルフ模様』と呼ばれる草花と果樹の外套留めを身に着け、太陽のようにまぶしい美貌を面白くもなさそうなすまし顔で固定している。