勇者と姫君
さっそくアデルファはオペラの席を予約し、ヘレグを誘い合わせた上で会場にやってきた。
――ああっ、ヘレグ様、今日も素敵~!
銀髪を後ろになでつけたヘレグは理知的な目元がすっかりあらわになっており、嫌でも視線を吸い寄せる。
うっとりと見惚れているアデルファに気づき、ヘレグが顔を上げた。
「やあ、アデル。……びっくりしたな、今日はいつもと違うから、一瞬誰だか分からなかったよ」
「きょ……今日は、ちょっと暑い夜だとうかがいましたので……」
アデルファは背中が大胆に開いた、ちょっと大人めのドレスを着ていた。ドレスカラーも瞳に合わせて真紅にし、ネズミ色の茶髪はヘレグの銀髪と並んでもしっくりくるよう、少し脱色して、灰色に近づけた。
――わ、わたくしなんかじゃ、何とも思われないかもしれないけど……
シャーリーズを意識して、彼女ならどんな服を着るかを考えた。アデルファにとって、恋のお手本といえば、シャーリーズなのである。
「うん、すごく新鮮でいいね」
「に、似合っている……でしょうか……」
「う、うーん……」
――に、似合うとはおっしゃってくださらないのね……
やっぱり平凡少女のアデルファには合っていないのだろうかと落ち込みかけた。
ヘレグがふいに手を伸ばし、うつむき気味のアデルファの頬に触れる。
顔を覗き込まれて、アデルファは落ち込みがどこかに吹っ飛んでしまうくらい動揺した。
――ち、近っ……キ、キス? キスをされてしまうの?
あわあわとうろたえるアデルファに、ヘレグが天使のような整った顔で微笑みかけてくれる。
「私は、人間の服の違いはあんまりよく分からないんだけど、君が恥ずかしがってるのはなんとなく分かるよ。とても可愛い顔をしているからね」
可愛いと言ってもらえた。
嬉しすぎて、耳の後ろまで頭がじーんと痺れる。
「新しい服が君の初々しい顔を引き出してくれたんだね。ありがとう、照れている君も素敵だよ」
「は、はいぃ……」
うっとりしていたアデルファは、だいぶ後になって正気を取り戻して、ハッとした。
――や、やっぱり似合ってるとはおっしゃってくださらないのね?
自分でも薄々分かってはいたのだ。子どもっぽいアデルファがこんなのを着ても恥をかくだけなのではないか、と。
――で、でも、大人の女として見てもらうには、やっぱり大人っぽく見られるようにしないと……
単純なアデルファには、服装を変えることしか思いつけなかったのだ。
やってしまったという後悔の念でいっぱいだったアデルファは、不安になって、ボックス席についてからも、対面に座っている人たちを観察してしまう。
――あの人キレイ、あの人も、あの人も……
男性連れで来ているカップルで、こんなに子どもっぽいのは、アデルファだけなのではないだろうか。
しゅんとしていたら、ふと、いちゃいちゃしている男女が目に入った。
男性は席に座って、女性を自分の膝の上に載せている。カーテンが半ば閉まって暗いので、顔までは見えないが、ぴったりくっついていて、なんだかいやらしい。
アデルファはドキドキしながら、つい盗み見してしまった。
――わ、私も、ヘレグ様にあんなことをされたら……
そんな風に夢想するだけで、身体が熱くなってしまう。
後ろめたい気持ちを抱えながら夢中になっていたせいで、さっと席が暗くなったとき、アデルファはびくっとした。
ヘレグがこちらのカーテンを閉めたのだ。
まるで悪事の現場を抑えられたような気分でびくついているアデルファに、ヘレグが手を取って、言う。
「ちょっと、立ってみて?」
わけも分からず座席を立ったアデルファは、次の瞬間、変な悲鳴をあげることになった。
ヘレグがアデルファを抱き寄せて、自分の膝の上に座らせてしまったからだ。
「……っ、ヘレグ様……っ!」
「さっき、羨ましそうに見ていたから」
しっかりバレていた。
密着しているせいで感じるドキドキに、嫌な汗が混じる。今日のアデルファはみっともないところしか見せていない。くっついていられるのは恥ずかしいながらも嬉しいが、様々に入りまじる羞恥心のせいで、アデルファはすっかり落ち着きを失っていた。
「……震えてる。どうしたの? やっぱり嫌だった?」
「い、いいえ! 違うのです! た、ただちょっと、恥ずかしくて……覗き見なんて、はしたない真似を……」
「でも、私は助かったよ。あれくらい分かりやすくしてくれないと、私はなかなか気づいてあげられないから」
ヘレグは笑み交じりに言い、先ほどのカップルのように、アデルファの額にキスをしてくれた。
「すごくドキドキしてるね。可愛い」
頭を撫でてもらいながら、ぴったり頬を寄せたヘレグの胸は、悲しいくらい鼓動がゆっくりだった。
――本当に、何もお感じにならないのね……
エルフは情が薄いというが、それにしても、緊張で震えているアデルファとはずいぶんな違いだ。正装でシャツに糊が効きすぎているのまで憎らしくなってくる。ぱりっとした感触と体温に包まれ、アデルファも妙に平静になってきた。
一体どうしたらこの人をときめかせられるのだろうと思いながら、上目遣いにヘレグの顔を見る。小憎らしいくらい整った顔はあくまで無表情で、アデルファは敗北感でいっぱいになった。なんといっても、ヘレグには一切悪気がないのが心に来た。
エルフの血に罪はない。悪いのは、この顔につられて邪なことばかり考えるアデルファなのだろう。
やがて開演のベルが鳴り、アデルファは元の席に戻って、上演を楽しんだ。
今日の演目は、『勇者と姫君』。攫われた姫君を追いかけ、魔王まで倒してしまう勇者の、愛が重いラブストーリーだ。
「あなたへの愛が私に魔王を倒す剣を取らせました。わが姫、残酷な専制君主、私を拒絶するならば、どうかこの剣で胸を突き刺してください。絶え間なく愛が生まれ出づるこの心臓を止めなければ、私はいつか、あなたを奪うために剣を取るでしょう……」
アデルファは感涙で前が見えなくなるくらい泣いた。