私と彼の素敵な一日
アデルファたちは後日、約束の果樹園にやってきた。
誘ったけれども、結局うやむやになって行けずじまいだったのである。
果樹園で、アデルファは大はしゃぎでリスにクルミをあげていた。
小さなリスたちが足元でちょろちょろしながらアデルファのばらまくクルミの奪い合いをしている。ふわふわのしっぽを頭の上まで持ち上げて、大きなクルミを口いっぱいにくわえたリスが、他のリスに取られまいとあっちこっちに逃げ回っているのだ。
「すごい、こんなにいっぱいリスがいるなんて」
「鳥なんかも一緒に飼ってるみたいだよ」
空からも珍しい色の小鳥が集まってきて、アデルファの足元に転がるクルミをつついては、飛び去っていく。
「人間の都会でこんなに動植物が見られるのは珍しいね」
風に銀髪と長い耳をなびかせ、のんびりと言うヘレグがあまりにも美しかったので、アデルファはクルミを撒く手も止めて見惚れてしまった。
――日光の下で見るヘレグ様は格別にお美しいわ。
うっとりしているアデルファの足元から、リスが飛び出してきた。
リスはちょこまかと小さな手足でヘレグの服をかけのぼり、肩口に止まる。
「ヘレグ様、リス、リスが!」
「かじられたらやだなぁ」
アデルファから手渡されたクルミの塊をヘレグが肩口のリスにそっと持たせてやると、リスはその場で、カカカ、と長い前歯をひらめかせてクルミをかじり始めた。
ヘレグは笑って、小さなリスのしっぽをつつく。
「かわいい」
――かわいいのはヘレグ様です!
アデルファはなんだか心臓が痛くなってきた。そばにいて眺めているだけでも幸せになれるのに、リスとのコンビネーションはちょっと刺激が強かったのだ。
――あぁもう、好き……大好き。
アデルファが無言で送る怨念が強すぎたのか、ヘレグに停まっていたリスは急に飛び上がると、クルミを口いっぱいにくわえて、ささっと走り去っていった。
休憩がてら、木陰の芝生に敷き布をして、ヘレグが腰かけた隣に、アデルファもいそいそと座る。
「けっこう広いね。歩きっぱなしで疲れない?」
「いいえ、ちっとも!」
「帰りたくなったら言ってね」
「ヘレグ様とご一緒なら何年だっていられますわ!」
並んで座っているだけでアデルファはにっこにこだった。
うららかな日差しにさわやかな風、良い香りのする新緑と花々。
「ヘレグ様はいかがですか?」
「もちろん楽しいよ。ねえ、ここの植物はちぎって持って帰れないのかな」
「お、怒られると思いますけど……」
ヘレグは「やっぱりダメか」とつぶやいて、手帳を取り出した。
「オーナーに相談するしかないか。その前に、めぼしいもの全部メモっておかないと」
ヘレグがせっせとメモを始めたので、アデルファは暇になった。
ちらちらと並ぶヘレグの肩越しにメモを眺めてみるが、アデルファにはちっとも分からない。しかしそれでもアデルファは楽しかった。
――ヘレグ様の真剣な横顔、素敵……
彼が薬草採りに頭を悩ませているのは、そもそもがアデルファのためなのだ。
つい嬉しくなってしまうというものである。
うきうき気分でヘレグの肩に頭突きして遊んでいたら、ヘレグが笑いながら肩で押し返してきた。アデルファも負けじとほっぺたでむにむにと押し返して対抗する。
とうとうこらえきれなくなったヘレグが、肩を震わせて笑い始めた。
「もう、なんなの? 邪魔しないでよ」
ヘレグは手帳をわきにどけ、アデルファの両方のほっぺたを捕まえた。
もちもちとほっぺをもみしだいて、ヘレグは薄く笑っている。少し怒っているのかと思うような、冷たい笑い方で、アデルファはドキリとした。
しかし、直後にヘレグがけらけらと笑い崩れたので、単に顔つきのせいでそう見えていただけと知る。
「アデルはちっともじっとしてないんだから」
「だって、ヘレグ様がご一緒ですと、飛び跳ねたくなってくるんですもの」
「子犬みたい」
腹を抱えて笑うヘレグはまんざらでもなさそうだった。
「アデルは可愛いね」
「わたくしはヘレグ様の方がお可愛らしいと思います」
「私? なんで?」
「リスとお戯れのお姿、お姫様みたいでしたわ……っ」
むにっとほっぺを両側から押しつぶされて、アデルファは口をつぐんだ。
ちょっと粗暴さの見え隠れするヘレグの挙動に、アデルファは胸がきゅんとした。普段の行状からはとても考えられないようなラフさだ。雑に扱われて嬉しくなってしまうのは、それだけ距離が縮まったような気がするからだろうか?
――わたくしったら、いつの間にかヘレグ様とこんなに仲良しに……
えへへ、へへ、と、ほっぺをつかまれたままヘラヘラ笑っているアデルファに、ヘレグもつられて笑みをこぼす。
「もう、アデルの方が絶対可愛い」
「むきになってるヘレグ様もお可愛らし……っ」
「意地悪を言うのはこの口?」
ヘレグの長い人差し指がアデルファの唇に押しつけられる。
「しょうがないなぁ、アデルは」
含み笑いとともに、指先でつつっと唇の輪郭をたどられてしまい、アデルファは少し焦った。
――あれ? なんだか、いやらしい、ような……
ドキドキと高鳴り始めた胸を押さえて、アデルファはじっとしていた。ヘレグから目が離せない。
――あっ、な、なんで、そんなに、やさしい手つきで……っ!
息をひそめて堪えるアデルファの頬がどんどん熱くなっていく。
もう恥ずかしくてヘレグを直視できない。
アデルファはぎゅっと目をつぶった。
「アデル。もう意地悪言わない? 言わないなら離してあげる」
優しく教え諭すヘレグの声にしびれてしまって、アデルファは返事を忘れてしまった。
「……アデル?」
ふにふにと唇をもてあそぶ手つきにも感じ入ってしまう。
「……言、言い、」
アデルファはドキドキしながら口を開いた。
「言い?」
「……ません、けど、は、離さないでほしいです……」
欲望に素直なアデルファの、呆れるような発言も、ヘレグは笑って許してくれた。
唇にやわらかなものが触れ、キスをされたのだと悟る。
目を開けるタイミングをすっかり失ってしまったアデルファは、わけもわからずなすがままになっていた。
口を開かされ、深いところにもキスをされる。
長く唇を奪われているうちに、アデルファは息が続かなくなってきた。
――ヘレグ様、なんだか今日は、大胆……
ドキドキしすぎて爆発しそうだ。
口づけから解放されたアデルファは、弾んだ息をこぼしながら、おそるおそるヘレグを見上げた。
絡みつくような視線にぶつかる。
アデルファはまた痛いくらい心臓が跳ねるのを感じた。
――かっ、かっこいい……
ヘレグは普段からこんなに素敵な人がいるのかと思うくらいの美形だが、息をつめて切ない表情をしている姿には、思考の一切を奪うような魅力があった。
ヘレグがアデルファの顎にそっと手を添えながら言う。
「……やめどきが分からないんだけど」
どうしたらいいかと問うように視線を投げてくるので、アデルファはなけなしの勇気を振り絞って、答える。
「は……離さないで……」
再びヘレグにキスをしてもらいながら、アデルファはうっとりと溶けていった。