彼と私のすれ違い
「ありがとう。そなたを信じてよかった」
王妃様は何度もアデルファに礼を述べたあと、少しだけ身の上話をした。
「わらわは純粋なエルフの娘として生まれた。人間の王国に嫁いできて30年……あっという間ではあったが、苦労多き道のりじゃった」
「どうして王家にいらっしゃることになったのですか?」
「人の集落がすぐそこまで迫ってきたからじゃ。わらわたちは争いを好まぬ。そこで、比較的若いわらわが和平結婚に赴くことになった」
アデルファはおそるおそる尋ねてみる。
「王妃様って今おいくつなんですか?」
「さてのう。百は超えたはずじゃが」
アデルファは絶句した。
「……エルフの方って、寿命は……」
「ない。最長老など六千歳を超えておった」
「……すると、ヘレグ様もご長命に……?」
「いや、人の子の血が少しでも混じると不老ではのうなる。ヘレグはそなたと同じように寿命を迎えると見てよい」
アデルファはなんとなくホッとした。そんなに長いときを生きるというのが想像もつかなかったせいもあるが、ヘレグはやはりエルフではなく、人間寄りなのだという気がして、安心したのだ。
「普通ではない夫を持つことで、そなたには並々ならぬ苦労をかけると思うが、もしも行き詰まったら、なんなりとわらわに打ち明けてほしい。争い事を望まぬエルフには、他種族と融和を図るための知恵が有史以来ずっと蓄積されておる。必ずやそなたの助けとなるはずじゃ」
王妃様の言葉は真摯だった。
アデルファも丁寧にお礼を述べて、その日の密談は終わった。
***
アデルファはヘレグに会うに当たって、服装を改めることにした。
最近よく着ていた、大人っぽいセクシーな服を奥にしまい込み、以前から愛用していたワンピースを着る。
――お子さまみたいな服ばかり。
自分でも笑ってしまうが、元々のアデルファはこれが好きだったのだ。
髪の色も落ち着いた灰色から、本来の茶髪に染め直す。
大人っぽく見られたいアデルファが、精一杯背伸びをして揃えたアクセサリや下着類も、全部しまい込んだ。
そして鏡の前に出来上がったのは、年齢よりもかなり幼く見えるアデルファだ。
――よし。これで鈍いヘレグ様にも伝わるはず。
服装の変化は、アデルファの心変わりを示すためのものだった。
もっと他にいくらでもいい方法があるのだろうが、単純なアデルファに思いつけるのはこのくらいである。
そしてヘレグを、植物園に誘った。
珍しい果物や植物がたくさん植えてあるこの公園は、エルフ族からの贈り物で、エルフにとって居心地のいい空間が作られているのだという。
「ほ……本当に行くの?」
しかし、誘われたヘレグは複雑そうだった。
「昔、アデルは『つまんない』って言って拗ねて途中で帰っちゃったよね」
「む、昔の話ですわ!」
アデルファは羞恥でかあっと頬が熱くなる。子どもだったとはいえ、ずいぶんな態度だ。
「うん……昔すぎて忘れてるかもしれないけど、あそこにはオペラのステージも、珍しい食べ物も、何もないんだよ? 大騒ぎしたら叱られるし……」
「わたくし幼児ではありませんのよ、ヘレグ様」
ヘレグは『本当かなぁ……?』という目でアデルファを見ている。
今日は子どもっぽい服を着てきてしまっただけにアデルファは気まずく、こほんとひとつ咳ばらいをした。
「最近はずっとわたくしの好きなことにばかりお付き合いいただいてましたでしょ? たまにはヘレグ様の行きたいところに連れていっていただこうと思いまして。植物園以外に、どこか行きたいところはございますか?」
「アデル……いいの?」
「はい。わたくしも、ヘレグ様の好きなことを好きになれるように、がんばってみようと思いますの」
ぐっと両のこぶしを握り、胸の前に持ち上げると、ヘレグは嬉しそうに笑ってくれた。
さりげなく腰に手が回され、抱き寄せられる。
アデルファはドキリとしつつ、少し距離を取った。
「あっ、あの、ヘレグ様、それと、もう恋人ごっこは大丈夫ですわ!」
本当のところを言うと全然大丈夫などではなかったが、無理して笑顔を作る。
「大丈夫、って……」
「もう、無理に甘い雰囲気などを作っていただかなくても平気です!」
ヘレグはずいぶん驚いたようだった。目がこぼれんばかりに見開かれている。
「なぜ? あんなに喜んでくれていたのに」
「はい! わたくしとっても幸せでした! でも気づいたんですの!」
アデルファはカラ元気を出して言う。
アデルファとてこんなことは言いたくない。しかし、これもヘレグのためなのだと自身に言い聞かせ、いつも通りに振る舞った。
「わたくし、実は、ありのままのヘレグ様をお慕いしていたのかもしれない、って。というのも、最近、いつも通りのヘレグ様が恋しくなってしまって」
アデルファがずっとヘレグに恋をしていたのは本当だ。
「ヘレグ様が読書してるのを横で見てるのとか、好きだったなって。森で木と一体化してるのもお可愛らしいですし、弓がお上手なのも見ていてとても楽しかったのですわ」
ヘレグは黙って聞いていたが、ふいにどこかしら敵意のようなものを感じさせるまなざしでアデルファをきっと見据えた。
「……なんか、今日は変だよ、アデル」
「は、反省したのです。今まで、わたくしの身勝手にヘレグ様をお付き合いさせてしまっていたから……ですから、もう、恋人ごっこは終わりにしていただいて、構いません」
「私はまた何か間違ってしまった?」
ぽかんとするアデルファに、ヘレグは今度はもっとはっきりと強い口調になった。
「私のやり方では不満だった?」
「い、いえ……不満なんて……」
「どこが悪かったのか遠慮しないで教えてよ」
「ヘレグ様に悪いところなんて何もありませんわ。わたくしこそ、自分のことしか考えてなかったって気づいたんです。ヘレグ様が自然体で過ごしてくださることがわたくしの望みですわ」
アデルファがずっとヘレグを好きだったのは本当だ。
恋人のように接してくれなくても、きっとそれは変わらない。
だから、危険な薬なんか使わないでほしい――そう伝えるために、アデルファは思いのたけをこめて、ヘレグの両手に触れた。
「今まで、ずっと無理をさせてしまってごめんなさい。わたくしはこれからも変わらずに、ヘレグ様をお慕いしております」
ヘレグにアデルファの思いが伝わってくれたらいいと願ったが、しかし、彼はずっと険しい顔のままだった。
「無理なんかしてなかったよ。君が喜んでくれるのが分かって嬉しかった」
ヘレグの声にじわりと滲み出る苛立ちに、アデルファもつられてそわそわし始めた。