王妃様の秘密のお茶会
ヘレグは意を決して、もう一度いとこのディオルを訪ねてみた。
彼には昔、『アデルを喜ばせるにはどうしたらいいか』と質問し、いくつかアドバイスをもらっていたのだ。
書物で学習することなどを教えてくれたのは彼である。
しかしディオルは現状報告をもらって、むしろ眉根を寄せた。
「お前まだ恋人を作らせてないのか。呆れた」
前回、ディオルには強く勧められたが、ヘレグは実行に移さずにいた。
「アデルは、人間の恋人を嫌がっているんです」
「だから、そんなのは最初のうちだけだって言ったろ? 人間の女は欲深いから、しばらくすればすぐに物足りないと騒ぎ出すよ。俺のときもそうだった」
ディオルは遠い過去を思い出すように、少し虚しそうな目つきになった。
「土台無理なんだよ、エルフの俺たちが人間と付き合うなんて。ソリを引く大型犬が一日に何キロ走るか知ってるか? 飼うなら毎日一緒に歩かなきゃならないんだぞ。それと同じだよ。人間の女はとにかく体力が有り余っていて、手がかかりすぎる。悪いこた言わないから早くアデルにいい人間の男をあてがってやることだ。合理的だろう?」
ディオルはエルフの男らしい傲慢さで、肩をすくめる。
「いくら可愛い婚約者っつったって、シモの世話なんて、わざわざしたかないだろう?」
ヘレグは少し陰鬱な気持ちになった。
これが、一般的なエルフが、人間を伴侶にすることを嫌がる理由だった。
しかし、ヘレグはおそらく、ディオルとも少し価値観が違う。同じハーフエルフであっても、ヘレグはディオルほど冷淡ではない。
「私はどちらかといえば人間寄りだと思っているので、賛同できません」
「そんなこと言ったって、お前、人間の女に欲情したことあるのか?」
あけすけな物言いに、ヘレグはぐっと言葉に詰まる。
「ないだろ? 俺もだよ。物理的に不可能なんだ。例のアレを使いでもしない限りはな。分かったら、とっとと人間の男をあてがえ。でないとお前、ボロボロにされるぞ」
ヘレグは困りきって、こぶしをぎゅっと握った。
「アレは、どうすれば手に入るのでしょうか」
「エルフの薬師に申請すれば届くよ。本人確認と結婚証明書は必須だがな」
「私が申請してもダメだと言うことですか?」
「当たり前だろ、どんな代物か分かってるのか? 不正使用なんかあってみろ、人死にが出るぞ」
ヘレグはすがる思いでディオルに頭を下げる。
「どうにかして、分けていただくことはできないでしょうか」
「馬鹿なことを言うな。そんなに焦らなくても、どうせお前らもそろそろ結婚だろ? その後でゆっくり申請すりゃいいじゃねえか」
「しかし、今すぐに必要なんです」
ディオルは天井を仰いだ。
「……やっぱり駄目だな。一年ぐらい待たせても問題ないだろう。自分の健康を大切にしろ」
ディオルに追い出され、ヘレグは途方に暮れた。
「……どうしよう」
脳裏に浮かぶのは、可愛い婚約者の姿だ。
――わたくしはヘレグ様のおそばにいられればそれで幸せですもの。
健気で可愛いアデルファ。
彼女のために、ヘレグとしても何かをしないわけにはいかない。
悩んだ末に、ヘレグはふとあることを思い出した。
兄王子の挙式が近いというので、婚礼用の物資が色々と届いていたはず。
その中には、例のアレだってもちろんあるだろう。
ヘレグは目標を切り替えることにした。
***
その晩、王城では、大騒ぎが持ち上がった。
劇薬として厳重に管理されていたはずの『エルフの秘薬』が、消えてしまったのだ。
しかし騒ぎはあくまで王妃の知る範囲で留められ、厳重なかん口令が敷かれた。
秘薬の用途から、王妃にはなんとなく犯人の目星がついていたのである。
王妃はディオルにこっそりと話を聞いてみて、ますます確信を深めた。
「そういえばヘレグから、分けてもらえないかと頼まれてはいましたよ」
「そうか……やはり、あの子なのじゃな」
王妃はため息をつく。
ディオルは王妃の弟の息子にあたる。
弟は、彼女がこの王国に嫁ぐときに、一緒にこの国に移り住んだ。
友好政策として、互いに互いの国へ、移民を送り合ったのだ。
そのため、同時期にこの国に来たエルフは数多い。
王妃は人間とエルフの友好の象徴として、民から尊敬されていた。
「『エルフの秘薬』を持ち出すなんて、愚かな真似を」
老いと無縁の純粋なエルフである王妃は、眉をひそめてうつむく姿すら称賛されるほどの美貌を誇っている。
「秘密裡に部屋を探させよ。盗まれた分を取り返すのじゃ。しかし、決して騒ぎにしてはならぬ」
信頼できる部下数名に厳命する横で、ディオルが言う。
「俺から、ちゃんと戻すように説得しておきましょうか?」
「いや、今は刺激せぬ方がよい。あの子が自主的に話すのを辛抱強く待つのじゃ。もし聞く機会があったとて、決して責めてはならぬ。危険性を説き、心配していることだけを伝えるのがよかろう」
「言いましたよ、もちろん。危ないからよせって」
「では、あとはあの子に任せよう」
エルフの王妃は、祈るように手を組んだ。
「あの子は聡いエルフの子。どれほど危険なことをしているか知れば、おのずと手を引くはずじゃ」
ディオルは「分かったよ」と言い、それから思い出したように付け加えた。
「女の子の方にはなんて言う?」
「ヒトの娘か。彼女は、わらわが説得しよう」
王妃は手筈を整えて、息子の婚約者に、私的なお茶会の招待状を送った。
***
アデルファは王妃から招待状をもらい、驚きすぎて心臓が止まるかと思った。
ヘレグの母親から呼び出しを食らうなんて事態、そうめったにあるものではない。
しかも、『周囲には内密に』とある。
――わ、わたくし、何かしてしまったのかしら?
最近の行いを振り返ってみたものの、アデルファにはよく分からなかった。
ドキドキしながら王城に馳せ参じ、王妃の指定した離宮に顔を出すと、とてもおいしい不思議なお茶とお菓子で丁寧に歓待された。
「とっても美味しいです!」
「そうか、よかった。わらわも好きなのじゃ。ヒトの子の作る菓子は色鮮やかで美しいの」
王妃のエルフ語なまりの人間語は上品で、アデルファは内心ドキドキしていた。
純粋なエルフであるという王妃は、言葉にできないほどの美しさだ。人にはありえないほど大きくつぶらな瞳、透き通るような肌、薄桃色の可憐な唇。実は陶器でできた精巧な人形だと言われても信じてしまうかもしれない。
「そなたにはヘレグと婚約してもらって以来の付き合いじゃな。近頃はどうじゃ? 何ぞあの子がそなたに迷惑などかけてはおらぬか? なにしろあの子は、人の機微に疎いところがあるからのう」
「い、いえ! そんな! ヘレグ様にはとてもよくしていただいています!」
「様子が変だったりはせぬか? たとえば……急に感情的になって、怒り出したり」
「いえ、全然! ヘレグ様はとてもお優しいですし、怒っているところなんて一度も見たことがありません。とてもお元気そうですよ」
「そうか。それならよいのじゃが……」
王妃は浮かない顔でちまちまと焼き菓子をつついている。
「これはそなたの胸の内だけに収めておいてほしいのじゃが、実は一昨日の晩に、大変な事件が起きての」




