おやつを彼と
遠目に見えるヘレグの姿に、アデルファは胸がきゅんとした。
――ヘレグ様ったら、きょとーんとした顔をしてらして可愛い!
アデルファはあのヘレグの無感動な無表情が昔から大好きなのである。
近ごろは仲も順調に進展しているおかげか、もはや存在して呼吸してくれているだけで愛おしいと思ってしまう。
「アデル。私が急に来た理由が分かる?」
出会いがしらにそう言われて、アデルファはつい首をかしげてしまった。
――ヘレグ様のお考えは本当に読めないのよね。
何を考えているのですか? と尋ねると、たいてい面白い答えが返ってくる。
『そこの暗渠の水抜きのシステムが地質と合ってない気がするんだ』
アデルファには爪の先ほども理解できないような難しいことを考えているかと思えば、
『天気がよかったから、芝生でお昼寝しようと思って』
次の日には満腹で横たわっている猟犬よりも何も考えていないのでは……? というくらい無邪気だったりする。
「えーと……お花が見ごろだったから?」
「へえ、いいね。じゃあ見ながら食べよう」
ヘレグがバスケットを掲げて軽く振る。
「わぁ、おやつですのね!?」
「そう、揚げたてがおいしいんだ」
ヘレグがランチボックスから取り分けてくれたのは、カリカリに揚げたお花だった。
「まあ、かわいらしい!」
ピンクや紫の綺麗な花弁に、うっすらと白い衣がついているものや、小花が丸ごと揚がっているものなど、多種多様だ。
味についてああでもないこうでもないと議論しているうちに、毒の話になった。
「人間には毒になる花でも、私たちには結構食べられたりするんだ」
「ええっ……!?」
「耐性があるみたいなんだよね。だから薬もエルフ製の特別なものでないと効きにくい」
アデルファは、今まさにつまんでいる紫色の毒々しい花びらをおそるおそる見た。
「……あの……これって、なんのお花でしょう……?」
「全部食べられるやつだから、心配しないで。ちゃんと調べてきたから」
アデルファはほっと胸を撫で下ろした。アデルファにも思いつくようなことを頭のいいヘレグが見過ごすわけもないかと考え直し、バクバクと食べる。
「おいしい?」
「はい、とっても!」
「よかった。ねえ、でも気をつけてね。他のエルフに花の揚げ物を薦められても、安易に食べてはダメだよ。うっかり猛毒の花を混入させてしまうかもしれないから」
「はい!」
「あと、私から勧められるものにも少し気をつけた方がいいかもよ。私も研究欲が暴走すると、ときどきやらかすことが……」
「いやですわ、ヘレグ様に限ってそんなことなさるわけが……ヘレグ様? どうして視線を逸らすんですの?」
――そういえば先日、薬学の勉強を始めたとおっしゃってたわ。
アデルファは不安になって、つまんでいた花たちの正体を見極めようと、急いで衣をはいでみた。
「それは『パック』という名前の木の花で」
「『真夏の夜の夢』の?」
「そう、それが語源」
『真夏の夜の夢』とは古い劇で、『パック』はいたずら妖精として登場する。登場人物たちに惚れ薬をばらまいたせいで大騒ぎ――とか、そういったような筋書だったはずだ。
「……効果は……惚れ薬のような?」
「すごい、よく分かったね」
ヘレグがまったく無邪気ににこにこしながら言ったので、アデルファは開いた口がふさがらなかった。
「あっ、でも、安心して? そんなに強い生薬じゃないから。お酒に似た効果が出るだけ」
――なんだ、びっくりした。
そんなに弱いなら別にいいか、とアデルファは思った。確かに、アデルファには今のところ症状らしきものは出ていない。
「どう? 身体に変化は感じる? 私もだいぶ食べてみたんだけど、全然ダメだったんだ。人間の君ならどうかなと思って」
アデルファは数秒、真剣に自分の胸に手を当ててよく考えてみた。
「……わたくし、お花をいただく前からすでに興奮しておりましたわ……ですから効果はよく分かりません」
「え、何かあったの?」
「ヘレグ様がかごを持ってこちらにいらっしゃるのに気づいたら、テンションが上がってしまいましたもの」
「そ、そう……」
ヘレグは、参ったなぁははは、なんて笑っている。
めったに笑わない彼が、嬉しそうに目じりを下げていたので、アデルファはまたときめいた。
両手で頬を覆い、ちょっともじもじしながら、ヘレグに聞いてみる。
「もう、ヘレグ様ったら、わたくしに惚れ薬なんて盛って何をなさるおつもりでしたの?」
「うん、君の面白い反応が見られるかな? と思って。想像以上だったよ、嘘だったなんて今更言いづらいな」
アデルファの動きがぴたりと止まる。
「じゃあ、このお花は……?」
「全部野菜の花だよ。無害なやつ。惚れ薬なんて入ってない」
「まあ! ひどい方!」
いらない恥をかかされたアデルファは、怒ってそっぽを向いた。
「ごめんね、アデルは反応が可愛いから、ついからかいたくなっちゃうんだ。許して?」
並んで座った状態で、横からそっと抱きしめられ、アデルは一秒で陥落した。自分でも気持ち悪いなと思うほどの猫なで声が出る。
「はい」
「素直で可愛いアデルが好きだよ」
ヘレグの声は笑いで少し震えていたが、アデルファは幸せの絶頂でうっとりしていたので、全然気にならなかった。
「今日はね、お菓子を届けに来たんじゃないんだ。本当は君に会いたかったから、用意した」
「ヘレグ様……」
じーんと胸を打たれているアデルファのひたいに、ヘレグがそっとキスをしてくれる。
「最近、君が可愛くてたまらないんだ。会えないときも、そういえばこないだもアデルは変なことしてたなって、思い返してばかりいる」
「変なことは思い返さないでいただきたいのですが」
「ごめんね、褒めたつもりだった。だって、他にいる? アデルみたいに、毎日楽しそうな子」
「そ、そんなに浮かれポンチじゃないと思いますけどぉ……」
「いつも一生懸命に何かしてて、オペラに行けばわんわん泣いて……もう私は君から目が離せないよ」
「エンタメ的な意味で……?」
ヘレグは「ううん」と、かすかに聞き取れるくらいの声でささやいた。
「恋だと思う」
しばらくアデルファは無言だった。
またたき一つできずに硬直しているアデルファを不審に思ったのか、ヘレグが小さく名を呼ぶ。
「……アデル?」
「――はっ! ちょっと今、魂が抜けておりました!」
――恋だと思う。
やさしく耳を撫でられたのかと思うくらい甘い響きに脳髄まで麻痺して、しばらく生死の境を彷徨っていた。少なくともアデルファの心象風景としては天使に天国へ連れていかれる直前だった。
アデルファは幸せが飽和しすぎて、かえって落ち着いてきた。
「ま……またからかっていらっしゃるんですの?」
「違うよ、さっきのことまだ怒ってる? ごめんね、今度は本気だよ」
アデルファのぬくもりを確かめるように強く抱き寄せ、ヘレグは唇にくちづけを落とす。
アデルファはやわらかな唇の感触を受けて――もう、一切の論理的思考を手放した。
「わ……わたくし、ヘレグ様が、すき……」
「私も好きだよ、アデル」
互いに『好き』と伝え合うだけ。それなのに、どうしてこんなにも心地いいのか。
アデルファはヘレグにたくさんキスをしてもらって、人生の幸せ最高記録値を大幅に更新した。