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ショートストーリー  作者: 眠沢歌劇団
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この出来事をきっかけに、僕は柚に対してこのう上なく好印象を抱くようになった。

彼女と話すことが段々と多くなってきているおかげか、僕は毎回バイトに行くのが楽しみになってきていた。もう大分品出しの仕事にも慣れてきたし、そんなことより何より、隙間時間や仕事終わりに彼女と会話を交わすのが僕にとって日々の楽しみになっていた。そうなるのも仕方ないという状況が、現状ではあるのだ。

家に引きこもって大学からの課題をこなすだけの日々よりも、人との関わりがある毎日がどれだけ幸せなことか。それをここ最近で、ほど痛感させられた。もちろん、彼女自体に魅力があるということも確かだ。







「めちゃめちゃ好きになってんじゃん、悠太、やべーよ。はえーよ」




いやいやそういう話じゃないって、と否定したが、第三者の勇人にこの話をありのままに話した結果そう思われるのなら、もしかしたらその通りなのかもしれない。

心の中では完全に否定出来ない自分が、少し照れくさかった。





「で、その子は可愛いの?写真は?」



「んなもんあるわけないだろっ!」



「ええっ。LINEのプロフィールとかに写ってたりしない?」



「いやいや、彼女のLINE持ってねえし」




それを聞いた勇人は、はあっ、と深いため息をつき。隣のテーブルに座っていた家族が一瞬ちらっとこちらを見たが、すぐにその注意は自分たちの料理に戻ったようだ。

勇人と会う時にいつも使うこのファミレス。

僕たちの高校の近くにあるので、お互いにとって大体中間地点だということが集まる時に丁度良いところだ。

自粛もぼちぼち解かれ始め、ファミレスは僕らが高校時代に通っていた時の賑わいを少しずつ取り戻しつつあった。





「そんなぐちゃぐちゃと考えてたってさ、LINEも交換してないんだったら、何も始まってないさ」




「なるほど。じゃあどうやって交換すればいいん?」




「ばーか。んなもん、自分で考えてみろや」




急につっぱねられた。どうやら勇人にも最適な方法は思いつかなかったらしい。

仕方ない。この話は一旦保留だ。




勇人のせいで、すっかり妙な気持ちが心の中で沸き起こってしまっていた。こうなった以上はもう、どうしようもない。

胸の奥底からどくんと疼く新鮮なこの感覚は、きっとこれから柚と話す度に感じるものなのだろう。

僕はなんて単純なんだ。彼女と知り合ってからまだ1ヶ月弱しか経っていないというのに。

僕ほど単純な人間が、この世にいるだろうか。



おかしい。これもコロナのせいに違いない。僕は人間に対する、もっというと異性に対する免疫をすっかり失くしてしまっている。

僕のなんともいえないこの奇妙な気持ちを、決して彼女に見せるわけにはいかない。そのように接されても相手にとっては迷惑になるだけだろう。

僕は一旦、気分転換に何か他のことをしてみることした。あまりにも前のめりになっている今の感情を鎮静化させ、冷静になることが必要だと思ったからである。



数時間後、僕は目を細め、パソコンとにらめっこを続けていた。何度も何度もキーボードをぴしゃぴしゃと叩く。叩き過ぎたせいか、もう指の先までだるみを感じる。一体全体何文字打っただろうか。確認してみて絶望した。まだ700字しか打っていないのだ。指定の3000字までは、まだまだ遠い道のりのようである。

大体、一般教養って何なんだろう。何気なく受講し始めてみたはいいけれど、何せ僕は本を読まない。人生で読んだ本の数なんて、片手で数えるくらいしかない。だから昭和の文豪作品の書評を3000字でまとめろなんて、無理な話だ。







「あーそれ、すごい分かるー!私も理系の科目の時とかいつもそう思ってるわあ」



でもね、と柚は続ける。



「私、国文学科だし、本読むの好きだからこれでも文学作品には詳しいつもりなんだ!」



「え!そうなん?じゃあ、えっと、今ね、『痴人の愛』っていうので書いてるんだけど、知ってる?」



「知ってる知ってる!あれ、胸がさ、わさわさするよね」



柚は楽しそうに手のひらをはらはらと宙になびかせる。

柚が本好きなのには確かに少し意外だったが、そんなことよりも今僕は、柚の楽しそうな笑顔につい見惚れていた。

個人的にいうと、僕は『痴人の愛』よりも彼女のひとつひとつの仕草に対しての方がよっぽど胸騒ぎを感じる。



「私、本いっぱい持ってるから昔の作品も結構呼んだことあるんだ」




「へえ、そうなんだ。でもさ、昔の作品って本屋とかにあまりなくない?」




その質問を待ってましたと言わんばかりに、柚の表情はさっきよりさらにもう一段階明るくなった。



「私ね、すっごい良い本屋さん知ってて、いつもそこで買ったりしてるんだ。もし興味あったら悠太くんも今度一緒に行く?」



「えっ!」



しまった。つい大声を出してしまった。これは現実か。今、僕は柚から誘いを受けている。激しく、あまりにも強い電撃が、身体中に走った。




「なんだなんだ、どうしたの?大声なんか出しちゃって。私もしかして変なこと言った?」



流石の柚でもたじろいでいる。訝しげな顔で僕を見ている。一方で僕はというとシリアスな表情の柚も可愛いと、なんとも阿保なことを考えていた。



「もも、もちろん。丁度良かったよ。これから課題で古い本もっと必要になるからさ」



理由なんかどうだって良い。柚とバイト先以外で会えるなんて、願ってもないことだ。

断る理由なんかどこにも、あるわけなどなかった。柚は僕の反応を見るや否やズボンのポケットからスマホを取り出し、僕の方に差し出した。画面に写っているのはLINEのQRコードだった。



「LINE、追加しといて!私もうレジ行くからさ!」



そう言い残して柚はロッカールームを後にした。1人になった部屋の中で、僕は大胆にガッツポーズをした。

本当に夢みたいだ。勇人の言っていたLINE交換を、まさか彼女の方から申し出てくるなんて。

僕はその日、家に帰ってすぐにLINEでこのことを勇人に報告した。「よかったな」と、返事は素っ気ないものだったけれど、充分嬉しかった。


やっぱり勇人の言う通り、バイトを始めて良かった。今までのじめじめしていて薄暗い世界からようやく抜け出し、目の前には青く澄んだ空が広がっている。雨上がりは、やっとおとずれたみたいだ。




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