女子高生願望
少女願望をもつ少年と過ぎ去ってしまう少女期に思い馳せた結果。
彼のポケットに滑り込む手を掴むと、その双眸が大きく見開かれる。
まだ肌寒い放課後の教室。西日が照らす縦に細長いシルエット。彼の指先がつまんでいたのは、男子の手に収まるにはやや可愛らしすぎる色つきのリップクリームだった。
私がそれを取り上げると、固まっていた彼がびくりと跳ね上がる。握り込んでいる骨張った手首を放さないよう手に力をこめると、次第に脱力していくのがわかった。
「これ、今この机から出したよね。きみの?」
さっと顔をそらされる。女子ながら身長の高い私からは、うつむかれると同じ目線の男子でも表情が読めなくなってしまう。名札付きブレザーをぬいだカーディガン姿になられると、名前の特定も困難だ。
しかし腕を捕まえた一瞬、彼はたじろいでこちらを見た。
男子にしては少し伸びた髪とまだ少年らしさの残るどこか物憂げな目元、白い肌が中性的な印象を与える。その諦めを滲ませた顔には見覚えがある。
「笹田祐介くん」
何度も聞かされた名前を紡ぐと、また彼の体がこわばる。怖々上げられた目を覗き込んで、もう一度名を呼ぶと、彼は絞り出したような声で私を呼んだ。
「私、由紀。わかるかな」
「……メグの、お姉さん……生徒会の……」
「そう。……メグの彼氏だったよね。これ、自分のなの?」
リップを示すと、上がった視線が足下に戻る。
ため息を飲み込んで、返答を待った。
「……………………ごめんなさい」
「謝るってことはきみのじゃないってことでいい?」
私の言葉に、丸い頭がゆっくりと上下する。きゅっと閉じた唇が噛みしめられて白くなっていくのを見て、ふと妹の声が耳奥で蘇った。
「祐って聞かれたくないことがあると唇、噛むんだよね」
うんざりした声。先日まではあんなにも甘ったるい、自慢げな声で話していたのに。
「祐の部屋からウチのじゃない女物が出てきて、浮気かって聞いてもだんまり。でもわかるじゃん、そんなあからさまに聞かれたくないって顔したら」
惚気話が愚痴に変わるのはそう珍しいことではない。期待した分、その期待が外れたときの落差は大きい。妹のような気分屋は特に。
「……最近女子の私物がなくなるっていう話は先生たちからもされてるからわかると思うけど、それもきみ?」
「…………」
「あのね」
うつむいた瞳がゆらゆらと光を反射して、透明な膜を張っている。白くなっていた唇にふっと赤みが戻って、彼が口を開こうとしているのがわかり、私は追求の手を一旦緩めた。
「……返します」
「返すって」
「なんでもします……っなんでも、先輩の言うとおりにします」
「……私の一存でどうにかできる話ではないよ」
そう返した途端、突然彼は床に膝をつく。手を捕まれたまま、腕を上げて不格好に頭を下げ始める彼を、私は慌てて止めた。
「ちょ……っと! 笹田くん!」
「お願いします。悪いことだってわかってます。わかってるけど……でも……っ」
校舎のスピーカーから、完全下校時刻の放送が鳴り始める。戻って報告をしないと、いつまでも生徒会室が閉められない。
ため息をつく。
「話は聞くよ。だから一度立って。一緒に来て」
「先輩」
「とりあえず聞くだけ。この後時間ある? 先生に異常なしの報告して生徒会室閉めたら、どこかお店入ろう」
異常なし、を心持ち強めに言うと、硬かった彼の顔がほんの一瞬和らいだ気がした。
話すだけで報告しないと決めたわけではないことを再度繰り返し、リップを元の机に入れて何事もなかったように生徒会室に戻る。ちょうど訪れていた教員に嘘の報告をして生徒会室の鍵も預け、校門に待たせた彼と再び落ち合った。
「どこがいい? 私と会ってるの、メグに知られたらまずいでしょ」
「……メグとは、別れました」
「あ、そう。じゃあ駅の店でも」
「あの」
と、彼が遮る。母へ遅くなる旨のメッセージを打っていた携帯から目を外すと、彼はまっすぐこちらを見ていた。
「家、今誰もいないんです」
話に聞いていたとおり、片付いた家だった。玄関には彼の黒いスニーカーと、私の女子にしては大きめのくたびれた靴が並ぶ。彼の靴の隣に、メグの小さな小洒落たローファーが並ぶのを想像するとやけにしっくりきた。
「おじゃまします」
靴箱に女性物の靴はない。代わりに男性物のビジネスシューズがいくつか並んでいる。私はそれをなるべく見ないようにして階段を上る彼の背を追った。
招かれた部屋はやたらと綺麗で、同年代の男子が生活しているとは思えないくらい整頓されている。まるで家具家電量販店の展示だ。
「片付いてるね」
「そうですね」
他人事みたいに彼は言う。人の気配のない家に、それは空虚な響きをもって霧散した。
私はそれ以上踏み込まずに勧められた座椅子に腰を下ろし、早速彼に向き合う。彼も気まずそうな硬い表情でこちらを見ていた。
「確認するけど、今まで女子の私物を盗んでいたのはきみなんだよね」
言葉を選ぶように何度か視線をうろつかせてから彼は答える。、
「はい」
「強要されていたわけじゃない?」
「……はい。俺が、ほしくて盗りました」
制服のズボンに骨っぽい指が食い込む。周りにいる中ではずいぶん大人びていてとてもそんなことをするようには見えないが、嘘をついている様子はない。きっと恋愛にもそこまで苦労しないだろう彼が、姑息に女子の私物を集める理由がわからなかった。
私が口を開くより先に、彼は「けど」と声をあげた。
「変なことしようとしたわけじゃ……いや、変なことだけど、先輩が考えてるのとは、たぶん、違う理由で」
「じゃあどうして盗ったの」
そう問うと唇が白くなる。何度も繰り返し歯をたてて荒れた唇。かさついたそれの内側が唾液で潤む。ふっと解放された唇に色が戻り、その間に赤い舌が覗く。
彼はそっと目をふせると、やや置いてから小さく答えた。
「女子高生に、なりたかったんです」
聞き逃してしまいそうなほどの声は、しかし無音の部屋ではよく通った。
女子高生、と私は復唱する、意味がうまく理解できず、咀嚼しようと脳内で同じ単語を幾度も繰り返した。
「変だって、わかってるんです……でも、本当に、なりたいんです……冗談とか、言い逃れじゃなくて。本当に」
ふせられた目元は赤い。泣きそうなのか、羞恥心からなのかはわからない。けれど、その様子は知っているどの女子生徒よりも少女めいて見えた。
「女子の、制服とか、ストラップとかが欲しかったんです。でも、俺は男だから……」
「だからって、盗んでいい理由にはならないよ。盗られて不安な思いをした子もいる」
はい、と絞り出された声はかすれていて、なんだかこちらがいじめているような気持ちになる。鼻をすすった彼はやがて立ち上がってクローゼットに向かうと、そこから鞄を一つ取り出した。
「……今まで、盗ったものです。もう、絶対しません。お願いします、全部返します。だから、他の、人には黙ってて、ください」
黒い睫毛が濡れている。鞄を持つ手は震えていて、今にも取り落としてしまいそうだ。
私は鞄を受け取って、中を確認する。シャーペン等の文具、ストラップ、淡い色のカーディガン、ワンデーカラコン、ヘアピン、ヘアゴム、可愛い表紙のノート……。重ねてたたんで、鞄の底にしかれている制服だけは、他のものと違って一組しかない。
「これで全部かな。他にはないって、信じていい? 靴箱にシューズあったりしないよね」
「はい、それだけです……ごめんなさい」
「できれば本人たちに謝るべきだけどね……できるだけいたずらで片付くように頑張ってはみるよ。学校側も警察とかは困るだろうし、大丈夫だと思う」
「はい」
彼の目はじっと床を見つめている。シャツの襟ぐりから覗いた頼りない首元。宝物を手放した子どものような、それでもどこか安堵の浮かんだ口元。妹の語った「大人びて格好良い彼氏」とは、どうにも重ならない姿に、私は思わず距離を詰めた。
膝が触れる。
「なりたいと思うのは、悪いことじゃないよ」
「……」
「けど笹田くんは、やり方を間違えたね」
目尻にたまっていた涙が大きなつぶになって落ちていく。袖で頬を拭ってあげると、耐えかねてくしゃりと顔を歪めた。喉の奥で押し殺された嗚咽が部屋に響く。触れあった膝にこぼれるしずくがスカートにしみを作ると、自分の心臓を握り込まれているような気さえした。
「……手伝ってあげようか」
耳に聞き慣れた声が届く。それは自身の口から飛び出した声だった。
「手伝う……?」
ぼんやりと濡れた瞳が見返す。あめ玉みたいな、つやを持った瞳が私を写している。
もう一人の私がそこにいて、彼女はひどく優しい手つきで彼の頬を包み、あまやかに囁いた。
「笹田くんを、女子高生にしてあげようか」
熱を持つ目元が指先を焼く。こぼれ伝う涙は硫酸。私の神経を、思考をじゅわじゅわとかしていくのに、危うい頬から手を離せない。
ふと、幼い妹が私の人形を抱っこしている姿が頭によぎる。
メグが私の人形から服をはぎ取り、何かの端切れ布を巻き付けて遊ぶのを見て、父が別の洋服を買い与えた。
「可愛いねえ」
小さなメグが私に言う。私はそうだね、とだけ返す。何度も着せ替えてほつれの目立つ人形の服はゴミ箱に捨てた。
次々に変わるメグの好みに合わせ、服はどんどん増えていって、ストレートだった人形の髪は結い上げられ、編まれてと様相を変えていく。いつの間にか、私の人形はその姿を大きく変えられていた。
「メグ、お人形ちゃんと片付けなさい」
あれ。と思う。
「はあい」
当たり前みたいにメグが返すのを聞いて、やっと気付いたけれど、それでも私は、その人形から視線を離せなかった。
なめらかな彼の頬はあの人形によく似ている。指を湿らせる涙だけが私の記憶にない感覚だった。
「俺でも、なれますか」
ほっそりした喉から絞り出された声に、私の唇が緩む。
丸い頭がゆっくり頷いて私の手のひらを撫でるのを、あめ玉の中の私が見つめていた。
再び訪れた彼の部屋は以前と変わらずきっちりと片付いていた。漫画本や、小綺麗な小物の並んだラックも、ただ飾りになっているだけなのかもしれない。理想の男子の見本を押しつけられたような部屋は、どこか息苦しさを感じる。しかし思えばそれは彼の部屋に限ったことではなく、玄関先からずっと感じられるものだった。
白い壁、品の良い置物。彼はいわゆる鍵っ子であるらしく、二度目の訪問の際も家に人の気配はなかった。
ウィッグの毛先が、シャツの上を滑る。私の用意した、彼の地毛に近いわずかにブラウンがかった黒のセミロング。彼が動く度、それが白い生地の上で踊っていた。
「メグとは、その後どうかな」
「特になにも……別の人と付き合ってるみたいな話も聞きますけど、家で話したりしてませんか?」
「あの子は自慢話しかしないの。笹田くんのことは、よく聞いてたよ」
「……そっか」
私の制服に彼が袖を通す。男子なだけあって、サイズは上の私の制服でも、肩幅はぴったりだった。細長い指がボタンを丁寧につまむ。一つ一つボタンを留めていく指先は、硝子細工に触れているみたいだ。それを留め終わると、袋からスカートを取り出す。
そのままズボンを脱ごうとするのを止めて、ズボンの上からスカートをかぶせて、留め具を留めた。そしてズボンを脱ぐように促す。
「着替えのときはこうやるの。人がいるときはね」
「へえ」
「……あと寒いときもやる」
付け加えると、彼が小さく笑う。唇はまだ少し荒れていた。
「ねえ、嫌だったら答えなくていいんだけど……笹田くんは、男の人が好きなわけじゃないの?」
軽くシャツを整えながら問う。さっと目を走らせた口元は赤みのあるままだ。
「んん……いや、そうじゃないです」
「そっか。じゃあ、カムフラージュとかで付き合ったわけではないんだ」
「うん。可愛いと思ったから付き合いました」
流れるように言葉が出てくると少々面食らう。肉親を褒められると妙な気恥ずかしさがあった。
ごまかすように彼に着せたシャツの襟を立てる。指先が首をかすめると、白い首筋がひくりとすくんだ。
「可愛いかな」
「うん。…………理想の、女子高生だった」
理想の女子高生。
そう言った彼の目は、なにか別のものを写している。腕を引いてベッドに座らせて、されるがままの体にカーディガンを羽織らせた。
「……あの子、結構わがままだったでしょ」
「うん。すごく」
「それが理想なの?」
「そう、ですね」
彼の瞳は空想している。体は人形みたいに私に任せて、理想の姿を思い描く。それはどんな少女より少女らしい。
「わがままで、可愛くて、強気で……でも泣き出すこともある。弱くて脆い、やわらかい所を、誰かにさらけ出せる。……それに、わがままだから、いろんなものをほしがって、甘えて、嘘をついて……そういう貪欲さみたいなものを、みんなきらきらしたもので隠してる」
たしかに、それはあの子そのものだった。
毛束をかきわけ、リボンのフックを首の後ろで留める。
あの子がそうするように彼が首を少し前へ傾けると、シャツと肌の間に隙間ができて、暗い背中への空洞があらわになった。そこに差し込んだ光が、インナーシャツや背骨、肩甲骨の凹凸をちらちらと照らす。毒々しいコントラスト。くっきりとした影の部分はどこまでも続く。
捕らえられた視線を引きはがしてリボンを前で調節した。のど仏が目立たないように襟を高めにする。
「笹田くんも、そうなりたい?」
「……なりたいけど、俺じゃできないんです」
「……そう」
新しい黒タイツのパッケージを開けて、両手でつまさきまで縮めていくのを、彼はじっと見つめていた。
「こうやってつまさきから履くと、穴が開きにくいの。足、上げてね」
「あ、それはちょっと知ってます」
「履くのは?」
「初めてです」
「そ」
指先が彼の足筋を追う。しっとりと肌の上を這う薄い生地を、熱っぽいまなざしがねぶっている。
「さらさらしてる」
「タイツだからね」
立ち上がらせ、スカートの中に軽く手を入れてタイツを引き上げる。一瞬迷った自分には気付かないふりをした。
今の笹田くんは女子高生だ。
「少しだけメイクするね」
そう告げると、瞳の奥がきらりと光ったような気がした。いたずらっぽく、薄い唇が笑う。
「校則違反ですね」
「いいの、お休みだから」
一番安いブランドで買いそろえたコスメ。きらきら光を反射する、おもちゃみたいなコンパクト。安っぽくて、実際安いけれど、その可愛さが嫌いではない。彼の盗んでしまったストラップや文具のデザインからして、きっとこういうものが好きだろうと思った。
「メグが好きですよね。そういう可愛い、プチプラの」
「そうだね。私も好きだな。……きみも好きかと思って」
「好きです」
くすくすとこぼれた笑みは、可愛い小物を手にとって喜ぶ妹にそっくりだ。案外、彼は理想に近い所にいるのではないだろうか。
それとも、それに気付いてはいるけれど気付かないふりをしているのだろうか。
「女子高生」にあこがれる彼は、まだ「男」ではない。完全な「男」ではない「今」は、いつか遠ざかってしまう。けれどそれは私たちだって同じなのに。
私たちだっていつかは、今この瞬間そうである「少女」では、「女子高生」ではなくなってしまう。
いつかこの瞬間は過去になる。
それなら彼だって私たちと同じではないのだろうか。
「これはあげる。制服は駄目だけどね。いつでも貸してあげるから」
「え、でも」
「いいよ。肌の色も違うし、私には合わないから」
なおも言葉を続けようとする彼の頬に下地をちょんちょんと塗りつけて黙らせる。スポンジで広げ、パウダータイプのファンデーションをたたく。
「メイクはね、いろんなものを隠してくれる。小さい傷あととか、そばかすとか、隈だとか……それだけじゃないけれど」
彼が言ったような貪欲さや、もっとどろどろした感情、嫌悪感、優越感、嫉妬……。
アイシャドウが目元をきらきらしく飾り、チークが恋したように紅潮した頬を作る。温和そうな眉も、強気そうな眉も描ける。唇の色だって変わる。ノーズシャドウやハイライトで鼻は高くなる。ビューラーで睫毛を上げたり、付け睫毛をすることで綺麗な睫毛はできる。慣れて上達すれば、二重もごく自然に作れる。アイラインで目の形は変わる
白い肌、大きな目、高い鼻、ばら色の頬、唇。恋する少女の代名詞は、ほとんど誰もが手にできる。
けれど、彼の頬にチークは乗せなかった。
ビューラーで睫毛を上げて、リップを塗りつける。
「薬用?」
「最初はね。唇、荒れちゃうから……〈う〉の口ね」
そう促すと、慣れた様子で彼は唇を軽くとがらせてみせた。リップの上から唇の真ん中にグロスを乗せる。
できたよ、と声をかけると、彼はどこか居心地悪そうに笑った。
「……変じゃないですか?」
クローゼットに付いた鏡を覗き込みながら、彼が問う。
「可愛いよ」
鏡越しにそう言うと、彼の瞳がしなって嬉しそうな笑みへと変わる。
「本当に可愛い」
後ろから髪を整えて、一度背後を離れる。すると彼も振り返って、ふわりとスカートが広がる。
「先輩?」
いぶかしげな彼。少女より少女らしい表情。それを見返して、私は自分の鞄のジッパーを開けた。
「きみは、いろんなものをほしがっていたし、実際いろんなものを盗ったよね」
唐突な言葉に彼がたじろぐ。三拍ほどして、ようやく紡いだ声はかすかに震えていた。
「……は、い」
「女子高生の持ってるものなら、見境なく」
うつむく彼は唇を噛もうとして、やめる。代わりに「はい」と同じ返事と、視線がまっすぐ返ってきて私を射貫いた。
「でも一つだけ、あの中になかったものがあった」
鞄の中を占領する箱を取り出す。縦長の、しっかりした入れ物。それをスライドさせて中身を取り出すと、白い保護材の中にはパステルラベンダーのスニーカーが収まっていた。
「靴はほしくなかった?」
「…………ほしかったけど、盗ろうと思わなかったんです」
スニーカーを取り出し、彼の手を引く。整った面差しに困惑を浮かばせながらも、彼は素直に導かれてベッドに腰を下ろした。ゆらゆらとさざめく双眸は、食い入るように靴を捕らえている。
「サイズが合わないから?」
片足を持ち上げて、膝の上へ置いたスニーカーをあてがった。
「……外へは行けないから」
「そう。けど、これからは行けるでしょう」
彼の足には少し大きいようだが、紐を締めれば履けないことはない。それに成長期なのだからきっとすぐぴったりになるだろう。
「今のきみなら誰が見たってわからないよ」
「……そう、ですかね」
「うん。もし不安なら、私が一緒に出かけてあげる」
もう片方も紐を調節し、そっとそろえて床に下ろす。可愛らしいデザインのそれは、女子にしてはやや大きい。このサイズを探す苦労は、私自身がよくわかっていた。
「だから、もう盗んだりしないで。……自分のためのものを買おう。この靴は、きみだけのものだよ」
ひょろりと細い手が、ゆっくりとのびてくる。白い指先がそろりそろりとスニーカーの凹凸をなぞった。
「俺、声低いですよ」
「話さなきゃならないときは、私が代わりに話せばいいよ」
「背だって低いわけじゃないし」
「私の身長見てから言ってね」
「……女子のためにあるのに、俺が使っていいのかな」
カーテンのように彼の頬や額を隠す髪を指先でかきわける。
「いいんだよ」
あらわになった目元は赤い。潤んで熱をはらんだ瞳が私を写す。私は彼の熱い頬に触れた。
「きみは、可愛い女子高生なんだから」
緩んだ口元。はにかみ。
髪を耳にかけてあげながら、やっぱりチークはつけなくて正解だと思った。
「ね、出かけてみようか」
だしぬけに私がした提案に、彼はほんの少し逡巡する。彼の握り込まれた手に触れるとぱちりと視線がぶつかって、やがて彼はゆっくり頷いた。
私服の私と制服姿の彼とが並ぶと少しアンバランスな組併せに見える。それでも雑踏の中ではそれほど目立つこともなく、「女子高生」二人は駅前の雑貨屋をひやかしていた。
「これ、可愛い」
白い指先が愛らしいマスコットや髪留めをつまみ上げる。かき消されそうな声が耳元で響く度、私はなんだかくすぐったくてそうだね、可愛いね、と繰り返した。触れ合う肩が、自分にしか聞こえない声が、いちいち私に同意を求める指先の動きが、その一つ一つが心地良い。
私達はおそろいのシュシュを一つ買ってその店を出た。
さっそく開封して手首に通す彼に笑みを深める。こんなふうに、大衆が思い描く女子校生みたいなことをしたのは、いつぶりだろう。
駅から出入りし、行き交う人並みを彼の横顔越しにぼんやり眺める。
そのとき、その肩越しに、雑踏に、ぽかんと口を開けた、よく見知った顔が見えた。
メグだ。
「あ」
私の口から、呆けた声が漏れる。不思議そうな顔で彼がこちらを見る。そうして彼が振り返り、視線の先を追おうとするのを私は止めた。
「先輩?」
小さな声が心配そうに響く。
「ううん、なんでも。それより、記念写真撮ろうよ」
私もシュシュを開封して手首にはめ、それを彼の手首に並べてスマホを向けた。
「女子高生記念」
そう言うと、彼は少しはにかんでシュシュのついた手が写ったスマホ画面を覗き込む。少し下がった肩越しに視線を雑踏に戻すと、さっきまで唖然としていた彼女は、口元をいびつに歪めて、ふいっとこちらに背を向けた。
「撮るよ」
カシャ、とシャッター音。画面の中で少し骨張った白い手がピースをしている。写真をSNSで送ると、彼はいつまでも嬉しそうに画面を見つめていた。
ファム・ファタールみのある少女が好きです。ありがとうございました。