プロローグ
五月二十日
近くのグラウンドから少年野球の子供達の声と一緒に金属バッドの音が耳に届く土手に男は寝転がって空を仰ぎ見ていた。
そんなのどかな日本の昼下がり、男は小さく呟いた。
「ここは一体どこなのだ━━━」
◆ ◆ ◆
プロローグ
私の名はカミル。父はドイツの音楽家ベートベンである。
父親とはいえど、母とは愛人関係で結婚はしていない。いわゆる母子家庭だ。
父が訪ねてくる3ヶ月に1度の朝は、母が歌を口ずさみながらキッチンに立っていた。彼の好物である茹でたマカロニにチーズを和えたものやパンと生卵を入れて煮込んだスープを作りながら。
「記憶はあるらしい」
青く広がる空を見上げたまま確認するように声にすると、ようやく体を起こすことにした。
寝転がっていた時には見えながった周りの景色が目に入る。
絨毯のように続く緑の芝生は緩やかに傾斜がついていて、降りて行った先は公園のグラウンドへと続いている。反対側へと視線を向ければ、アスファルトの地面が続く遊歩道が設置されていた。
ウォーキングをする人や子供連れの家族、買い物袋を乗せたて走るママチャリが視界に入った。
野球、自転車、アスファルト…
どれも自分が生きていた1800年代にはなかった物ばかりだ。
だが名称はすんなり浮かんできて知識はあるらしい。
だからか、見も知らない場所だったがそれほど取り乱さずに済んでいるのは━━━。
カミルはゆっくりと立ち上がると緩やかに吹いた風から香る芝生の青臭い匂いを鼻から吸い込んだ。
◆
遊歩道を沿いを歩いて抜けた先には商店街が広がっていた。
自分の家もわからず、とりあえず移動してみた先に辿り着いた場所は、アーチ状の屋根が続いている下にズラリと店が並んでいる。アーケードの入り口に突っ立って、ドラッグストア、総菜屋、肉屋に八百屋、コーヒーチェーン店…次々と並ぶ店の看板に目を滑らせながら、アーケード奥へと視線を動かしていく。
「ここは近隣住民の生活の中心なのか」
ぽつりと出た言葉もやはり理解している様子だった。
商店街もまた初めてみる場所なのに。
アーケードの入り口をくぐろうか戻ろうか、そんなことを考えていた時不意に背後から抱きしめられて名前を呼ばれた。
「鹿未留!」
振り返ると頭は自分の肩よりも低く、栗色の脇くらいまでに伸ばした長さに髪をピンクのシュシュで無造作にまとめている女の子がいた。
「お、お嬢さん?」
女の子の名前は出て来なかった。むしろ記憶すらない。ここが日本だということも何故かわかっているようだったが、わからない事もあるようだ。ピンクシュシュの彼女は、鹿未留の口から出た言葉に茶色いぱっちりとした目を丸くすると、あっはっは、とはっきり聞き取れるほどの声で笑った。
「なにそれーなんの冗談?」
薄づきのピンク色のグロスで色づいた唇が楽しげに動いている。
抱きついた腕を緩めて離れると、ようやく彼女の全体像が見えた。
薄いブルーのワイシャツと膝よりも20センチは上の濃緑のプリーツスカート、足元はコンバースの黒のスニーカー、そして背中には小柄な彼女よりも大きく見える黒いギターケースを背負っていた。
頭に浮かんだのは『第三緑葉高等学校の制服』。
この近くの市立の高校だ。
「ほら、みんな待ってるよ」
「え?みんな?」
頭の中にハテナマークがまた並ぶ。
俺のことを知っているらしい彼女は、強引に俺の腕を引っ張って歩き出した。
わけがわからないまま辿り着いた先は、アーケード商店街の裏路地にあるライブハウスだった。
初めて小説を書きました。
合間に趣味で書く小説ですが、のんびりとお付き合いいただけると有難いです。