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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

名無しの見習い

作者: letterake

「ウム! 今日からこの街に暫く滞在する」


 師匠の言葉に夢現の狭間で彷徨っていた意識が浮上する。


「着いたんですか!?」


 師匠と同じ様に馬車のカーテンを少し開けて窓の外を見る。

 

「わああ」


 窓の外には朱色の街が広がっていた。

 朱を基本とした木造建築の建物と不思議な形の街灯が立ち並び、道行く人々も見たことが無い格好をしている。

 

「不思議な街灯ですね」

「うむ! 灯篭と言う。日が暮れると幻想的な灯りが闇を照らす。見ものじゃぞ」

「へえーーー!」


 灯りが点いていない灯篭をを眺める。

 光を発していなくとも灯篭のデザインはとても魅力的に見える。

 僕が以前いた町では町役場がある一画くらいにしか街灯は無かった。

 買い物をしに隣の大きな町に行ったときでさえ無骨なまっすぐ立った金属の棒の天辺に灯りが点いているだけだった。

 それに比べてこの街の灯篭の場合、大通りに設置されているものは朱色でデザインが統一され、ときたま覗く脇道に設置されているものは緑色だったり、石でできていたり、斜めに立っていたりと様々なデザインで見る者を飽きさせない。

 

「ん~? もしかして着いたの?」


 隣の席から眠たげな声がする。


「ウム! もう直ぐ到着じゃ」

「あ、先輩おはよ――ぶえっ!!」

「ホント!? わあーー! 素敵な街並み!!」


 飛び起きたネステ先輩が僕を押し潰しながら窓を開けて外に顔を出す。

 長旅で疲れきってぐったりとしながら僕の肩にに頭を預けていたおとなしい少女はどこへやら。

 新天地に目を輝かせたアグレッシブガールが目を覚ました。

 

 ネステ先輩が上に乗っかっていて苦しいのもあるが、それ以上に問題なのが頭の上柔らかい感触だ。


「……先輩、重いです」

「レディーに対して失礼ね」

「なら、レディーらしく振舞って下さい」

「むー」


 ネステ先輩は退くつもりが無いようだ。街並みに見入っている。

 そんな先輩を見て師匠が口を開いた。


「ウム、これに関しては弟弟子の言うとおりだな。淑女らしさと、先輩らしさも身につけなくてはならない」

「は~い」


 ネステ先輩がやっと僕の上から退く。

 嬉しいような、残念なような。


「仕方ないじゃないですか、私の方の窓見えないんですから」


 そう言うネステ先輩の視線の先には窓を塞いでいる道具類がある。

 一応荷台スペースはあるのだが、こればかりは近くにないと落ち着かないと言って師匠と先輩はこれらを持ち込み、更には馬車で移動中の暇な時間にと持ち込んだ研究用の道具類に食料が入った鞄も合わさって狭い馬車内の一画を占領していた。

 

 先輩がおとなしく座ったのを見届けると師匠はたっぷりと蓄えた髭を弄りながら説明を始めた。

 

「以前にも言ったとは思うが、この街の名はシュギョクギエン。中央か――」

「ショギョ……、発音できない」

 

 先輩が無情にも師匠の話をぶったぎる。


「話の腰を折らんでくれ。アー……コホン、中央から流れてくる物と東の特産品、そしてソウテンジクから稀に流れてくる珍しい品が合わさって交易が盛んに行われておる。わしらの研究に役立つ道具がそろうじゃろうし、今直ぐに無くともしばらくまてばそれが転がり込んでくる可能性もある。長く滞在することになるじゃろうから、到着したら馬車の荷物を家に運び込んだら直ぐに挨拶に向かおうと思う」

「挨拶って誰に? お風呂にはいってからじゃ駄目なんですか?」


 先輩の言葉に頷く。臭いというほどではないが、研究で使った道具の臭いに途中で飲み食いした菓子類の臭い。それに少しの体臭が合わさって馬車の中には微妙な臭いが漂っている。

 ちなみに途中ぐったりとしてもたれかかってきた先輩の髪からは良い匂いがした。


「狐様じゃよ。勿論、風呂にはいって、身なりを整えてからじゃ。荷解きは挨拶をした後に行う」

「寝る場所はもう決まってるんですか?」

「ウム、どんな所かは聞いていないが、鍵は既に貰ってある」


 そう言って師匠はポケットから封筒を取り出して、それをひっくり返した。鍵が封筒の中から落ちてきて師匠の掌の上に収まる。

 


 馬車のゆれが止まった。

 直ぐ後に御者台から御者の声が聞こえる。


「着きましたよー! ここで合ってますかー?」

「確認してこよう」


 師匠が出て行くと、また先輩が僕を押し潰しながら窓の外を見ようとする。僕の頭の上に手を置いて、完全に台座代わりだ。


「どんなところかな? ちゃんとしたベッドがあるといいな」

「先輩ぃ~」

「ごめん、ごめん。あ、師匠戻ってきた」


 先程叱られたばかりだからか、僕の上からどいて膝の上に手を置いて微笑みながら上品に? 取り繕う先輩。


「ドアが開いた。ここであってるようじゃな、荷物を運び込むぞ」

「「はい」」


 馬車から降りて目の前の建物を見る。


「ここが……」

「ウム! 狐様は良いものを用意してくれたようじゃな」


 3階建ての立派な家だ。大きいと表現するほどでもないが街に並ぶ多くの家よりは大きい。

 街の中心地から離れる方向に坂を上った先の右側にいくつか家がまとまって建っており、その一番端。崖から街の中心地側にせり出したような形で家が建っている。

 坂の途中にある家は勿論、街を見渡すことも出来る景色が良い場所だ。

 地震や老朽化で建物が崩れたら一瞬で下に落ちていきそうな立地でもあるが……それは気にしないことにする。

 

 荷物を抱えて家の中に入る。

 そこそこ広い客間だ。

 薄暗くて見づらいが、机と柔らかそうなソファに椅子、狸の置物を始めとした不思議なガラクタ類が壁際に積まれている。

 とりあえず荷物を開いたスペースに置く。

 

「重いー」


 姉弟子が荷物を抱えながらふらふらとした足取りで入ってくる。

 非常に危なっかしい。

 僕より少し小柄なのに僕の倍は荷物を持っている。

 

「先輩、危ないですよ。分けて運んだほうが」

「うるさい」

「はい……」

 

 少しへこむ。

 馬車の長旅で途中、トランプをしたりして少しは仲良くなれたかなと思ったけど、まだまだのようだ。

 気を取り直して、部屋の明かりを点けようとしてスイッチを探す。


「スイッチ……」


 僕の言葉に反応して先輩も部屋を見渡す。


「……灯り……」


 そして壁際に立つ台と壁の上方に設置された置物に目を向けた。


「電気じゃないやつね」


 先輩が面倒くさそうな声を出す。

 それと同時に師匠が荷物を抱えて入ってくる。

 両手が完全に塞がっていて、積みあがった荷物で顔も見えない。

 この師弟には分けて運ぶという考え方が無いのだろうか?


「ウム? どうした?」

「ししょー、灯り」


 手に抱えた荷物の山の横から師匠が顔を出して先輩が指差した壁際の台を見る。


「あー、ウム。夜になる前に()()を取り出さんといけんなあ。青い鞄の中に入っているから出しといてくれるか?」

「は~い」


 師匠は荷物を置くと部屋を見渡した後に玄関から入って右側の方へ歩いていく。


「まあ、今はまだ昼間じゃから……」


 師匠が壁を横にスライドさせる。

 日の光と風が入ってくる。


「あ、そこ壁じゃなくて木の扉だったんですね」

「ウム、こんなのもあるぞ」


 そう言って師匠は天上から竹?で編んだカーテンの様なものを下ろした。


「簾と言うんじゃ。こうすると外からは見えんが、風と多少の光が入ってくる」

「わぁ~、素敵♡」

「何ていうか、おしゃれですね」


 話もそこそこに、全ての荷物を運び込むと師匠が御者にチップを渡して礼を言った。

 家の前の道は微妙に狭く、馬車のUターンは難しそうに見える。

 というか無理だろう。

 それなりに大きい馬車だ。

 無理にUターンしようとすれば錆びた頼りない鉄柵は直ぐにでも崩壊し、馬車は崖の下にある家の天井に穴を開けることになるだろう。

 

「これ、どうやって戻るんですか?」

「ああ、こうやって」


 御者は馬を馬車に繋いでいるロープを外し、馬を馬車の横を通して後方に回らせる。

 そして馬を馬車の後ろ側に繋いだ。

 

「あ、そっちにもつけれるんですね」

「そういうことだ、まあ、いざとなれば尻で押せば動かせんことも無い」


 馬が「ボホォー!」と青い鬣を揺らしながら得意げに鳴いた。

 

「じゃあな坊主!」

「はい、ありがとうございました」


 気の良いオジサンだった。今度馬車に乗ったときもあんな人が御者だと良いな。

 少し変わった馬だったけどどういう種類だったのだろうか、聞きそびれてしまった。

 師匠に聞けば教えてくれるだろう。



 その後、休憩もそこそこに3人で順番にシャワーを浴びて身支度を整える。


「ウム! では行くぞ」


 普段のだぼだぼのローブを脱いできっちりとしたスーツを纏い、朱いネクタイを締めた師匠が声を上げる。

 ネステ先輩は持っている中で一番綺麗な白いローブを着せられた。

 ちなみに僕はまともな服が途中で寄った街で買った灰色のローブが一着あるだけだったので、仕方なくそれに先輩の香水を掛けてから着ていくことになった。

 

 師匠と先輩は馬車の窓を塞いでいた杖も持っている。

 

 家を出て歩きだそうとすると来たときは下がっていた隣の家の簾が上がっていることに気づいた。

 奥の障子も開け放たれて、部屋の中も見える。

 縁側に煙管を吹かしながら座っている男性が居た。

 若いようにも年を取っている様にも見える。

 

「おや、貴方方はそこの家に引っ越してきたのでしょうか?」


 男性が話しかけてきた。


「ウム! しばらく滞在することになるやもしれん、よろしく頼む」


 師匠が答える。


「ここに越してきたということは、ご同業の方でしょうか? この坂は不思議坂と言って、あっしらみたいなのが多く住んでいるんですよ」


 男性の周囲では魚が空中を泳いでいた。

 魚の下には見たことの無い植物を植えた植木鉢があり、その植物から光が立ち上り空中で揺らめいている。

 その光の中を魚は泳いでいた。

 男性が吹かしている煙管からも光が立ち上り、そこでも一匹の小さな魚が泳いでいる。


 男性の周囲をちらりと見た後師匠は言った。


「ウム! そのようじゃな」


 その言葉を聞いて男性は空中を泳ぐ魚の一匹を指差す。


「魚を育てているんです。結構美味しいですよ、お近づきの印にご馳走しますよ」

「ウム! わしも遠方の珍しい菓子を持っておる。ご馳走しよう」

「そりゃ、いいですね。美味い菓子は大好物でさあ、特に甘いものはね」

「ウム! 甘くて美味いのがある」

「楽しみになってきましたよ。今直ぐにでも食べますかい?」

「いや、約束があるでな」


 師匠が街の中心に建つ巨大な屋敷を指す。


「舞之殿……狐様のところですかい?」

「ウム」

「そりゃあ、約束を破るわけにはいきませんね。じゃあ、今度空いてる時間に声を掛けてください」

「ウム、また会おう魚屋」

「魚屋……まあ、魚を売ってはいますから間違っちゃあいませんがね……また会いましょう()()()()()()()


 魚屋と別れ、坂を下っていく。

 雑多で、小さな店がひしめき合っている。

 魚屋が言っていた不思議坂というのはなるほど、その通りだ。

 店頭に並べられた色とりどりで丸く膨らんだ硝子細工の中で妖精が舞っている。

 まさか本物の妖精を硝子細工の中に閉じ込めているわけではないだろうが、硝子の中の妖精はまるで生きているかのように表情を様々に変えて道往く人々を魅了する。

 その隣の店では木彫りの彫刻を売っていて、木の色そのままで明らかに木彫りの彫刻であるはずなのにやけに目線が鋭く今にも動き出しそうな鳥の彫刻が怪しげな雰囲気を纏っている。

 

「以前、少し通っただけじゃが、相変わらず賑やかじゃのうここは……ほれ、お転婆娘。お主が好きそうな菓子を売っておるぞ」


 そう言いながら師匠は瞬きをするたびに色を変える小さな星が沢山詰まった瓶を杖の先で示す。


「ししょー、その呼び方は止めて下さい」


 ネステ先輩が物凄く嫌そうな顔をしている。


「ウム、そう言えば決めていなかったのお」

「長く滞在するんですよね、まともなのにして下さい」

「ウム……シエじゃ」

「シエ?」

「ウム。そう名乗るのじゃ」

「どういう意味?」

「無い、失われた言葉じゃ。意味を与えるのは自分自身じゃよ」

「えー、それって本当は意味があったってことでしょ?」


 不満そうな声を上げる先輩に答えず、師匠は笑いながら星が詰まった瓶を店員に見せてから金を渡した。


「ウム、2人で食べると良い」


 師匠は買った瓶を先輩に渡した。

 

「ん」


 そう言いながら先輩が瓶を僕の前に突き出す。

 掌を上に向けると小さな星が何粒か降ってくる。

 掌の上に乗った星達は日の光を受けてキラキラと輝いている。

 一粒口に入れてみる。

 甘い味が口の中に広がる。

 美味しいな。


 先輩のほうを見ると黙々と星の粒を食べ続けている。

 気に入ったのかもしれない。


「虹見コンペイトウと言う菓子じゃ。悪くないだろう?」

「はい、美味しいです」

「ここから街の中心にある建物、舞之殿という場所に向かう」

「そこに、その、狐様?っていう人に会いに行くんですか?」

「そうじゃ、この街の長じゃな。実は今回はその狐様から依頼を受けていてのう。元々この街には寄る予定じゃったが……」


 それから、師匠から街の由来について話を聞いた。

 昔この一帯を恐怖に陥れた鬼がいたらしい。そこで、鬼を倒すために七人の勇者が集まって、この地に住んでいた九つの尾を持った狐に力を借りて、鬼を打ち滅ぼしたらしい。鬼が居なくなり、平和になったこの地に七人の勇者と九尾狐の子が街を立てた。それがこの街の始まりだそうだ。

 師匠の話を聞きながら街の中央へ向かっていく。朱に彩られた街の景観と、道を歩く多様なモノ達は僕たちの目を飽きさせることなく楽しませてくれ、気づけば目的地にたどり着いていた。




「久しぶりじゃのう、焦げ目の」

「久しいな、六房の狐。五十年ぶりか」


 この街の中心にある塀に囲まれた広い敷地。そのさらに中心にある屋敷の中にその人はいた。

 煌びやかな着物を纏い、七房の尻尾と人のものではない長い耳を頭の上に生やした妖艶な美女が豪奢な玉座に座していた。  

 獣人? だろうか。見たことが無いのでわからない。


「ほう……その2人がお主の弟子か」

「ウム」


 美女は僕の方をちらりと見た後、ネステ先輩の方をじっとみつめる。


「なるほど。この2人に依頼の話は?」

「まだじゃ、詳細を聞いておらんでの」

「そうだな、堅苦しい話は明日にしよう。今宵は宴じゃ」

「ありがたい、弟子は長旅で疲れているでな」


 狐が横に控える従者に目配せすると、従者は広間の横にある扉を開いた。


「こちらへどうぞ、宴の準備は既に整っております」


 従者の後ろに続いて、通路を歩いていく。

 この人は普通の人間だろうか? 少なくとも尻尾は生えていない。

 しかし、付けている仮面とその異様な雰囲気で普通の人間には見えない。


「この部屋でございます」


 通された座敷には長い机の上に豪華な料理が並んでる。

 野菜、肉、魚、果物にデザートまでなんでもござれだ。

 僕たちが席に着くと、狐様も座敷に入ってきて、乾杯の音頭を取る。


 美味しい料理ばかりだった。

 だいぶ腹も膨れてきたかというところで、座敷に子供が一人入って来た。

 年は十にも満たないくらいだろうか、頭の上に伸びた長い耳と一房の柔らかそうな尻尾が生えた獣人の可愛らしい少女だ。

 

「あ! おヒゲ!」


 そう言うと獣人の子供は師匠の膝の上に飛び乗ると、その髭を伸ばして遊び始めた。


「ウム!? この娘は?」


 師匠が髭をひっぱられる痛みに顔をしかめながら狐様に問う。


「……ミヨウ、3日前に眠ったばかりであろうに、珍しい……あー、ミヨウは、余の娘よ」


 師匠のコップが倒れて机の上に酒が広がる。慌てて零れた酒を拭きながら師匠は聞き返す。


「む、娘? ……あー、ウム、えー、あー、ウム。お主も世継ぎを作らんわけにはいかぬからな……その、夫は誰じゃ? せっかくだから、何か祝いの品を渡そう……」

「はぁ……よい、いらぬ」


 狐様はつかれたように溜息を付きながらそう云った。


「じゃが、昔馴染みが結婚したというからには、何か祝いの品でも渡さんと――」

「いらん!」

「……」

「……」


 何だろうこの空気、気まずい……。

 ミヨウだけは師匠の髭を引っ張りながらニコニコと満面の笑みで笑っていた。

 



 家に戻ってきた。


「今日はもう寝ようかの、部屋は人数分あるようじゃし」


 家の2階には個室が並んでいた。

 

「ベッド、埃っぽくないわね。寝れそうだけど……もっとやわらかいのがいいわ、私」

「掃除はしておいてくれたようじゃな。家具はおいおい揃えておくとして、今日は我慢せい」

「はーい」


 皆で個室を見て回る。少し間取りが違う部屋はあるが、大体一緒のようだ。

 街の多くの建物と同様に朱を基調とした壁紙に家具。


「私この部屋にする」

「僕はこの部屋でいいですか?」


 何となくネステ先輩の隣の部屋を指差す。

 特にこだわりがあるわけではない。

 

「ウム、じゃあ儂は余った向こうの部屋にするかの、お休み2人とも」

「はーい」

「おやすみなさい」


 ネステ先輩は直ぐに自分の部屋に入っていった。僕は何か飲み物が飲みたくなって、一階に降りて冷蔵庫に入れた水を取り出して飲んでいたら師匠も一階に降りてきた。

 師匠は客間の隅にとりあえずと積まれた大き目の鞄の中から旅の途中で買った酒を取り出して自分の部屋入っていく。

 さっきまで飲んでいたのに、まだ飲むつもりなのだろうか?

 

 自分の部屋に入った。

 自分の鞄の底からパジャマを引っ張り出して着替えるとベッドに潜り込んだ。

 直ぐに瞼が重くなり、意識がだんだんと沈んでいく。

 長旅の疲れがあるのだろう。なれないベッドでも直ぐに眠れそうだった。

 馬車の中での寝泊りでは十分に睡眠を取れたとは言えなかった。

 隣でネステ先輩が寝ているため気まずかったのだ。

 御者台で寝ていた師匠や御者に比べればましだったのかもしれないが。

 

 ……ネステ先輩は僕のことをどう思っているのだろう。

 嫌われてはいないだろう。

 だが、仲良く世間話をするような間柄でもない。

 ……師匠と話している様子を見るにネステ先輩があまり喋らないタイプだというわけではない。

 …もっと仲良く……なりたいな……。



 窓から指し込む光で目を覚ます。

 シャワーを浴びよう。

 1階に下りて脱衣所の扉を開けようとすると鍵がかかっていた。

 師匠かネステ先輩が入っているのだろう。

 少ししたらネステ先輩が濡れた髪を拭きながら出てきた。


「ししょーは?」

「まだ起きてないのかも」

「珍しいね」

「うん、いつも僕達より早く起きてる印象だけど」

「私、一度も見たこと無いわ」

「そんなに?」


 ということはかなり珍しいのではないか。


「狐様ね」

「? 何で狐様?」

「ししょー、ミヨウを見て動揺してたわ。好きな女性に娘がいたらショックでしょう?」

「ええ?まさかあ」


 いつも冷静で博識な師匠が女性に熱をあげている様子は想像できない。

 それに師匠もいい年だろう。

 

「ふふん、見てなさい」


 2階から階段を下る音がする。師匠が降りてきたのだろう。


「……」


 無言で師匠が居間に入ってくる。

 いつも僕達を見ると「おはよう」とにっこり笑いながら声をかけてくるのに。

 まさか本当に?


「師匠、おはようございます。珍しいですね、僕たちより遅く起きてくるなんて。何か作業をしていたのですか?」

「ん? んん……ウム……いや、寝ておった。昨晩はちと飲みすぎたかのう」


 反応が鈍い……まあ、単純に昔からの知り合いと会えて少しはめを外したとも考えられる。あまり気にしないでおこう。隣で「ほら、言ったでしょう?」と囁きながら僕を肘でつついてくるネステ先輩も無視だ。

 というか痛い。わき腹をえぐりこむ様に肘を突き入れないで欲しい。それに耳元で囁かれるとお風呂上りの良い匂いが先輩から漂ってくるから変な気分になってくる。


「師匠、今日はどうしましょう?」


 ネステ先輩の肘うちが届かないように距離を取りながら師匠に問う。


「今日は鍛錬じゃな。丸々二日、何もしてなかったからのう」

「そうですね、ここでやりますか?」


 居間を見回す。広いといえば広いが、壁の端に積まれたガラクタの山が少し気になる。

 

「ここではないほうが良いじゃろう。端に積んであるのに当たったら何が起きるかわからんからな。地下が在るからそっちにしよう」


 階段を降りて地下に行く。

 昨日は直ぐに寝てしまったから見ていなかったが、地下と言ってもこの家自体が崖の端に位置しているためか、窓がついていて街を見ることができる様になっていた。

 地下の部屋は何も家具が置かれていなく、いくつかの小部屋に分かれているということもなく一つの大きな空間となっていた。


「広い、ぴったりだね」

「じゃろう?」


 ネステ先輩と師匠が満足そうに頷いてる。

 まだ師匠の下に弟子入りして日が浅い僕だけれど、この家がかなり良い条件だというのは何となく理解できた。

 師匠とネステ先輩が布に包まれた杖を取り出す。


「まずは壁を壊さんように防壁を張ってからじゃな。さあ、鍛錬をはじめるぞ」

「「はい」」


 そう、僕たちは魔法使いだ。

 正確には師匠が魔法使いで僕とネステ先輩がその見習い魔法使いになる。

 魔法使いはどのようにして生活費を稼いでいるのか?

 それは魔法使いによって様々だ。

 様々な材料を調合して薬を作って売る者。

 様々に便利な機能を備えた魔道具を作る者。

 芸術的な作品を作り出す者。

 自然に生ずる魔術的現象を調査する者。

 衛兵や軍人、戦士や自衛手段を求める商人に魔術を教える者。

 魔術を行使して魔物などを打ち倒す者。

 

 師匠はどうなのかというと、オールラウンダーだ。

 薬を作って売ることもあれば魔道具を作って売ることもある。

 師匠は昔、魔物狩り専門の魔法使いとして有名だったらしいが、僕が見たところ最近の収入の多くは交易だ。各地を巡って集めた珍しい工芸品や魔道具を売ったりしている。

 香辛料を大量に買い付けていることもあったし、行商人としての面も持っているのだろう。

 ただ、この街にしばらく留まるのであれば交易での収入は減少するだろう。

 基本的に一つの街にしか作れる人間がいないような魔道具や工芸品などは売る場所が遠ければ遠いほど高く売れる。

 さらにはこの街の様に大きくて衛兵もある程度の数がいるならば隣街までの行路が脅かされることも少なく、安定した交易を行うことができるからこの周辺に住んで長年交易を行っている商人がいる。

 そういった商人と競争するのは難しい。なぜならそういった定住している商人達は買う人間、売る人間と顔見知りであるためいきなり他所から来た商人がいきなり物を売ろうとしても取引を拒否されたり、安く買い叩かれてしまう。

 だから師匠の様に定住せずに各地を巡る商人達はその地の特産品を隣町ではなく、より遠くの町へと持っていくのだ。

 まあ、一番儲けることができる行商人は定住して隣街同時の安定した交易を行う商人や、各地をふらふらして特産品を遠くへ届ける商人でもなくて、どこそこで災害が起きて木材が不足しているとか、どこそこで戦争になるから金属が必要だとか、そういった情報を耳ざとく聞きつけて大量の取引を行う行商人なのだけど。


 ネステ先輩が構えた杖の先から炎が噴出す。


「ウム……威力は良いの。そこらの魔物を焼くには十分じゃが、やはり遠くに飛ばすのは難しそうじゃの」


 ネステ先輩が出す炎は標的を焼くどころか一瞬で消滅させているが、遠くの的には届いていない。


「収束性が良すぎるのも問題か……まあ今の状態でも使いようはあるじゃろうが、もうちとコントロールできるようにならんとな」


 さっそくの駄目だしにネステ先輩が不満げな表情をする。

 

「これじゃ十分じゃない?」

「射程というのは大きなアドバンテージじゃよ」


 ネステ先輩の見学もほどほどに、自分の修行を始める。

 手に持ったネイフで自分の手首を少し切る。

 何度か行ってはいるが、慣れそうにも無い。ほんの少し手首を切るだけだが当然痛い。

 もう少し才能があればこんなことをせずに済むのだろう。

 僕は魔法で水を操ることが出来る。

 だが、操れると言っても自分の血液が混ざった水で、尚且つその水と自分の体か触媒が触れている状態で無ければ操ることが出来ない。

 僕の手首から流れた血が下に置いた桶に注がれた水と混ざる。

 桶の水を少しかき混ぜて血と混ぜる。

 桶に手を入れたまま魔法を起動する。

 水が桶から持ち上がって昨日食べた虹見コンペイトウの形を成す。


「虹見コンペイトウかの」

「あ、はい」

「ウム……」


 師匠が僕が作った水のオブジェをじっとみつめる。

 師匠は無言でじっと僕の魔法を見つめ続けている。

 僕も改めて自分の魔法を良く見てみよう。

 ……

 ……うん、なんだろうな。何の役に立つんだろうな?この魔法。

 少し悲しくなってきた。

 集中力を失ったせいか、水で作られた虹見コンペイトウのオブジェは崩れてただの水に戻った。


「ウム、操作性は合格じゃがな……毎回血を流すのはきついのう。干渉性をなんとかしなくては……触媒もシエが渡したやつじゃなくてちゃんとしたのを作ってやる必要があるの」


 シエと聞いて一瞬混乱するが、そういえばネステ先輩はここではそう名乗るのだった。


「あまり不満はないんですけど」


 ポケットからライターを取り出して蓋を開ける。

 ライターの本来炎が噴出す場所からは水が炎を模って立ち上がっていた。

 触媒を通してなら水に直接手を触れなくても操ることができる。


「それはあまり良くないんじゃよ」

「いいじゃない、水が入れば」


 ネステ先輩が割り込んできた。

 このライターはネステ先輩に貰った物だ。水を入れることができて、携帯するのに丁度いい入れ物を探しているときにネステ先輩が「あまり使わないから」と言って、くれたのだ。


「属性が合わないのじゃよ。ライターは火を使うためのものじゃ。水を使うためのものではないから、水の魔術が弱まる」

「むー、じゃあもっとちゃんとしたの買うわ」

「いや、魔法使いの触媒は命を預けるにも等しいもの、素材を集め、丁寧に手作りするのが習わしなのじゃ」

「めんどくさいじゃない、使えればいいでしょ」

「いやいやいや」


 師匠とネステ先輩が触媒のことで争い始めた。


「ししょーの感覚で触媒作ってたらおじいちゃんになっちゃうじゃない!」

「シエよ、お主も自分の触媒を作るときはそれなりに丁寧に作っていたじゃろう? 途中から急ぎすぎじゃったが」


 というか、僕の触媒……僕の意見は?

 僕の意見を無視して師匠と先輩はヒートアップしていく。


「ええい! 2人ともそこに座りなさい! 今から触媒の歴史について講義する!」


 ついに師匠が切れた。


「ええ? 僕もですか?」

「当たり前じゃ!」


 うん、ネステ先輩に巻き込まれたな。


「まずは古代の魔法使いの触媒がどういうものであったか――」


 早く終わるといいな……




 次の日、僕達は先日と同じ様にちゃんとした服を着せられて街の中央に居た。

 舞之殿。

 狐様のお屋敷だ。


「この2人にも手伝わせるのか?」


 狐様が僕とネステ先輩のほうを見ながら言った。


「見学かの。できそうな部分は手伝わせるつもりじゃが・・・詳細を聞いても良いかの」

「そうじゃの」


 狐様が隣に侍る従者に目線を向けると、従者は書類を狐様に手渡す。


「概要は文で伝えたとおり、魔物退治じゃ」


 書類に目を通しながら狐様が説明を始めた。


「衛兵で対処できないほどのか?」

「ここ3か月ほどか、北町の方でな、たびたび人が斬られる。つい二日前も3人組で夜間の見回りをしていた衛兵が2人斬られた」

「ということは――」

「いや、逃げ帰った者は姿を見ておらん」


 師匠の言葉を狐が遮る。

 姿を見ていない? 仲間が斬られたのにその魔物の姿を見ていないとはどういうことだろう?


「闇夜の中からぶつぶつと念仏の様なものが聞こえたそうじゃ。道にはその衛兵以外何者もおらんかったそうじゃがその声だけが聞こえてきて、気づいたら仲間が斬られていたらしい」

「傷口は?」

「鋭い刀の様なものでばっさりと、綺麗な傷口であったらしい」

「透明な人斬りか、厄介な案件じゃのう」

「無論、相応の報酬は出す。独力で討伐せよとは言わぬ、所在を捉えることができるのであれば衛兵を使ってもかまわん」

「とりあえずは情報を集めてみる」

「情報に関しては便利な男が居る。もう隣の家の者とは顔を合わせたか?」

「ウム、あの魚屋じゃな」

「魚屋? ああ、その男じゃ。余と連絡を取りたいときにもその男を使えば良い。胡散臭いがあれで便利な奴でな」

「ウム、承知した」


 魚屋のおじさん(お兄さん?)はお師匠様のことを知っているみたいだったから少し不思議に思っていたけれど、どうやら狐様から聞いていたらしい。




「透明な人斬りって……大丈夫なんですか? お師匠様」


 帰路の途中で師匠に尋ねる。


「ウム、厄介じゃのう。じゃが、やりようはある。色々と」


 透明な相手に対してどんな手段を講じればいいのか、全く見当もつかない。

 そもそも僕自体まだまだ魔法使いとしては見習いで、最近学び始めたばかり。

 師匠の十分の一どころか百分の一の魔法的知識も持ち合わせていないだろう。

 師匠がそういうのであれば実際にやりようはあるのだろう。


「僕達も何か手伝えばいいんですよね」

「ウム、いくつか索敵の魔方陣を街に設置する。その際にはお前達に実際に魔方陣を組み立ててもらう予定だ」


 魔方陣の組み立て……結構難しそうだな、覚悟しておかないといけないかもしれない。


「めんどくさそうね。私その透明な奴を炎で燃やす役でいい?」

「馬鹿もん。危険じゃ、まだ早い」

「はぁ、わかってます」


 先輩が無茶苦茶なことを言って、当然の如く師匠にたしなめられる。

 というか実際に多数の死者を出している透明な人斬りを相手にするの、先輩は怖くないのだろうか?


「明日はわしらが作った薬と、旅の途中で手に入ったものをいくつか売ろうかの。聞いたところ毎日の様に人が斬られているわけでもないようじゃからの。それに最初の被害から3ヶ月近くの間、衛兵に捕まらなかった化け物じゃ、ゆっくり慎重にいこう。今日のところは……」


 坂を登り終え、今の僕達の家が見えてきた。


「魚をご馳走してもらおうかの」


 僕達の家の隣、魚屋の家を見ながら師匠が言った。



「魚屋はおるかー!?」

「はい、はい」


 "魚屋"の店の玄関口に立って師匠が呼びかけると家の通りに面した簾が開いて"魚屋"が顔を出す。


「おや、焦げ目の爺さんですかい? 魚を食べに来たんで?」

「ウム、時間は大丈夫かの?」

「大丈夫ですよ、丁度食事時が近づいてきたもんだから、何を食べようかと悩んでいたところで」

「シエ、1階の冷蔵庫の上から2段目の下のほう、水イチゴのゼリーが入っていた筈じゃ。持ってきてくれるか?」

「はーい」


 先輩が水イチゴのゼリーが2つ入った箱を持ってくる。

 菓子職人が作った立派な奴だ。


「これと交換じゃな」


 師匠が先輩からゼリーを受け取るとそれを魚屋に渡す。


「ありがとうございます。へええ! これは水イチゴのゼリーですかい? 立派なもんじゃないですか。結構遠くを旅してきたんですねえ。この辺じゃめったに見ないから嬉しいですよ」


 「お返しに脂の乗った美味いやつを持ってきますよ」と言って"魚屋"が奥に引っ込む。


「この空を飛ぶ魚って美味しいんですか?」


 "魚屋"が戻ってくるまでに師匠に疑問をぶつける。

 

「ウム、海や川の魚とはまた少し違った味わいじゃな。昔もこの街の近くで空魚は良く見かけたからの……ただ、ここまで街中に沢山はおらなんだが」


 この街の至る所に空魚はいた。

 緑色、青色、銀色、様々な色、様々な形や大きさをもった空魚達がこの街の上空や家の間を泳いでいた。


「空ワカメに空睡蓮もここまで植えてはいなかったものじゃ。近くに生えてはおったがのう」


 空ワカメと空睡蓮というのは不思議な光を立ち上らせている植物のことだろう。

 魚屋の家の前にもいくつか見たことのない植物が鉢に植えてあり、その植物から立ち上った光の周辺に空魚達の多くが集まっていた。


「この植物のことですよね」

「ウム、それは空睡蓮という貸洋(たいよう)植物の一種じゃな。空魚は一部の植物が作り出す飛び水と呼ばれる光を栄養として吸収する。さらには呼吸にもこれらを使っていると考えられておる」

「玄関先やベランダに鉢を置いてる家、多かったですよね」

「ウム、流行りなのかのう。昔はそんなことをしておるのは少かった。儂の知り合いでは一人しかおらなんだ。大抵空魚を育てようとする者は部屋の中に置いたガラス張りの水槽で囲んだ中に貸洋植物と一緒に入れて逃げられないようにしながら育てておったからのう。それだって金持ちや一部の好事家しかやっておらんかった」


師匠が髭を撫でながら「ウーム」と唸る。


「少し前に演劇で使われましてね、それで流行ったんでさあ。うちでは貸洋植物の販売も行なっていましたから大分儲けさせて頂きましたよ」


 店の奥から"魚屋"が戻ってきた。手には銀に光る美しい空魚を持っている。

  

「劇?」


 "魚屋"の持つ空魚を見ながら師匠が問う。

 

「ええ、大陸一の美女と呼ばれる貴族の娘を貧乏騎士が射止めようと奮闘する物語で、その貴族の娘が庭先に貸洋植物を置いてそこに集まってくる空魚を眺める場面があるんですよ」


 "魚屋"に案内された先は中庭だった。縁側に座ると"魚屋"はバケツ状の物を庭に置いて火をつけた。

 後から聞いたが七輪という物らしく、魚を焼くのには最適なんだとか。


「ほう」

「面白いの?」

「ええ、狐様が大層気に入られて何度も劇を見に行ったってことで有名になってね。今じゃ年に必ず一度はやる定番物でさぁ。劇団の顔ぶれが変わったときにもやりますね。丁度今が時期なんで、南町の方にいけばやってると思いますよ」

「ホント? 見に行きたい!」


 ネステ先輩が師匠の方を見る。


「ウム、まあよいじゃろう」

「やった」


 

 "魚屋"が持ってきた空魚は美味しかった。銀平魚という珍しい魚だそうで5回見つけることができれば一つ良い事があるそうだ。


「ちなみに、金平魚っていう金色のもっと珍しい奴がいるんですよ。滅多に見ないもんだから見つけることができれば宝くじに当たるだの、恋人ができるだのっていう噂があるんですが……すばしっこい上に魔力の伝導性が高くて探索の魔法のほとんどを透過しちまうから、なかなか捕まらないもんで」


 そんな魚が居るのか、今度街中を歩くときついでに探してみよう。


「それ、美味しいの?」

「あはは、観賞用に高く売れるんでね、食べた人間はあまりいないんじゃないですかねえ」

「きっと美味しいわ、銀平魚がこんなに美味しいんだもの!」


 花より団子とはこのことか。ネステ先輩は観賞用として愛でるよりは食すほうが好みらしい。



 後日、僕達は劇を見に来ていた。

 貧乏騎士と貴族の娘との恋物語。

 金も地位も無いくせにやけに自信に満ち溢れた貧乏騎士に言い寄られて初めはうんざりしていた貴族の娘だが、魔物退治に関する腕っ節だけは強く、次々に街の脅威を打ち払っていく貧乏騎士を見て貴族の娘は次第に恋心を抱くようになる――

 劇が中盤に差し掛かったところで唐突に師匠が「こりゃ見られんわい」と呟いて席を立ってしまった。

 一体どうしたのだろう?



 うん、まあまあの劇だった。主人公のナルシスト気味な性格は少しどうかと思うが、それ以外は悪くなかった。


「まあまあだったわね、主人公の性格がちょっとあれだったけど……あれ? ししょーは?」

「途中でどこかに行っちゃったよ」

「トイレかな?」

「うーん、どうだろ?」


 トイレではないと思う。

 トイレだとしたら長すぎだ。


「劇場を出た所で、暫く待ってよう」

「そうね」


 ……。

 しかし、なかなか師匠は姿を見せない。

 

「師匠こないですね先輩……あれ? 先輩?」


 ネステ先輩がいない。

 いつの間にかいなくなってる。

 辺りを見回してみると劇場前の通りの先、少し離れた場所にある店の前にネステ先輩はいた。

 どうやら菓子類や玩具の類を売っている店のようだ。

 その店の前で5人くらいの子供達が集まって遊んでいる。

 店の前でこんなに騒いで迷惑しないのだろうか?

 店員らしき老婆はニコニコと微笑みながら子供達を店の奥からそっと眺めている。

 うん、迷惑そうではないな。

 ネステ先輩は子供達に話しかけていた。

 

「何を使って遊んでるの? 綺麗ね、それ」

「これ? ビー玉っていうんだよ!」

「ちらりと通りを見て思ったのだけど、この街は硝子工芸が盛んなのね」


 子供達は手作り感溢れる台の上にビー玉を置いて、何やら遊んでいるようだった。


「ガラスコーゲー? よくわかんないけど、お姉ちゃんは旅人なのか? 他の街から来たのか?」

「そうよ、色んな街を見てきたわ」

「商人なのか?」

「ううん、魔法使いよ」

「魔法使い!? スゲー!! ねえ、魔法見せてよ!」


 「見せてー」「わたしもみたーい」子供達がネステ先輩に魔法を見せてとせがむ。


「駄目よ、ちゃんとした魔法使いは人に魔法を見せないんだから」


 「えー! みたいなー」「お願い、お姉ちゃん!」「飴あげるから!」子供達が不満げな声をあげる。


「……しょうがないわね、少しだけよ」

「「「やったー!」」」


 まずい展開になってきた。

 慌ててネステ先輩に駆け寄って耳打ちする。


「先輩、師匠に怒られますよ」

「大丈夫よ、使わない魔法を見せるだけだから」

「にーちゃんも魔法使い? 魔法見せてくれるの?」


 うっ、このキラキラと輝く純粋な瞳。

 これはなかなかの強敵だ。


 ……。

 結局、ネステ先輩と一緒に魔法を見せることになった。


「少しだけよ、よく見ていなさい」


 ネステ先輩がマッチ棒を擦って火をつける。


「好きなものを思い浮かべながら、この火を見てみなさい」


 先輩が火を少年の目の前に翳す。

 すると、ロボットの映像が揺らめくマッチの火の中に写し出される。

 

「おお、スゲー! ゴーカイダーの限定プラモだ! 動いてる!! カッケー!」


 マッチの火は直ぐに消える。

 マッチの火が消えると同時にロボットの映像も幻で在ったかのように細い煙となり消えていった。


「あー! 見えなくなっちゃった」

「はい、お終い。これでも大サービスなんだから」

「えー、まあいいや。兄ちゃんはどんなの見せてくれるの?」

「ええっと……」


 僕が見せることが出来る魔法は一つしかない。

 当然師匠の魔法を見せるわけにはいかないから、残るのは最初から使えた魔法。

 僕のオリジナル。

 本当なら魔法使い個人の適正からなるオリジナルの魔法も人に見せるべきではない。

 ある程度世に広まっている基礎魔法が使えるのならそれを使うのが一番いいのだろうが、あいにくとまだ基礎魔法は一つも習得していない。


 ネステ先輩から貰ったライターを取り出す。

 ライターのノズルから火の代わりに水が飛び出す。

 水は空中で球体、正四面体、立方体と姿を変えていく。


「おー! 水が浮かんで、色んな形に!」


 正確にはこのライターか体に接していなければ僕は水のコントロールを失っていまうので、ノズルから浮き上がった水の塊まで細い水の線が伸びているので浮かんでいるわけではない。

 

「兄ちゃんこれ、さっきのロボットの形にできるのか!?」

「えっ? ええっと……」


 あの複雑な形状は難易度が高い。ただでさえうろ覚えなのに。


「ううーん……」


 少年のキラキラと輝く瞳に答えようと努力してみる。

 水が少しずつ人型になり、角ばってきてロボットの特徴を……


 出すことが出来なかった。

 うん。

 難しい。


「あっはははははは! 兄ちゃんダメダメじゃん!」

「ぷっ! ……っ……っ!」


 出来上がったのは子供の粘土工作レベルの謎のオブジェ。かろうじて人型であることが認識できる程度。

 子供達は盛大に笑い転げ、ネステ先輩も必死に笑いを噛み殺している。

 いいよ。

 楽しんでくれたなら僕は本望だよ。

 うん。


「ぶふっ! くくく……!」


 ネステ先輩はそろそろ笑うの止めてくれないかな?

 水を先輩の顔に叩き付けたい衝動に駆られるが抑える。


 一瞬。

 ネステ先輩の笑顔を見て綺麗だと思ってしまった。


 ネステ先輩は意外と笑う方なのかもしれない。

 この街にきてから何度か楽しそうな先輩の顔を見ている気がする。

 出会ったときは笑わない人だと思った。

 なにか諦めたような顔で、どこか遠くを見つめているのが僕のネステ先輩のイメージだ。


「先輩って笑うとかわいいですね」


 すると一瞬でネステ先輩の笑顔は失われ、冷たい視線に変わる。


「ふうん、あなたって結構軟派なのね」 

「えっ、いや……これは素直な気持ちで」

「ええ……?」


 ちょっと引かれた。

 なんだかいらないことを口走ってしまったような気がする。


「兄ちゃんと姉ちゃん! これで遊ぼうぜ」


 少年が手に持った小さいプロペラの様なものを見せてくる。

 少年、ナイスフォロー! 

 意図して助け舟をだしてくれたわけではないのだろうが、少年の申し出はありがたい。これに乗っかって今の失言をうやむやにしてしまおう。


「面白そうだね、どうやって遊ぶの?」

「これはねー、竹とんぼ! こうやって飛ばすんだよ」

「ほうほう」


 竹とんぼを受け取り子供達に混ざって遊ぶ。

 ネステ先輩はそんな僕をじっと見つめていたが、やがて子供達に「姉ちゃんも遊ぼうよ」と声をかけられて一緒に遊ぶことになった。


「ところで、兄ちゃんと姉ちゃんはなんて名前なんだ?」

「私はシエ」

「シエ姉ちゃんか、兄ちゃんは?」

「あー、えっと……僕は……焦げ目の2番弟子……かな?」

「なんだそれ? もしかして兄ちゃんへっぽこだから魔法使いの先生から名前貰えてないとかなのか?」

「あー、ははは、まあ、そんなところかな」


 暫くすると師匠が戻ってきたので帰ることにした。

 ネステ先輩が師匠にどこに行ってたのかと聞くと「ちとトイレにな」と言っていた。

 

「僕達は帰るよ、楽しかったよ、ありがとう」

「おう、じゃあな! 兄ちゃんたち!」


 子供達に手を振って別れようとすると、一人の少女が僕に駆け寄ってきて竹とんぼを僕の手に押し付ける。


「これは?」

「お礼」

「お礼?」

「魔法を見せてくれた」


 師匠に聞こえないようにこっそりと理由を教えてくれる。


「ありがとう、でもいいのかい?」

「うん、素晴らしいものにはきちんとした対価を払う必要があるって、お父さんが」

「しっかりしてるね」

「うん、お父さんみたいな商人になるんだ」

「君ならなれるよ」

「えへへ」


師匠とネステ先輩の方に戻るとネステ先輩が何故かじとっとした目で僕を見ている。


「ロリコン?」

「違う!」


 酷い中傷だ。

 



 その後一週間は特に何か起こるわけでもなく平和な日々が続いた。

 師匠が狐様から依頼を受けていた人斬りも今のところは報告が無い。

 師匠と一緒に人斬りを見つけるための仕掛けを設置して回ったけれど、それにも反応は無い。

 他の地方で集めた品を売ったり、少し離れた森で集めた材料を使って薬を作ったりしていた。

 薬作りの方も僕はまだまだみたいだ。出来上がった僕の薬を見て師匠は「こりゃ売り物にならんのう、効果は出とるが臭みが抜けておらん。魔力の注入が不足しておる」と鼻を押さえながら言っていた。

 そして魔術の練習。今日は何度目かの基礎魔術の練習だ。

 既にネステ先輩は3つほど基礎魔術を習得しているが、僕はまだ一つも基礎魔術を使うことができていない。

 そもそも自己習得の水を操る魔法もまだまだ。師匠としては自己習得の魔術がある程度上手く使えるようになってから他の基礎魔術とかを学んだほうが良いという考えらしいのだが、中々自己習得の魔術が伸びない僕を見て基礎魔術を先に習得させる方針に切り替えていた。


 今日の修練の時間も終わりに指しかかろうという時間。

 僕は必死に基礎魔術を使おうとしていた。

 僕の手に光が集まる。

 上手く行けば光の矢が出現し、前方の的を貫くはずだ。

 しかし、光は何の形も現さずに霧散した。


「ウーム、やはり出力が足りておらんのう。もっと魔力を多く引き出す必要がある」

「はい……」


 ここ一週間同じことを言われている。

 一体どうやったら大量の魔力を引き出すことができるのだろう。

 

「全然上手く行かないじゃない、何で? 何で出来ないの」


 ネステ先輩が僕の方を見てそう言ってくる。


「出力が足りておらんのだ。元々体内の魔力量が多いわけでもないからの、多量の魔力を引き出そうとするには強い意志と大量の魔力が動く感覚に対する慣れが必要なのじゃ。ゆっくり時間をかけながら、少しずつ魔力の放出量を多くするような鍛れ――」

「やる気がないってことなの? どうして? 魔法なんか使いたくないの!?」


 ネステ先輩が僕に詰め寄る。


「いや、そんなわけ――」

「シエ、魔法とは長い時間をかけて習得するものじゃ。自分の成長速度当たり前だと思い、他人に押し付けてはならん」

「何で!? ヨボヨボのおじいちゃんになってから立派な魔法使いになったって意味無いのよ!!」


 先輩が声を張り上げて怒りを露わにする。もしかしたら僕が良いライバルになることを期待していたのかもしれない。少し申し訳なくなってくる。


「先輩……先輩がさそってくれたのに、ごめん。上手く行かなくて……でも、少しだけど前より水を上手く動かすことができるようになったし、師匠の魔法もちょっとだけど使えるようになったから、今は駄目でも何ヶ月、何年したらもしかしたらちゃんとできるようになるかもしれない。成長が遅くていらいらするかもしれないけど、僕頑張るから……」

「“もしかしたら”なんていらないわよ! 今じゃなきゃ意味ないじゃない!」


 バン! と大きな音を立てて地下室のドアが閉まる。玄関の方からも扉が閉まる音がしたから家を出て行ったのだろう。

 ネステ先輩は出て行ってしまい、師匠と二人きりになった。

 室内に静寂が満ちる。


「アー、ウム。まあ、座りなさい」

「はい……」


 師匠が部屋を出て上の階に上がる。

 少しすると師匠は戻ってきた。手に2つコップを持っている。

 師匠に渡されたコップを受け取ると、中身は暖かいココアだった。


「シエはな、焦っておるのじゃろう」


 自分も壁際の椅子に座りながら師匠はそう切り出した。


「ワシはな、弟子を取るつもりは無かった。しかし、旅の途中で娘を治療してほしいと、地方の下級貴族の夫婦がワシを尋ねてきたのじゃ。体中に痛みが走り、日常生活を送ることが出来ず、寝たきりの生活を送っているとな。そしてシエに出会った。ベッドの上で眠るシエは凄まじい量の魔力を持っていた。不釣合いな量の魔力がシエの身体を蝕んでいたのじゃ。医者も多量の魔力によるものだとは気づいていたのじゃろう。魔術師を呼んで、魔力を放出させるような仕掛けを施していたが、いくら放出しても少し時間がたてば魔力が回復してしまう。そして魔力を大量に放出し続ける行為自体によっても身体が蝕まれていた」


 知らなかった。ネステ先輩がそんな危ない状態だったなんて。


「そんな状態になってしまえば、後は膨大な魔力に耐え切れなくなった身体と共に死を迎えるか、魔力を喰らいながら生きていく魔力体になるかのどちらかじゃ。魔力体とは魔力で構成された肉体のことじゃ。ゴーストやレイスといった零体の魔物と似た身体になる。魔力体の寿命は長い。危険に近づかず、安全に生きようとすればいくつもの時代を越えることになるじゃろう。それは良いことのように聞こえるが、生きる時間が違うということは根本的には共に生きられないということじゃ。孤独になる。ワシも長い時を生きてきたが、友人も家族もとうの昔に死んだ。今知り合いと呼べるようなのは狐様くらいじゃ」

「狐様?」


 師匠の様子から意外と親しいだろうとは思っていたけれど、一番古い知り合いだったのか。


「あれは長生きな種族でな、人よりは魔物に近い」

「狐様とは、結構親しいんですか?」

「ウーム……まあ、のう」

「なのに、この街に定住しようとは思わなかったんですか?」


 そう聞くと、師匠はふっと少し苦笑いをした。


「ここまで生きるとな、黴の生えたプライドだけが生きる拠り所となる。各地を放浪し、魔法で人を救いながら生きてきたのじゃ。そういう姿をあれにずっと見せてきたのじゃ。今更余生をのんびり過ごしたいなどとふやけたジジイのようなことは言えんのう」


 そう言って師匠は遠くを見る目をする。過ぎ去った過去を見ているのかもしれない。

 きっとそこには、常人には計り知れない苦労や苦悩があるに違いない。


「そして、魔力体となったシエもいずれはワシのようになる。ワシはなんとかプライドに縋って生き延びてきたが、シエは何百年と長い時を生きる内に、生きる意味を失うかもしれない。シエはそれを恐れていたのかもしれん。じゃからおぬしを見つけたときに、もう一人弟子を増やしてくれと頼んだのじゃろう」


 それで先輩は、僕を……。


「秘密主義の魔法使いでも弟子を2、3人とることは少なくない。同門の弟子とは、互いに切磋琢磨し合うライバルにもなり、気心の知れた協力者にもなり、秘術が失われないようにするためのスペアでもあり、手の内が知られた最大にして最後の敵にもなり得る。良きにしろ、悪きにしろ、生きる意味となる」


 敵……師匠は長い時を生きる中で、そうなった魔法使いも見てきたのだろう。その言葉の重みには実際にそれを目にしたのであろう実感が伴っているように感じた。


「良きにしろ、悪きにしろ……」

「ウム。だからのう、無理にシエに付き合わなくても良いのじゃよ」

「えっ?」


 僕がネステ先輩に付き合わなくていいっていうのは、一体どういう……?


「シエは、魔法使いとして生きるほかに道は無い。だが、おぬしには普通に生きる道もある。シエのように魔力体にならなくても生きていける。シエは中々魔術の習得が捗らんおぬしをみて焦れておるのじゃろう。魔力体になれずに老いていくのではないかとな」

「僕は、このままじゃ魔力体にはなれないのでしょうか?」

「そんなことは無い、シエの成長速度が速いだけで、おぬしは成長が遅いわけではないからのう。修練を怠らなければ数年以内に魔力体になるのに十分な素養を見に付けるかもしれん。じゃがのう、わしはおぬしを魔力体に変えることは慎重に判断すべきだと考えている」


 僕の成長が遅いわけではないということにすこしほっとした。けれど、師匠は魔力体になることについてはあまり良いとは考えていないのだろうか?


「ワシは、人を随意的に魔力体に変えることのできる数少ない魔法使いの一人じゃ。じゃが、強引な魔力体への変化は危険を伴う。さらには魔力体になった後には常に危険が伴うことになる。魔力体は老いもせず、身体に損傷を受けてもある程度は体内の魔力で補填することができるため魔力が尽きるまでしぶとく生きることもできる。平たく言えば多くの人間が望む不老不死の身体に近いものとなる。その技術を殺してでも奪おうとするものは少なくない。危険と隣り合わせの人生になるのじゃよ」


 そこで師匠はココアを飲んで一息をついてから「じゃからのう」と続ける。


「シエに、付き合う必要はないんじゃよ」


 もう一度、先程と同じ言葉を繰り返した。



 次の日の夜。朝から引き続き、今日の食卓は気まずい空気で覆われている。

 ネステ先輩は一言も発さずにパンを齧っている。


「あー、ウム。今夜から夏祭りをやっているらしいでな……2人で行ってきなさい、ほれ」


 師匠は僕とネステ先輩にお金を握らせると、家の外に強引に押し出した。


「祭りは人が多いから、はぐれんようにな。片方だけで帰ってきおったら仕置きじゃ」



 提灯の暖かな灯り、煌めく様々な装飾品。

 人も、人でないモノも鮮やかな着物を纏い、手に菓子やうちわ等を持って笑みを浮かべながら道を歩いていく。


「いらっしゃい、いらっしゃい、綿雲だよ! 冷たくて美味しいよ!」

「一つ下さい」


 綿雲とやらを買ってみた。

 一本の割り箸の先に綿の様にふわふわとした白い物体が巻かれている。

 食べてみた。

 砂糖を引き延ばしたものだろう。綿は甘く、口の中に入った途端にふわっと消えてなくなる。そして――


「冷たい、美味しいよこれ。先輩も食べる?」


 綿の中には水色の甘い氷と白いラムネ菓子とピリピリと舌の上で弾ける黄色いレモン味の氷が綿に絡まっている。水色の氷が雹で、白いラムネ菓子が雪で、黄色い氷が雷を模しているのだろう。なるほど雲だ。


「いらない」

「……ちゃんと買うよ? 新しいの」

「いらない」

「……うん」


 師匠! せっかく気を使ってくださったのに、仲直りは難しそうです……。


 先輩から視線を外して、周囲に目をやる。

 朱、青、白、紫、黄、様々な色の灯りを灯篭が、提灯が放ち、その光がこれまた様々な色に染め上げられた人々の着物を照らし、髪飾りを照らし、手に持った菓子を照らし、顔を照らしている。

 空魚達も楽し気に歩く人々の上をまるで踊る様に泳いでいく。

 ああ、僕と先輩の会話は灰色に色あせているというのに、祭りに沸く周囲は万華鏡の様にきらきらと輝いている。

 

 出店が並ぶ通りを進んでいく。通りの途中にその空間はあった。

 その存在は知っている。師匠が教えてくれた。鳥居と呼ばれる境界を示す門とその先にあるのが神社と呼ばれる神を奉る建物。

 鳥居の方へ歩いて行く。鳥居の先にも出店があり、歩いている人が居る。

 だというのに、なぜか人が少ないように見えた。多くの人間がそちらの方向には目も向けずに素通りしていく。

 立派な建物だし、出店もあるのだから少し見に行ってもよさそうなものなのに。

 特に、鳥居の向こう側で売っている焼きトウモロコシからはとても良い匂いが漂っている。

 鳥居の方へ近づいていく。目前まで来て、鳥居を見上げた。

 立派なものだ。

 鳥居を潜って、焼きトウモロコシを売っている出店に近づく。

 とても美味しそうだ。

 猿の頭をした店員は焼きトウモロコシを一本立てると、それをうちわで扇ぐ。風に乗った焼きトウモロコシの匂いが僕の食欲を刺激した。

 僕はお金を出そうとポケット探りながら、先輩に声を掛ける。


「美味しそうだね、これ食べましょう、先輩。……あれ? 先輩?」


 いつの間にか先輩とはぐれていた。

 やってしまった。師匠からははぐれないようにと言われていたのに、一緒に帰ってこなかったらお仕置きだとも……。

 

「……」


 鳥居の向こう。先程まで歩いていた通りを眺める。

 何もおかしなことはない。祭りを人々は楽しんでいる。

 だけど……何か、嫌な予感がした。

 猿頭の店員に軽く頭を下げると、鳥居の潜って通りに戻る。


「先輩! ……どこに?」


 あたりを 見渡すが先輩の姿は見当たらない。


「先輩! シエ! ……いない」


 嫌な予感がどうにも拭えない。

 根拠は何もない。それでも……


「先輩! ネステ! ネステ! どこにいるんだ!?」


 ネステ先輩の名前を呼ぶ。


「ネステ!」


「――?」


 懐かしい響き。既に失われてしまったもの。

 それを言葉として捉えることはできない。僕の中には無いものだから。

 

「ネステ? こっちか」


 賑わう大通りから裏路地へ入り、その方向へと走る。

 駆け抜けていく途中で金色の空魚が見えたような気がした。

 あれが噂の金平魚? 確認する余裕は無い。その金色の影を頭の隅に追いやって走り続ける。


 通りを3本は跨いだだろうか?

 祭りの喧騒からは遠く、夜だからか店のほとんどが閉まっている。


「ネステ!」

「私の名前、呼ばないでって、いったでしょ」

「先輩! 良かった、見つかって」


 ネステ先輩が居た。

 灯りが消えた団子屋の前に置かれた長椅子に腰を下ろしている。


「少し休憩してたのよ、人が多くて嫌になったから」

「一言言ってよ……嫌な予感がしったから、少し心配した」

「あら、屋台に惹かれてふらふらと道を逸れていったのは誰かしら?」

「うっ、ごめんなさい」

「ふんっ、まあいいわ、戻りましょう」

「そうだね」


 ネステ先輩が立ち上がった瞬間――カラカラと、近くの灯篭から音が鳴る。

 人斬りを見つけるために、師匠と一緒に設置して回った警報装置。

 街に並ぶ灯篭の中に入れられた木札が動き、カラカラと音を立てている。


「私たちが設置した魔法陣が反応してる!」

「うん、ただ、まだ人斬りだと決まったわけじゃない」

「でも――」

「うん、ここから離れよう」


 先ほど、走り抜けてきた裏路地から離れ、別の裏路地から回って大通りの方向へ進むことにした。

 師匠がいない状況で人斬りと遭遇するのは避けたい。僕も、ネステ先輩も半人前なのだ。

 魔法陣が反応していた箇所から一区画分離れた路地から隣の通りに移動しようとする。

 

「!」

「先輩?」


 前を走っていたネステ先輩が止まった。

 先輩の隣に並んで、それを見ると、理由は直ぐに分かった。

 死体だ。

 胴体を真一文字に切られ、綺麗に上半身と下半身が分かたれた死体。

 

 僕もネステ先輩も後ろに下がる。

 死体を跨いで行く気にはなれなかった。

 元の通りに戻り、通りを走っていく。

 通りを走り抜けていき、やがて街の端まで来た。

 建物が途切れ、その先には林が広がっている。

 だが、まだ完全に街の外ではない。寺と言うのだろうか? 竹林の中に特徴的な建物があるのが木々の隙間から見える。整備された道がその建物へ続いている。

 微かに、寺の方から人の声が聞こえたような気がした。


「聞こえる?」

「うん、少し」

「行きましょう」


 寺に近づくと、それはよりはっきりと聞こえてきた。

 

「……盛者必衰……夜の夢の……」


「これは、お祈りかしら?」

「そう、かな……」


 寺の中に入る。


「すみません、少し厄介なことになってるみたいで、何か連絡できそうなものがあるなら貸してほしいのですが……」


「……一天四海を、掌の内に握りたまひし間、世の誹りをも憚らず、人の嘲をも顧みず、不思議の事をのみしたまへり……」


 祈り? の声は奥の広間から聞こえてくるようだ。

 この引き戸を開けた先だろう。はっきりとこの扉の向こうから声は聞こえてくる。

 美しい文様が描かれた引き戸をスライドさせて、広間の中に入る。


「あの…………え?」


 引き戸を開けた先の広間に、人は居なかった。

 誰もいない、何もない空間を、正面に奉られた何かの像が無機質な瞳で見つめていた。

 戸を開ける前は、灯りが漏れていて、人の声も聞こえていてたというのに……

 部屋の中に灯りは無く、街の灯りと、月明かりが微かに照らしだした像には埃が積もっていて長く人が手入れをしていないことがわかる。


「誰も、いない??」

「なんで……?」


 なぜ誰もいないのか? さっきの灯りは? 声は? 混乱して何をどう知れば良いのかが分からない。

 僕が戸を開けたことで動いたのだろう、埃の動きが月明かりではっきりと確認できる。

 埃がゆっくり、キラキラと光りながら雪の様に床に積もっていく。


 埃が舞い上がった。

 風が入ってきたのだろうか? だが、戸の前に立っている僕には風を感じられない。


 それは、ただの勘。なぜその行動をとったのかはわからない。

 僕はネステ先輩の首根っこを掴んで手間に引くと、自分自身も一歩後ろに下がった。


「ちょ! 何すんの――」


 瞬間、音を立てて戸から木っ端が飛んだ。


「!」


 引き戸に鋭い切れ込みが作られていた。

 

「仏閣僧坊一宇も残さず焼き払ふ……会稽の恥をきよめんがためとぞ……」


 目の前の、何もない空間から声が聞こえてくる。

 僕とネステ先輩は全速力で出口で向かって走る。


「歴劫不思議力及ばず……」


 声が追ってくる。風切り音がすると共に壁に、床に、刀傷が作られていく。


 寺から出て、街中に逃げ込む。夜で、祭りをやっている区画からは離れているため人通りは無い。

 

「これも世末になりて、王法のつきぬる故なり…………」

「?」


 声が、止まった?

 後方を見ると、何かがぶつかったかのような音と共に地面から砂塵が舞った。

 風切り音――


「くっ!」


 狙いはネステ先輩より後方に居る僕。前方に転がって回避を試みる。


「ついでなければ御戒めもなし……」

「ぐうっ!!」


 次の呪文は直ぐ近くから聞こえた。

 肩口から腰の近くまで、背中をばっさりと斬られている。

 咄嗟に回避しようとしたのが間に合ったのかは微妙なところだが、幸い傷はそう深くなさそうだ。

 痛みを気にする余裕も無い。直ぐに立ち上がって走り出す。

 後方には血に濡れた刀がその輪郭を中空に示していが、それも一瞬。即座に見えなくなった。


「このままじゃ……!」


 ジリ貧だ。向こうの方が機動力が高く、姿が見えないために対処もできない。


「あそこ!」


 ネステ先輩が指さした先、窓が割れた廃屋があった。

 廃屋に窓から飛び込む。

 廃屋の中には用途の不明なガラクタがいくつも積み上げられており、倉庫の様な形で使われていることが伺える。最も、ガラクタのほとんどに埃が積もっており、倉庫としても長く使われていないだろうとわかる。

 

 窓に衝撃が走り、ガラクタがいくつか吹き飛ぶ。

 来たのだ、透明の人斬りが。

 もう一度、窓に衝撃が走ると、窓の近くにあったガラクタが無茶苦茶に切り刻まれる。


「所は広し勢は少なし。まばらにこそ見えたり……」


 声は未だ窓の外、だんだんと遠ざかっていく。

 どうやら透明の人斬りは巨体らしい。小さな窓を潜ることができなかったのか。

 これであきらめてくれると嬉しいけれど……。


 勿論そうはならなかった。

 ドン、ドンと衝撃が走る。

 この廃屋の正面扉を破ろうとしているのだ。


「ここ!」


 ネステ先輩が指さした先、人が二人分は入ることができそうな衣装箪笥が置いてある。

 ネステ先輩と一緒にそこに入って、戸を締める。


「(引っかかってる!!)」


 衣装箪笥の中に吊り下げられていた古めかしいドレスが飛び出て、両開きの戸を完全に閉めることができない。

 何かが倒れる音が聞こえた。玄関の扉が破壊されたのだろう。

 直ぐにこの部屋まで来るに違いない。


「(もういいから、そのまま動かないで!)」

「(わかった!)」


 小声で先輩に怒られ、そのまま、戸を押さえてこちらの姿が外から見えないようにする。

 どう考えても無茶だ、絶対にばれる。


「(そっち押さえてて)」


 両開きの扉の片方をネステ先輩に押さえてもらう。

 空いた片方の手でポケットのい中にある触媒、水が入ったライターを握る。

 水の魔法を発動。ライターのノズルから水が出て、箪笥の隙間から天井を伝って部屋の窓の外まで繋げる。

 かなりの集中力が必要だ。少しでも気を抜いたら繋がりが崩壊して水を操れなくなる。


「陽明、侍賢、郁芳、三つの門を固めたまふ……」


 来た。透明の人斬りが部屋に入って来た。

 ガラクタがそいつに蹴られて転がる。

 

「……」


 呪文が止んだ。一歩、二歩と床を軋ませ、足音が聞こえると、そこで止まる。


「……」


 動きはない。一瞬、されど永遠にも思える様な時間を耳が痛いほどの静寂が部屋を支配する。

 ドレスが引っかかっているせいで空いた箪笥戸の隙間から部屋の中の様子を見ることが出来る。


「「!」」


 透明の人斬りが、姿を現した。

 闇の中から這い出たかのように、その姿形が露わになる。

 それは、巨体の鬼だ。

 真っ青な身体、2メートル以上の巨体。

 頭には一本の角が飛び出ており、頭髪は無く、瞼は閉じられ、耳介もない。

 その全身には墨で見知らぬ文字がびっしりと書き込まれており、手に持った幅広の刀にも得体のしれない文字は柄から刀身まで隙間無く描かれている。


 人斬り鬼は刀で金属製のガラクタを叩いた。

 硬質な音が部屋の中に響き渡る。

 人斬りの頭が左右に小刻みに動く。


「……」


 もう一度、人斬りは刀でガラクタを打ち鳴らす。

 人斬りの顔が部屋に置いてあったマネキンに向いて、固定された。

 マネキンに近づくと、人斬りはそれを刀で両断する。

 両断され、転がったマネキンの頭を掴み上げると、それを苛立たし気に握り潰した。


 今だと思った。

 窓の外に向かって伸ばしていた水を垂らす。

 普段なら聞き漏らしてしまうような、微かな水の垂れた音。

 人斬りの顔が窓の外へ向く。


「霊神怒をなせば、災害岐に満つと言へり」


 人斬りが呪文を唱え始めると、その姿が再び闇に掻き消え、見えなくなった。

 足音が外へ向かっていき、やがて聞こえなくなる。


「はぁぁ」


 先輩が大きくため息をついた。


「助かったわね……背中、大丈夫?」

「あまり深くはないと思う」

「見せて」


 ネステ先輩に服をまくられる。


「先輩!?」

「焼くわよ」

「え゛」


 ネステ先輩はマッチ棒を取り出すとそこに魔法の炎を点火する。

 赤紫に輝く炎がネステ先輩の顔を不気味に照らす。

 

「待って……熱い熱い熱い!!」


 背中に激痛が走る。

 灼熱地獄だ。背中に地獄が生み出されている。


「止血完了」

「うう……痛い……」


 背中に魔法で水を垂らして火傷を少しでも抑えようとする。


「さっきの奴、あれが人斬りね」

「うん、呪文を口にし始めたら透明になったから、呪文を唱えていないと、数秒で透明状態が切れるんだと思う」

「そうね、それに、目が見えていなかった? 耳も無かったし」

「耳介は無かったけど、耳の穴自体はあったよ。耳穴の周りに傷跡みたいなのがあったから、元々は耳介が付いてたんじゃないかな?」

「それ、聞こえるの?」

「聞こえると思うよ。集音機能とか、聴力とか、少し落ちてると思うけど、音の左右差でも音源の定位はできるからね、顔を左右に動かしてたでしょ」


 人斬りはガラクタに刀を叩きつけた後、顔を左右に振っていた。あれは反響音を聞いていたんだ。


「変なこと知ってるのね」

「師匠の本」

「目が見えないなら楽勝ね、音を立てないようにじっとしていればいいんだもの」

「そんなことはないんじゃないかな、ガラクタを叩いて音を出した後、マネキンに切りつけてたから、反響音である程度空間にある物体の情報が分かるんだと思う」

「えー、何よそれ……」

「全部予測に過ぎないよ、それに実際、何人もの人間を斬っているんだ。油断はできないよ」


 廃屋から出て、祭りで人が賑わう大通りに向かうことにした。人斬りは人が多い所を避けるのではないかと考えたのだ。

 

「早く師匠に報告しないと……」


 この道を抜ければ大通りに出られる――そう考えた時だった。


「……霧の命草葉の末にかかつて、惜しむべきとにはあらねど……」


 咄嗟に身をかがめる。

 頭上を風切り音が通過していった。

 ネステ先輩が仮の触媒であるマッチ棒を取り出し、声がする方へ投げつけると、炎の魔法が作動する。マッチ棒の炎が広がって人が手を広げた程の幅がある炎に変わり、その場を焼き払う。

 炎が風に揺れた。

 ネステ先輩が横に飛ぶ。その頬に赤い線が走る。


「先輩!」

「大丈夫!」


 大通りに向かって走る。先輩も声がする方向へ牽制の炎を放ちながら、走る。

 ネステ先輩の魔法の射程は短い。

 距離を把握できない状態で放っても当たりはしないだろう。

 だが、近寄らせないための牽制程度にはなるだろう。

 僕の魔法では牽制程度にもならない。


 走り続けて、やっと大通りに出た。


「先輩!」


 先輩の手を掴んで、はぐれないようにしながら、人混みの中へ紛れていく。


「はあ、はあ、やっと……」

「ゼー、ハー、うん、ここまでくれば、あいつも諦める……」


 後方で悲鳴が上がった。

 透明な巨体が人々を無理やり押しのけながらこっちに向かってくる。

 人斬りに押しのけられて、転倒した人達が不思議そうにキョロキョロしている。


「まずい」


 完全にこちらに向かってきている。

 人が無差別に斬られているわけではなく、押し倒されているということは、こちらにのみ狙いを定めているということだ。

 だが、刀が当たらないように配慮しているわけでもない。着物の端が透明な刀に当たったのか、切れ込みが入っている人も居る。


「これ、巻き込んじゃってる」

「うん、離れないと!」


 先にある横道に向かって走る。

 その途中の店で売っているものに目が留まった。

財布の有り金を全部その店に向かって投げつけると、()()を掴めるだけ掴み取った。


「それで何するの!?」

「少し、思いついたんだ」


 横道を抜けて、人通りが少ない方へ走っていく。


 ネステ先輩の牽制魔法を交えながら走って、人気が無い通りまで来た。

 もうそろそろ先輩の魔法は打ち止めだろう。そろそろ決めなくてはならない。

 ある程度距離は離せたが、人斬りは僕たちを見失ってはいない。

 自身の存在を隠すつもりは無いのか、荒々しく足音を立てて、通りに置かれてある看板やら置物なんかを薙ぎ倒しながらこっちへ突き進んでくる音がする。

 

 僕がさっき掴み取ったもの、それは竹とんぼだった。

 手に持った6本ほどの竹とんぼ、その内の一本をもう片方の手で掴み、魔法をかける。


「煌めく命の玉よ、ひび割れ、欠け落ちるほどに美しく輝く」


 美しい魔法の輝きが竹とんぼを包む。


「ダメ! 師匠が使っちゃダメって言ってたでしょ!」

「今が、この魔法を使う時だよ。師匠は必要の無い時には使っちゃダメだって言ったんだ。今は必要な時だよ」

「でも、師匠の魔法は……」

「わかってる」


 魔法をかけた竹とんぼを飛ばす。竹とんぼは高く舞い上がった後、地には落ちずに、僕の周囲を踊るように旋回する。

 もう一本竹とんぼに魔法をかける。

 旋回する竹とんぼが二本になった。

 さらにもう一本、竹とんぼを掴み取り、魔法をかける。


「煌めく命の玉よ……」


 旋回する竹とんぼが三本になった。

 そう、これは僕自身の魔法ではない。師匠に教えてもらった、師匠の魔法。

 師匠のそのまた師匠の、さらにその師匠の代から研究してきた秘術。

 命無きモノに命を吹き込む魔法。

 無機物である竹とんぼがまるで意思を持つかのように動き、僕の周囲を旋回する。三本の竹とんぼがそれぞれ不規則な軌道で旋回を続ける。

 単純な念動力や風の魔法ではこうはいかない。

 一つの竹とんぼを自在に動かすことはできても、この様に複数の竹とんぼにそれぞれ独立した動きを行わせるのは困難だ。

 これは命を吹き込まれた竹とんぼの一つ一つが使い魔となって「僕の周囲を旋回しろ」という命令を実行しているからできる動きだ。

 ただ――


「残りは、私がやる!」

「だめだよ、先輩。先輩には人斬りが来た時に渾身の炎の魔法を打ち込んで貰わないといけないから」

「でも――!」

「大丈夫、この程度なら大した代価は必要無いよ」


 竹とんぼに吹き込まれる命はどこからくるのか。

 勿論、術者である僕の命だ。自身の命を削って師匠の魔法は発動する。

 

「よし」


 計六本の竹とんぼが僕たちの周囲を守るように旋回している。

 竹とんぼ自体が外から少しの力が加われば飛ぶものだ。飛ぶための機構を備えている。

 飛ぶための機構を備えていないただの石ころを浮かせようとしたら、かなりの量の命を消費することになるだろうが、この場合は、ほんの少し、自身の飛行を補助するための力があれば飛び続けることができる。大した量の命を消費することにはならないだろう。……恐らく。


「来た!」

「うん、僕が刀を狙って可視化させるから、その時に最大の魔法をぶつけて」

「わかった」


 人斬りが迫ってきた。怪しげな呪文が聞こえる。

 

「枯れたる草木も花咲き実なり、悪鬼悪神も従ひけり……」


 旋回していた竹とんぼの軸が上下に両断された。


 絶好の機会。竹とんぼがはじけ飛んだのではなく、両断されたということは、刀を使って斬ったということ。

 当たっても威力が皆無な竹とんぼをわざわざ刀で斬ったということからは苛立ちが伝わってくる。もしくは明らかに魔術的な動きをする竹とんぼへの警戒か。


 竹とんぼの回転翼がついた側は一瞬左に吹き飛んだ後、右に向かって飛んで行った。

 刀はどちらに振りぬかれた?

 右か、左か。

 竹とんぼの動きを物理的に考察している余裕は無い。

 必要なのは勘だ。


 振りぬいた後の刀の位置に目星をつけて、触媒となるライターの中に僅かに残った水を放つ。

 魔力を伴った物体に触れてしまえば、僕の水はコントロールを失う。

 水を触媒から繋がった状態で細く伸ばして当たるまで操作し続けるのはリスキーだった。手で振り払ってしまえば、その時点でその水のコントロールを失ってしまうからだ。

 だから今この瞬間、刀の位置がわかった時に、刀の全体が濡れるように水を放つしかなかった。 

 


 人斬りの刀が濡れ、水で輪郭が露わになった刀が空中に出現する。

 だが、その刀の根本から水が振り払われていく。

 これもわかっていたことだ。僕の背中が斬られた時、血に濡れた刀は直ぐに透明に戻った。

 人斬り自体が拭っているのか、刀の魔法か何かで拭っているのかはわからない。どちらにせよ、勝負は一瞬、まだ刀が見えている今この時。


「今!」

「ええ!」


 ネステ先輩が走って人斬りに肉薄する。

 ネステ先輩の運動能力は高い。身体強化の魔法を自身に掛けることも先輩なら可能だ。だが魔法の射程は短い。触媒であるマッチ棒を飛ばせば少し遠くを焼くことはできるが、最大威力を出そうとするならその手元に炎を発生させた時が一番威力が高くなる。


 刀の位置は見えている。

 それだけじゃ足りない。

 刃物が見えるからといって、その相手に肉薄していっても切り捨てられるだけ。

 透明じゃなくなったからと言ってその脅威を排除できたわけではない。

 だから。


 残りの竹とんぼが一斉に人斬りに向かって体当たりをする。

 なるべく顔があるだろう位置へ向けて。

 外れても、軌道を変えて竹とんぼは透明な怪物に当たりに行く。

 少しでも気を逸らすことができれば――


 ネステ先輩が飛びずさった。振りぬかれた刀を間一髪で避けている。

 

「消えなさい!」


 再度踏み込んだネステ先輩の手元から紫炎が吹きあがる。

 紫炎の神秘的な光が照らすネステ先輩は凄く格好良くて……

 

 おぞましい断末魔と共に、人斬りの透明化が解除されて、姿が露わになる。

 その肌は黒く焼け焦げて、書かれた文字は見えなくなっている。


「……まづ…先立ち参らせて……死出の山でこそ…待ち参らせ候は……」


「まだ、生きてる!?」

「くっ!」


 鉄板すら消滅させるネステの魔法をまともに喰らってまだ動けるのか!

 どうする。もう僕にも先輩にも魔力がほとんど残っていない。

 どうする。

 どうする……。


 人斬りが、刀を持ったその腕を振り上げた――


「よくやったの」


 その言葉と共に、人斬りは炎に包まれて倒れた。

 今喋ったのは……


「「師匠!」」


 倒れた人斬りの背後から師匠が歩いてきた。

 

「設置していた魔法陣に反応があったからの。……まあ……」


 師匠はボロボロになった僕たちを一瞥すると、


「帰って休もうかの」


 そう言ったのだった。



 次の日、もう一度、僕とネステ先輩は祭りに来ていた。

 昨日と違って今日の先輩は浴衣を着ている。

 先輩は身長が低いからか、ぴょんぴょんと跳ねて人混みの上から出店で売っているものを確認しようとしている。

 まるで子供みたいだ。跳ねるたびに揺れるその胸はとても子供とは言えないけれど……。


「肩車しましょうか? 先輩」

「馬鹿にしてるの!?」


 怒られた。

 先輩はツーンとそっぽを向きながらサッサと歩いて行く。


「あっ、待って先輩」


 先輩に追いついて、隣に並んで歩く。

 ただ、先輩と一緒に歩いて行く。


「何よ、自分の好きなもの買いに行けばいいじゃない。今日ははぐれるなとは言われてないんだし」


 そっぽを向きながら、そんなことを言うネステ先輩を見ていたら、なんだかおかしくなってきて、思わず吹き出してしまった。


「ちょ! 私をからかってるわけ!?」

「アハハハ! いや、いや、違うよ。先輩。シエ先輩」

「何?」

「先輩、僕は、がんばるよ。魔力体になれるように、先輩と一緒の時間を歩むために」

「どうしたのよ? 急に」

「人斬りと戦った時、先輩と一緒にあれを倒した時、今までにない達成感みたいなのを感じたんだ。僕でも少しは先輩のサポートとして上手くやれたんじゃないかなって思ったんだ。まあ、最後は、師匠に助けてもらっちゃったけど……」

「それは……うん……」

「もっと先輩と一緒にいたいって思ったんだ」

「……わたし、炎の魔法で焼いただけよ、他のことは、全部貴方がやったの」

「先輩がいなかったら勝てなかった。先輩が使う魔法はいつも恰好良いから、僕の憧れなんだ」

「もう……」

「だから……」


 だから先輩、僕はもっともっと努力して。


「必ず、近いうちに魔力体になって、もっと色んな魔法を覚えて、同門の弟弟子として相応しい魔法使いになるから、……見捨てないで下さい!」


 僕の魔法の習得の遅さに怒りを露わにした先輩の姿が思い起こされる。

 先輩はきっと、師匠みたいに他の全ての人間を過去に置き去りにして進んでいく人生が怖かったんだ。きっとその道は、孤独で、寂しい旅路になるから。

 だから、せめて僕は、ずっと一緒に進んでいけるようにならないといけないんだ。


「ふふっ、馬鹿ね」


 先輩が僕に怒った日から一度も見ることが出来なかった笑顔を先輩が浮かべている。


「名前をあげた時点で、私はもうあなたと一緒に進むって決めたんだから、見捨てるわけないでしょ」

「先輩……はい!」


 微笑みを浮かべるネステ先輩は身長の割に、凄く大人っぽく見えて……その顔を見ていられずに、正面を向いて誤魔化した。


「――」


 それは、懐かしい響き、失われた響き。二度と口にすることの叶わぬ響き。

 ネステ先輩は僕の方を向いて微笑んでいる。


「ネステ……」

「もう、名前呼ばないでって……」

「先輩は今呼んだじゃないですか!」

「私はいいのよ、私は」


 下らないことで言い争っていると、昨日も見た綿雲飴を売っていた。

 食べるかどうかをネステ先輩に聞くと、昨日とは違って食べると言った。

 買ってきた綿雲飴を先輩に渡すと、美味しそうに食べ始める。

 なんだか、楽しかった。万華鏡の様に色が溢れ、輝く祭り。きっと僕とネステ先輩もその一部になっているのだろう。今日という日は、煌く思い出という名の宝石になるだろう。



「ほら、向こうに美味しそうなもの売ってますよ、先輩」


 先輩からは見えないのか、つま先立ちで背を伸ばしている。


「……もう、早く魔力体になってくれないと、身長の差がひどくなるじゃない……」


 ボソッと先輩が呟いた。

 おや? もしかして先輩……。

 少し誕生日が早いだけで年齢差が無いのに「姉弟子だから」と先輩呼びを強制させたり、今の発言だったり……ひょっとして子供っぽい自分の外見を気にしている?

 

「大丈夫ですよ先輩!」

「っ! な、何!?」


 先輩の肩を掴んで、親指を立てる。


「身長が低くても、胸は立派な大人のレディーですから!」

「……くたばれ!」


 ネステ先輩の綺麗な右フックが顎に決まった。


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