VS.エスターヴァ
エスターヴァ。
そう向かい合う相手を呼んで、チサナは俺の背に引っ込んだ。お前、人を盾にするとは何事だ。
「あいつが持ってるの、俺の鞄だし。」
男の手の中の鞄を見て、チサナが頬をふくらます。そんな可愛く怒られても困る。
目の前に立つのは、スーツの男。どうやら、敵のようだ。
「やっぱり、先に見つかってたのか…。じゃあ、あれがミヤト?」
これには頬からプシューと空気を抜いて、チサナがフルフルと首を振った。否定の意味だ。
「なんだ違うのか。じゃあ誰なんだ?」
「リーファだよ。」
俺の質問の答えは、別のところから帰ってきた。
本人が名乗ってくれたようだ。
「『ティアドロップ』のリーファだ。」
ミヤトとは違う、別のエスターヴァ。ミハヤの街の中だけでも、エスターヴァはたくさんいるのか。
いや、感心している場合じゃなく。
「ミヤトはとり逃がしたって言ってたけど、補足調査に来て正解だったな。魔女の手先とその所有物が見つかるんだもん。」
どことなく子供っぽい口調で、リーファと名乗ったエスターヴァは続けた。そしてゆっくりと近付いて来る。
「やっぱ、美味しいトコはおさえとかないとね。」
見えなかったんだけど、この時、リーファの左手が動いていたのだそうですよ。
「アルファ、ごめん!」
何が?
と問う間もなく、チサナにぬかるんだ泥の上に押し倒される。
視界が斜め横にスライドする。頭のすぐ後ろで、爆発音が2回した。
「……っ何だよ。」
体を起こす。
振り返ると、頬から血を流したチサナと目が合った。
「なっ……!?」
息がつまって、心臓が跳ねた。
「アルファ、下がって。相手は武器を持ってる。」
さっきまで俺を盾にしてたのは誰ですか。はい、チサナくんです。とか、言ってる場合じゃない。
「お前、頬、血が出て……」
「うん。聖油だ。」
チサナと目が合わない。真っ直ぐに敵を、リーファを見つめている。これはヤバイ状況なのか。嫌な汗が流れはじめる。
俺って奴は、気がつくのが遅い。
俺達は今、救いを呼べないような場所で、敵にエンカウントしているのだ。いや救いを呼ぶも何も、味方はチサナしかいないけど。
いやいやいや、待て、味方がいないなんて、それじゃあエスターヴァより俺達が悪者みたいだろ。
うえぇぇぇ、そんなはずは。なんだ、この状況。
「人間の子供は下がってて!」
リーファに言われて一拍考える。
人間の子供。あ、はい、俺だ。
「君が今一緒にいる友達は、悪魔だ。人間のフリをしているだけの、魔女の手先なんだよ。」
「う。はい、知ってる。」
「今から退治する。君は下がっていて。」
エスターヴァのリーファが、カバンを持ってない方の手を大きく振る。チサナから離れろ、との意図だろう。
頭の奥から熱が湧き起こる。何が退治だ。俺は人間だから助けて、チサナはデザイアだから殺すってか?
人殺しの一味が、なんだ正義気取りか。
「殴っていいか?」
拳を構えて前に出ると、チサナに肩を掴まれた。
「アルファ、落ち着いて。」
と宥められる。
「相手はエスターヴァだ。聖油も持ってる。こっちの不利だ。…スキを見て逃げなきゃ。」
俺にというよりは、また自分に言い聞かせるようにチサナが喋る。精神のキャパを越しちゃうと、こうなっちゃうのかな。チサナは。
うん、実は冷静じゃないのか。それは困った。
「なんだよ、聖油って。」
「ヒマワリの油。聖水と同じ。俺、嫌いなの。」
またそのパターンか。設定がウザ細いね。だから設定とかじゃないんだろうけど。
チサナの苦手なもの。デザイアの受け付けないもの。そういうものを、武器に組み込んできている。今はかすめただけだけど、当たれば大怪我間違いナシ。
「でも鞄はどうするんだよ…。取り戻さないとだろ?」
喋っているうちに、待ちきれなかったらしいリーファの追撃がくる。
光の破片のようなものが、空を斬る音とともに津波のような勢いで飛んできた。
「チサナ、ごめん!」
今度は俺が突き飛ばした。さっきのおかえし。
かろうじて、光の破片の衝突を避けたチサナが、ぬかるみの地べたへ突っ込む。
「むぎゅんっ!」
と憐れな声を残した。
「アルファ、今のはワザとだろ!」
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ。」
などと言い争ううちに、リーファが大きく手を振った。
意味はさっきと同じ『離れろ』だ。二度目の警告に、俺はチサナから一歩離れた。
見捨てるわけにはいかないが、このままじゃ二人とも動きがとれそうにない。
工事用の足場に囲まれた、高い建造物。それらに囲まれた通路のような場所に、俺達は立っている。
向かい合うチサナとエスターヴァ。一歩離れて、横に立つ俺。
「友達は大切にしないとね。でも、それは人の皮を被っているだけだ。今に本性をあらわすよ。」
エスターヴァ、リーファの声が低くなる。いよいよ、言うことをきかない俺にシビレを切らし、脅しモードのようだ。
目の前にいるものが人間じゃないなんて、そんなことはわかっている。こういう時、俺はどういう選択をすればいいんだろう。
頭を使えよ、アルファ。
考えろ、考えろ、考えろ。
「アルファ、離れて」
鋭く刺すような声で、チサナが言った。立ち上がって、体勢を整える。大きく息を吐いた。
そして言う。
「巻き込まれて死ぬのは、嫌だろ!」
言うというか、叫んだ。
まるで、エスターヴァに刺激されたせいで、悪魔の本能が覚醒してしまったかのように。
足下の泥の地面から、黒いモノが湧き上がってくる。シナナの果実のように、トゲが全方位から突き出している。ゴルフボールサイズのトゲトゲボールだ。
その黒い塊はホコリのようにワサワサと地面から浮き上がり、チサナの体の周りに集まっていく。
「望み通リ、力の差を見せてやろう。」
とチサナが言った。戦う気なのか。
俺が殴るって言った時、逃げろって言ったのはどっちだよ。
謎めいた闇のカタマリは、虫の羽音のような嫌な音をたてながら、次第に一箇所に集中し始めた。
チサナの右腕のあたりだ。
「チサナ…何してる?」
返事が返ってこない。代わりにチサナの右腕が、異様な変化をとげた。爪が太く長くのびて、腕ものびた。黒いカタマリを吸収して、肌の色も闇色になっている。
怪物の手だ。
人間じゃない部分が。
チサナを突き破って、溢れてくるみたいに。
「死魂を取り込んだな。少年、離れろ!」
リーファが叫んで、たぶん、俺も叫んだのだと思う。
自分で自分が何を口にしたんだかわからないけれど、頭が真っ白になって、とにかく叫んだ。悲鳴をあげたに近い。
まだ死魂がまとわりついている腕を、チサナが大きく、ちょっと重そうに振り回した。
横っ面を思いきり殴られて、俺は体ごと真横に吹っ飛ぶ。
痛い。
でも、声が出ない。
そしてめっちゃ痛い。泥の上を滑って、道の脇に建つ建物の外壁にぶつかって止まった。背中も痛い。息苦しい。
道幅はそう広くなく、背の高い建物に囲まれた場所だ。前方にエスターヴァ。後方にチサナ。
チサナの腕が、おかしくなっている。
道の脇に吹き飛ばされた俺は、泥にとりつく体勢で倒れていた。チサナとエスターヴァを交互に見る。
チサナの鞄はまだリーファの手の中だ。アレを取り戻さなければ、逃げようにも逃げれない状況。
「下がれアルファ。まとめて殺したくはない。」
「少年、早くこっちに。君のお友達の危険性、よくわかったろう。」
両側から同時に話しかけないでほしい。
というか、あれ、チサナの気持ちがわからない。
なんで俺を殴ったし?
逃げるんじゃなくて戦うことにしたのか?
朝令暮改やめろ。しかも、その腕はどうした。俺には今、下がれっつったか。なんで命令形だ。
痛い。
落ち着け俺。
殴られたところ痛いけど、俺がしっかりしないと。しっかりした性格って、どこで買えるの。
「死魂を取り込んだ以上、十分、殺処分に値する。斬られてから文句はないな?」
リーファが構える光の断片。
この距離から見てみれば、長方形のガラス板だ。タテ8センチくらいの小さな板。なんのプレパラート?
チサナが言うには油が塗ってあるらしいけど。とにかく、背後の夕日の明かりを反射して、チカチカと自己主張するので目に痛い。
「悪魔に光の攻撃は効果的だろ?」
リーファがそう言ったところまでは聴こえた。自分の心臓の音がうるさくて、周りの音どころではなくなってくる。
チサナの声は聴こえない。
一応、正気ではあるみたいだけど。でも腕が、大変なことになっちゃってるし。
このまま寝っ転がって見ていたら、チサナがエスターヴァに殺されてしまう。
もしくは、それも嫌だが、チサナがエスターヴァを殺してしまう。敵だけど、殺しちゃダメだし。
(う…、やばい。体が動かない。)
でも何故か、体が立ち上がろうとしない。
まるで重いもので押さえつけられたかのように、腕が上がろうとしない。地面から離れない。
とりあえず、ちゃんと活動しているのは視覚だけだ。
チサナの腕が黒く染まっている。考えられないくらい大振りの鬼のような手になっていく。
まとわりつく死魂が吸収されていっているから、なのかな、わからないけど、たぶん。
リーファの手から、ガラス板が放たれようとする。視界の中に見えているもの全ての動きがスローモーションになって、ボンヤリと見えた。
「やめて! 殺さないで!」
エスターヴァに言ったのか。
チサナに言ったのか。
こんな時なのに夢の中にいるような感覚になって、俺の口は無意識の言葉を投げていた。
「悪魔を滅せよ!」
「死ね!エスターヴァ!」
リーファとチサナが同時に叫び、ガラス板が飛んだ。キラッとまた強く光る。そして真っ直ぐに俺の目の前を通り過ぎ、大きく振ったチサナの手にあっけなくはたき落とされた。
キーン、と高い音。
光が反射を繰り返し、リーファの放った武器は点滅しながら地面に落ちた。やっぱりガラス板だ。
(あああ、後者かも……!)
武器を叩き落としたチサナは、傷一つない。
もう人間じゃない。
チサナが、エスターヴァのリーファを、殺してしまう。普通に、ちょっと突っついて鞄を取り戻すだけでいいのに。
鬼の手のように真っ黒な手を引きずって、チサナがリーファに向かって走りこんでいく。
指の先には長い爪があり、先端は尖っている。黄ばんだ爪。アイスピックみたいだ。
喉に刺されば、人を殺せそうな。
「チサナぁあああぁ!」
それから、飛び散ったリーファの血が俺の顔にかかるまでは数秒だった。
返り血を浴びたチサナが、大きく口を開けて笑う。
これが俺達の始まり。
神と人。そして魔女と人間の、長い長い戦いの終息へ向かう、その始まり。




