血
翌朝、何事もなかったかのように朝が来た。
(ま、そりゃ普通に朝がくるよな。)
昨日の夜は、俺にとっては少し特別な出来事があった。あったけれど、それだけだ。
世間的にはいつもの日々となんら変わりない。
ミハヤの街はいつも通り、4時すぎには外が明るくなり始めていた。
ディティアス大聖堂の一番下の尖塔から、朝日が昇ってくる。俺はいつもの朝の通り、陽が昇るのと同時に目が覚めた。
学校へ行くまで、十分な時間がある。寝ていればいいんだけど、いつも不思議とこの時間に目がさめてしまう。
こうして一夜あけてみれば、頭がスッキリする。
(昨日のアレは、…夢だったとか。)
塾の帰り道。
学校で気になっていたクラスメイトが、帰路の途中で血まみれで座り込んでいるのを発見。
その後、緊急保護。
ソファに寝かせて傷の手当。
事情を尋ねると謎の単語を連発。
魔女。デザイア。ディイリアス。神。人間。エスターヴァ。戦争。
なんのこっちゃ。
着替えて、顔を洗う。俺が寝ていたのは、いつもの自分の部屋のベッドの上……ではなく一階のリビング。
テレビがあって、ゲームがつないである。
俺はそのすぐ横で、ゲームのコントローラーを握って寝ていた。ゲームをギリギリまでやって寝るのは、親が家にいない日はたまにやる。
まさか本当に夢オチ? そう思って、廊下に出た。
二階へ続く階段。窓から陽の光が射している。明るい。早朝の為、物音も一切ない。
静かな空気の中、階段を上がる。 トン、トン、と音が響く。
(自分の部屋へ行くのに、なんでこんな、なってんだ。)
緊張している。
怖いのとは違うし、わくわくしているのとも違う。
もし本当に夢だったらどうしよう、と思っている。部屋は階段を上がってから、並ぶ扉の手前から3つ目。
扉はキッチリ閉まっている。
(もし、チサナが中にいたら、……寝てるかもしれない。寝てたら、起こさないで下に戻る。)
ドアノブを掴み、手前に引く。ほんの少しだけ。数センチだけ。
キイ、と小さく音が出る。
部屋の中の空気は重くて、廊下より少しぬるい。カーテンの向こうが明るくなって、光の中に埃がキラキラ舞っていた。
扉をもう少し引いて開け、今度は一歩中に踏み込む。空気こもってんな、と思いつつソファを探す。
「……チサナ」
彼はそこにいた。
そして俺の予想した通り、ソファの上でまだ寝ていた。
「夢じゃなかった。」
ということは、ベッドの方にはあの死体のような女性も眠っているということだ。
結論、夢オチじゃなかった。
良かった、と言っていいのかわからない。だけど俺は今、少し安心した。夢じゃなくて、良かったと。
巻き込まれたかったという言い方では、俺がおかしな奴に思えるかもしれないが、実際そうだ。
この際、ハッキリ認めよう。巻き込まれたかったし、チサナの助けになりたかった。俺も平凡すぎる日常を離れて、チサナと同じ場所に立ちたかった。
階段を下りてリビングへ戻り、テレビゲームを片付けて、床に大の字で寝そべる。
少し遅れて、今朝の朝刊がポストに入る音がした。
非日常と大きく書かれた赤い手紙が、俺の胸ポケットにも放り込まれた。
それから、朝っぱらから洗濯したり、新聞をとりに行ったり、珍しくちゃんと朝食の準備をしたりしているうちに、チサナが起きてきた。
ドアを開く音にも、階段を下りてくる音にも全く気が付かなかった俺は、
「アルファ。おはよう。」
後ろから呼びかけられて、驚いて飛び上がった。
「わ!」
と言うと同時に、フライパンの中のケーキも飛び上がる。
「チサナ、びっくりさせんな。」
振り返ってそう言うと、髪を寝癖でピャンピャンハネさせたチサナが、小さく「ごめん」と謝った。
昨日の血のついた学生服のままで、まだ少し眠そうに目をこすっている。
「お前、もう起きたの? 怪我してんだから寝てろよ。」
と言って俺はフライパンへ向き直る。
「上の部屋のソファ使ってていいから。俺は学校に行ってくるからな。ホットケーキ焼いておいておくから、気が向いたら食えよ。」
普段なら早朝、目が覚めてから家の仕事を片付けると、漫画やゲームに興じていることが多い。朝食は面倒で、パンと牛乳で平気で昼まで保たせてしまう。
今日はチサナがいるから、ちゃんと準備したけど。
「それからお前は、今日は学校を休んで……」
言いかけて止まる。
背中に何かぶつかる、軽い衝撃とぬくもりを感じたから。
チサナが寄りかかってきたことに気が付き手を止める。
「どうした? 具合、悪い?」
「気持ち悪い。」
おい。俺の肩で吐くなよ。
「腹減りすぎて、逆に気持ち悪いの。」
確かに空腹を放っておくと気分の悪くなる体質の人もいますが。逆にって何?
全然逆の話しじゃないし、むしろ順当だよ。
「そういうことは早く言えよ。もうちょっとで焼けるから待ってろ。」
「俺、そういうのは食べたことない。」
「え?」
一瞬、フライ返しを取り落としかけた。
「お前はどこの貧民だよ。ホットケーキだぞ普通の。」
「人間の食べ物は口にしたことがない。」
また怖い発言が来よった。チサナはごく当然という顔で、俺を後ろからホールドしたまま、ポツリとつぶやくように言う。
「水は?」
「飲むよ。」
「それ以外は?」
「人の血とか。」
俺は心の中だけでキャアアアと叫んだ。人の血ですか。液状物ばかりだな。
固形物は食べないんですか。
「人の食べるものも食べられるけど、エネルギーにはならないんだ。 」
思考が危うく停止しかけた。
「チサナ…? えっと、冗談だよな? さすがにグロいぞ。」
半分は本心から、そう言った。
そして心のもう半分は、信じかけた。
「チサナが普通じゃないのは知ってたけど、あんな状態を保護したあとだし。何と戦っているのかまでは、そりゃ知らないけど……でも、チサナは人間だろ?」
「半分は人間。そのくだり、昨夜も説明しなかった? それでアルファ、俺、今すごいお腹が空いてるんだけど。モノは相談というか…」
「却下!」
間髪入れず答えた。チサナが悲しげに「速答…」とつぶやく。
「当たり前だろ。人間じゃない奴に血を吸われるなんて、想定外です。俺はお前が何かと戦っているみたいだから、力になりたくて…。でも、人間じゃないなら、なんだって…」
だんだん、自分でも何を言っているのかわからなくなってくる。
「人間じゃないなら、なんなんだ」
「だからデサイアだってば。ところで一口でいいんだけど。」
とまだ諦めていないチサナの台詞が続く。
「俺はデサイアだから、人の血をがあればしばらくはもつ。でも足りなくなるとダメなんだ。理性がとぶ。人を襲う。そうなったら、もう、誰かがなんとかしてくれないと。」
「なんて他力本願な……」
それは俺が逃げたところで、別の人間が襲われるということだろう。
それなら、俺が選択することは無意味だ。
「アルファ、はやく。」
言いながらもチサナの口は、すでに俺の肩についている。舌が首筋を這う。今、味見されているのだなぁと思うと、気が変になりそうだ。
「やだやだやだやだ。」
「ほんとにすぐ終わるのに。」
「じゃ、じゃあ、せめて、1.2.3でいかないか?」
「うんうん。」
チサナは軽い返事をした。子供が駄々をこねて、それをあやす母親のような感じの口調だ。
チサナとしては久しぶりの食事なので、あまりややこしく言われたくないのかもしれない。
しかし俺は言う。コンロの火を止め、少し離れる。
「ホントに、ゆっくり、まずは、1…」
2で噛み付かれました。
普通に痛い!よ!
頭が混乱していて、自分がしている行為に良いとも悪いとも判断がつかない。
一週間前にこの街にやって来たクラスメイト。近寄り難いと周りの皆が口を揃える。不思議な空気をかもした少年。
日に日に増える傷。
俺はその不思議な空気が好きで、普通じゃないのが興味深くて、いつか彼に深く関わりたいと思ったし、力になりたいと思った。
でも、実際関わってみると、想像していた彼の姿とはだいぶ違った。正義のヒーローみたく何かと戦っているわけじゃなかった。
というか、人間じゃなかった。しかも、よくわからない連中に殺されかけている。さらに俺は血を要求されていて、むしろ俺が半ば殺されかけている。
(俺が断ったら、チサナが死んでしまうか…別の誰かが襲われてしまうわけだな。それは、どっちも嫌だけど……)
唇なのか、舌なのか、何か触っている感触がした。
「ひっ」
と声が出てしまって、
「大丈夫、最初が痛いだけで、あとは痛くないよ。」
とすぐにチサナが取り繕う。
「嘘はつくなよ!」
シャツをはだけて肩を噛まれたようだ。そのあたりがジワッと熱を持っている。それから、また少し舌の触る感触があって、それ以降は何も感じなかった。
なるほどチサナの言うとおり、痛いのは最初だけだ。
一度、やりにくいからと場所を変えた。リビングにある低いテーブルに座らされる。
ああああああ。
やだやだやだやだ。やだやだやだやだ。
俺の血は栄養剤的な何かに利用されているのですね。
チサナのばかー!
もう嫌いだー!
ウワーン! なんか思ってたのと違うのよ。
「このまま血を吸い尽くされて、骨と皮だけにされるんだ…」
ガクブル。
「しないっへびゃ。」
言いながらもチサナが食事を進めていく。ジュジュジュと謎の音。
なんか頭がグラグラしてきた。傷口がまだずっと熱い。 出血が悪くなると、チサナは忙しなく舌を動かす。
一秒が、一分にも二十分にも感じた。
長い長い一秒に、心音が倍速で響く。
「んー、もう血がでないな。」
ごくん、と飲み下す音。続いてチサナがつまらない声を出した。
顔を離したチサナと、ふいに目が合う。口元の赤い液体を拭った手。
「ふぅ。次は腕のあたりから…」
意識ぶっ飛びそうな俺に、本格的に意識ぶっ飛ばしそうな発言をするので、
「い、や、で、す!」
全力否定した。
視界が安定しないせいで、テーブルからコロンと落っこちた。低くて助かったよ。下は絨毯。
柔らかいな。助かった。上はどっちだ?
「もう嫌だよ。」
と素直に口にした。
「もう嫌だ。もう無理。」
噛まれた傷口の熱は、知らない間に体中を広がっていた。吐き出す息も熱く、視界は揺れている。
急に今の醜態に恥ずかしさがこみ上げてきて、顔を手で覆う。と、顔も熱い。耳まで熱い。
「ちょっと、……いま、かお、みないでくれ。」
「うん? うん。わかった。」
カクカク頷き、チサナは少し離れたところに立つ。少し気を使ってくれたようだ。
今更ながら気がついたが、息を止めていたらしい。
大きく吸って、大きく吐く。
「はあぁっ……。」
放心。
オワタ。
冷静になってくると、ようやく熱が冷めてきた。それと同時に、周囲の音も耳に入ってくる。
鳥が鳴いている。時計が鳴っている。今は何時だ? 鐘の音がどこか遠い。すごく遠い。
「アルファ、大丈夫か。」
ふいに現実に引き戻される。いつものチサナの声が、呼びかけてきた。
二拍遅れて、俺は「大丈夫くない。」と返す。
「悪かった。」
「チサナは少しは腹の足しになったのか?」
「助かった。ごちそうさま。」
なんだこれ。
なんだ、これ?
「アルファには助けられてばっかりだ。これで二度目だな。」
「ヨカッタデスネ。」
「怒ってる?」
「オコッテル ト オモウ。」
人の血を平気でグビグビぷはーってするなんて、厨二のなりきりでは不可能だろう。
本当に、人じゃない何かなんだ。チサナは。
人間じゃないクラスメイトの、秘密を知ってしまった。望んでいたことじゃなかったのか?
なんで及び腰だよ。しっかりしろよ、俺。
「ホントにありがとう、アルファ。人間にしておくのがもったいないよ。」
「怖いこと言うなよ。」
「今まで俺にとって人間は、殺すもので、エスターヴァも同じで、魔女は護るもので、そういう感覚しかなかったから。」
「もーホントにやめて。」
しかもまた例の単語の羅列だ。でも、チサナが本当に人の血を飲んだりしている以上、それらの生き物…魔女だとかエスターヴァだとかも、本当に存在することになる。
ふいに、二階の自室で眠っている、女性のことを思いだした。
「ちょっと聞くけど、チサナが連れてた…、あるいは護っていたあの女の人ってさ、魔女? …とか、昨日言ってた?」
「うん。そう。」
とあっけらかんと返事が返ってくる。
「そして後者。俺は彼女を護る。何があっても絶対に。」
「デザイアだから?」
「あぁ。それに、彼女にはこの戦争を終結させる力があるんだ。資質があると言ってもいい。まだ若いし、魔法も未熟だけど、悪魔を生み出して操る能力は歴代でズバ抜けてる。だから、他の魔女より大切だ。価値がある。」
そのへんでわからなくなったので、俺は黙る。
「俺は彼女を…彼女の『肉体』を護りきって、必ず魂をとり戻さないといけない。そのために、聖堂のあるこの街へ来たんだ。」
「聖堂? ディティアス大聖堂?」
「そう。聖堂の建てられた意味は知ってるか?」
昔っからある、ということ以外は知らない。なので俺は短く首を振った。
チサナは何か言いかけて、それから口を閉じる。
「どうした?」
問いかける俺に、おもむろに返す。
「そろそろ家を出ないと、学校に遅刻する。…このくらいの歳の人間の子供は、学校に行ってないと怪しまれるんだろ? 前の街でそうだった。デザイアは人間のフリをしているのが一番楽だから。」
「そんな理由で学校に行くなよ。」
どうやって入学したんだと聞きたい。そして、もう一つ聞きたい。
「学校行ってから説明してくれればいいけど、聖堂に何かあるんだろ? そしてお前の護っている魔女は『肉体』だけ…、それってまさか。」
嫌な読みだ。我ながら。
外れて欲しいと願った。
「そう。彼女は今は『肉体』たけだ。魔女の死体は焼いても焼けない。だから土葬が習慣なんだけど。そして『肉体』さえ残っていれば。聖堂に眠る魂を取り戻してきて、生き返らせることができる。」
俺はようやく 彼女の肌が異様に白かった理由を理解した。血が通っていなかったからだ。
「それじゃあ、彼女は…」
「彼女は、…俺の大切な魔女は、死んでいる。」
長く息を吐きながら、チサナが言い切った。
そう。この時すでに、引き返せないところまで踏み込んでいたのだ。
唖然とする俺の頭上にある部屋のベッドで、魔女の死体が眠っている。




