塾帰りにデザイアを拾う。
塾帰り、帰宅路の途中で血まみれのクラスメイトを見かけた時、俺は心臓が縮むのを感じた。
比喩ではなく。
自転車がキュキューッとブレーキをかけるのと同時に、ギュギューッと圧迫された心臓は、それから一瞬にして早鐘へと変化した。
首の方から熱が上がってくるのを感じながら、俺は自転車を横に倒した。
それから、路上に座り込む彼の元へと駆け寄る。
「チサナ!」
チサナ・オールレンジは、先週転入してきたばかりのクラスメイトだ。
周りになかなか打ち解けないので、きっと名前をきちんと覚えているのも、俺くらいだろう。別に暗い奴ではないのに、クラスの奴らはチサナのことを、「近寄るなオーラが出てる」ってよく言う。
「チサナ、大丈夫か?」
住宅街に続く一本道だ。
座り込んでいる彼に呼びかけると、怯えたように振り返った。
俺ではなく人に。誰であれ、人の目についたことに、一瞬怯えたのだろう。
わかっているから、早口に付け足す。
「大丈夫だって。俺、お前のクラスメイト! 学校で会うだろ、わかる?」
「学校…。」
「お前の一個後ろの席だよ。アルファ・プリアスタ。その怪我はどうしたんだ? とにかく、人目につくのがマズイなら、俺の家に…」
行こう、と誘いかけ口を閉じた。
チサナが抱えているものが目についたからだ。青白い肌に、長い銀髪。白いドレスを着ているみたいだけど、ところどころが泥の黒や血の赤で汚れている。
女だ。
それも、ちょっと年上で、いい女。女の方は傷ひとつないようだが、今その目は固く閉じていて意識はない。
「アルファ……」
ようやく、チサナが口を開いた。
口の端が切れて、血が流れている。腕にも足にも、痛々しいくらい傷が目立つ。
「助けてくれ、頼む。」
と彼は言った。
叫ぶような声にも聴こえた。
「お、おう。」
チサナの連れていた女がちょっと…いや、かなり気になったが、考えている場合じゃない。
「頼まれた。」
もともと帰宅途中で、家はもうすぐそこだった。
街灯がこのあたりは少ないので、日暮れの時間はあたりが薄暗く、ほとんど人目にもつかない。
どこかの家から、夕飯のいい匂いが漂ってくる。そういえば腹へったな、なんて思いながら、自転車を起こす。
「チサナは怪我してるだろう。その人、俺が背負ってくから。チサナ、チャリ持ってくれよ。」
チサナの負担を少しでも減らすため、自転車のカゴに入れていたカバンも、引っ張り出して自分で担ぐ。
チサナは女の人と離れがたそうにしていたけど、体力の限界も事実だったらしく、黙って言うとおりにした。
立ち上がると、フラついた。あわてて抱き止めると、白いシャツが、血でグッショリ濡れている。
腹も切っているみたいだ。
「帰ったら止血してやるから。」
もう声を出すことも辛いのか、チサナが小さく頷くのが伝わってきた。
(うん。もういいから、お前何も喋るなよ。)
いつか、こんなことになるんじゃないかと思ってた。
というのは、決して俺が予言者だからとかいうんではなく。
学校で、いつも一人でいるチサナを見ていて、変わった奴だと思っていた。話しかけてみると、暗いわけでも、よそよそしいわけでもないのに、ふいに会話が続かなくなる時があった。
一人でいる事を全く気にかけていないチサナは、まるで空気にとけているみたいだった。
チサナの持っている独特の、不思議な空気が俺は嫌いじゃない。いや、もっと言うと、少し惹かれていたかもしれないくらいだ。
だからいつも彼を見ていたし、日に日に増えていく怪我にも気がついていた。
何をしているのかわからない。だけどいつか、チサナが一人で抱えている『何か』に俺が関わるようなことがあれば、力になりたい。
そう思っていた。
(だからといって、あんなところに血まみれで座り込んでいられてもね。)
今日は水曜日。学校の後に塾がある日。もえるごみの日。夕飯はチョコフレークと牛乳だけ。
テキトーに食べて、サッサと片付けて、残った時間はテレビゲーム。
宿題と塾の課題は、明日、学校の友達と一緒にやっつけてしまう予定。
スケジュールは自分でたてていた。というのは、土曜日までは仕事の都合で、両親が街を出ているからだ。
兄弟もいないし、小さい頃から何かと一人でやってきたので、数日一人で家にいたって何の不便もない。
そんなようなことを説明すると、
「そーゆーもんなの?」
と珍しく感心した顔を見せた。傷の手当てを受けたチサナが、ソファで横になっている。
ベッドの方にはドレスの女が。相変わらず、ピクリとも動かない。
一滴残らず血を抜いたような真っ白な肌は、生気を感じさせないので、不安になる。
場所は俺の部屋。明かりはつけず学習机のスタンドライトだけをつけている。チサナは暗いところが落ち着くみたいだ。
俺も賛成した。明るくしていると、チサナがいつまでも寝ない気がしたから。
全身、包帯とガーゼだらけになったチサナは、ソファの上で目を閉じていた。俺は一階のリビングへ薬箱を片付けに行って、それからダイニングに寄って水とグラスをとってくる。
「チサナ、生きてるか?」
定期的に声をかけないと、こっちが不安になるからな。開いたシャツから、白い包帯に血が滲んでいる。腹の傷はちょっと深かったらしい。
というか、学生が腹や肩を切りつけられるって、どういう状況だ。
「生きてるよ…、アルファ。助けてくれてアリガトウ。」
「お前ちゃんと病院行って、それから…警察も行った方がいいよ。なんなのか、わかんないけどさぁ、……」
それから俺は、立て続けにいくつか質問した。
「その女の人は誰? お前の姉ちゃん?」
「違う。彼女は魔女。デザイアである俺を作った人。」
「でざいあ、って何?」
「高位の使い魔。」
「…それで、お前はなんでそんなに怪我だらけなの?」
「隠れ家がエスターヴァに見つかったんだ。ミハヤの街のエスターヴァは優秀だな。まだ一週間だってのに。」
「………。はぁ。」
チサナって、もしかして厨二病?
俺はまた一階のリビングまでとってかえして、『家庭の医学』をひきずりながら、また戻ってきた。はたして『家庭の医学』に厨二病の項目があったかどうか。
「アルファ、何してる?」
「チサナって不思議な奴だと思ってさ。」
「そんなんで調べたって載ってないと思う…」
やっとチサナは、少し笑った。頬の大きなガーゼが目に痛い。口の端に血が固まって、黒光りしている。
「アルファも、変な奴だよ。」
「そうかな?」
ソファの横に座って、本は床に置く。俺はチサナの顔を覗きこんだ。
「どこがだよ?」
「普通の人間なら、こんな危ないやつ、助けずに放っておくだろ。」
普通の人間なら、間違いなく通報すると思うが。
「チサナだって、人間のはずだろ。」
「半分はな。ディリアスと人間と、その二つを複合して創られるのが、デザイアだから。俺はまだ欠陥品だけど…彼女が完成させてくれる。」
彼女、という時にチサナはチラリとベッドの方を見た。今、部屋の中はスタンドライトの明かりのみ。反対側のベッドは、暗闇の中で殆ど見えない。
「デザイアは並のディリアスと違って攻撃力がケタ違いだし、人型をとれば武器を持てる。エスターヴァを倒す手がかりになるのは間違いない。そのためなら俺は、体をいくらいじられたって構わないんだ…。」
荒い息を含み、チサナの口調は苦しそうになっていく。
「ディリアスとデザイアが両腕になった魔女なら、必ずエスターヴァを倒せる。そして、人間の魂を全て冥土へ還した時、神と人間の戦争は終わる。役目を終えた魔女たちはやっと自由になれるんだ。それが、俺の願いなんだよ、アルファ…。」
チサナの声はどんどん小さくなっていって、やがて途切れた。
(眠ったか…)
冷たくて細いチサナの体に毛布をかけてやる。
何があったのかわからないし、何を言っているのかもわからないけど、やっぱりチサナが普通じゃないのはよくわかった。
そして俺はそのわけのわからないことに、ちょっと巻き込まれた感じになって、でも結果的にチサナの助けにはなれた。
(アリガトウ、って言ってもらえたし。)
うん、嬉しい。
やっぱりチサナはカッコイイな。なんか、普通じゃない感じが。
もっと彼のことを知りたいとは思うけど、今日はもう遅いから明日にしよう。
そう思って、机のスタンドライトを消した。闇があっという間にあたりを包む。俺はなるべく物音をたてないように部屋を出て、それから階下へ下りた。
この夜の出来事が、全ての始まり。
魔女とエスターヴァの長い戦いの歴史、ひいては神と人間の戦争の終結に向かう、物語の始まり。




