醜いカラスの子
道ばたにカラスの雛が転がっていた。
もしやと思い傍らの木を見上げてみると、そこには、みすぼらしい巣と親ガラスの姿があった。
親ガラスは私のことなど鼻にもかけていないようで、暢気に木の実をついばんでいる。
自分の子に外敵が近づいているというのに薄情なものだ。
この様子からすると、こいつは捨てられたんだろう。
そばまで近づき、よく観察する。
こんな時でもなければ、カラスの雛なんてお目にかかれない。
へえ、カラスは雛のころから黒いのか。
これは知らなかった。十数年生きてきて、初めて知った。
雛は、その場から動こうとはしなかった。
死んでいるのかとも思ったが、どうやら違うらしい。
かすかにだが胸が動いている。
呼吸をしている証拠だ。
成る程大したものだ。
親に捨てられ、それでもなお、この小さな命は必死に生きようとしている。
生にしがみついている。
そんな雛の姿が、自らと重なった。
「そうか。お前もそうなのか」
私はそう言って、雛を踏みつぶした。
ぐちゃりと、嫌な感触が靴底を通して全身に伝わってくる。
それは私の胸の奥をぎゅっと締め付け、同時に、強い吐き気をもたらした。
私には雛が、他人とは思えなかった。
まるで自分自身の分身を見ている気にさせられたのだ。
それが、たまらなく不快だった。
□
かれこれ十日ほど前の話だ。
学校から帰宅した私の目に、最初に飛び込んできたのは、母の死体だった。
まき散らされた糞尿のうえで、白目をむいて倒れている。
側には、母が愛用していたアイロン台が、不自然に置かれていた。
首には太い紐が食い込んでいて、見るからに痛々しい。
六畳半に充満する耐えがたい臭いは、今でも鮮明に覚えている。
ふと食卓に目をやると、ノートから乱雑に引きちぎられたであろうページの切れ端が一枚、ぽつりと置かれていた。
遺書だった。
世に対する恨み辛み、そして、いくつもの名前が、ただ淡々と書かれている。
その中には、しっかりと私の名も含まれていた。
ああ、やはり母は私を憎んでいたのか。
当然だろう。
私が、母の最愛の人を奪ったのだから。
私さえ生まれてこなければ、母が父に捨てられることなど、なかったのだから。
私は遺書を鷲掴みにすると、そのままポケットへと押し込んで、家を飛び出した。
何故だが無性に、どこか遠くへ行きたいと、そう思ったのだ。
団地の階段を、数段飛ばしで駆け下りる。
暗い街を、がむしゃらに、ただただ走り抜けていく。
時折吹き付ける冷たい風が心地いい。
自由だった。
私は、私を縛る何かから解放されたのだ。
今までに無い高揚感が、私を支配する。
「あはははは!」
高ぶる気持ちを抑えきれず、私は大きく笑った。
□
醜いアヒルの子という童話がある。
主人公であるひな鳥は、まわりの雛たちが皆白い中、自分だけが黒いという、ただそれだけの理由で忌み嫌われ、いじめを受けてしまう。
だが、いじめに耐え抜き成長したひな鳥は、やがて自分が美しい白鳥であったと気が付くというーー有名な物語だ。
では、カラスの子はどうしたらいいのだろう。
生まれたときから真っ黒で、それは、成長しきっても変わらない。
醜い子は醜いまま、その一生を終えていく。
私はカラスの子だ。
生まれた時からーーいや、母の体内に宿った、その瞬間から忌み嫌われていた。
父は、母と私を捨てて、別の女とどこかへ消えたという。
理由はたんに、私の存在が疎ましかったからだ。
だから母は私を恨んだ。
おまえのせいだと叫びながら、まだ幼い私を何度も叩いた。
愛されたことなど、ただの一度もない。
今朝、私が踏み殺したあの雛は、踏みつぶされるその瞬間、何を抱いたのだろう。
失望だろうか。
絶望だろうか。
あるいは、希望だろうか。
母の死体を見たとき、私は、確かに希望を抱いていた。
これで救われたのだと、本気でそう信じていた。
だが、それは勘違いだった。
今ではただ、苦しいだけだ。
廃墟と化したマンションの、その屋上から街を見渡す。
遠くに私の住んでいた団地が見える。
なぜか空しい。
私は、屋上のまわりを囲う、背の低い柵に体を預ける。
死にたいわけじゃない。
けれど、私は知りたかった。
地面にたたき付けられる、その瞬間。
私は何を思うのか。
そして私は、宙へと身を乗り出す。
一瞬、なんとも心地よい浮遊感が、私を包み込んだ。
ああそうか。
これが解放か。
私は数秒後、肉塊と化す。
折れた骨や飛び出した臓物が、私を美しく飾り付けるのだろう。
私が踏みつぶした、あのカラスの子のように。
それはきっと、素晴らしいことなのだ。




