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裏野ハイツへようこそ!

作者: Stairs

 

 このアパートに引っ越してきたのは、六年前だった。アパート、というよりかはハイツと言うべきかな。まぁ法律上はアパートであろうがマンションであろうがハイツであろうが、呼び方を区別するものが無いからなんだっていいんだけどね。しかし裏野ハイツ、ハイツとなっている以上態々違う呼び方をする必要もないか。


 それでね、僕はほら、学生の身だからお金がなくて。中々いい物件が見つからず結構いろんなところ回ってたんだけど、その時当時同じ大学に通ってたA君にこのハイツを紹介されてね。

 家賃4万9千円、駅まで徒歩7分。しかも徒歩十分圏内にコンビニも郵便局もあるという事から、僕はここの一室を借りる事を迷わなかった。

 とは言っても築30年というだけあって隙間風とかはないものの、壁に所々シミがあってさ。まぁ迷わなかったと言ったばかりだけど、少しばかり気が引けたな。何分実家は築10年も経っていないんで、壁にシミだなんて見たことも無かったんだ。


 それでも僕がここに来たとき、既に他の部屋には人が入っていてね。それだけ人気だってことだし、シミをちょっとばかり我慢すればこれほどの物件は中々ないと思うよ。トイレも洗面台も、バスタブだってある。そこに気が付いた時はもうシミなんか気にならなくなっていた。


 そうそう。シミといえば、壁のシミが顔に見える、とか良く聞いたことあるよね。あれ、まぁ思い込みなんだろうけど、そうは言ったって見えるものだよ。点が三つあれば人って顔と認識できちゃうらしいから。


 ここに引っ越してきてすぐの頃は天井のシミが気になって眠れなかった。ベランダに出て墓地が近くに無いか探してみたりしたこともあったよ。勿論無かったけど。でも、いっそのこと墓地でもあってくれた方が良かったね。あれば天井のシミも、夜に訪れる得体の知れない恐怖心も、全部墓地の所為に出来た。でも何もないんだよ、何も。なーんにも。だから「なんか気味悪い気がするんで出ていきます」なんて当時の僕には出来る筈がなかった。こんな良物件他にないからね。


 それで、次に目を付けたのが家賃だ。4万9千円だよ。安すぎると思わないかい? 実際そう思った僕は裏野ハイツの事を新聞やインターネットで調べたり、近くの役所に聞いてみたりもした。案の定、何もなかった。何にもね。本当さ、ここを出たら調べてみると良いよ。


 結局何の成果も得られなかった僕はハイツに戻った。驚く程静かなハイツからは異様な空気が充満していた。そう、例えば廃墟を探索する時の空気に似ていたかなあ。ちょっと違うけど。何もない筈なんだけどねぇ? 何かがある気がしちゃうんだよ、何もないからこそ、そこに何かを感じちゃうんだ。

 君も此処に住んでみたくない? オカルト好きにはたまらないと思うよ? ……そんな顔しないでよ、冗談さ。


 

 それでね、部屋に戻った僕は、再び違和感を感じたんだ。


 ないんだ。空気がさ。削り取られたみたいに、僕がそこに住んでいた空気が何もなくなって、まるで初めて訪れる部屋の様に感じられるんだ。家具も隣人も、僕もここにある。だけど何かがここには無い気がする。そう考えていた時、気付いた。二階にある筈のこの部屋のベランダに、そいつはいたんだ。手の長い真っ白なヒトガタだった。そこは俺の部屋なんだぞ、とでも言いたげに、ガラスに張り付いてこちらを見てた。何かを必死に訴える様に、ガラスが割れるんじゃないかって思う程、長い手で叩き続けていた。あれは人間なんかじゃなかった。遂に出たと思ったね。ここからやっと出る事が出来るって、怖い気持ちよりもそっちの方が先に込み上げて来たよ。


 でもそいつはいなくなった。僕がここを出る口実はなくなってしまったんだ。始めからそんな奴なんていなかったからさ、結局僕の部屋には何もなかった。勿論、僕がいた跡すらね。……何か、変なこと言ったかな。いや、確かに僕の部屋なのに僕の部屋じゃないってのは変な話だと思うよ。でも、本当さ。全部本当の話なんだ。まぁ、信じてくれなんて言わないけど。


 それで、やる事もなかった僕は、部屋の蛍光灯を眺めて、座り込んでいた。それから少しして、不意に玄関のドアがノックされた。

 ノックの主は、一つ下の階、103号室の人だった。30代の夫婦で、確か……3歳。3歳にしようか。それぐらいの年になる男の子がいるんだ。主人は会社員で、奥さんは何処かの……ここはいいかな。パートをしてるんだよ。で、なんでもその日はたまたま二人とも帰りが遅くなってしまうっていう事らしく、子供を見て欲しいって、そう言ってきたんだ。

 大学生だった僕は、その、結構暇でさ、それによく話した事もあった人達だったから、二つ返事で承諾したよ。


 それから数分程で、二人は出かけて行った。103号室で子供と、僕だけが残された。結構大人しい子でね、自分からは一言も喋らず、たまに僕が話しかけると「うん、うん」って小さく返事をする。でも、あんまり話さないもんだからさ、結局僕から話しかけることもなくなって、またずっと天井に吊るされた蛍光灯を眺めてた。男の子は……何をしてたんだったかな、見てないからちょっと思い出せないな。


 眺めてる間、ずっとここの事について考えていた。僕がここに来る前はA君がここに住んでたらしいんだけど、僕がここに住むって言った途端、すごく喜んでね、やっぱり寂しかったのかな、なんて。その時はそう考えてたんだけど、僕がここに引っ越して直ぐ、いや、僕がここに来るときには既に、彼はもういなかった。出ていっちゃったんだよ。

 まぁ付き合いが長かった訳でもなかったから、真相は良く分からないんだけどね。最も、長くないと言っても何処で知り合ったのかすら思い出せないんだけどね。これで友人だっていうんだから参っちゃうよな、僕もそう思うよ。


 ふと時計を見ると、いつの間にかかなりの時間が経っていた様で、時計の針は午後……7時を指していた。男の子がいる方に目を向けると、あぁ、これはちょっと怖かったな。不気味、って意味でね。


 それで、こっちを見てるんだ。瞬きもせずにこっちをじっと見てる。暫く僕もその子から目を逸らさずにずっと見てたんだけど、段々と怖くなった僕はその子に話しかけた。「どうしたの?」って。そしたら男の子がね、言うんだよ。


「何にもないね」


 って。思わず周囲を見渡して気付いた。何もなかったんだ。この部屋には。テーブルも、冷蔵庫も、テレビも。勿論僕が眺めていた蛍光灯はそこにあった。そこで漸く思い出した。




103号室は、空室だったんだ。





 視線を前に戻すと、男の子はいなくなっていった。元々いないんだから、当然なんだけど。我に返った僕が部屋に戻ると、家具が無くなっていた。いや、これも元々ないんだけどね。



ここも空室なんだから。




 101号室も、102号室も、103号室も201号室も202号室も203号室も全て全て全て空室なのだから。ここには何もない。ある筈ない。裏野ハイツは存在していなかった。あの時、市役所で確認した時も、裏野ハイツなんてものは何処にも記載されていなかった。住所だってそうだ。今まで受け取ったハガキも新聞も唯の白い紙だった。届くはずがない、それらは全て僕が作ったものだからだ。住民も存在しない。家賃だって払った事は無かった。あぁもしかしたら市役所も無かったかもしれない。僕はこの部屋から出た事などないんだから。それじゃあ103号室に行ったことも無いね。部屋がノックされたことも無かったよ。そうそう忘れてた、A君もいなかったんだった。では何時から僕はここに居るんだ? 一体ここは何処だ? どうやって僕はここに来たんだ? 僕は誰だ? 今ここで僕の話を聞いている君は何だ?


 ……いや、すまない。取り乱してしまった。でもね、僕は嬉しいんだ。初めてここに人が来てくれて。

 君のお蔭で僕はここから漸く解放される。ここには本当に何もなかったんだ。ありがとう、あぁ、本当にありがとう。交代する時間が漸く来た。



心から歓迎するよ。今日から君がここの住人だ。





















 あぁそうそう言い忘れてた、ここのお風呂とトイレは別々になってるから。もう無いと思うけど。


 それじゃあね。

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― 新着の感想 ―
[一言] 三島ナイズな感じで、哲学的な感じがしました。 今までに読んだ中で、全否定系は初めて読ませて頂きました。 ありがとうございました。
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