千本花路
雪のように静かに降り積もったこの想いに、なんと名前を付けようか。
花は好きだ。
道端に生えている名も知らぬ花も。
手入れの行き届いた温室の花も。
金をかけねば手に入れられぬ珍しく貴重な花も。
花屋で買う、その時目に入った花も。
小生は全てが好きだ。
小生は物書きなどというものを生業にしておるが、特にこれと言って有名な著作を出した訳でもない。
ただ、ものを描くだけの暇と生活するに困らぬ金を他人よりも大目に持っているだけだった。
小生は基本好きな物が多い。
何かを嫌いになるのは疲れる。
好きと言う感情の方が楽しくいられる。
だから、こうして目にはいるもの全てを愛らしい。愛おしい。可愛らしい。そう思いながら生きていたが、ある日ふと、行きつけの花屋で一輪の美しい花に出会った。
それは、高嶺の花と言う訳でもなく、そこらを歩けば似たようなものに出会う事は出来るだろう。
そんな花だった。
彼女は、花屋で働いている、小生より一回り程年下の女性だった。
名を、美千花という、淡い色の花が似合いそうな、可憐な女性だった。
彼女は毎日の様に訪れる小生を花が咲く様な笑顔で迎えてくれる。
小生は全く覚えていなかったけれど、何度か話をした事があったらしく、小生が良い。と思う様な花を教えてくれた。
「花路さんは、柔らかい色の花がお好きですよね」
「名前を、知っているのかい?」
「ええ。お得意様ですから」
「そうかい」
今が一番綺麗に咲いているのだと、デイジーを見せてくれた。
花言葉は、乙女の無邪気。平和。希望。貴方と同じ気持ちです。
何の意味もないのだろうけれど、彼女への愛おしいという気持ちが他に向けている感情とは確かに違うものだと自覚出来ている今、デイジーの花を勧められるのは少しばかり心臓に悪い。
「美千花さんによく似合いそうだ」
「ありがとうございます」
ああ。やっぱりその笑顔は特別だ。
思わずこちらの頬も綻ぶような、そんな笑顔を向けられてしまえば、自分が彼女よりも随分と年上だという事実さえも忘れてしまう様な気がする。
花に対する愛情の深さ。
彼女が花の手入れをしているのを見る度に、心の奥が温かくなるのを感じた。
「美千花さんは花が好きなんだね」
だから、何となく話のとっかかりとしてそう言ってみたのだけれど、彼女はその済んだ瞳を伏せて、顔を横に振った。
「花は、嫌いです」
静かに、けれど少し傷ついたような声でそう確かに言った。
「嫌いなんです」
繰り返されたその言葉に、小生は何も言えなかった。
彼女に勧められたデイジーを買い、家路についたのだけれど、何と言うか。
普段なら道端の花やそこらを歩く犬猫を見て心が温かくなるのを感じていたけれど、今となっては。
そう。花をあんなに愛おしそうに見つめる彼女の口から花が嫌いだという言葉を聞いてしまった今となっては、温かい気持ちに等なれる訳がなかったのだ。
何かを好きになる事は素晴らしい事だ。
何かを嫌いになるのはとても疲れる。
嫌いだと思わず、好きだと思えば、人生はとても楽に過ぎる。
けれど、確かにどうしようもなく嫌いな物と言うのは存在して。
それに囲まれて過ごすのは、それの手入れをするのは、一体どういう気持ちなのだろうか。
疲れる事が嫌いな小生には全く持って分からない事だった。
「花路さん」
「ん、ああ。美千花さん」
そういえば、今日はあの花屋は休業日だったか。
小生がよく行く公園で美千花さんと会った。
小生はベンチに座り、桜の花を眺めていたので、近付いてくる美千花さんに気付かなかった。
何たる不覚。
「花路さんは桜、お好きなんですよね」
「ああ。そうだな。桜は特に好きだ。矢張り小生も日本人なんだな」
いつの間にか隣に座っていた美千花さんが、あの日の事等なかったかの様に、柔らかく微笑みかけてきた。
「美千花さんはこの公園にはよく来るのかい?」
「時々ですね。普段は仕事もありますし」
「桜は、嫌いかい?」
そう反射的に問うてしまった事をすぐに後悔した。
何事もなかったかのように接していてくれているのに、小生はこうも人の心に踏み込みたがる性質だっただろうか。
ああ、いや。違うのだろうな。
多分、小生がこの女性に惹かれているというのが大きな理由なのかもしれない。
「そうですね。嫌いです」
嗚呼。矢張り少し傷付いたような、そんな顔をする。
そんな顔をさせたかった訳ではないのだけれど。
それでも、小生の口は動く事を止めない。
言葉は、続く。
「美千花さんは、どうして花屋で仕事を?」
花が、嫌いなのだろう?
そう問えば、また返してくれる。
「以前、花が好きな方をお慕いしていたんです。それは、とても淡いものだったけれど。想いを伝える程のものではなかったけれど。それでも、私には大切な心でした。
何かを嫌いになるよりも、何かを好きになった方が生きていくのには楽でしょう?
だから、花を好きになろうとしたんです。あの人が好きだった花を、好きになりたくて。
あの頃は、花が嫌いだ。とまではいきませんでした。ただ、好きではなかっただけで。
興味がなかっただけで」
「今は、嫌いになってしまったのかい?」
彼女が想いを寄せていた男がいたのだと。そんな話を聞いても、彼女の花に対する愛の方が気になる小生は、きっと駄目な男なのだろう。
「あの人は、何より花を愛していたから。そこに割り込めないと、そう思ってしまったから。恋敵なんです。花は」
また、彼女は笑った。
花が咲く様な、そんな笑顔を。
いつもとは違う、そんな笑みを浮かべた。
「泣きそうな顔で笑うものではない。美千花さんがその人を想っていたのがいつなのかは知らないけれど、それでも、好きになりたかったものを嫌いになってしまう位の事だったのだから」
容量を得ない言葉だ。
それぐらい、小生も少し動揺しているのかもしれない。
彼女は、誰かを、想い、慕っていたのだから。
好きになりたいと思った花を、嫌いになってしまう程に。
「その時諦めてしまった感情は、いつかは消えるのかもしれないけれど、美千花さんには今ではないのだから。笑って耐えてはいけないと思う。
自分の感情を押し込めて、何かを傷付けてはいけないよ。心は、とても大切で繊細なものなのだから」
そう言ったら、彼女は雨の雫の様な涙をほろりと零し、口元に手を置いた。
「好きでした」
「ああ」
「好きだったんです」
「ああ」
「伝える程のものではなかったけれど、それでも、好きだった」
「ああ」
「花にさえ負けてしまう程の想いだったけれど、それでも確かに、私はあの人が好きだったんです」
涙をほろほろと数えきれないぐらい零した彼女の頭を小生は優しく撫でた。
本当は、触れて良いか問うべきだったのだろうけれど、それでも、今は頭を撫でて欲しいと、そう彼女は言っていた様な気がしたのだ。
「おはようございます。花路さん」
「ああ。おはよう。美千花さん」
次の日花屋に行けば彼女は何もなかったかの様にいつも通りの笑顔を浮かべて小生を迎えてくれた。
強い女性だと思う。
けれど、もう少し弱さを出しても良いのではないかと思った。
小生が言うべき事なのかは分からないけれど、それでも。
その時、一つの花に目が止った。
アマドコロ。その白い花の花言葉は、確か。
「アマドコロですか?良いですよね。可愛くて」
「ああ。これをくれないか」
「はい。今包んでしまいますね」
アマドコロを取って包装しようとしている美千花さんに小生は声をかけた。
「美千花さん。花言葉には詳しいかい?」
「え?・・・すみません。花屋なんですけど、実はそんなに」
声をかけたら律儀に動作を止める所が愛らしいと思った。
「いいや。この花、迷惑では無ければ受け取って欲しい」
そう言ったら、美千花さんは目を瞬かせ、一瞬頬を赤く染めた。
「え?あの、」
「アマドコロの花言葉は『元気を出しなさい』小生が言う事ではないだろうけれど、あまり強がらずに、本当の意味で美千花さんが笑えるようになれば良いと思ってね」
迷惑かい?
そう問えば、彼女は慌てたように首を横に振った。
「そんな。迷惑だなんて。とっても嬉しいです」
「なら良かった。アマドコロは、美千花さんが持っていて、とても愛らしいと思ったんだ」
「・・・あいらしい」
小生の言葉を復唱し、彼女は頬を赤く染めて、とても嬉しそうに自分の手の中にあるアマドコロを見た。
「ありがとうございます。花路さん」
「ああ。喜んでもらえて良かった」
矢張り、彼女は花が好きなのではないだろうか。
こんな私から貰ったアマドコロをそんな愛おしげに見つめるのだから、好きでない訳がないのだ。
ただ、今は心の整理がつかないのだろう。
「美千花さんが持つアマドコロに嫉妬してしまいそうだ」
そんなに愛おしげな瞳を向けられるだなんて、花に嫉妬した美千花さんの気持ちも分かる。
そう思っていたのだけれど、驚いた様に顔を上げて、こちらを見る美千花さんに小生は自分の口に思わず手を置いた。
嗚呼。もしかしなくとも、この口はまた勝手に動いたのか。
どうやら、小生。彼女の前では心を律する事も出来ないらしい。
「すまない。美千花さん。小生は、貴女が好きだ」
これは最早、伝える程のものではない。だなんて、そんな淡く優しい感情ではなかった。
もっと強く、即物的な感情だった。
「美千花さんを、この腕に抱き留めたいのだが、それは駄目だな」
こんな自分より一回りも年上の男にそんな感情を持たれていただなんて、不愉快だろう。
小生はアマドコロの代金を財布から出して花屋を立ち去った。
もう、ここには来れないな。
あの優しげな笑みに迎えられる事はもう二度とない。
あの可憐な声に名前を呼ばれる事も、あの花を見る愛おしげな瞳も。
もう二度とない事だ。
新しく行きつけの花屋を探さないとな。
そう思ったけれど、そんな気分にはしばらくなれそうもなかった。
「煙草、お吸いになられるんですね」
ふうっと息を吐いた時、もう二度と聞けないだろうと思った彼女の声が背後から聞こえた。
「美千花、さん」
「最近全然来てくれないから、寂しかったです」
そう、拗ねた様に頬を膨らませる彼女に小生は少し動揺した。
あんな事を言ったのに。
あんな事を隠す事すら出来なかったのに。
彼女は、小生の座るベンチに腰掛けた。
しかも、この前座った時よりももっと近くに座っていた。
それこそ、少し動けば互いの体が触れ合う程。
「美千花さん」
「はい」
「小生が言った言葉を覚えているかい?」
「もちろんです。だから、ここに来ました。仕事があったから中々来れませんでしたけど、それでも、ここに来れば絶対に会えるってそう思ったから」
「だからって、こんな夜遅くに」
「私大人ですよ?子ども扱いしないでください」
「それは、悪かった」
子供や年寄りも来る公園で煙草なんて、夜にでも来なければ吸えなかった。
丁度今は桜も見頃であるし、月も綺麗に夜空に浮かんでいる。
外だから煙草だけれど、家にでも帰れば、骨董品の煙管でも使ってみたいと思える夜だった。
吸ったばかりの煙草を消そうと携帯灰皿を探したけれど、彼女は消さなくて良いと言った。
「煙草の煙、苦手じゃありませんから」
「そりゃ、若い娘さんにしては珍しいな」
「むしろ好きです。落ち着きます」
「・・・そういう事は男の前で言うもんじゃない。取って食われちまっても文句は言えねえんだぜ?」
「別に良いです。花路さんになら」
「美千花」
さん。
そう続けようとしたのに、彼女の強い瞳に何も言えなくなった。
「高校、1年生の時です。私、学校の先輩に告白されたんです。特に知らない人で、私は断りました。
けど、その先輩は、友達の好きな人だったみたいで、私友達から嫌われてしまいました。付き合ってもきっと嫌われたでしょうけど、それでも、自分の大切な気持ちを台無しになされた気分だと、そう言われました。今なら、私もその気持ちが分かります。
子供の様ないじめをされました。私の机に花瓶が飾られていたり、学校でしたから、グラウンドで色んな人が踏みつけた、汚くなった桜の花弁が荷物に入れられたりしました。
その時、私はどうしても友達と仲直りしたかった訳じゃなかったんです。そんな事をする友達なんて、もう仲良くしたくなかった。でも、周りの、他の友達も助けてはくれましたが、私にも悪い所があったんじゃないかって、そう、説得って言うんですか?仲直りでもさせようとしたんでしょうね。そう言われました。
私はそれがとても嫌でした。だって、私は悪くなかった。私は、もう彼女と仲良くなんてしたくなかった。
だから、私はそう言った友達とも口論になり、学校から逃げ出しました」
どういう話なんだろうか。そう思う事はなかった。
まるで、以前読んだ小説の内容をもう一度確認している様な、そんな気分になった。
小生は、この話をどこかで聞いたような気がする。
彼女は、一呼吸置いてから、また話し始めた。
「泣きながら走って、桜が綺麗だと有名だった公園に着きました。
別に、そこに向かっていた訳ではないけれど、それでも、そこで仲違いした友達と、他の友達ともお花見をした事があります。
だからこそ余計に、嫌だったんでしょうね。私は綺麗に咲いている桜の樹を蹴りました。枝も、何本か取って、誰もいないと思っていたから出来たんでしょうけど、それでも、その時はそうするしかなかったんです。
そうしなきゃ、駄目だった。思い出を、消し去って、彼女の事を忘れたかった。
桜という名前を持った彼女の思い出を、私の中から消し去りたかった。
泣く事も出来ずに、ただ、嫌いだと、そう叫びながら私は桜に当り散らしました。
その時、後ろから頭を優しく小突かれました」
ああ。覚えている。思い出した。
確かに小生はあの時、あの場所で、桜を嫌いだと言った少女を止めたのだ。
「『何かを嫌いになるのは疲れるよ』そう言われて、ようやく私は自分の行動の愚かさに気付きました。
後ろを振り返ると、今時珍しい、着流しを着た男の人が立っていました。
変な人だなぁ。と一瞬思ったんですけど、私はその人に頭を優しく撫でられて、何となくポツリポツリと事情を話したんです。
それをその人は静かに聞いてくれて、『何かを好きになった方が生きるには楽だ』と言ってくれました。ハッキリ言って意味が分からなかったけれど、確かに、私は桜を嫌っている時、嫌われている時、とても疲れていました。
『自分の感情を押し込めて、何かを傷付けてはいけないよ。心は、とても大切で繊細なものなのだから』そう言われた時、私はその人が私を慰めていてくれているのだと、優しくしてくれているのだと知りました。
難し言い回しをして、口下手なくせに、どうしてだかその人の言葉は心に響いた。
まるで、雨が土に染み渡るみたいに、そんな気分になりました。
その人は、自分が花が好きだと言って、私が折った桜の枝を優しげに、愛おしげに見つめて、色々と細かな作業をした後、枝に桜の花を通しただけの簪を私に渡してくれました。
『お嬢ちゃんは花が良く似合うね』そう言ってくれて、私はどうしてだか心が急に温かくなりました。
多分、好きだとそう思ったんでしょう。その時は分からなかったし、それを伝えようとも思えなかった。
けれど、その人の優しさに、花を愛おしげに見るその視線に、桜を嫌っていた感情が消えたのが分かりました。
その人が好きだと、ハッキリと、分かりました」
「美千花さん。小生は」
小生は、そんな大事な事を忘れていたのか。
「その後、何度かその人を探して、時々遠くから見ていたんですけど、花を好きになろうってバイトを始めて、数年ぐらい経った時に、その人が私が働く花屋に来てくれました。
あの時は、お互い名乗ったりなんかしなかったけれど、それでも、私はすぐに分かって、名前を知れた時は嬉しかった。自分の名前を呼んでもらえた時は嬉しかった。
だから、“貴方”が私を覚えていなくても良いと思った。時々会えるだけで、私が仕事をしている花屋に花を買いに来てくれるだけで良いと思った。
けれど、やっぱり貴方の花への思いにはとても叶わないと思った。だから、また花が嫌いになったのに、どうしてだか、貴方は私が花を嫌いになるタイミングに合わせて、私の前に現れる。
私は、どうしても諦められなくなった。諦めなきゃいけないと思った。
一回りも年下の私なんて、相手にされないって、分かってたから。
それなのに、貴方は私を好きだと言った。勿論、花を愛している私の事を好きだと言ったのだろうけれど、それでも」
「違う」
「・・・え?」
「小生は、確かに花を愛している美千花さんを好きになった。けれど、美千花さんの笑顔に、声に、惹かれたんだ。小生は、例え美千花さんがこのまま花を嫌いでも、ずっと好きだ。・・・こう見えて、小生は一途なんだ」
そう言えば、美千花さんは小生の顔をじっと見て、一言言った。
「死んでも良いわ」
情緒ある、素敵な言葉だと思った。
「月が綺麗ですね」
だから、小生のその言葉と共に、引き寄せられる様にお互い口付けを交わしたのも、自然な流れなのだ。
「・・・苦いですね」
「そりゃ、煙草を吸ってたからな」
嫌かい?
そう問えば、彼女は嬉しそうに目を細めて首を横に振った。
「いいえ。私、この味好きです」
嗚呼、本当に、困った娘だ。
「そんな事言うと、家に連れてっちまいたくなる」
「連れてって、くれないんですか?」
「泣いても、帰してやらねぇよ」
その肩を優しく抱き寄せると、彼女はとても幸せだと言う様に、笑い声を上げた。
その笑い声は、とても奥ゆかしく、彼女にとても合っていると思った。
「子供じゃないって、言ったじゃないですか」
小生は物書きを生業としている、暇と金を持て余した伊達男だ。
そういう生き方を粋だと思いながら生きていたけれど、それでもやはり、伊達男は伊達男らしく、風来坊を気取ってはいけない。
愛しい年下の妻の為にせっせと仕事をと、机に向かって万年筆を動かしていた。
「花路さんは、パソコンを使わないんですか?」
いつしか、そんな事を小生の執筆中の姿を見た妻に聞かれたが、小生はただこういう方法の方が粋だろう。と返したのだけれど、こうして締切とやらがあると、アナログからデジタルに移る時が来たのかと思ってしまう。
「花路さん。お茶が入りましたよ」
「ああ、疲れたから丁度良い」
いつだか疲れる事が嫌いだとかそんな事を言っていたけれど、それでもこうしてものを描くのは嫌いではないのだ。
好きな事で疲れると言うのも、結構良いものだ。
「?どうした、美千花さん。少し顔が赤い。熱でもあるのか?」
妻の額に手を乗せて、平熱より確かに高い事を確認する。
「茶なんて入れてないで、寝なさい」
「あの、違うんです。花路さん」
「ん?」
違う、とはどういう事だろうか。
熱があるのではないのだろうか。
どことなく嬉しそうで、ふわふわと浮足立った様な表情を浮かべている妻に問いかけた。
「何が違うんだ?」
「あ、の、昨日病院に行ったんですけど、その、3か月だと」
薄っぺらい腹を撫でながら、嬉しそうに報告する妻に、小生はポカンとした。
そして、言葉の意味を理解してから、小生は自分の頬が緩むのを感じた。
「一緒に行きたかったんだけどな」
思わずそう言えば、妻は照れた様に笑った。
「次の検診の時、一緒に行きましょう」
多分、締切に追われていた小生を気遣っていたのだろうとそう思って、小生は妻を抱き上げた。
相変わらず軽い。と思いながらも、もうすぐ重くなっていくのだと思うと笑みが止まらなかった。
これは花より愛しい、大切な時間だった。