足が長いただのオジさん
簡単に、これまでの経緯を話そう。
まず、私は夏下あぐり。顔も体格もよく丸いと言われるし、身長145センチしかない、オチビの中学1年生だ。おかっぱみたいな頭なのは、一番自分にしっくりくるから。
私の人生という中で、ヒデキではなくて悲劇がやってきた。
学校から帰ると、たったひとりしかいない身寄りの伯母が、謎の置き手紙を残し失踪した。置き手紙の文面は、こうだ。
『しばらく行方をくらまします。あとはオジさんに任せときなさい。――あなたのオバより』
……ごめん、伯母さん。意味わかんない上に「オバ」を「オバQ」と読み間違えた。ちなみに伯母は、オバQに似ていると思う。
……そして、読み終えた途端。
ピ〜ン、ポ〜ン……。
マンションのインターホンが呼んだ。私は手紙を持ったまま、インターホンに出る。「どちらさまですか?」
「尾路という者ですが」
……。
私は一瞬、顔が引きつった。
尾路……オジ、さん……。
「君の伯母さんに頼まれて、様子を見に来たんだけど。女の子ひとりじゃ物騒だから、って」
と、顔は分からないが、男の明るい陽気な声だった。
女の子ひとりで物騒って。ちょっとちょっと伯母さん?
「ひ、ひとりで大丈夫です。お、伯母は どこへ行ったのか、ご存知なんですか?」
私が、ちょっと上ずった声で言うと、尾路と名乗る男はしばらく困ったように「うーん」と唸り声を上げた。
「みどりさんは、ちょっとマグロ買って来るって出てったみたいなんだけど……たぶん、あの人の事だから2・3日は帰って来ないつもりなんでないかなぁ」
私は、ちょっとガビーン……と思った。みどりという名の伯母は、一体どこまでマグロを買いに出かけたのだ?
「……わかりました。そんな伯母なのは百も承知です。……それよりも。あなたは、伯母の、お知り合いの方なんですよね? 本当に」
私は疑う。当然だ。姿の見えない男を、ホイホイと受け入れてはいけない。つい先日、強盗のニュースを見たばかりなんだ。
尾路さんは理解してくれたのか、こう言ってくれた。
「ドアは開けなくていいよ。このまま帰るつもりでいたから。たまに様子を見に来るし。……もし何か困った事があったら、コレ」
と言って、ゴソゴソと音がしたので下の方を向くと。玄関のドアのポスト口から、白い紙が覗きこんだ。私は、それを受け取る。
その紙を見ると、電話番号らしきものがメモされていた。
「それが私の携帯の電話番号。何かあったら、そこにかけて。すぐ飛んで来るから」
私のために? 伯母がそう頼んでくれたの?
「……わかりました。ありがとうございます」
「それじゃ、また。戸締り、気をつけてね。あと火とかもね。じゃ」
尾路さんは、そう言って去って行く。足音が段々と遠くなっていった。
私はそっと、玄関のドアを開けた。ちょうど、同じ階に住むウキノさんとバッタリ会った。
こんにちは、とお互い挨拶した後、私はウキノさんに、さっきここに居た男はどんな男だったのかを尋ねてみた。ウキノさんは、
「普通の背の高いおじさんだったわよ。ちょっとハゲててね……うーん、特徴? あんまり顔が見えなかったからなぁ……。どこにでもいそうな感じで……」
と、首をひねった。
私はお礼を言って、戻った。
普通のハゲた、おじさんかぁ……どうせなら○山ケン××みたいな人だったらタイプだったのに。でも優しそうな感じがした。
足長オジさん……そう思いながら、ソファで、うたた寝を開始した。
……
しばらく経って、破壊音のような音で目が覚めた。
ドンガラガッシャンピ〜ンッ。
「ひえ……! か、カミナリ!?」
びっくりして目が覚めた。外は大荒れ。ベランダの窓に打ちつける激しい雨と風。そして時々襲う光、すなわち雷。
私は雷がすごく苦手。いつもは伯母さんの側にピッタリくっついているんだけど……。
ドンガラガッションショ〜ンッ。
「ふぃあっ……! もうやめて〜っ!」
私は、うずくまって耳を押さえた。部屋は暗がりのまま。電気をつけに行く気さえそっちのけ。願わくは、早く雷雲が過ぎ去ってくれん事を……。
その時。ヒラリとメモ用紙がテーブルの上から舞い落ちた。さっき、尾路さんが残していったメモ……ちょっと、尾路さんの声を思い出してみる。
「何かあったら……」って言った。でも、こんな事頼んでもいいものかどうか。
どうしよう……いいかな。
迷っていると、また遠くで上空がゴロゴロと鳴り出した。「ええいっ、いいっ」
私は、電話をかけてみた。
トゥルルル……トゥルルル……。
ガチャッ。
「はい」……覚えている通りの、尾路さんらしき声だった。私は深呼吸をして、問いかける。「あのっ……。尾路さんですか? 私、あのっ……夏下あぐり、です」
「あぐりちゃん。どうしたの。何かあった?」
「あの……か、雷が怖くて……。ヒヤッ!」
話の最中にまた、大きい音が1つ。たまんないっ。
「スミマセンッ……! あ、あの、せめて、電話、つなげっ放しにしていていいですかッ。夕立、だと思うんで……その……しばらくの間だけ……。すごく怖くって……」
冷や汗を、どばどばかきながら、そう言ってみた。断られるかもしれない、断られても当然だろう……そう思っていたが。
「いいよ。そんな事。ひとりじゃ心細いだろう。……そうだ! 何か話でもしてあげよう」
意外な展開になってしまった。このまま、尾路さんのペースに巻き込まれていきそうな。
「うーん。何を話そう。格差社会と日本の未来について話そうか……それとも、資本提携・モバイル事業強化について……いやいや、若い子は、ファッションや漫画の方がいいかな。5人組の少女隊には、興味あるかい!?」
一体何言ってるんでしょう、この大人は。
「いえ、あんまりTV観ないんで……」と、おずおずしていると、尾路さんは、さらに明るい声を張り上げた。
「そうだ! 私と妻の、馴れ初めの話をしようか!」
その声のすぐ。ドタドタドタ……! と、何者かが電話の向こうで近づいて来る音がした。
「バカ言ってんじゃないよ! この、恥さらし!」
ボカッ。
……とても、鈍い音がした。
……。
静かになった……。
「お、尾路、さん……?」
反応が無かったので、私は心配になって何度も名前を呼んだ。しばらくして尾路さんからの応答がやっと返ってきた。「ふっか〜つ!」
いや、復活て。
「何が……? 今の人は?」
「ウチのカミさん。いやー、ちょっと知らないはずの世界に行っちゃってたよ。ワッハッハッハッハッ」
陽気だ。ワッハッハッハッハって……笑い方が社長クラス。
「大丈夫ですか? すごい一撃の音が聞こえたんですけど……。見えない所で何が」
「大丈夫大丈夫。これぞコミュニケーション! 今時の奴らに教えてやりたいっ」
……はぁ……。
「今気がついたけど。『大丈夫』という漢字を続けて書き連ねると、隠れて『人』という字がいっぱい並ぶんだね。気持ち悪いね。ははははは」
……何言ってるんですか。本当に大丈夫なんですか。
「うーん。怒られちゃったから……。石田三成の話でも、しようかな」
何故。
ともかく、それからずっと尾路さんから、石田三成についての話をえんえんと聞かされた。
石田三成……。
石田三成は、安土桃山時代の武将・大名である。豊臣政権の五奉行のひとりでもある。
永禄3年(1560年)生まれ、慶長5年10月1日(1600年11月6日)に没。
別名は佐吉(幼名)、石田三也(初名)。官位は従五位下、従四位下、治部少輔。
戒名は、『江東院正軸因公大禅定門』。
永禄3年(1560年)、石田正継の次男として近江国坂田郡石田村(現在の滋賀県長浜市石田町)に生まれる。三成は羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が織田信長に仕えて近江長浜城主となった頃の(以下、超長いので略)。
三成は家康により、六条河原で斬首された。享年41。その首は家康により、晒し首にされたという。墓所は京都大徳寺の三玄院だそうだよ(by作者必死調べ)。
勉強になった。これでもう、テストに石田三成について何聞かれても答えられる。
……のかなぁ。
やがて、眠気がそろそろレベルEになってきた頃。尾路さんは「こっちは雨が止んだみたいだけど、そっちはどう?」と切り出した。
外を見ると、いつの間にかこっちも雨が止んでいた。風も雷も、どこか遠くへ行ってしまったようだ。私はホッとして、「もう大丈夫だよ。尾路さん」と返事をした。
「そうかい。じゃあ、そろそろ……」と、少し淋しげに尾路さんは言葉を切った。
「尾路さん」「ん?」私はちょっと照れながら、お礼を言った。
「本当に、ありがとうございました。……すごく、楽しかった。また、電話かけても、いいですか?」
すると尾路さんは快く引き受けた。
「もちろん。みどりさんがいない間は私が君の親だし、責任も引き受ける。こう言うと、嫌だったかな? ……ならば、こう言おう。カモン! マイ、ベイビー、スイート! ……」
ボグッ。
……また、ヤラれているね? 尾路さん。スウィート、何て言うつもりだったの。
「と、とにかく。いつでもおいで。また、様子を見に行くから」
生きているらしい。よかった。
私はクスクスと笑う。「尾路さんて、どういう人なんだろう。会うのが楽しみかも」と、つい思った事を口にしてしまうと、尾路さんはフザけているのか本気なのか、最後にこう言った。
「よく人から『足が臭い』って言われてるけどねー。ハハハハハハッ」
足が臭い……。
足が臭い……ただのオジさん……。
……
2日後。やっと伯母のみどりが帰って来た。両手に抱え込む程の、巨大マグロを持っていた。
……ここにも 心配な大人がひとり……。
「フー。疲れたわ。ちょっと通訳に手間どってね」
と、伯母は青いビニール袋に入ったマグロを床に置き、他の荷物は玄関に置いたまま、ソファにどっさりと重い体を預けた。
もう何も聞くまい。私は、そう思った。
マグロの事なんかより。
「会ってはいないんだけど。尾路さんの声を聞いたよ。とっても優しそうな人だった」
私は、伯母にこれまでのいきさつを話した。全てを言い終わると、伯母はちょっと首を傾げた。私が不思議そうにしていると、伯母がポツリとつぶやいた。
「……奥さんの加美子さんは、5年前亡くなって今はひとり身のはずなんだけど……?」
思い返す。
『ウチのカミさん』
……カミさん=加美子さん? へっ?
尾路さんに、2度もリアルタイムで攻撃していたのは。
……誰?
「まあいっか」
伯母はマグロの方に関心が行った。
まあいっかって……。
よくないっ!
《END》