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焦がれる心

和己は、自宅に戻ると早速テーブルの上にスケッチブックを広げる

テレビも付けず、視線は真っ白なスケッチブックに固定して一心不乱に手を動かし続けた

0,3ミリシャープペンのペン先が紙の上を走るたびにぎこちない線が無地のスケッチブックの白地を滑っていく

ただ書く、一心不乱に。あまり絵を描きたい気分ではなかっただが彼には一応の目的があった

今はこれだけしか自分にやれることが無かった事ともう一つは・・・


(今夜もまた来るかな?)


少女の姿を思い浮かべ期待と不安でかすかに胸が躍る、今朝とは気分が大きく変わっていた

今日は早めに帰ってきた夕方なので、いまだに窓の外は明るい。開けた窓越しの団地から子供のはしゃぐ声が聞こえてくるが、和己は気にも留めない

シャープペンを握り真っ白な紙の上にいくつもの線を描いていく。滑らかな曲線が少女の輪郭を形取り更に線を書き足していく


昨日今日の自分とは別人だった。筆が滑る様に紙の上を滑らかに動き一つの作品をなそうとしている

心なしか、いつもより作業の速度が速いと和己は感じた

三十分描き続けても腕の動きはまったく止まらない。むしろ描かれた線を補完するかのように次々と曲線が紙の上を走るような間隔さえ覚える


和己は今、とても清々しい気分だった。こんな風に絵を描くなんて何年ぶりだろうか?

初めは退屈だと思っていたのだが、今は線を描くのが楽しくてたまらない。指を動かすのにも作品が徐々に完成に近づいていく毎に喜びが沸いて来る


そして、手だけを動かし続けながら思考の片隅で思うあの少女の瞳

白い服、腰まで伸ばした長い黒髪はとても艶やかで少女をとても美しく見せていた


しかし、額に添えられた手のひらの冷たさ。体温を感じない丸でゴムで作ったかのような手袋を連想させる

あの手は氷と同じような冷たさを宿していた。そしてあまりにも白い少女の肌の色

そこまで活発には見えず、どちらかと言うと控えめな彼女の様子を差し置いても、血の気が感じられない容貌。精巧に作られた人形じみた印象を抱かせる


彼女がいったい誰なのかは分からない。しかし和己は少女に会いたかった


会って何がしたかったのか分からない。只、幾つか確かめたいことがあった

何故、自分の前に現れるのか?そして、何故自分の課題を手伝ってくれたのか?

自分はあの少女とは面識が無いはずだ。そもそも内気な和己には女性の知り合いは居ない

彼女と何時出会ったのか、知り合う機会があったのかはわからない。もしかしたら美大の授業のときにモデルになってもらったことが有ったかもしれない

だが、本当に覚えが無いのだ。そもそもあそこまで強烈な印象を持つ少女を覚えていないはずが無い


更に彼女は和己の部屋を鍵なしで出入りしている。どのような目的かは知らないがそのことも年頭において真相を突き止める必要があった

そこまでして自分が何をしたいのか検討もつかない。只、知りたかった

もしかしたら彼女と自分との繋がりを知りたかった。純粋な好奇心から来る気持ちもある

そして少女の目的が知りたかった。仮に彼女が本当に幽霊だとして、自分を祟りに来たとしてもその理由が知りたかった

あの絵のことから察するに彼女は少なくとも絵の心得を多少なりとも知っているのだろうとも思う


和己の書き方を明らかに模していたが、線の強弱や曲線、全体的なバランスは和己が描いたものより数段優れてた

彼は自分の絵が美大の同級生の中でも中の下くらいに評価されている。あの絵はその何段も・・・おそらく和己以上に才能があり将来を約束されていた生徒達のそれに等しい


(絵で優れた技巧を持つ彼女が僕の絵を模した理由、それは)


恐らく少女は課題のことを知っていた。それでわざと和己に合わせてレベルを落とした上で描いていたのだ

その行動の是非について、何故少女がそのような事をしたのか分からない

只、あの絵を見た瞬間。和己の中で何かの熱が沸きあがり、それが彼に刺激を与えた

それが今現在進行形で爆発しているのだ。少女の絵を超えるために自分は筆を動かしている

今の彼を動かしているのは少女に対する対抗心なのか?それとも同じ土俵で完敗した和己の心中におけるプライドなのか?


(自分でもよく分からない、けど)


それはもしかすると、美術を極めようと目指すものの持つ洞察力からか純粋に白い少女に好意を抱いたから来て欲しいのか

今の和己にもよく分からない気持ちだった

熱く、まるで頭の中が麻疹の熱に侵されたかのような感覚。しかし和己はそれを不快だと感じては居なかった

むしろその熱が和己の心を燃やし、今指を動かしている原動力と化している


(あの子の本気の絵を見てみたい)


それだけは和己が胸を張って言い切れる本音であった

和己は只、ひたすら手の中でペンを躍らせていく。幾筋か顔の表面を汗が垂れていたがそれを拭うのも忘れ、作業に没頭した






窓の外はすっかり夜になっていた。テレビをつけていないので時間の感覚があまり感じられないが、中古屋で購入した壁に吊るされた時計を見ると時刻は九時を過ぎていた

実に二時間近くペンを握っていた計算である、和己はいまさらながら疲れがのしかかってくるのを感じた


「二枚・・・か」


和己はスケッチブックの中で自分の書き上げた二枚の絵を見比べた

麦藁帽子をかぶった少女が、木のベンチに腰掛け静かに微笑んでいる絵

いつもより時間をかけたのは良かったが、線を多くした分余計な影や黒鉛がこすれたことによる汚れが目立ってしまっていた

これでは今までの絵と比べても線の多さで誤魔化した間が否めない。和己は溜息をついた


(あの絵は・・・)


ページを逆に捲り、あの絵を見てみる。線はあまり多くない、芯の太さも和美と同じものの0,3ミリを使用していることが分かる

和己は改めて感嘆した。線が少なくても輪郭の整合性と背景のバランスが絶妙であった

手が付けられておらず余白の部分が多いが、それされもまるで計算されたかのように白い額縁のようにも見えた

和己の絵と違って、見事に調和の取れた見事なスケッチ。シャープペンだけで描き出した異様な存在感

言われて見なければ、プロの下書きといっても違和感の無い見事なデッサン


「僕のとは比べ物にならないな」


自嘲気味の笑みがこぼれる

あの絵と自分の絵を分かりやすく比較するならば月とすっぽん、あるいはプロの描いた絵とそれをただ模写しただけの素人の落書き

それほどまでにあの少女の技巧は際立っている


じっと絵を眺めていると、背筋が粟立つような感覚を覚えた

その感覚が何なのか、ほぼ確信じみた予感を胸の中に抱きながら和己は鍵がかかったはずの玄関のほうを振り向いた

白い少女。まるで夢か絵画の中からそのまま飛び出たような可愛げな少女は和己の視線にあてられて恥ずかしそうに頬を染めた


「やっぱり、今日も来たんだ」


「・・・はい」


和己が言うと白いワンピースの少女は何故か恥ずかしそうに顔を俯けた

彼は何故かうれしい気持ちになった。少女の得体の知れなさよりもまたここに来てくれたことが純粋に嬉しい


「ごめん、何か用意するから。安物だけどお菓子とかお茶とかでよければ」


和己は半ばスキップをするように冷蔵庫に向かう。

女の子を自室でもてなすなんて経験は初めてで、嬉しかったからだ。たとえそれが何者であっても

心は踊るように、子供のようにはしゃぎそうな体を自制しながら

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