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少女の正体

ちゅんちゅんと、朝の雀の鳴く声が和己を覚醒させ起き上がらせた。時刻は午前六時を僅かに過ぎたばかりらしい、早朝である

大きく欠伸をしながら和己は机から顔を上げる。あまり寝起きのいい気分ではない、早く起きすぎたのだ

しかしながら、寝不足でなければ早起きしすぎて損をすることは無い

二度寝でもしない限りは確実に遅刻しないし、朝食の準備だって余裕を持って取り組めるからだ


「う・・・ん・・」


和己はテーブルに突っ伏していた体を起こす。どうやら集中して絵を書いている最中に寝てしまったらしい。頭に鈍痛を覚えたのは睡眠中、固い場所に突っ伏していたからだろう

体にかけられていた薄い毛布を背後のソファーに放りながら彼はあることに気付いた


(誰が僕に毛布なんかかけたんだ?)


脳内に浮かび上がる疑問符。ぼんやりした意識が朝の冷気に晒され急速に覚醒していく中で頭の中で思い出す事

課題がいつの間に済んでいた、電車の中で女子高生らしき集団に罵倒された、そして謎の白いワンピース少女が家の中に入ってきて・・・

走馬灯のように昨日起きた出来事が和美の頭の中で駆け抜けて行き、ようやく彼は思い出した


(あ!そうだ。あの子は?)


きょろきょろと周りを見渡すが、白いレースの少女はどこにも見当たらない

立ち上がると家の中を探すが、やはりどこにも白い影は見当たらなかった。自分から出て行ったのか、それともまだ家にいるのだろうか?

しかし洗面所、簡易箪笥、風呂場のどこを見ても少女の姿は無かった。此処から出て行ったにしても入り口にはちゃんと鍵がかかっていたし、同様の状況で窓から出た形跡も見られない


「鍵はちゃんとある」


鍵を持ち出して出たのかとも思ったが、家の鍵はちゃんと和己のポケットの中に納まっていた

この部屋のスペアキーもあることは有るが、和己は持っておらず。一階に済んでいる年老いた管理人が持っているが筈だ

その管理人がいくらなんでも顔見知りですらない部外者に鍵を渡すなんて有り得ない。第一、管理人はそこまで高齢ではないし少女は鍵を使ってこの部屋から出てはいないのだ


仮に和己から鍵を拝借したのであれば、使用された鍵は部屋側のマンションのポスト付近に落ちているはずである。しかし和己は鍵を持っている

それも目が覚めたときから、ポケットに入っていた

そして、昨日帰宅したときに鍵はポケットに入れっぱなしだった筈なのだ。和己はいつもそうしていて、ズボンを洗濯したときに鍵が濡れたズボンのポケットから見つかったこともある


更に、昨日の和己は部屋に入ってから外出してはいない

つまり、昨日この部屋の鍵は和己が美大から帰ってきたときから彼のポケットの中に有ったのだ

結論を言うと、あの少女は和美の部屋から鍵も使わず消えたのだった。そう、まるで煙のように

和己は肌寒さを覚えた、それは冷えた朝の冷気に服越しに体が触れたわけでもなかった。背筋を走る悪寒と戦慄

そしてそれを知ったときに、机に開いたままのスケッチブックに視線が向いた。可憐な少女の絵が自分に向かって微笑んでいた


「この絵からあの子が飛び出したことなんて・・・無いよな」


漏れる独り言。見れば見るほど自分が書いた絵が徐々に少女の輪郭に重なってくるような錯覚を感じた

この絵は自分で書いたものだ、自分で手がけた作品の筈なのに絵の中から紫色の瘴気が湧き上がってくるかのような不快感を感じる

そういえば、僕がなぜこの絵を描いたのか未だに動機が思い出せないのだ。石膏像やモデルから模写したのではない事は記憶を探る限り無い

本当にて適当に描いた絵なのだ。しかし、それが何者かによって無意識を操作され生み出されたものだったとしたら・・・

仮に、その絵を描いた事によってあの少女が和美の家に現れたとしたら・・・


(もしかして、幽霊?)


頭の中で出た結論に、和己は背中に氷を押し付けられたかのような寒気を覚えた

幽霊。もしそんなものがいたとして自在に者に触れたり扉や壁を通り抜けられたりするとしたら該当するのかもしれない

仮にそんなものが実在するとして和己が取り付かれているとしたら・・・







『ねえ、私が何であなたに取り付いたのか判る?』


『えっ?』


『勿論、生きている人間を取り殺す為よ。私は恨みを持ったまま死んでしまったのだから当然でしょう・・・?

何で貴方は楽しそうにしてるのよ。憎いわ・・・憎いイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッッ!!!』







恨めしげに甲高い悲鳴を開けた血塗れの女の顔が膨れ上り、猛獣のような牙が生えそろった口が裂けた後、誇大な鬼面に変貌する

怪物と化した少女の赤い瞳が自分の見据え、顔が牙の生やした大口を空けて自分を飲み込むさまを和己は想像し、一人で震え上がった

少し前のホラー映画に出てくるような化け物と自分が対峙したとしても、勝ち目が無いことはわかり切っている

あの可憐でひ弱そうな少女も危害を加えるとは思えないが、実の所、本性は隠しているだけで実のところ恐ろしい化け物のかもしれない


こんなところまで想像してしまうのは曲りなりにも芸術家の端くれの宿命なのだろうか?

とりあえず、和己はテレビを付けて気持ちを落ち着けようとした。リラックスして損は無い、平常心こそが生きる上で大切なのだ


『それでは、お天気コーナーです』


時計を見る、時刻はゆうに電車が来る十分前だ。今から走れば間に合うだろうが急ぐ事にする


「呪われてそうで本当は持って行きたくないけど・・」


先程の恐ろしい妄想がよぎったが、和己は数秒の躊躇いの後にあのスケッチブックを鞄の中に放り込んでテレビのスイッチを消して部屋を出たのだった







「すみません先生、この間の絵のことなんですけど・・・」


美大の講義の後に井上を捕まえて和己はあまり大きくない声で言った。周囲の人間に聞かれたくなかったからだ

声のボリュームが小さすぎないかと心配したが、鬼講師には聞こえていたようだったが


「どうした?」


井上は少し不機嫌そうに言った。忙しいからあまり時間を取らせるなと、言外に圧力が込められているような気がした


「あれ、僕が書いたんじゃないんです」


しばし無言。体感で三秒くらいたった後に権彫が訝しそうに僕を見た

見ると、眉毛の辺りがピクピクと痙攣していた。講師は和己が話しかける以前に何か良くない事に巻き込まれたか、それともただ単純に沸点が低いのか和己には区別が付かなかった


「成る程。で、誰に書かせた?」


井上の声音の変化に感づいたか廊下のほうで談笑していた生徒達も、二人の空気が険悪で硬いものになってからは潮が引く砂浜のようにサーッと引いていく


彼の声にはあまり抑揚が無かった、話しかける前から絶対に機嫌が悪かっただろこの人。と和己は密かに考えたが絶対に口には出さない

和己は怒りが差した権彫の顔をなるべく見ないように微妙に目の焦点をずらす。異様に太い――――決して脂肪が張り付いただけのではない逞しい筋肉の鎧を纏った右腕に目が行く

彼は素早く井上に告げた。これ以上均衡が続くと心臓が詰まってしまう前に血の雨が降りそうだった

臆した和己は意を決して言ったのだった


「僕じゃなくて、幽霊の女の子が描きました。」


「・・・は?」


和己の言葉を聞いた井上は虚に突かれた様に声を漏らす

彼だけじゃない、和己自身も内心は驚いていた。嘘にしか聞こえないことをこの教師に吹聴したようなものなのだ


「――――と言ったら本当だと思いますか?」


ぎこちない笑顔で冗談ですと言ってから、固まった愛想笑いを浮かべつつ、もう少しましな嘘を付くべきだと和己は考えが浮かぶ

幽霊なんていったとしても信じてもらえるわけが無い、普通ならそうでなくとも白くて高い塀があるほうに行くかも知れない。

ある意味でとても個性的で感情豊かな人たちが閉じ込められている病院へ連行されるかもしれない


自分が言ったことさえもおかしいように思えてきた。きっと疲れているのだろう、でなければこんな戯言にすぎる冗談を口にできるはずもない

和己は井上が何か言うのを待った。冗談だとこの講師が自分を小突きながら笑い飛ばす僅かな可能性にかけて

しかし、この前時代的である意味真面目に過ぎる教師にそこまでのリアクションを期待してはいなかったが

講師の口が開く前に、和己は自分のほうの口を開いてしまった


「済みません、冗談です。課題が間に合わないので友達に頼みました」


愛想の篭った慣れない笑いでぎこちなくごまかしながら、和美は再び嘘を吐いた

幽霊だなんて和己自身も信じてはいない。てっきりあの少女のことは夢か何かだったのかもしれない

そもそも、彼自身そんな都合のいい存在が自分を助けてくれるなど信じていなかったのだから


「そうか。」


「え?」


意味が分からず、和己は小さく声を洩らした

てっきり、怒鳴られると身構えていたものだったのだが反応が予想外すぎる


「和己、笑えない冗談を考える暇があったら一枚でも多く模写なりデッサンなりトレスなりで描写力を鍛えるんだ。お前は基礎がなってない」


井上は僅かに呆れる様に言い捨てると振り返り、何事も無かったかのように廊下の奥へと消えていく

和己は呆気に取られ、しばらくその場で突っ立っていた。何が起きたのかまったくわからない


鬼講師の名を欲しい侭にしている井上が自分を無条件に許すなんて、明日はきっと雪が降るに違いないと密かに考える和己だった

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