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画家の卵と快楽主義者

いつも通り、七時前に目が覚めて和己は起き上がった


目覚ましが鳴り響く数分前の事である、その時刻は自然に覚醒する時間帯として彼の体に定着していた

そして、洗面所に向かい歯磨きと髭剃りを済ませようとするが、どうにも落ち着かない。昨日見た影の事が少しだけ気にかかる

だが、時間的にもうかうかしてはいられない朝食を作らなくてはいけないからだ。しかし気になることもあるのでドアを開けて中を見た


「何も無いよな・・・」


当然だ、この家には友人を招く事はあまり無い上に和己自身一人暮らしだ。

駅の近くを選んだので八畳一間。家賃も光熱費入れて約五万円とそれなりに高い部屋に友人を招いたことなど無い

更に、彼には生まれてから一度として彼女がおらず密かにコンプレックスとなっていた


歯を磨きながらも居間に行きテレビの電源を着けた。ちょうど七時のニュースの時間帯である

テレビの中の女性キャスターが与党の有名政治家の献金裁判の続報を手早く読み上げ、三十秒後にはスポーツの話題に移った

それをBGMにしつつ、適当に髭を剃ったあとで菓子パンを牛乳と一緒に居の奥に流し込む。いつも繰り返したサイクル、いつも通りの自分


そうこうしている内に、電車が出る二十分前の時刻になり戸締りをした後に投げ捨ててあった鞄を見た

少し迷った後、結局彼は鞄を拾い上げアパートを出る。これも、いつも繰り返している事であった





「よう、和己」


「福留、おはよう」


美大に着くと金髪を立て黒縁の眼鏡をかけ、派手な赤いシャツを着ている福留貴文ふくどめたかふみが和己に向かってひらひらと手を振った

あまりかかわりたくない手合いではあったが、一応和己の知り合いで同い年であり、そこそこ共通の話題で盛り上がることも無くは無いが


「いきなりで悪いけどさ和己、今日時間空いてる?」


軽薄な口調で貴文が聞いてきた。彼の誘いにははじめから乗り気ではなかったし金も無いので、何を言われても断る気で居た

それでも顔を合わせれば世間話程度は交わす知り合いである為、建前上聞いておくことにする


「さあ、まだ分からないな」


「ふーん、聞いてビックリするなよ?」


福留はにやりと笑う。その顔はどうにも自分が笑われている気がして、和己はあまり良い気分ではなかったが


「よかったら今日は合コン行かね?こっちに就職してきた後輩の歓迎会兼ねて開くやつなんだけど」


合コン。自分も難解か誘われたことがあるがいったことが無い

単純な理由として、ファッションや身なりに興味が無いというのもある。流行に乗った服装や髪型でそういった催し物に参加しなければ

大概の場合鼻つまみ者になり愉快な目にならない

それを知ってかしらずか誘ってきた福留はある意味では無神経なのか?それとも・・・


「すまない。今、用事思い出したんだが・・・ちょっとまだ済んでないデッサンを仕上げないといけないから」


和己は一応断る言い訳を口にした。絵の練習に対する情熱なんてとうの昔に尽きているはずなのに

今こうして建前として使っている自分自身が情けなく、矮小に思えてならない

渋る彼に業を煮やしたのか、福留は更に言葉を重ねた


「女子高生も来るらしいぜ。今日のサプライズなんだが・・お前だけに教えてやるよ」


もったいぶったような言い方に対してへえ、と一応反応しておく。心中ではますます係わり合いになりたくないと思った

全くよろしくない。犯罪一歩手前ではないか


「それはちょっとやばいんじゃないか?」


「いいのいいの、いまどきのコはこんなのに慣れてるんだからさ、進んでるんだよ。ま、死語だけどセックスフリーってやつ?」


へらへらと福留は軽薄そうに笑う。遵法精神という言葉はこの男の脳みそには入っていないのだろう、と密かに思う


「本当に楽しそうだ。俺も参加したかった」


白々しく心にも無い事を言う。この手の催し物に進んで参加した事など一度も無かったし、未成年と関わって警察の世話になる事だけは避けたかった

もし、福留になにかあったとしても和己は知らぬ存ぜぬで通すだろう

所詮は福留からしても和己から見ても、互いが互いを数合わせの友人以上として見ていないのだろうから


「まあな、今時まじめに生きるなんてダサいぜ。褒めてくれる奴なんて誰もいねーし

だから絵の練習なんてサボって来いよ、な?」


貴文は執拗に参加を勧めてくるが、和己はいまいち乗り気になれない

そろそろ腹も立ってくる頃である、苛立つ気持ちを必死に抑え、福留のへらへら笑いを真似したように軽薄な表情で言った


「一応勉強している素振りでもしないとさ、アリバイってやつ。親が五月蝿いんだよ、分かるだろ?」


「そうかよ、貧乏人はつらいな、進路とか夢とか必死に追うなんてカッコ悪いのにな。ま、今度誘うぜ」


カッコ悪い。この単語がある意味では彼を象徴するのに相応しいかも知れないと密かに考える

もしかすると、このような手合いと知り合いになった時点で不運ではないかと己の命運を呪いそうになった


「次は楽しみにしてるよ」


再度断りの合図を返すと貴文は胸糞悪そうに去っていった。和己はほっとしながら彼の後姿を見やった


(何しに来てるんだろうな、あいつは?)


きっと真面目に絵の勉強をしにきたわけではないのだろうと思った。ルックスは意外に悪くないのでナンパか、友人の数集めかそのどちらかだろう

実際に貴文はある意味より和己以上に才能が無かったと言っても良かった。

デッサンの絵も一度だけ見せてもらったが、母の日のスーパーで見るような幼児が描く似顔絵レベルで酷かった覚えがある

その時の彼は下手糞な絵を見せて、へらへら笑っていてプライドが感じられなかった


ようするに彼は享楽のみを追及する人間であり、曲がりなりにも一応の目的を持って絵の勉強に来た和己とは違う


ずっと遊び歩いている彼はバイトをした事も無いように見えた

地方の実家が不動産事業を行っている彼は都会で遊ぶために美大に来ているかのようで本当の目的は分からない。恐らく、彼自身も良く分からないのかもしれない

さぞかし親に甘やかされて育ったのだろう、人生を過ごすのに危機感というものが彼から感じ取る事が出来ないのだ

多少状況は異なるが、少なからず彼の連れである遊び人もここに在学しているのは事実である


(じゃあ、僕はどうなのだろうか?)


そんな彼と自分を比較してみる。合コンに行って遊びほうけている貴文。そして一人酒を飲みながらバラエティ番組を眺めていた自分

何処にどんな違いや境界線があるのか分からなかった。彼と自分は本質的には同じではないのだろうか?

いや、あくまで「一般的な」ものの考え方をすると自分のほうが遥かに愚かで、理に適っていないかも知れない

目的意識を持って努力しながら生きていくことが持て囃されてきた嘗ての価値観は、今の時代からすると古臭くみっともない生き方だと見られる傾向があるのは確かだ


(ゆとり教育、此処に極まれり。か・・・僕も世代だけど)


廊下の中で、スケッチブックを開く。そこには昨日見かけた椅子に座った少女の絵があった


背景も何も無い。ただ椅子に座って、スケッチブックを直視する和己を見ている絵はそれだけ見ると他のどの生徒よりも上手い作品だと思う

線の使い方、輪郭の表現、影の形・・・どれをとっても申し分ないが、物足りなさを感じてしまうのは何故だろうか?

そして、その少女の顔には表情が無かった


和己は少女がどんな顔をしているか想像が付かなかった

絵の構図自体は三日前の授業で見たラファエルの講習用ビデオで見た気がしたが上手く思い出せない

白い背景、そして丁寧だが表情の無い少女のスケッチは、目的が定まらない今の自分と重なっているように和己は思えて仕方なかった

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