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鬱になった日

鬱になった日

みなさんはなぜ鬱になるのかと疑問に思いませんか?

思いますよね

というかそもそも何が鬱なのか、どうなったら鬱なのか

未だによくわかってないと思います

頭のいい人は分かるのだろうか、どこまでが鬱で、どこまでがただの落ち込みなのか

さて

私の概念には人生の価値観というものがある

人はより良くなろうとし、そのために何をしたらいいかという善悪のような基準が

とりあえずそれを人生の価値観としておく

さてさてそして

皆さんは我慢をする時があると思う

自分はこうしたいのに、どうにもならない理由から

行動を制限される時だ

例えば

ゲームをしたい。しかし親に止められた

腹が立つだろう、あるいは悲しいかもしれない

しかし、心のどこかでこう思うはずだ

確かに、ゲームのより勉強のほうが役に立つ

あるいは、自分をいじめる親は悪いやつだ!みたいに


何か自分を制限される状況になったとき、われわれは考える

人生の価値観の基準から、それは良いことである

もしくは悪いことである、というように、だ。

何か理由が必要なのである。

理不尽は許さない。善による導きか、あるいは悪による妨害か


完璧主義の人はこういった思考が多いのではないだろうか

だからよく精神に異常をきたす。その傾向が強い。

逆に言えば、深く考えなければ、おそらく精神へ負担は減らされる

我慢をしないまま物事を思考から流す。これを曖昧とする。

僕は人間の凄いところはここだと思う

人間は曖昧を持てるのだ。これはコンピュータには難しい

ブラックボックスから出力される人間の発想は、実に面白いものだ。

話が逸れたが、さて本題は我慢である。

問題に対し、解釈が出れば、納得する

それが人間の思考というものだ。

しかし本当に耐えがたいことを経験したとき、なかなか解釈では納得しきれないのも事実だ

分かりやすいのは大切な人の死だ。

人はいつか死ぬものだし、しょうがないよね! とはいかない

それでも私たちは感じた悲しみを我慢するだろう。納得はいかないが。

そんな時私たちは何を理由にするだろうか

それは、世の中そんなもの。世界はそんなもの、人生はそういうもの

そういう解釈で、納得しているのだ

私の人生の成功において、これは必要なことである

これは必要な経験で、これは納得のできる悲しい出来事だと。


これが私の考える、我慢する際の究極の担保

人生に必要だから、である

そしてだからこそ、私はこう思う。

人が鬱になるのはこの人生の成功への価値観が崩れたとき

こうすればうまくいくと信じていた基準が崩れたとき

どうしようもない時我慢に使った人生の成功という根拠が

なくなってしまったとしたら、ああ

何を間違えたんだろう

どうしてこうなったのだろう

私は一体、なにをしていたんだろう

今まで抑えていた理不尽がふつふつと湧いて蘇ってくる

一言で言えば、絶望 だろう

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