優越感の化け物
優越感の化け物
今日日、情報社会において必要不可欠なSNS
そんな有象無象の世界で我々人間は日々争っている。
例えばの話だ。
動物の動画だった。犬が叱られる映像。何か悪いことをしたのだろう
しょぼんとする犬、怒る飼い主。それをくすくすと笑う別の飼い主
コメント欄では可愛いという声が相次いだ。
しかしこう書かれていた。
犬がかわいそうだよ! と
それに対し、こう返信された。
これは躾、必要なことなんだよ、と。
犬を心配した第一声と、その犬のためを思う第二声。
なぜだろうこの二人は同じ目標のために争い始めた、口論だ。
そこに茶々を入れる第三者、別のコメントで論争をあざ笑う第四者
そういった話題を取り上げる別の投稿者、それを笑う人
そしてそれらを無言で見つめ、心の中で馬鹿にする人
さてさて、
おそらく今のインターネットでよく見かけるだろうこんなことは
彼らは闘争を求めているのか?古代より続くホモサピエンスの争いの血を
いや、そんなことはないだろう。これはもっと単純な理由だ。
我々人間は他者を馬鹿にし、自分より下の人間であると納得し、優越を得たいのだ。
インフルエンサーの承認欲求? 悪をわたくし刑する一般人? 馬鹿馬鹿しい。
やれ承認欲求だの正義だの悪だの、大層なものを掲げて自分を守りよる
今行われているほとんどのエンターテインメントは、ただの優越行為だ。
他人を下げて自分を上げる。それだけの
優越感というのは恐ろしい。
際限なく求めたくなるのはもはや人間の性、しょうがない。
私は憂いを持っているのだろうか。
ここ数年、インターネット社会で生きる我々はお互いを優越の対象とし、
争いすぎていると感じる。
心の荒んだものから、あるいは純粋に
ただただ優越という喜びを求め、インターネットの波へ
私はとても歪んでいる。
インターネットで起きている争いが本当に醜く見える。
かつては沢山の口論をしてきた私だから覚える危機感だ。
このままでは私のような歪んだ喜びを求め続ける若者が増えていく。
何か凄いことを成し遂げた人を称え、自分もそれに続くように心躍らせるでもなく
凄い人を貶め、それを喜ぶ。そんな悲しい人が増えるのではないか
本当に私が言えたことではない、私が言えたことではないのだが
優越感に溺れる人間よ、どうか気づいてほしい。思い直してほしい
その喜びは、だんだんとあなたを歪ませるだろうから




