ノリで書いた時のやつ おそらく第一話(第一歩目)にあたる
何が正しいのかという問いを疑問に思ったことがある
誰かの過ちを見たのか、自分を振り返ってみたのか
これまで正しいと思い込んできたことが揺るがされるような
そんな思考が落ちてきたのだ
些細な問いだったのならいい
暴力が駄目だとか、偽善は悪だとか
大きすぎて個人の尺度では測りきれない事は
考えたって答えは出ないと知っている
ただ、個人的な事柄について触れたとき
更にはそれが自分を自分たらしめる根底について悩んだとき
おそらく人間は、その問いを、曖昧という逃げ方では振り切れない
何らかの価値ある答えにたどり着けなければ
この先を歩むことに全力は出せない、
迷い、焦り、不安、あるいは戸惑い
どうしたらいいかわからなくなる。
人間は、それぞれ固有の理想を持っている。
こうあるべき、こうなるべき、という理想像になるため
日々日常を過ごしている。
別に、志を大きく持って堂々と生きているわけではない
もっと根本的な話であって、無意識レベルの領域で
命ある限り、理想を描いてつかみ取ろうとしているという話だ。
この理想は、いわゆるそれぞれ個人の正しさでもある。
理想に近づく行いを成し遂げたとき、至上の喜びを感じ
理想に遠ざかれば、大きなショックとなる。
また理想を持ってその行いを破って見せれば
それはある種の成長であり、背徳感を伴ってみせれば
また罪悪感を抱えて前に進むだろう。
遠まわしでかっこつけた事を言ってしまった。
何が言いたいかというと、
人間には正解の尺度がある
まるで鏡のように私たちの思考の片隅で
物事を写し、評価し、反映してくる。
ああ、またかっこつけてしまった
本当にどうしようもない時、神に祈るように
あまりにも打ちのめされたとき、救いを求めるように
届くはずのない声を、かけることがある。
自分が私であると認識する意識。
無意識と意識で分けた際の意識の部分である私という自分は
やはり人間のすべてではない
無意識という根本があり、そこと相互にかかわる
というよりも、一緒になって存在しているのが私だ。
また小難しい話になってしまった。分かりやすく言いたい
つまるところ、人間は無意識と意識の生物で
意識的である私は、無意識と一緒に生きている
私という存在は意識的であり、私が私をしろうとするならば
私の一部である無意識を無意識として切り離すことで認識できる
客観的に見れば人間は意識と無意識の生物だが
意識である私は無意識しかみれないし、それすら完全には意識できない
なんというか、無理なのだ。自分を理解するというのは
だから、それでいい、それでいく。
話が長くなってしまった。
これは私の結論であり、私の正解だ。
もっと頭のいいひと、えらいひと、すごいひとに人間の解明は任せる
これから語るのは、私がただ考えたこと
私の中の無意識を意識である私が捉えてみた試み
ただの妄想だ
何が正しいかという問いを、疑問に思ったことがある
何が私に正しいという道理を語ってきたのか、知りたいと
自分を見つめなおす、ありふれた行為を何年も無意味に続けてしまった
どうかこの行いが意味ある行為で、確かな価値になることを願う
そうペンを握り、もといキーボードをカタカタし
深夜テンションとアニメを見終わった高揚感でこれを書く私であった、まる




