知識という公式
貴方変わるという事
人間生きていれば、大なり小なり変わっていくものだ
それは経験であり、知識であり、記憶である
私が思うに
経験、そして記憶は嘘をつかない
実際にこの身で理解した情報は確かなものだ
でも、知識は違う
あーすればいい、とか
こーすればいい、とか
何が良くて、何が駄目みたいな
そういった知識があると思う
これは誰かの経験や記憶が記してあるんだろうが
それをこっちが、受け取ったに過ぎない
落ち込んで鬱になると
自分がどうすればいいか、わからなくなるだろう
方法や目標、自分の存在意義とか
とにかく、根底から崩れてしまうと思う
そうしたときに、知識に頼る
そこには目から鱗、新たな考え方や気づきがあっただろう
しかしそれは、ただの知識にすぎない
イメージで伝えるなら
人間の変化を数式で例えるとして
いちたすいち
いちひくいち
にかけるに
さんわるさん
そうして四則演算を覚えて
xとかyとか、そういうのも覚えて
少しずつ少しずつ、数学が身についていく
そして今では、難解な数式を解いているとする。
この時に
問題を出されて、それを解いて、そして間違えたとして
なぜ間違えたのかと考え直すだろう
どこが間違っていたのか、どうすればよかったのか
そういうイメージを持って頂いて
じゃあ公式丸暗記、解き方の法則丸暗記で問題に挑んで
間違えたときに、苦しんだことはないだろうか?
それが知識の難点だ
話を戻すと
知識というのは偉大だ
文字にして表すことで、膨大な経験と記憶の歴史がきゅっと締まる
難解な数字たちが、公式できゅっと、まとまるように
でもいざ、問題にぶつかったとき
知識は頼りにならないのである
ここまで話したうえで
やはり鬱病は、簡単にはなおらないのだろう。
もしかすれば
鬱病への素晴らしい公式が全て、見つかるかもしれない
ただそれは、希望的観測だ
人間のことなんて、深すぎて分かりようもない
だから
時間をかけて、いいのだと思う
時間をかけて、解きなおしてみればいい




