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認知のゆがみ

認知のゆがみ

誰か自分以外の人を認識するとき、

それが敵であるか仲間であるかを無意識で判定する

たいてい最初は仲間であると認識する

平和な日本に住んでいるからかもしれないが

なんの背景もなくふらりと出会う人を

最初は仲間だと思うだろう。

しかし接してみればそれは変わる

自分を害する人は敵だし、助けてくれる人は仲間だ

これは別に定まるものでもないから

昨日の敵は今日の味方だし

なんなら3秒前まで味方だった奴が敵に見えるかもしれない

この考え方でやっかいなのは、一度そのレッテルを張ると

そいつの行動がすべて正解、あるいは間違いに見えることだ

優しい人だって嘘を吐くし、詐欺師だって真実を語る。

ただその時、それに対して私たちは翻弄されるのだ。

そして、考えるのだ。何が正しくて、何が間違っているんだろうと。

この話はとくに重要ではなくて、

ただ人間はそんな風に話を受け止めているのだと

なんとなくわかってもらえると嬉しい。

さて、

これは私の話なのだが

目の前に気に入らない人がいたとして

私はそれをすぐ敵とみなす。

そしてこいつが何をいおうとそれは何か裏があり

たとえ私にとって利があるとしても

何か私を利用するために唆しているのだと

考えてしまうのだ。


誰かを敵として認識することが多いのだと思う

仲間は少なく敵は多い

そんな風に私は前提としてしまって世の中を生きているのかもしれない

私を哀れに思った人は、いいねと高評価をください


さてさて

エンターテインメントとしてドッキリ企画だとか

誰かを貶して笑うことが多いと感じませんか


今の世の中はとても攻撃的に思える

そして彼らは巧妙に善人のふりをしている


私は思う

自覚はあるのだ。私が生きにくい視点で人を見ていることの。

でもそれはこういった攻撃的な情報で敵と仲間の判断を揺さぶられ

そう。揺さぶられる機会に多くさらされたからだと思う。


みなさんはどうか心安らかに人を見つめていてほしい

善人もミスをするし、悪人も正しくできる。

そんなことは、いくらでもあるのだから



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