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設楽ケ原〜櫛と竹トンボと赤い空〜  作者: ariya


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3/3

3 櫛の縁

 それはいつの頃であったか。


 私が元服して間もない頃だった。


「信幸、ちと使いに行ってはくれんか?」


 父に言われ、私は父の使いの為に寺へ行くはめになった。


 別にこれという用事もない。

 今日の日課も一応すませたところなので父のお願いにつきあうことにした。


 一人で行くのも何だし、誰かを供にお願いしたいのだが。


 弟の弁丸の姿を一瞬探してしまった。


 今、弁丸は甲府の方にいた。

 父・昌幸が兄の死後真田家を継いだ折、甲斐甲府の館から信濃小県の松尾城に居を移した。

 しかし、この時二男の弁丸は甲府の館の方へ預けられた。


 真田家が武田家を裏切らないという証の為に。


「真田家からの人質は必要ない」


 昌幸とは昔馴染みだった武田家当主・勝頼は言ったらしいが、昌幸は弁丸を甲府に残していた。


 それを聞いた私は幼い弁丸を一人残してきた父を詰ったものだ。

 自分も父に逆らって甲府に残ろうとした。


「兄上、私は大丈夫ですよ」


 当の弁丸は人質の身を受け入れ、心配をかけまいとする姿を見させられると何も言えない。

 渋々父母と信濃へ移ったのだ。


「……」



 兄上、どこ行きますか? 私も行きます。



 後ろについてくる弟の姿がないのを寂しく感じた。



 仕方ない。

 一人で行こう。



 そう思い厩の方へ歩を進めた。


「すまないが馬を出してくれないか?」


 厩の当番に言うと彼は頷いて私の栗毛を出してきた。


「どちらへ行かれるのでしょうか?」

「父の遣いでちょっと寺の方へ向かう」

「おひとりで大丈夫でしょうか?」

「なに、真田の領内なんだ。心配ないさ」


 私は笑って言い、手綱を受け取り馬に跨った。


「お気をつけて」


 そう言われ私は頷き、鹿毛を歩かせた。



 城を出て到着した寺は綺麗に整備されていた。


 この寺はかつては別の場所にあったそうだが、先代当主の伯父・信綱がこの地に移した。


 先年の設楽ヶ原の戦にて討ち死に、この寺が伯父の菩提寺になっていた。


 そして信綱伯父の妻子がこの寺に滞在していた。

 この度父に頼まれた用事がこの未亡人に届け物をすることだった。


「失礼。私は真田安房守の子・源三郎信幸と申します。父より伯母への預かりものがあります」


 寺の境内にて掃除をする若い女性に声をかけた。


 伯母の侍女であろうか。


 彼女は眼をぱちくりさせ、「こちらへ」と寺の中へ案内した。

 部屋の方へ案内され、そこで待たされた。


 しばらく時間が経過した。

 一人の尼僧がやってきた。


 真田信綱の妻の井上夫人であった。


「源三郎殿、久しぶりにございます」

「は、お元気そうでなにより」


 私は頭を下げて挨拶を述べた。


「堅苦しい挨拶は抜きです。さぁ、顔を見せておくれ」


 そう言われ私は顔をあげた。


「ふふ……随分立派な若武者になりましたね。さぞかし女性にもてるでしょう」

「生憎、毎日武芸・学問に勤しんでいる為、女性とはなかなか……」


 実際その通りとしか言えない。

 人懐こい弁丸に対して私は接しづらいと思う女性が多いのが事実である。


「あらそうなの」


 井上夫人は意外そうに声をあげた。


「父より預かった品でございます」


 私は話題を変えるように持ってきたものを前にさしだした。


「まぁ、ありがとう」


 井上夫人は嬉しそうに微笑んだ。

 大事そうに胸に抱いた。



 一体なんだったのだろう。



 少し興味があったが、他人の物をあれこれ聞くのは失礼だと思い無関心を装った。


「ふふ、何が入っているか気になる?」

「いえ……」


 尼僧のあまりにイタズラげな顔に思わずどきっとした。

 すぐに平静さを装った。


 私の内面に気づいているのか彼女はおかしげに笑った。


「櫛よ」


 どれほど大事なものかわからず私は首を傾げた。


「こちらの寺に移る前に松尾城でなくしてしまったの。随分探したのですが、見つからず諦めて城を出ました。先日、昌幸殿にそのことを話したら、昌幸殿がわざわざ見つけて下さったのよ」


 井上夫人は中の物を取りだした。

 きらりと光る装飾が施された美しい櫛だった。

 井上夫人は愛しそうに撫でた。


「亡き殿が私の為にくださった品なのよ」

「そうでしたか」


 納得した。

 夫から貰った思い出の品であれば大事なものだろう。


「戦のことばかり考える武骨な方でしたのでこのような物を贈ってくださるなんて夢にも思わなかったわ」


 井上夫人はそう言いながら昔の思い出に浸っていた。


「失礼いたします。白湯をお持ちしました」


 部屋の外から女性の声がかかった。

 私を部屋まで案内した若い女性だった。


 彼女は私と井上夫人に白湯を運んでそっと井上夫人の隣に座った。


「あ……の、あなたは?」


 私はそう尋ねると彼女は意外そうに眼を丸くした。


「まぁ、源三郎。私を覚えていないのですか?」

「はぁ……申し訳ありません」


 それを聞いて井上夫人はくすくすと笑った。


「これ、千草。源三郎殿とお呼びなさい。次期真田家の当主になられる方ですよ」

「……え、あ……ひょっとして千草か?」


 私は井上夫人の言葉から思い出したように声をあげた。


「そうですよ」



 思い出した?



 彼女の大きな瞳がそう私に問いかけているようだった。


「ああ、前会った時はまだ十にも満たなかったから……その随分変わられたな。五年、ぶりか」


 彼女は千草姫。

 先代真田信綱とその室・井上夫人の間に生まれた娘で、信幸の従姉である。

 記憶の中の彼女は随分活発な男まさりであった。一瞬おとなしげな侍女に見えたもので、当時の記憶と誤差が発生していた。


「私を母上の侍女とか思っていたんでしょう」

「面目ない」


 私は否定しなかった。頭を下げ、謝罪した。


「正直ね。ここはそんなことありませんって慌てて言えばいいじゃない」


 千草は笑った。

 彼女の視線が落ち着かず私は腰を浮かせた。


「あ、えと……それでは伯母上、用事もすんだことですし、私はお暇させていただきます」

「あら、久々に再会したのですからもう少しいればいいのに」


 間髪いれず千草がそう言うが、私は苦笑いして「用事があるので」と適当な事を言った。

 部屋を出て門の方へ向かうと、後ろから千草がおいかけてきた。


「待って。見送るから」

「必要ない」


 私は断ったが、千草は全く聞かず履物を履いた。

 置いていくように見えるのは嫌だった為、私は彼女を待った。


「弁丸は元気かしら? 一緒ではないの? いつもあなたたち一緒にいたじゃない」


 近づいてくるたびに重なる質問に私は苦笑いした。


「弁丸は甲府にいる」

「甲府に?」


 千草は首を傾げた。


「ああ」

「そう……」


 それがどういう意味なのか千草は悟った。

 仮にも先代当主の娘である。


 それ以上のことは聞かなかった。


「源三郎殿は元服なされたのね」

「ああ、信幸という名を頂いた」

「ふぅん……信幸殿ね」


 何が楽しいのか、千草は「信幸殿、信幸殿」と何度も呟いて笑った。


「久しぶりにあってびっくりしたわ。随分背が伸びたのね」

「そうか?」


 まぁ、五年もすればそう感じるだろう。


「ねぇ、父上とあなたどっちが高いのかしら」

「さて、比べたことがないからな」


 一瞬だけ彼女の顔が曇った。

 もう既に彼女の父はおらず、比べることができない。


 しかし、返って来たのは思ったより明るい声。


「あ、父の陣羽織があったわ。今度それを着て見せてよ。母上には話通すから」


 いいことを思いついたと言わんばかりの声に私はまだ返答できずにいた。


「? どうしたの?」


 千草はきょとんとした。


「いや……」

「ひょっとして亡き父上の話だから私が傷つかないようにうまい返事をすれば良かったとか思ったのかしら」


 その通りで否定せずにいると千草は笑った。


「あなたって真面目ね。別に気にしなくていいのよ。むしろ変に気を使われても鬱陶しいだけだわ」


 そんなことを言わなくても良いじゃないか。


「でも、一応ありがとう。相変わらず正直で真面目な人ね。昔に比べて随分眉間に皺寄っているし、大丈夫?」


 千草は自分の眉間を指さした。


「まぁ、あなたらしくって安心したわ」



 私らしいって……。

 一体彼女の中の私はどう映っていたんだ?



 寺の出口に辿り着き、私は門の外に待たせていた馬の手綱を引き寄せた。


「信幸殿」


 馬に乗った後に私は千草の方をみた。


「その……また来てくださいね。母も喜びます」

「ああ、そうだな……そうだ、今度来た時は五郎も連れてこよう」

「五郎?」


 誰?と千草が首を傾げた。


 五郎という名前はそこらに何人かいる為どの五郎だと千草はすぐに出てこないようだ。


「昌輝伯父上の子だ」


 そこまでいうとすぐに千草はぽんと手を叩いた。


「ああ、あの子……そういえば叔父上が引き取ったのね。随分大きくなったんじゃない?」

「ああ、少々虚弱なところがあったが随分丈夫になった」


 昔は体が弱くあまり外に出ていなかった。

 親戚の集まりでも姿は見られず、千草の記憶の中の彼の姿は希薄だった。


「そう、楽しみだわ」

「それではな」


 私は信綱寺を後にした。

 ふと後ろを向くとまだ彼女は寺の門の前で私を見送っていた。



 それから数日経ち、私は千草の元へ何度も通った。

 その折に五郎を供にしたり、別の者を連れてきたり。


 そうして何度か通っているうちに私と千草は随分親しい仲になった。

 それは従姉弟としての関係を超えたもので、父親は驚いたが、弟は特に驚く様子はなかった。


(おわり)

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