2 竹トンボの行方
主君を伴って帰還した昌幸は部下の知らせを聞いた。
戦場を去る前から兄二人の生還は絶望的だと理解はしていた。
逃げ惑う中、兄の戦死の報を聞かされて歯を食いしばりながら生き延びることを選んだ。
改めて兄二人の最期を聞く。
冷静であろうとする昌幸の胸を、言い知れぬ悔恨の念が静かに刺した。
「そうか……」
昌幸は空を眺めた。
赤々と染まる夕焼け。
少しずつその赤が闇に溶かされていく。
天正3年5月21日(1575年7月9日)
設楽原の戦いにて武田軍は織田軍に負ける。
数々の名だたる将が討取られていった。その中に武藤昌幸の兄信綱・昌輝もいた。
多くの防衛柵と大量の鉄砲を利用した包囲網の中果敢に挑み、散った。
「兄上たちらしい」
昌幸はふと兄の子たちのことを考えた。
信綱の子らは生まれた時より身体が弱い。
女児は申し分ない健康体というのに。
果たしてこれからの武田家で、真田家当主としてやってこれるのだろうか。
また昌輝の子はまだ2つだ。
自分の二男よりもずっと年下の童を思い出した。
これより如何にすべきか。
「……」
昌幸は頬をかきながら、思案した。
あくる日、武藤家の様子は慌ただしかった。真田家当主亡き後、昌幸が新たな真田家の当主になる。
無論、兄・信綱には子がいる。
既に昌幸は武藤家へ養子に出されていた身である。
しかし、信綱の子は若く病弱であり、これからの真田家を率いていくことに不安がある。
その為、武田家当主・勝頼が真田家の新たな当主は昌幸にととりなしたのである。
お館様(勝頼)も、幼い頃より付き合いのある儂を頼ってくれたか……。
武藤昌幸は真田家新当主になる覚悟を決めた。
武藤家の館から真田家の方へ引っ越すことになった。
「兄上、私の竹トンボ知りませんか?」
弁丸はちょこんと兄の部屋に顔を覗かした。
「いや」
信幸は首を横に振った。
「なんだ。なくしたのか?」
「……いえ、昨日まではあったのですが」
「全くしょうがない」
源三郎は立ちあがり、弁丸の部屋へ向かった。
「一緒に探してやる」
それを聞いて弁丸は嬉しそうに後を追いかけた。
「そういえば父上が見あたらないな」
見かけるのは使用人に荷物をまとめさせる指示を出す母の姿くらいだ。
「はい。何でも大事な用事があるとかで」
こんな大事な時にどこへ行ったのやら。
勝頼から呼ばれたことなら仕方ないのだが。
しばらくして竹トンボは見つかり弁丸は笑顔で遊び始めた。
「弁丸、遊ぶのは荷物をまとめてからだ」
まだ引越しの準備中だと源三郎は声をかけた。
◆◆◆
引越し先の真田家の館にて兄弟を待っていたのは新当主の昌幸であった。
昌幸の腕には幼児が抱かれている。
二、三才ほどであろうか。
綺麗に整えられたおかっぱの髪がかわいらしい。
「……父上」
源三郎はじとっと父を睨んだ。
「な、何じゃ。源三郎。その辛辣な瞳は…それが父に向ける瞳か」
「そういう瞳になってしまうのは仕方ないですよ。で、どこの娘に産ませた子ですか?」
既に他所で作った兄弟の存在を知っている源三郎はため息をついた。
いくら屋敷に住まわせたいにしてももう少し母を気遣って欲しいものだ。
ただいま、母の不満愚痴の捌け口にされている源三郎はただただ呆れるばかりだった。
「何を言っているのか!こやつはな」
とてて、と弁丸は幼児の方へ近づいた。
「おうい、弟よ。兄の弁丸だぞ! 竹トンボをやろう」
無邪気なことに弁丸は先の竹トンボを赤ん坊にやろうとした。
幼児は嬉しそうに竹トンボを手にしようとしたが昌幸が制止する。
「こら、弁丸! いけません。こんなちっちゃい子供にそんな物を与えては。この年の子は与えられた物は何でも口にしてしまうんだから!」
保護者の顔となっている昌幸はめっと弁丸を嗜めた。
「全く……で、母上はこのことはご存じで? よく今までこんなに大きくなるまで」
隠し通したものだ。
頭の中にいる異母兄弟たちの中にポンッと幼児がセットされる音がした。
「馬鹿もの! お前は儂がどこかで隠し子を育てるような男に見えるか!!」
「思います。実際いましたし」
「あれは生まれたらちゃんと山手に報告して認知済みだ」
隠してはない。確かにそうなんだけど。
まだ幼い子に厳しく言われ、昌幸は口を尖らせた。
「全く、可愛げのない。のう、五郎や。あのお兄ちゃんはあれで9歳なんだぞ。びっくりだよな。あんなに捻くれちゃって……お前はあんなお兄ちゃんのようになっちゃだめですよ」
「五郎……兄上ですよ。兄上って呼んでみなさい」
弁丸はわくわくと幼児に声をかけた。
「あ、……あぃ?」
「源三郎、弁丸……。五郎って名前を聞いて何も思い出せんのか」
幼児を変わらず隠し子として接する二人に昌幸はしびれをきらした。
「……」
「はて?」
弁丸は首を傾げる。
ある意味わざとらしい。
「五郎といってもどの五郎なのか?」
「五人目だから五郎ですか。他にも弟がいるということですか」
異母兄弟の人数を数えると、一人足りない。
源三郎の記憶の中にいるのは男児が一人、女児が複数である。
「やった!他の子はいずこですか」
弁丸はきょろきょろとあたりを見回した。
「兄・昌輝の子五郎じゃ!! 去年、昌輝兄上の館にて挨拶しただろう」
全くのボケ通しの二人に昌幸はようやく正解を言った。
「あー。その五郎でしたか」
本当に隠し子だと思っていた源三郎は相槌をうった。
「わぁ、五郎。大きくなったんだね! 私を覚えているかい。従兄の弁丸だよ!」
「あぁ……」
五郎は首を傾げ困ったように弁丸と昌幸の顔を見比べた。
「知っての通り。先の戦にて昌輝兄上はお亡くなりになられた。五郎はまだこのように幼い。よって儂が育てることにした。源三郎、弁丸……五郎を弟と思いしっかりかわいがってやるんだぞ」
「はい!」
今まで末っ子だった幸村は新しい弟ができたと五郎を歓迎した。
「全く紛らわしい。それならそうと早く言えばいいのに」
源三郎はやれやれと弁丸とともに五郎をあやした。
「勝手に隠し子だと解釈したのはお前だろう」
昌幸は恨めしげに源三郎を睨んだ。
だが、その視線の端で、真田家の子たちが笑いあっている。
失ったものの重さと、新しく得たものの温かさ。
昌幸は静かに目を細めた。
(おわり)




